倫理を超えて(2)
彩音は何かを切り替えるようにハンドサインを出すと、スクリーンの映像は移り変わり、色身の薄いスケッチが左右に二枚映し出される。
「本題から反れちゃうけど、みんなにも共有しておくよ。右が正常な細胞の神経系――まぁ私のなんだけどね! 側頭筋っていう顔の筋肉からちょろっと取ったものを観察してスケッチしたものだ」
彩音は彼自身のこめかみ辺りをさすり、何も傷跡がないことをアピールする。それが成せるのも、ここの副所長を務める剛介の能力あってのことだろう。
「で、左が坂上くんからも同じ箇所を貰って見たものだ。こめかみあたり、丁度この前に織原くんが容赦なく指を突っ込んでたあたりだよね」
彩音は二つのスケッチの概要を述べた。だが、右の彩音から採取されたスケッチに比べ、澪から採ったものはあまりにも線が少ないことが素人目にもわかる。莉乃をはじめとして、会議室にいる全員が食い入るように聞いていた。
「このシュッと伸びてるのが『軸策』とか『樹状突起』って呼ばれるもので、まぁいわゆる神経って認識で良いんじゃないかな。これらが伸びて、細胞体であるでっかいこれへと伝達を繰り返して、神経伝達になるわけだね」
スクリーンに移る線と丸型について、一般論を彩音は噛み砕いて説明した。そして、それがわかれば誰しも澪のスケッチが異様であることに気付けたのだろう。
「坂上さんのだと……細胞体しか無い……?」
「そう! そうなんだ、そこなんだよ。これは異常だ、筋肉が筋肉として作用しないようになってしまっている」
悠美が呟くように放った一言に、彩音は待ってましたと言わんばかりに拾い上げて饒舌になる。
細胞体が存在しながらそれを結ぶ「線路」が欠如している状態。本来、人間は無数の細胞とそれを繋ぐ線路によって神経伝達を正常に行い、様々な機能を引き起こす。それが、丸っきり抜け落ちている、「支障が出る」のではなく「最初から無い」かのように。
「あの日、織原くん曰く『手への神経伝達を眼輪筋に移した』って話してたんだ。そのあと織原くんが直したと思ってたんだけど、しっかり調べてみるとその復元もイビツなわけなんだ。おかげで、一見支障がなさそうだけど、坂上くんの表情の動きはどこかぎこちない。逆に、四肢の動きはやたら良いそうだ」
彩音が告げる澪の現状に、その引き金を担った莉乃は顔が青く染まる。彩音は容赦なく、莉乃へと視線をしっかりと合わせて言葉を浴びせる。
「織原くん、心あたりあるよね? 君は身体全体のパフォーマンスを上げることには長けているようだった、これは君が培ってきた『経験』によるものだね。だけど、表情の自由さなんて――気にすることの無い生活だったんじゃないかな?」
「……はい」
「あぁ、ごめんよ。責めているわけじゃないんだ。これは私の好奇心からの確認、君に必要以上に罪の意識を持ってもらいたくはない。状況も状況だった、そうだよね阿古くん?」
剛介も深くゆっくりと頷き、彩音へと同意を示した。だが、莉乃はまたしても酷く暗い顔になり、どうにもそれを払拭出来ないでいた。
自分の力を理解しないまま行った結果、澪へと後遺症と言って差し支えのない現状を与えてしまったのだ。先程の愛羅とのやり取りからまたしても未熟さを痛感させられる、この重く苦い経験の連続は幼い莉乃には可哀想でもあろうか。
「織原くんの能力は厳密に言うと『細胞間の回路の創造と破壊』となるのではと私は考えている。後者はまだしも、『創造』――軸策の投射とか、ちょっと近いようで遠いけど野比くんの成長とも通じるところがあるね。普段、特に意識しなくても生活の中でするものだ。しかも、その幅の広さは結構なものじゃないかな」
