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織原莉乃は出る杭だから打たれる前に打ち返す  作者: 20時18分
一章 真実と代償、偽りの相貌
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春の訪れ、未知の訪れ(1)


 平穏な日々は非常に退屈であるが、先人が築いた歴史があってこそ成り立っている。


 新学期が始まって一週間足らずの昼過ぎ、国立第四都区中央高校では既に授業が始まっている。ここ、通称第四中央高校はありふれた自称進学校であり、進学実績は伴わないものの生徒に勉強を強制する規則が多々ある。だが、生徒達は辟易とする所か、いま自分達が勉強に従事できることへ感謝して熱心に取り組んでいる。

 人間は生まれ持った才能が決まっており、人それぞれ優劣があるものだろう。もちろん、校内にも成績優秀者から落ちこぼれまで存在はする。だが、その差は定期テストの点数にして2桁に満たず、見事に足並みの揃ったスコアを叩きだしている。

 これはこの高校に限ったことではない。幼稚園から大学、それ以降の社会においてもコミュニティ内で劇的な差異は生じる事なく、人類は史上かつてない程に真の平等へと近づいていた。競争心を万人が有し、生まれや肌の色等の先天的個性をお互いに尊重する。身心共に自由が保障され、幸福度は今世紀に入ってから毎年最高記録を更新し続けている。無論、これは特定の国ではなく、世界全体がひとつの対象とされた調査においてであるが。


 退屈だと言わんばかりに、教室で授業を受けながらも窓の外を見て少女は思い耽る。織原莉乃(おりはら りの)、当校の二年生である彼女は年齢に不相応な程に端正な顔を歪め、手入れの行き届いた黒い長髪を空いた左手でいじる。授業は現代人類史。他の生徒は全員が手元のノートと、教鞭を奮う教師の映像が流れる教室前面の大型ディスプレイを交互に見つめている。窓際の一番後ろという特等席に座る莉乃には、このクラスの異様とも言える、だが当たり前の光景を堪能できる。

 彼女は勉強が出来る。校内の学年順位は全科目一位、厳密には一位タイだ。彼女は運動も出来る。走れば女子100メートル走のタイムは校内一位。無論、これも一位タイではある。莉乃にとって、これらのことは少ない労力で達成出来る程度のものでしかない。しかし、この高校では全校生徒が日々のほとんどをそれらに捧げ、結果を掴みとっている。

 両親や親戚、幼馴染らには「勿体ない、もっと良い高校に行けばいいのに」なんてことを耳にタコが出来るほど言われていた。それでも莉乃には届かない言葉だった。なぜなら、どこへ行っても彼女の退屈は確約されたようなものだったからである。

 織原梨乃は記憶力、思考力、運動神経おまけに対人コミュニケーション能力さえも、彼女の短い人生ではあるが誰と比べても秀でていたのだから。何故なのかは莉乃自身にもわからない。考えて出る結論など「私が才能に恵まれているから」以外にはない。

 才色兼備、この四字熟語の体現者たる莉乃がこの高校を選んだのは、たまたま自宅から近かったから、それだけである。それ故に、彼女は日々努力を弛まぬフリをして過ごし、両親の期待を裏切らぬ程度の成績を叩きだすことのみしている。

 そんな莉乃から見ればこのクラス、いや世界の勤勉さはどれだけ滑稽に映るのだろうか。想像に難くない。


 授業の終わりを告げるチャイムと共に映像も終わり、ディスプレイがスリープモードとなる。生徒達は一斉に立ち上がり、それぞれが雑談に興じる。雑談とは言えども、彼らの話すことは決まって勉学の話ばかりである。


「莉乃~、さっきの人類史でわかんない所あったんだけど~」


 一人の女子生徒が莉乃に話しかけてくる。少し茶色がかったショートボブの釣り目な少女は、先程まで広げていたであろうノートを手元に広げながら、あからさまに困ってますという表情を浮かべて莉乃を見つめる。


