欺瞞に満ちた社会(2)
国立神経科学研究センター駅、莉乃は一人ホームのベンチに座っていた。吹き抜けのホームは日差しを遮ることもなく、真上に近い太陽は端にホーム端の莉乃も遠慮なく照らす。
パメラと名乗った女性の名刺を見つめながら、彼女に言われたことが頭の中で何度も反復され続ける。彩音を信じて良いのか、それ以前に瑠奈と剛介を真に信じられるのか。莉乃は少し考える時間が欲しかったのだろう、上りも下りもスッカラカンな電車を何本見送ったかわからない程にそこで時間を過ごした。
超能力者関係で、莉乃が一番仲が良いと言えるのは間違いなく瑠奈だ。より多くの時間を過ごし、それだけお互いの話はよくしている。
しかし、その瑠奈ですら能力関係の話になると不審な点は思い浮かんでしまう。莉乃の質問は毎回なんとなく流されており、何か理由があってだと無理矢理納得していた。しかし、思い返せば莉乃が彩音の元へ訪れた帰り、喫茶店で瑠奈は能力について身を乗り出すほどに訪ねてきたのだ。自分は話したがらないが、相手からは聞きたいという姿勢はどんな場合でも違和感を覚えて当然だろう。
特に慎重になることもなく、未知への好奇心で突き進んでいた莉乃。それを補助するように莉乃の日常を彩るとも言える瑠奈の存在は、彼女の中で疑いを持つべき相手へと変わっていってしまう。
一番の仲良しと言ってもこの一ヶ月足らずのみだ、話は急激に進みすぎている。パメラにはひとつ頭を冷やせと言われたように思えてきたのだろうか、本質を見ようとした気疲れで脚をだらしなく伸ばし、天を仰ぐ。
「もう到着して気合い十分ってか。それとも駅で日向ぼっこが趣味だったかお前は」
不意にかけられた声に、莉乃は思わず立ち上がり構える。そこにはTシャツ姿でパーカーを背負う剛介の姿があった。急に身構えられた側も驚くだろう、剛介は思わず声を漏らした。
「なんだ、阿古さんか。電車来て随分立つけど、ずっとトイレにでも籠ってたの?」
「ちげぇよ、先生の手伝いしてたんだよ。まだ時間あるから一回家戻るだけだ」
剛介の家はここから2駅、莉乃の来た方向からは更に奥へ行った駅近くにあると言う。往復で30分ほどかかる見込み、莉乃は時間を確認してみるともう12時を回っていた。
「あー……2時間も日を浴びちゃってたか……」
莉乃の白い肌は若干赤く焼けていた。彼女は黒くなるより焼けて皮が剥けるタイプなのだろうか、あるいは黒い女子高生に抵抗があるのだろうか。どちらにせよ、日焼けには神経質になっていることは間違いない様子であった。
すると、それを見た剛介が莉乃の手を軽く取った。いきなり手を握られて思わず条件反射で手を引くが、引いた手は既に日焼けを感じさせない真っ白な莉乃の地肌に戻っていた。
「便利だろ、てか気にするなら日焼け止め塗れよ」
「あ……うん、ありがと」
流石の剛介も察したのか、どうも反応が鈍い莉乃を見て頭を掻く。
「その――なんだ、別に誰もお前を無理矢理取り込もうなんて思ってねぇよ。気味悪ぃもんな、俺にしても野比にしても。織原が超能力者だからって、普通に考えたら得体の知れないものは怖ぇよ」
「違う! 私はみんなが素敵に思えるし、一緒にいて楽しい!」
剛介の気遣いは微妙にずれており、ただそれを莉乃はからかおうともせず思いの丈をぶつける。剛介はどこか安心したようにうなずくと、莉乃の言葉を待つように見つめる。
「……阿古さんは、なんで彩音先生に協力してるの? いつから一緒にいるの?」
彩音の側近としての役割を果たす剛介だが、信頼を寄せているその背景を莉乃は何も知らなかった。二人の会話からは長年の付き合いを感じさせるし、先日の連絡に関しても上の立場を思わせる役回りを任されていた。