彩音は加えて、「破壊」についても莉乃が社会に溶け込む手段として行っていた可能性も示して加えたが、その全てを聞く前に会議室は十分ざわついていた。
「あー静粛に! 確かに、前例の無い能力だが強力に変わりない。だけど、それだけ織原くんにはしっかりと能力開発に向き合って貰わないといけないんだ。それに伴って、諸君には協力をして貰うことは多いだろうから、仲良くしてあげてね!」
どうにかこの場を治めようと彩音は叫ぶように主張する。未だ色々な感想が飛び交いながらも、彩音はひとつせき込みを挟んで仕切り直した。
「話を本題に戻そう。今のことも繋がるけど、新メンバーでありながら頼りがいがある織原くんも前線に立って貰いたいと考えている。その補助として、身体の治療は阿古くんに、心の治療は瀬良くんにお願いしたい」
「はい!」
「俺は元から全員のヒーラー扱いじゃないすか」
「まぁそう言わずに~」
莉乃が自分の力と罪と責任を呑み込むことを待たず、彩音はどんどんと話を進めていった。彼のそのあまり莉乃の気持ちを考えていないような態度は、その背景に彼女の精神的スイッチの異常さを信頼してのことであろうか。彩音のその判断をも汲み取るように、剛介も悠美も二つ返事で了承した。
その後も、彩音は続けて長い長い説明をしていたが莉乃の耳にはあまり入ることは無かった。
「それともちろん、真田くんと王くんだね。カールくんもこちらにいる間はお手伝いを頼みたいけど――」
迎撃部隊のメンバー確認が未だ続く。莉乃はただただ前を見つめ、何に焦点を合わせるわけでもなく茫然としていた。
莉乃を差し置いて、超能力者達によって賑やかにやり取りが行われる中、悠美が莉乃を少し見守ると、剛介に近寄り耳打ちする。
「剛介くん、彼女……」
「ん? 織原か、気持ちの切り替えがエグいやつだが――今日だけで色々あったしな、ちょっと診てやってくれ」
剛介も莉乃の立ち直りの遅さ――普通の女子高生であれば、この環境下で気持ちを切り替えろと言われる方が酷だが――に違和感を覚え、悠美の意図を汲む。
「にしても敵さんどないなもんなんやろなぁ、実戦なんてワイはしたことないしのぉ」
「お前はグッと圧力かけて潰しゃ良いじゃねぇか、人も鉄くずもかわんねぇよ」
「愛羅、どういう状況であれ先生は殺戮を望まない」
「はぁ? 敵さんがどんだけ殺る気満々で来てっと――」
和気藹々と談笑に移ってしまった超能力者達を彩音はにこやかに見つめていた。タイミングを見計らったように剛介が席を立つと、足音を殺しながら彩音へと近づいて耳打ちをする。二人は莉乃を一瞥すると、彩音がゆっくり頷き、剛介は軽く会釈して下がる。
他方、悠美は莉乃の隣へと座り、肩を叩く。
「織原さん大丈夫? 落ち着かないよね、もうちょっと我慢してね。このミーティングが終わったら場所を移して、少しお話しましょ?」
悠美の提案に、憔悴したかのように暗さが露わになっていた莉乃は縋るように首を縦に振る。悠美が来たのがあってか、莉乃の隣で静観していた瑠奈も莉乃の顔を覗き込んでくる。
「織原ちゃん、悠美さんの能力は沈んだ気持ちを和らげてくれるから安心してね。まさかこんなことになると思ってなくて……誘っておきながら急にこんな事になってごめんね……」
「瑠奈は悪くないじゃない、これは私が――」
「織原さん、今は自分を責めないであげて」
瑠奈と悠美に挟まれ、顔を伏せながらも莉乃はコミュニケーションとして自らの罪を受け入れる告白をしようとする。それも、悠美がすかさず遮り未遂で終わってしまう。莉乃はそれを少し安堵したように聞くと、あとは頷くのみであった。




