虚構の実績、孝行の一擲(1)
季節の移り目、どうにも湿気が肌を嫌にまとわりつく頃。第四中央高校では定期考査の時期に差し掛かっていた。
莉乃と瑠奈を含めた在校生はテスト勉強のため、いつも以上に机に張り付いていた。この時期、高校の部活動は幾らか制限が設けられ、学生が勉学に努められるよう配慮がなされる。そのため、いつもならば即時に空になる各教室は放課後になっても人で満たされていた。彼らの多くは十八時頃までノートにペンを走らせ、定期考査への準備を十二分に積み重ねるのだ。
織原莉乃にとって、この期間は毎年苦痛でしかなかった。授業時間で済むことをわざわざ残って行わなければならない空気。さながら、残業を美徳としていた一世紀前の日本企業にも思えるだろうこの習慣は、優秀という言葉では片付かない莉乃の記憶力の前では無駄以外の何物でも無かった。
だが、今年に関しては少し違ったようだ。数学の教科書を開いて方程式を淡々と解く莉乃は、止まる事なく数字を書き起こし解を連ねる。一見すれば、教室に馴染んでいた莉乃は誰の目にも不審に映らなかったが、彼女のノートを見て同じ感想を抱く者はいないだろう。
驚くべきことに、数字や直線、何もかも統一感のないノートが展開されていたのだ。筆跡の癖が露骨に違い、筆圧すらもあからさまに違う。ただでさえ、同じ人間が書き綴る数字とは思えないものを、莉乃は人より少し早い程のペンの速さで、数式を解きながら行っていたのだ。
瑠奈と遊んだ週末以降、莉乃は様々なことに対して「遊び」を設けていた。食べなれた味を捉えなおしてみたこともあれば、通学時に前を進む人の歩き癖を真似て登校したり。行き過ぎた人間観察と他者の模倣、そこから導き出された莉乃のやるべきと思った結果が、まさに今この時間に集結していた。
これをここ数週間、毎日の放課後で様々な教科で行い、時間を潰していた。これが果たして莉乃の超能力にどのような結果を及ぼすかわからないにしても、あれ以降国立神経科学研究センターで何も得られていなかった彼女にとっては収穫を感じたつもりになるには十分な行動だった。
愛羅に呼び出された翌週も、彼女の訓練を期待して施設へ向かった莉乃だったが愛羅不在のためとんぼ帰りをせざるを得なかったのだ。施設内をうろつこうにも、どこもかしこも人がせわしなく働きまわっており、どうにも邪魔をするようで気が引けて何をすることも出来なかったのである。
瑠奈に何があったか聞いても特に知らないようで、剛介に連絡をしても返事が無い状態であった。莉乃としては、改めて考えれば世界最高峰の研究機関が暇である方がおかしかったのだろうと何となく納得することで考えることをやめていた。
その忙しさが何に由来するかなどは、あまり考えないようにしていたのかもしれない。
そしてひとつ、莉乃も忘れていた意外なことが遅れてやってきていた。
「莉乃! なんでこういう大切なことを言ってくれないの!」
いつも通りに家へ帰ると、「おかえり」の前に母親が莉乃へと詰め寄ってきた。驚いた莉乃にお構いなしに、母は笑顔でまだ外履きで玄関に立つ彼女の方へやってくる。
「第四中央が良いなんて言うからお母さん凄く心配してたけど、今の時代はこんなものもあるのね」
喜ぶ母の手にはA4サイズの冊子があり、そこには「第一国区学力コンテスト、受賞者保護者様へのご案内」との文字があった。
もちろん、莉乃には何の覚えも無い。新年度は超能力まみれの生活であったことはもちろん、去年度のうちはただ茫然と「普通」に紛れて過ごしていただけであったのだから。
「国立神経……長い名前ねぇ。でもここ、研究所なんでしょ? よく見つけて受けてきたわね、受験資格とかは大丈夫だったの?」
「あっ――」
莉乃は頭の中で何もかもが繋がった。学力コンテスト等と書いてあるが、あからさまに彩音京介が立ち上げている「人類再研究プログラム」のカモフラージュであろうことを察する。莉乃の母もいきなり着た謎のご案内であれば幾らか熟読しただろうが、特に不審に思うことは無かったようだ。
このご時世でも変わらず、優秀であることはひとつの正義である。しかも、莉乃の両親は娘が不相応な環境に身を投じていたことをかなり心配していた。それがこのような、人目にあまりつくことも無く解消されるような手段を、娘である莉乃が能動的にしていたと知れば喜ばない方がおかしい。
「――うん、最近学校で話題でね。興味本位で受けてみたの」
「そっか、そうなのね。だから最近よく出かけてたのね」
「うん、そう。何度か呼ばれちゃったり……で」
莉乃は精一杯、絞り出すように誤魔化す。目の前の母は今にも泣かんばかりに大喜びをするもので、流石の彼女も心が痛む。だが、多少の嘘は交えていれど莉乃が優秀で選抜されたことには変わりない。自身のわがままと、ある種の怠惰で悲しませていた親不孝を払拭できたと肯定的に解釈することにして、莉乃は自信を持って振る舞うことにした。
その晩、少し豪勢な夕食を父も含めた三人で囲み、数年ぶりに温かい食卓が仕上がっていた。莉乃は超能力という現象に関しては触れないようにしながら、国立神経科学研究センターの話を両親にした。
「――でね、だからセカンドスクール? って言うのかな、そっちでも勉強する感じになるの」
「学校は大丈夫なのか? もし出来るなら、そっちに転入とかはできないのか?」
「大丈夫、たくさん勉強したいし」
「それは良いが、莉乃は疲れないか? 国立なんたらって所は高校より遠いだろ」
「うん、でもだから部活も入らなかったし、心配いらないよ」
仕事から帰り、食事をとりながら初めて話を聞かされた父は莉乃の体力をとても心配していたようだった。だが、それも莉乃の恐ろしいほどの口八丁で誤魔化すと、父も安堵したようで笑みを浮かべて納得する。
これも最近やっていた変なことの成果かと莉乃は勝手に思い込みながら、母の手料理を味わうように口へ運ぶ。特に何をしようと意識していたわけでは無かったはずだったが、いつもよりご飯がおいしく感じたのは気のせいでは無かっただろう。




