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織原莉乃は出る杭だから打たれる前に打ち返す  作者: 20時18分
一章 真実と代償、偽りの相貌
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春の訪れ、未知の訪れ(2)

 二人は淡々と歩みを進める。上へ上へと階段をのぼり、屋上へ出た。春の放課後16時過ぎ、日が落ち始めている中、校庭では各部活の掛け声が響き渡っている。気持ちの良い春の風が二人の間を駆け抜けるのを合図とするように、莉乃が口を開いた。


「それで、先輩は何の用でしょうか? 3年生の先輩が受験勉強も放って……」

「お前、いつも手を抜いているのか?」


 橘の質問返しに莉乃は意表を突かれ、思わず声を漏らした。長い付き合いならいざ知らず、今日初めて顔を合わせた相手に彼女の秘密を急に射抜かれたのだから。

 驚き戸惑う莉乃は否定する事も忘れ、肯定を前提に口走ってしまう。


「……なんでそれを?」

「体育祭だ。精一杯頑張って走ってますって顔、頑張って走ってる奴は出来ねぇんだよ!」


 橘が話しているのは去年度の10月、莉乃がまだ一年生だった時の体育祭で行われた徒競争の事だった。莉乃はクラスメイトの走力は把握していたため、クラス内トップ程度の速さで走った。それが意外にも他クラスの選手より前に出てしまい、慌てて露骨な手加減をしたのだった。残念ながら織原莉乃に演技力は欠いていたらしい。


「織原お前、人の努力を笑っているだろ?」

「なんでそんな!? 先輩が私の何を――」

「わかるんだよ! お前は自分でぬるま湯につかって、悦に浸るクソ野郎だ!」


 橘は怒気のこもった声で莉乃の言葉を遮る。その表情は負の感情に満ちている者の顔だ。莉乃はかつて無いほどに自身へ突き付けられたネガティブな気持ちに怯み上がり、あとずさる。

 無理もない事だ。莉乃に限らず、多くの人々は深い負の感情を抱く事も無い。それは即ち、そのような敵意を向けられることなどあり得なかった。人類は強い博愛主義に目覚め、それが普遍と化していたからだ。普通ではない感情を放つ橘を前にして、莉乃は震えあがり萎縮する。


「先輩、それは良くないです……先輩が駄目になっちゃう……」


 莉乃は学んでいた。現代倫理学において、怒りという感情を真に抱いてしまうと人間はわかり合えなくなってしまう事を。それは橘も同じであるはずだが、彼にその言葉は届かない。


「うるさい! 黙れ偽善者が! お前がいけないんだ!」


 橘は敵意を剥き出しにし、莉乃に対して成人のスポーツマンにも劣らぬ巨体から腕を振りかざす。その腕は迷うことなく莉乃の顔へと一直線に吸い込まれる。

 怯えきっていた莉乃に、それを避けることなど出来るはずなかった。その時、彼女は自身が暴力の対象になったと理解し、冷静な判断力を瞬時に取り戻す。


 織原莉乃は優秀の一言では表せないものだったようだ。


 橘の腕の軌道を読み切っていた。それでも、例え見切ったと言えど武道の心得もなく瞬発力を要する運動をする事もない、ただ運動神経が良いだけの莉乃に、素人が放つものであれこぶしを避ける等という芸当が出来るはずはない。


 だが、その固定観念すらも彼女は超越して見せた。


 無駄のない最低限の、まるで紙一重で躱すことを狙ったかのように避けて見せる。つい数秒前までいたいけな少女の表情をしていはずが、遠くまで見据えるように静まりきった穏やかな顔をして、空を切る腕の主を見つめる。


「先輩、これは正当防衛ですからね」


 莉乃はそう一言、念を押すように橘へ語りかける。それが橘の元へ届いていたかは定かでない。それでも関係なしに、莉乃はまだ殴ったための慣性力が残る橘の腕へ手を添えるように捉える。身をひるがえしながら腕を強く引き、自分より数十センチも高い、何十キロも重いであろう巨体をコンクリートの地表にに叩きつけた。


