秘匿すべき(1)
国立神経科学研究センターの奥深く、迷宮のような施設内を歩きまわった末に莉乃達は彩音の研究室となる一室の前に着いていた。
「あそこの医務室からでも徒歩なら十分近くかかってた筈なのに、こんなに早く着くなんて……」
「本っ当に感動よね……22世紀にまでなって、しかも建物内をあんなに歩かされてたのがおかしかったのよ……」
瑠奈と悠美が感嘆の声を漏らしながらも、憎々しそうに彩音の部屋のドアを睨むようにも見えた。莉乃は二人を見て、愛想笑いを浮かべながらも、足への負荷が依然訪れた時よりも無いことを確認するように足首を回す。
「先生、瀬良です。入ってもよろしいでしょうか」
瑠奈が感動の余韻に浸っている間に、悠美はドアを三度叩いて部屋の主がいるか確認をする。すると中からは彩音の声で「どーぞ」と返事があり、悠美が先陣を切り部屋へと入っていく。
彩音の研究室は相変わらず本でまみれていたが、以前莉乃が訪れた時とは違って山積みの本の柱はなくなっていた。その変わりか、幾つかの本棚が備え付けられており、整頓されて並んでいる。さながら街角の古本屋になり果てた彩音の部屋を、莉乃はいつかよりもかなり狭く感じたのは気のせいではないだろう。
本棚の奥で一人、彩音はノートパソコンを開いてマグカップからコーヒーを啜っていた。
「織原くん、元気が出たんだね。流石は瀬良くんだ!」
「おかげさまで……結構キツい話しでしたけどね」
「いやぁ、悪かったね。面白いデータや結果をひけらかしたいのは研究者のサガなんだ、どうか許してくれたまえ」
ため息混じりに、ただ冗談っぽく笑って話す莉乃に彩音は特に乱すこともなく落ち着いた返事をする。悠美はどこか不満げな表情で彩音を見つめるも、目を合わせた彩音は笑ってごまかして口を開いた。
「まぁまぁ! こんなエキセントリックな登場と能力をする新人なんて珍しいでしょ! 何があってもみんながいる、ひとつ信頼してるからこそだと汲んで欲しいなぁ」
「外からの干渉は控えて且つ自然に健康的であることが望ましいと、私は思いますが――」
「その『自然』すら、もはや君たち超能力者が無意識下に崩しているとも言えるよ。あるいは、超能力も自然と定義するなら、瀬良くんの干渉も君の言う『自然』の一部と捉えられるんじゃないかな?」
彩音の言いくるめにも思える返事に、悠美は口を閉じてしまう。超能力が自然か否かというテーマは各所で論じられており、未だ結論はついていないのだ。
「超能力って『自然』なんですか?」
「織原ちゃん、それは悠美さんが否定する論文を心理学の見地からまとめてる所なんだよ」
莉乃の無垢な質問に、焦ったように瑠奈が耳打ちをするもその処置は遅かった。その質問に悠美は一層顔をしかめ、彩音は相変わらずニコニコとしている。
「織原さんは超能力が自然だと思う? かつての人類の学説の何もかもをひっくり返すような、一部の人しか得られないものを、日本が完成させたプログラムの産物を『自然』と言える?」
「それは……」
「瀬良くん、それじゃあ誘導尋問だ。ここで私の持論は控えるけども、自分の主張を相手に説き伏せようとする姿勢は見過ごせないね」
悠美は彩音に注意されると、凄まじい勢いで莉乃に迫っていたのをやめて一言謝る。返答に困っていた莉乃も特に気にしていないようで、手を振ってその場は丸く治まった。
「難しい話は織原くんも研究に興味が出たらすると良い。私に瀬良くん、それに阿古くんにカールくんも、それぞれの分野で役に立てることはあると思うよ」
「でも、前に阿古さんに私の能力とかについて聞いても何も教えてくれなかったんですけど」
「それも彼なりの気遣いと受け取って欲しいね。織原くん、能力はとてもシビアなものなんだ」
かつて、隣にいる瑠奈もだが、いま名前が挙がった剛介でさえ莉乃の能力について何も口を出さなかった。それどころか、莉乃の質問に明確な応えや考えを述べることすら無かった。
彩音が言うには、超能力は基本的に本人の潜在能力や習慣で決定づけられるが、後天的に能力を束縛してしまうことがある。そのひとつとして「言葉」が挙げられるという。
例えば瑠奈の「成長促進」でも、これを彼女が得意な「髪を伸ばす能力」とだけ限定的に捉えさせてしまうと、そう呼ばれる側は力の範囲に無意識化で制約をかけ、範囲が限定的になる。そのため、彩音がそれぞれの超能力者に名前をつける時はあくまで「方針」でしかなく、それ自体には対して意味がない。ただ、これが無いと自己紹介や相互理解に支障が出るためにしているらしい。