「明美、人類史の内容でわからないなんてこと普通ある?」

「わかんないでしょ! なんで2020年に旧中東で争いが起こらなきゃいけないの!?」

「思想の違いってさっき先生が言ってたじゃん、もしかして寝てた?」

「寝てないよぉ。その思想の違いで争いが起こるのがわかんないの!」


 莉乃に質問責めをするのは佐野明美(さの あけみ)、クラスメイトの1人だ。明美にとって、思想の違いは争いを起こすには動機として不十分といった見解なのだろう。


「そういうものってだけだよ、そこまで考えられるほど覚えてるなら十分じゃない。それでも気になるなら大学で研究でもしたら?」

「莉乃のいじわる! 知ってるなら教えてくれても良いのに~」


 明美はムスッとした顔をすると自分の席に戻っていく。莉乃はため息交じりに鼻を鳴らしながら見送る。あんな質問をされても莉乃にもわからない。一般的な高校生の覚えるべき範疇を超えているからだ。ただ提示された事象を覚え、テストの答案に書きこむ。莉乃にとって勉学とはそれに過ぎず、ただ与えられる受動的なものでしかなかった。学びは記憶することであり、彼女の人生を豊かにするものでなく、ただ評価を維持する手段でしかないのだ。



 日が西へ傾きだした頃、第四中央高校は五限まで終えて放課後を迎える。生徒達は部活動に励む時間へと移るため、教室はすっかり寂しくなる。閑散とした教室に莉乃は1人、放課後へ突入してもなお座り続けていた。彼女は立派に帰宅部である。運動神経の良い彼女は部活の勧誘も多く受けていたが、ことごとく断り続けていた。

 莉乃の興味関心は高校には無いのだろう。友人も多く、何一つ滞りなく物事を進めてはいるが、彼女にとっての学生生活は作業をするかのようで、決して満たされるような日々では無い。


 当たり前に出来ることをただ淡々こなす、だが他人からは健気に頑張っているように見せる。一見すると何も不自由のない生活はどれほど幸福かと思える。その反面、社会全体からポテンシャルを抑圧され、無意識化でそれを当たり前と受け止めて過ごす事は大きなストレスを抱えるものであろう。

 織原莉乃は心のどこかで発散を望んでいた。この退屈な日々を抜け出せる、彼女自身が限界を感じるまで努力を要求される困難を強く求めていたのだ。


 もちろん、そんな事は口にも表情にも出さない。例え、今のように誰もいない事を確信出来る状況下であっても漏らす事はない。それをしてしまえば、気持ちや言葉は反芻され、彼女の中で溢れるまで増幅してしまう。残酷なほど優秀であれど、年端もいかない少女なのだ。周囲の人間に反するようなことは自制する。それが正しくとも間違っていても。


「おい、お前が織原だな」


 茫然としていた莉乃へ教室の外から男の声が投げかけられる。部活の時間だというのに、入り口から見つめる彼もまだ制服を着ている。


「そうですけど、アンタ誰?」


 莉乃は椅子から立ちあがり、男子生徒の方へ歩みを進める。身体がしっかり出来あがっており、少しかがまないとドアを出入りする時に頭をぶつけてしまいそうな程に背が高い。2人が並ぶと頭ひとつ以上違うこともあって、まるで年の離れた兄妹にすら見える。


「3年の橘光希(たちばな みつき)だ。少し話がある、ツラ貸せ」


 橘と名乗る3年生がぶっきらぼうに言い放つと、莉乃の返事を聞くまでもなく歩き出す。莉乃は少し怪訝な表情を見せるも、彼の後を素直に追いかける。

 織原莉乃は容姿端麗である。黒い艶やかな長髪、物憂げな眼もとに端正な顔立ち。白い絹肌の四肢がスラリと伸び、華奢で女性らしさを感じさせる細長い指。敢えて欠点を挙げるならば、女性らしい凹凸の欠けるスタイルであるが、逆にこれを良しとする男子は多い。事実、これまでの学生生活で幾度か愛の告白を受けていた。その経験則から、彼女は橘の態度が今まで受けた告白のそれとはかけ離れている事を察知しただろう。

 故に莉乃は素直についていく。つまらない日々から少しでも刺激を得られるなら、そんな淡い期待も込めるように橘の背中を見つめていた。


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