謂れ無き不名誉(2)
時刻は放課後、まだ陽は高いものの空はほんのり赤みを帯びている。それに照らされる莉乃の顔色も、今朝とは打って変わって健康な十代のハリを取り戻していた。
結果から言えば、午後の授業を通して試みた「逆に血行を悪くしよう作戦」は無事失敗していた。そもそも、瑠奈は出来そうと言っていたものの莉乃自身による体調の操作が叶うかという問題は何ひとつ解明していないわけであった。莉乃としても、昼休みに瑠奈から施された超次元的エステの効能から良くも悪くも変化が見出せないでいた。「神経操作」と命名された彼女の能力は、現時点では運動と超能力に干渉するのみでしか観測出来ていない。
「何をどうしろって言うんだか……」
自分が好きでやっていることではあるものの、人の手を借りない能力開発に早くも限界を感じていた莉乃は思わず独り愚痴をこぼしてしまう。昇降口で瑠奈を待ちながら再度考えを巡らせようと伸びをして腕を組むも、疑問符ばかりが頭の中に浮かぶばかりだった。
生まれてこの方、与えられた課題ばかりこなしてきた莉乃にとって「自ら考え、解決する」という課題は高い壁となっていた。これまでの敵との対峙では、思いもよらぬ方法で無力化を実現してきたセンスは目を見張るべきものであり、莉乃としてもそこから自信を得ていた事は言うまでもない。しかし、落ち着いて考えるとなった際にここまで何も進展が望めないものかと莉乃は落胆していた。
客観的に見れば、能力の自覚から数週間、方向性の提示から数日で解明するわけが無いのは自明ではある。だが、莉乃の人生においてここまで問題を抱え込むことは初めての経験であった。
「お待た――お、織原ちゃん……?」
「ん? あぁ、帰ろっか」
「織原ちゃん、昼休みの時より気持ち目がぎらついてるよ? まだ考えまくってたわけ?」
瑠奈の問いに対して、莉乃は深いため息を肯定の意として返す。瑠奈としても、特にこの場で解決策の提示が出来るわけでもないだけに困った表情を浮かべるしかなかった。
瑠奈とて、能力開発において同じような壁にぶつかった経験はもちろんあった。だが、彼女自身がそこまで「強化」という方向で上手く考えられず、結果として身だしなみを整えるような使い方ばかりが試行回数と共に発展し、その副産物として出来る幅が増えているまでだった。
莉乃にこれを当てはめようにも、才色兼備であることそれ自体が神経操作を優位に使えていることの証明となっている。瑠奈から見た莉乃は、もはや自分のやってきた能力開発の経験則を先輩として語れるほど素人とは思えないでいたのだろう。
「ん~、諦めよっては言いにくいけど、やっぱり考えても疲れるだけだと思うよ~」
「私だって彩音先生待ちで良いんじゃないかって思うけど、そんな悠長でいいもんかと……」
「焦っても強くなるわけじゃないしさ。それに織原ちゃんはここ数日で凄い疲れてるんだし、それで考えてもじゃない?」
瑠奈はふんわりと説得しているつもりだが、やはり莉乃は唸るのみでハッキリとした返事は無かった。一息置いて、「そうだけどさ」と呟きながら莉乃がようやく歩を進めて二人は帰路へ着いた。
ほとんどの生徒が部活に従事すべく、ユニフォームや体操着で玄関を出る中、いつも通り制服で堂々と帰る二人に向けられる目線はこの数週間ですっかり無くなっていた。莉乃が帰宅部を決めていたことは、莉乃本人を知らない人でも校内の一部で周知ではあったが、それが新入生を引き連れていたのだから新年度の始めはちょっとした話題となっていたのだ。その延長線上に、橘のような負の感情を抱いてしまった者があるのかもしれないのは、あの一件から莉乃としても自覚はあった。自覚はあれども、その問題をケアする余力が今の莉乃にあるかは言うまでも無かろう。
「コンビニ寄ってく?」
「うーん、良いけど最近交通費が痛くてさ……」
ここ数回の国立神経科学研究センターへの訪問は、莉乃にとって、あるいは一般的な女子高生という括りでも差し支えないと考えられるがそこそこの出費として嵩んでいた。瑠奈はそれを聞くとにやりと笑みを浮かべ、財布を取り出して見せる。
「織原ちゃ~ん、私これでもお給料貰っちゃってるわけなの。貢ぐ準備はいつでも出来てるよ~?」
「それとこれとは別でしょ、後輩に奢らせるってのが気にくわないの。それに私だってその給料入ってくるようになるんでしょ?」