「だから織原くんの『神経操作』も、神経系の創造と破壊のみともまだ限らないかもしれない。でも、逆にこれを『身体能力強化』って捉えることも出来て、もしそう呼ばれたら織原くんは『敵の神経回路をいじる』なんて想像出来たかな?」
「出来ない……ですね、正直今でもよくわからないし」
「そういう事なんだ。だから、しっかりと研究結果が見えるまでは阿古くんも発言を控えたんだろうね」
「織原ちゃん、そういうこと!」
彩音のそれとなく筋の通った理由に納得する莉乃を見て、瑠奈も便乗するように反応してくる。今までの瑠奈の濁し方や先程の医務室でのふるまいを見るに察した莉乃は、悟ったように優しい目で瑠奈を見て頭を撫でてやる。
「お、織原ちゃん……先生も悠美さんもいるのにそんな……」
「アンタはドヤ顔する所じゃないからね、今の」
ほほ笑む莉乃はそういうと、瑠奈の頭をがっしりと掴んで爪を軽く立てる。もちろん、本気でどうしようというつもりは無いのだろうが、瑠奈は銃を突きつけられたようにホールドアップをして丁寧な謝罪をする。
それを見て彩音は大笑いしているが、何かを思い出したように悠美が勢いよく彩音へ向き直る。
「そういえば、坂上さんは結局ダメでしたか?」
悠美が思い出したのは今日のもう一人の新メンバー、澪のことだった。莉乃もそれを聞いて少しビクッとすると、サッと瑠奈から手を離してしまう。
「彼女の意思を尊重してね。織原くんが来るけど大丈夫か聞いたら、心の準備が出来ていないからって。多分自室に籠ってるんじゃないかな」
「そうですか……精神感応の影響が酷く出ていた所にPTSD、更に持病で躁鬱らしい面影がありましたしね。お役に立てず、すみません……」
「いやいや、坂上くんほどの心的な傷は類を見ないからね。瀬良くんの能力開発もかねて、じっくり向き合ってくれると私も助かるよ」
悔しそうに唇を噛む悠美に、励ましと期待の意味を込めてだろう彩音の返事はどこか当事者意識を欠いたような冷たさがあった。莉乃の表情もまた暗く落ちかけるも、すかさず瑠奈が腰へと手を伸ばしてきたのを叩き落とすことで未遂に終わる。「バカ」と小声で瑠奈に投げつける莉乃の顔は、困りながらもどこか嬉しそうだった。
「とりあえず、織原くんが帰ってから診てほしいかなぁ――そう言えば、君達はわざわざ織原くんの元気が出た報告に来てくれたのかな?」
コーヒーのおかわりに彩音が立ち上がりながら悠美達が来た目的を聞くと、三人は声を上げて彩音のデスクへと詰め寄る。超能力者が三人も一気に距離を詰めてきたのだ、流石のマッドサイエンティスト彩音京也も思わずたじろいでしまう。
「先生! 織原さんにちゃんとプログラム参加の誓約書を提出させないままに、能力開発とか言ってましたよね!?」
「あれ? 織原くんって書類貰ってないっけ?」
「貰ってないです! なんも貰ってないです!」
莉乃の元気な返答に、彩音はやってしまったと言わんばかりに天を仰いで手で顔を覆う。すると、カップを置いて席に戻るとパソコンを叩きだしたかと思うと、席の下から機械音が唸る。何枚かの用紙を印刷したようで、デスクの下から取り出して卓上に置いて莉乃へと見せる。
「すっかり忘れてた、この前は落ち着かなかったから後日にしてたんだね。なんなら説明とか色々してなかった気がするけど、今日って時間大丈夫?」
「はい、特に予定無いので」
「先生、さっき医務室で話したことも多いので手続きの仕方だけで問題ないかと」
悠美が医務室での出来事を彩音に伝えると、彩音は軽く感謝の意を述べて莉乃へと顔を向け直した。
「まぁなんにせよ記入事項が多いわけだ。そういうことなら瀬良くん、私が織原くんを独り占めしてる間に坂上くん診てきてくれる?」
「良いですけど……帰りは誰に送らせるんですか?」
「そこのむくれてるレディが、お願いしなくてもやってくれるんじゃないかな?」
彩音の視線の先には、蚊帳の外なのが気に入らなかったのかあるいは何かが気に障ったのか、彩音を睨むようにする瑠奈の姿があった。
「野比くんは織原くんラブだからね。でも、私も超能力者としての彼女を想う気持ちは負けることを知らないと思うよ?」
「良いでしょう、先生は私と勝負です!」
瑠奈と彩音は火花を散らすが、間の莉乃は困惑の一言に尽きるだろう。悠美は状況の面倒くささを察知して一目散に部屋を出て、莉乃が助けを求める先は無事いなくなった。
織原莉乃の苦難は、日常からして取り除かれる気配は毛頭しなかった。