彩音京也という男が信じるに値すべきか否か、ひとつでも情報を得たい莉乃としては、このタイミングでの出会いは望んでいたのかもしれない。
「いつからってなると小2くらいか。俺が今年で24だから――17年くらいの付き合いになるな」
「え……阿古さんってそんな年上だった……んですか……」
莉乃は剛介の見た目もあってだろう、もう少し近いと思っていたのか固まって敬語まで出てしまう。剛介はようやく莉乃から出た敬語に若干悦に浸っているようにも思えたが。
「――でも出会い頭で女子高生に目潰しか、24歳」
「まだ23だけどな!? もうそれ勘弁してくれな? 何すれば満足だよ」
「女子高生の肌の色を自分好みに白くする23歳って――」
「何の能力開発も進めてないこいつに一発もかませない己が悔しい……っ!」
真面目な質問をしていたはずだったが、思わず莉乃はいつも通りに茶化してしまっておりハッとする。剛介も莉乃がからかっているとわかってのことだ。年下の女の子相手にネチネチと引きずらず、莉乃の改まった表情を見るとしっかりと対話することへ戻る。
「それで、織原は何が知りたい。俺の生い立ちか? それとも先生の人柄か?」
「多分どっちも……私って結局何もわかってないし、このままズルズルと参加するのって怖いなって」
莉乃はしっかりと、だがパメラとの出会いは隠して剛介に自分の心境を吐露した。ただ、その目はまっすぐと剛介を見つめており、不安がありながらもそれ以上の期待を彩音達に抱いていることが全身から溢れていた。
「なんだかんだしっかりしてると思うぜ、お前は。何から話すべきか」
莉乃の真剣な眼差しに、どれだけ格好のつかないことを積み重ねてきたか数えきれない剛介だったが、そこにいたのは一人の人生を左右するに相応しい責任感を背負った男の姿になっていた。
普段の雰囲気とあからさまに違う剛介に、莉乃は思わず唾を呑むも怖じ気づくことは無かった。むしろ、今まで知らなかった彼の一面を垣間見れていることにどこか喜びすらあるのか、若干の笑みも感じられる。
「まぁ無難に俺の話から失礼するか。俺は生まれた時から能力を開花させてたんだ――」
阿古剛介は祖父に旧アメリカ人を持つも、日本人の夫婦の元で生まれた。彼の「傷を癒す」――傷だけでなく、またこれは「癒す」にとどまるか明言は避けるが――という能力は、母親とへその緒を絶った時からその発動が微力ながら確認されていたという。通常、自然乾燥に数週間かかるとされていた彼のへその緒が3日と極めて早く取れた。原因は不明で、特に病的なものも感じられなかったため両親も医師も問題視はしなかった。まだ足で歩くこともままならない頃は傷を作ることも滅多になく、両親から寵愛を受け生活をしていた。
しかし、保育園に入ると男児というのは落ち着くことを知らない。また、彼が3歳の頃は日本が弱小国家であり、平和を確立する前である。世界侵略の行われた年は急激に外の情報は切られたが、当時は子供同士による当たり前のように喧嘩もあれば乱暴な大人が溢れていたこともあり、動き回りたい年頃の剛介は人並み以上に怪我をしたという。
「そんでだ、能力ってのは結局やっただけ上手くなる。『治りが早い』じゃ話がつかないようになっちまってたよ」
剛介が4歳になると、世界はひとつになっていた。幼かった彼は何もわかっていなかったが、世界絶対平和の最盛期とも言える2101年に能力が露呈したことは不幸中の幸いであった。なぜなら、偏見は悪とされ、異端者であろうと石を投げることは「世界」が許さなくなっていたからだ。