「そりゃもちろん! 当然の権利だもんね!」
歩道橋を跳ねるように上りながら瑠奈は進んでいく。が、何を思ったのか急停止し、後ろから上っていた莉乃は詰まって思わず後ろに倒れそうになる。
「ちょっと瑠奈! 危ないでしょ!」
「……織原ちゃん、私は天才かもしれない」
「は?」
ゆっくりと莉乃の方へと振り向く瑠奈の顔は、可愛らしさがありながらも下衆な笑みと言った方が適切なそれであった。莉乃は怪訝な表情を浮かべ腕を組み、階段の途中で静止して瑠奈の言葉を待った。
「私たちのこれってさ、もはやプチ会議なわけじゃない?」
「会議って大袈裟な……。どっちかっていうとミーティングっていう方が適切じゃないの?」
「同じようなもんでしょ! 横文字好きめ! いつの時代の意識高い系よ!」
「わ、悪かったわよ……」
瑠奈は全身を使ってじたばたと怒ったように振る舞うと、そんな瑠奈の行動に慣れていない莉乃は思わず謝ってしまう。瑠奈も本気で怒っていたわけでも無いのだろう、小さいため息をひとつ挟んで続けた。
「つまり、研究に必要なことじゃない?」
「んー、まぁそうとも言えるか」
「つまりつまり! 私たちの食事代は経費で――」
「――落ちる!」
瑠奈の溜めに、完全に理解した莉乃は合わせるように叫んだ。彼女らがコンビニに寄ろうが、例え喫茶店でまたパンケーキを食べようが二千円も行けば買いすぎ食べ過ぎというものではあるものの、出費を抑えたい守銭奴としての精神はいつの時代の学生も変わらないのだろう。
「てか、それなら私の交通費は出ないの?」
「織原ちゃ~ん、どうせ領収書とってないでしょ? 言えば誰かが出してはくれそうだけど、それじゃ甘々ですな~」
「仰る通りだけど、相変わらず妙に腹立つわね」
「せっかくだし、織原ちゃんの領収書処女卒業がてらコンビニ寄ろうよ!」
「外なんだからもうちょっと言葉には気を遣いなさい」
莉乃はやれやれと言わんばかりに笑みを浮かべながら突っ込むと、二人は意気揚々と上っていた歩道橋を降りて高校近くのコンビニまで戻っていった。
コンビニではちょっとしたデザートだったり飲料を買って終わるのが常であったが、今回は店に入るや否や二人は凄まじい勢いでカゴの中にお菓子を放り込んでいく。その場で現金の会計が必要なことは変わりないのに「せっかくだから」と言わんばかりに、まるでタダで貰えると勘違いしているのではと疑わざるを得ない程だ。
「いらっしゃいませー」
レジに持っていく頃にはカゴがお菓子で満たされ、店員の眉間には気持ちシワが寄ったようにも見えた。
「あ、領収書お願いします」
バーコードを読み取っている途中、忘れないようにと瑠奈が店員へと投げかける。生返事のように了承しながら、店員は淡々と商品を読み取り続ける。莉乃と瑠奈はそれを見つめるのみで、先程までの変なテンションはだいぶ落ち着いていた。
「ねぇ、領収書って何すれば良いの?」
「誰が何のために買いましたよって証明するためのものだから、名前と買った理由を言うって感じかな?」
「じゃあ今回だと私の名前で、理由ってなんだろ?」
「食事代で良いんじゃない?」
ちょっとした確認を二人がしているうちに金額が提示され、ひとまず瑠奈のポケットマネーから支払われる。商品が袋に詰められながら領収書の宛名等を聞かれた時、莉乃が答える寸前で瑠奈が口を挟む。
「あ、織原ちゃん」
「なによ」
「剛ちゃん名義にしとかない?」
瑠奈の提案をイマイチ理解できなかったが、「まぁ瑠奈が言うなら」とよくわからないまま莉乃は、返答を待っている店員へと答える。
「アコ ゴウスケで、食事代でお願いします。」
無事、剛介がお菓子を爆買いした領収書が完成し、莉乃に手渡された。大きなレジ袋を携えてコンビニを出ると、莉乃はそこで瑠奈に問いかける。
「ねぇ、なんで阿古さんなの?」
「こうするとね、剛ちゃんが経費でお菓子を買いまくったことになるわけだから、お咎め受けるとしたら剛ちゃんになるわけよ!」
「そういうことね。まぁパンケーキの恨みを晴らすいい機会になったわ」
二人は満面の笑みで再度帰路へとつく。剛介が所内で「お菓子魔人」と陰で呼ばれるようになるのはこの数週間後、領収書のことが経理担当を通して彩音に伝わった後の話である。




