ギャップ(2)
テーマパークのような広さを誇る国立神経科学研究センターの中を、少女は走り男が二人宙を浮いて駆け抜ける。白衣姿の職員や、私服の能力者であろう人達はその異様な光景を目の当たりにした所で特段驚く様子はなく、各々のすべきことに従事していた。
「――お疲れさまです、先生。ちょっと緊急でして、剛介が例の連中にやられましたわ」
一生懸命に走る莉乃の横で、その女子高生離れした速力に悠然とついて飛んでいるカールが彩音へと空いた両手で電話をかけていた。カールはピクリとも動かない剛介と彼自身を能力で浮かせながらも電話をする余裕を持っており、曲がりくねりのある道中であれ寸分の狂いもなく廊下の真ん中を縫うように進んでいく。
「――はい、じゃあそちらで。はい、一緒に……はい」
カールはスマホを耳から外し、そのまま手を離すが今度はスマホも高速で浮いてついてくる事となった。
「莉乃、先生からの伝言や。お前は会議室で先に待っとけ」
「えっ――それっ――どこっ!」
息も絶え絶えに莉乃は聞き返す。彼女と言えるだろう運動の最適化を成してかれこれ5分は全力疾走なのだ。カールは浮いているものの、能力の使用による疲弊を感じさせなかった。しかし、己の肉体で走り続ける莉乃は正常に心拍数をあげる他ない。
「そっか知らんわなそりゃ――ちょっと一旦ストップ!」
カールがそう言うと彼と剛介はその場で浮いて静止し、全力で走っていた莉乃も宙に浮き脚を無意味に回転させるのみとなった。
莉乃は自分が浮いていることの喜びよりも、三人浮いていることに対して何か思う所があってかカールを睨んでいるようだった。
カールは莉乃を地へ降ろすと、近くにいた白衣の男性へと声をかける。
「あーそこの君! ちょっと新入りの案内頼める?」
「私か? 悪いけど今は取り込み中で――」
「ワイは特殊人事課のカール・ガルシアやぞ。何年目か知らんが、上司の顔と名前は覚えておいた方がええで」
白衣の若い男性はカールの名を聞くと震え上がり、何度も謝罪と彼の命令を受ける旨を口に出しながらペコペコと頭を下げた。莉乃が呼吸を整えている間に、カールは男性と話すと、莉乃を指差して確認と手を合わせてお願いするような素振りをして飛んでいってしまう。
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
「織原さん落ち着いて、カール支部長は阿古副所長を彩音所長のところへ運んでくださるんだ」
カールを引き留めようとする莉乃に、白衣の男性が肩に手をかけて止めた。彼女は飛んでいってしまったカールへの思いもあるが、それ以上に男性の口から出た情報量の多さに一瞬固まってしまう。
「……支部長? 阿古さんが副所長? 一体どういうことなの?」
「織原さんは今度から超能力部門に入るんだよね。私は柴田 潤、ここでは主に精神科学について研究している平社員だ」
莉乃の疑問に、手始めに柴田は自己紹介と握手を求めてくる。莉乃は快く、というよりされるがままにそれに応じると、柴田は少し暗い表情をしたように見えるもすぐに軽い笑顔を作った。
「一応まだ歴史で国境があった話は習ってるよね? カール支部長はこの島から外れた、旧マレーシアやインドネシアの研究支部を任されているんだ。それとここでも織原さん達超能力者の人事部門担当。そっちは阿古副所長に丸投げだけどね」
柴田は困ったように笑うと、莉乃を導くように歩みを促しながら続ける。
「阿古副所長はそのまんまさ。あの人は新しい超能力者の人達と親身に話すわりには、こういう役職の話をいつもしないんだよね」
「そうだったんだ……てっきり先生のパシ――熱心なお手伝いかと思ってました!」
「ははは! 確かに、いつも所長に使われ倒してるね。でも副所長の能力と頭脳、そして所長からの熱い信頼がそうさせてるんだ。私とそう年も変わらないのに、凄い人だよ」
嬉々として職員の話をする柴田の姿からは、初対面の莉乃でも彼がどれだけこの国立神経科学研究センターという研究機関に携わる人間を好み、敬意を持っているかが伺い知れた。それだけに、ふとした疑問が莉乃を襲う。
「あの、そんなに知ってるのにカールさんの顔は知らなかったんですか?」