「やっぱり……お前ってやつ――」


 地べたに転がる橘は呻きながらも一層怒りを増し、一介の男子高校生とは思えぬ鬼の形相で立ちあがろうとする。

 それも束の間、憤怒に燃える彼の顔面に一発の蹴りが入る。他ならぬ莉乃の足蹴りだ。彼女は橘が立つ前から助走と跳躍をし、芸術的な弧を描いて綺麗な回し蹴りを彼の顔面へと容赦なくぶち込んだ。これが彼女の人生初めての回し蹴り――ひいては対人戦における蹴り技――と言われても信じられる者は少ないだろう程の出来栄えであった。

 蹴り飛ばされ、再度地べたを這うはめになった橘は恐怖していた。彼が先程まで怒りの矛先を向けていた相手は、ついさっきまで子犬のように怯えていたはずだった。それが気付けばこぶしは寸前で避けられ、投げられた挙句に回し蹴りまで決められた。それも年下の女子にとなれば、彼の自尊心が決壊してもおかしくない。


「なんなんだ……なんなんだよお前っ!」

「私はただの――」


「良いね織原ちゃん、予想通りだ」


 莉乃と橘の問答に、塔屋の上から横やりを入れる声が投げかけられる。

 2人が声の主へ目を向ける。塔屋に座る少女もまた制服のまま放課後を送っており、栗色の髪はお下げをふたつ携え、ニコニコと笑って二人を見下ろしていた。


「こんなん聞いてないぞ! どうなってんだ!」


 栗色髪の少女を目視すると、橘は震える声で叫ぶ。少女は橘の問いに答えることなく塔屋から降り、莉乃の前まで歩み寄る。

 少女は莉乃より一回りほど小さく、それほど身長が高くない莉乃を見上げるように顔を上げた。


「初めまして織原莉乃、私は1年の野比瑠奈(のび るな)。よろしくね、織原ちゃん」

「一年生、先輩には敬語を使うものよ」


 瑠奈と名乗る少女は握手を求めて手を差し伸べるも、莉乃は一瞥するのみで手を腰に当てて深い溜め息をついた。


「おい!無視するんじゃねぇ――」

「かませ犬は黙っとけや」


 瑠奈が橘の方へ手をかざす。すると、蹴りを入れられてなお吠える余力を残していた橘が、何の前触れもなく唐突に呻き声をあげ倒れ込んだ。その雄叫びは短く、だが純然たる苦痛を感じさせる声のみを残して腹臥位で静止した。


「ちょっとアンタ! 一体何を!」

「織原ちゃんと同じ。私もなんだよ」

「何を言ってるの!? わかる言葉で話しなさいよ!」


 傍から見ても支離滅裂の一言に尽きる瑠奈の返事に莉乃も思わず怒声を上げる。何もせず、触らずとも人が倒れたのだ。橘は意識を失ったのか、あるいは死んでしまったのか。ただ、声を上げ倒れる人の姿を見て気持ちのいい人間はいないだろう。莉乃もその例に漏れず、先程の落ち着いた表情から、またも一転して青ざめた顔色をしていた。


「何って……疎いねぇ織原ちゃんは。自覚ないわけ?」

「だからわかる言葉で――」

「『超能力』、かつて日本が研究した異端の兵器……。私『達』は同じ星の元生まれた運命共同体ってわけだよ」


 理解を超えた瑠奈の答えに、時が止まったように莉乃は硬直する。否、彼女自身に思い当たる節はあったのかもしれない。異様な程の記憶力、運動神経。今さっきの人間離れした動きの数々。これまでの彼女の人生でも、似たような経験はしたことがあったものだ。


「だからさ、織原ちゃん」


 戸惑いか恐怖か。理解の追いついていない莉乃を構いもせず、瑠奈は語りかける。


「私と一緒にプログラムに参加して、刺激的な毎日に身を投じようよ」


 瑠奈が再度差し出した手から、莉乃は目を離すことが出来なくなっていた。


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