それでも、急に方向転換を命じられて出来る者などいない。大人がそうであれば、子供は尚更だ。虐めにまで発展しなかったのは奇跡的ではあったが、転んで擦り剥いても剛介だけ治りが異常であることを理解した子供達は、密かに彼と心的距離を置くようになっていた。
また、剛介本人も自分の異端さを痛いほど感じていたのだろう。大人へ相談することもなく、子供ながらに抱え込んでいた。
「まぁ小学校上がっても転々とさせられてな、どこ行っても怪我しちまえばみんな離れる。嫌になっちまってた時に、どっかのお偉いさんの連れで学生だった彩音先生がいた――てのが経緯になるか」
莉乃は、以前瑠奈から話を聞いた時と同じようにどこか罪悪感に襲われる。人の触れてほしくない所を自分のために、不必要に人を不快あるいは暗い気持ちへ追いやることへの嫌悪感は莉乃がこの社会で築いた健全な感性だ。
短期間で二度もそれをした自分に嫌気が刺したのか、剛介への罪悪感からか莉乃の顔は青ざめ、思わずか口に手を添えて目線を反らしている。
「気にすんな、プログラム参加希望者にはぼちぼち話してることだ。お前は生まれた時代と環境が良かったのか健全だが、超能力が発現し始めのやつなんて暗いやつばっかだからな。もっと下を見せて慰めてやるのさ」
「私は……恵まれてて――」
「そうだ、お前は恵まれてる。俺が知りうる中じゃダントツでな」
その言葉に莉乃はより罪悪感を強めた。あるいは恐怖心なのだろうか。これまで接してきた瑠奈や剛介、そして彩音も澪も、超能力に関わる人達は暗い過去を背負い、克服して今を過ごしている。
それなのに莉乃はどうだろうか。平和が浸透しきった社会で、つまらないと思いながら手を抜いてヘラヘラと笑って何不自由なく過ごしてきた。そんな莉乃が参加することは、果たして団体にどう影響するか。負の感情が当たり前に放出できる環境で、彼女はどんな顔をして過ごせば良いのか。
これからを考えればそうであるが、既に平然と時間を共にした瑠奈や剛介に申し訳ないとでも思ったのだろう。莉乃は震えながら「ごめんなさい」と呟き続ける。
見かねた剛介はやってしまったという顔をするも、腰に手をあてて唸る。すると、思い付いたように口を開く。
「織原、お前は何も気にするな。今だけで良い、人の過去に感傷的になるな。お前はそれが出来るだろ」
そう言うと、剛介は莉乃の肩をポンと叩きながら様子を見る。莉乃は少し静止したのち、赤く腫らした目を、溢れた涙をそのままに顔をあげる。その表情は、泣き腫らしてはいながらも澄ましたように見える。
「手間かけたわね。阿古さんの前で泣くなんて恥辱極まりないわ」
「こう、もうちょっとワンクッションあっても――まぁ良いか、話を戻すぞ」
恐ろしいほどの莉乃の切り替えに、暗示を成功させた剛介ではあったがどこか腑に落ちないような口ぶりでもあった。莉乃は冷静が過ぎるほどに気持ちを落ち着けており、ふと時間を確認する。
「阿古さん、もう半だし帰るのは諦めた方が良さそうよ」
莉乃の言葉に、剛介は焦って駅にある掛け時計の針を確認すると、見事に集合時間まで30分を切っていた。大きい溜め息をつく剛介を置いていくように、莉乃はホームを後にしようと歩き出す。
「おい織原! まだ先生について――」
「もう良いわ、答えを出すには十分話してもらったし」
剛介は怪訝な表情をするも、それを見た莉乃は涙を袖で拭い笑顔で続けた。
「私のことをよくわかってる人が仲間なの、こんなに心強いこと無いでしょ?」
莉乃は剛介をまっすぐ見つめる。覚悟を決め、確固たる信頼を受け取った莉乃を確認すると剛介は困ったように微笑む。
「手間のかかる後輩だが、頼りにさせて貰うぞ」
二人は改札を出て、かつて沈黙を貫いて歩いた道を楽しげに話して進んでいく。