「いや……カール支部長は入所式でも遠目に見たことはあったし、何度も顔と名前は見てるよ。でもあんなに肌を黒く塗って変な格好されたら流石にね。支部長は優れた超能力者だけど、あれくらいの念力なら出来る子は多いから」
喉で待っていたかのように柴田は弁明を連ねる。彼はスマホを取りだし、何かの集合写真の画像を莉乃へ見せ、カールを指で示す。そこには、先程のターバンを巻いた黒人の面影は無く、黄色の肌をスーツから覗かせる男性の姿があった。顔のパーツは似ている気がするものの、初対面であった莉乃には判断しかねたのか信じられない様子だった。
「これが? でも、なんでカールさんはあんな格好を?」
「多分、織原さん達との懇親会があるからだと思うよ。前に超能力者の人達がコスプレしてる写真を見たことがあるけど、どうやら新しい仲間を迎える行事だったらしくてね」
敵を前に浮かれたようなことをしているカールに、莉乃は苦々しい表情をする。剛介が目の前で動かなくされてしまい、それを見てもどこか余裕を持って対応するカールが気にくわなかったのかもしれない。
柴田はそんな莉乃を見ると、少し慌てたように言葉を付け加える。
「織原さんはそういうの嫌いかな? これから向かう会議室で、もしかしたらそういう雰囲気かもしれないけど――」
「柴田さんは心配じゃないんですか!? 阿古さんが横になってるのも見ましたよね!?」
柴田の余計な一言に、莉乃は感情を爆発させてしまう。施設内に入ってからというものの、彼女は強い違和感に襲われていた。飛んで移動するカールと剛介に対してリアクションがないこともひとつ異様ではあったが、副所長である剛介が横になって運ばれていることへ誰も気にかけていないことに。
柴田が言うように、剛介が他の超能力者へ気を回していたのなら尚更、彼への心配が無いことが不愉快でならなかったようだ。丁度良くか悪くか、莉乃の迷いが剛介によって断たれたのもあってであろう。
「みんなおかしい! 阿古さんは偉い人で、人望もあるならもっとおかしい! どうしてよ、説明してよ!」
激昂する莉乃に、柴田はたじろいでしまうも口をゆっくりと開いた。
「副所長の回復力を織原さんも知っているでしょ? 私達みんな、初めて超能力に触れる時は副所長の『超再生』を見せて貰うんだ。肘から下を切断しても、その切った腕を突き飛ばすほど早く腕が生えてくる人が、どうすれば死ねるか私にはわからないよ」
彼は莉乃の目を見つめながら肩に手を添え、より強く訴えかける。
「織原さんの反応は正しい、私達も最初はそういう人も多かった。でもね、この島国を世界の統一へ導いた力は非常識なんだ。それに向き合う私達も非常識にならないと、慣れないといけない。すぐ君も慣れてしまうとは思うけど、せめてそれまでの少ない期間は痛んでしまう正常な心を大切に持っていてほしいけどね……」
柴田はまたしても、莉乃と握手を交わした時のように暗い表情を見せる。それは彼の中にある葛藤の現れなのだろう。この研究機関は世界と隔離されたような場所で、世の理を創り出しながらも別の理を進む。歪んだ現実に、研究者としての好奇心で爆走できるほど、彩音京也ほど彼は狂ってはいない。
莉乃は柴田への睨みをやめ、彼の言葉を正面から受け止めることを拒むように目線を外してしまう。語られた莉乃もまだ未成熟な子供であり、与えられた世界しか知らないのだ。彼の言葉は、今の莉乃には早すぎたと言えるかもしれない。
「――すまない、今のは忘れてくれ。したっぱ研究員の戯れ言だね」
「ううん、私こそごめんなさい。何も知らないのに八つ当たりみたいなことしちゃって……」
一気に重苦しい空気を二人を襲うが、柴田はコホンを咳き込んで切り返しを図る。
「とりあえず、会議室で織原さんと同じように悩める仲間が待っているよ。私みたいな何の力も持たない人よりか、同じ境遇の人に話をする方がきっと良いよ。そんなに遠くも無いし、早く行こうか」
柴田は前を歩き、莉乃は重い足取りでそれを追いかけていく。彩音の研究室ほど遠くないと言われた会議室までの道のりであったが、いつかの廊下よりも長く、暗く感じたのは気のせいでは無いのだろう。唇を噛み締める莉乃は、手のひらに爪が食い込むほどに拳を握りしめて歩き続けた。




