駅前プリクラ天誅剣
伊佐奈桔梗は剣客である。
本人的には普通の女子高生なるものを気取ってはいるのだが、悲しい事に、未だ誰一人としてその自負を認めるものは無い。
夕日が照らし出す街並み。
駅前にあるバスのロータリー。
倒れ伏し、呻く大柄な男子高校生たちの中に立ち、桔梗は沈思黙考した。
今、目の前に立つ女は何か。
昨日メールアドレスを交換した、因幡純である。
では、純は何故ここにいるのか。
恐らくは桔梗を待ち伏せしたものであろう。
そこを、男子高校生に絡まれていたわけである。
伊佐奈桔梗は義に篤き人である。
例え昨日出会ったばかりの何やら怪しい女子高生だとしても、メアドを交換する程度の仲であれば、
彼女を守る為に鉄火場にその身を晒す事も厭わない。
かくして、剣客が剣を抜く事も無く、無頼の輩は口から白く硬い物を零しながら倒れ伏した。
「……空しい」
桔梗は天を仰いで呟く。
戦いとはいつも空しいものだ。
相手が己に、一糸報いる事すら出来ぬ無力の徒であればなおさらである。
その体格は何か。
その筋肉は何か。
その異相は何か。
飾りか。
「あ、ありがとうございます、師匠!」
「師匠とな」
突如声をかけてきた純に、桔梗は目を剥いた。
師匠とは何事か。
昨日確認した限りにおいては、因幡純は伊佐奈桔梗と同い年である。
高校生である。
高校二年生、鼻も恥らうセブンティーンである。
正確には純は早生まれゆえ、シックスティーンである。
それが何ゆえ、師匠。
……思い出した。
彼女は自分を弟子にしてくれと、押しかけてきたのではないか。
桔梗は眼前で目を潤ませる少女を見やった。
髪はふんわりとボブカットでまとめられ、黒ぶちの眼鏡をかけている。
大き目の眼鏡のせいか、全体的に小顔な印象である。ややふっくらとした唇がよく目立つ。
なかなかに、女子であった。
対する己は、と桔梗は思い、すぐ横の電柱に額を叩きつけたい思いに駆られた。
親友である金城心葉という女が言うには、美女ではあるが武人である。ということである。
即ち女子ではない。
「妬ましい」
桔梗は率直に思うところを口にした。
純がギョッとして目を見開く。
「いえ、こちらのことだわ。で、どうして私がここに来ることが分かっていたの」
「はい、それは。わたしは探偵ですから」
探偵。
何を以って探偵なのか。
眼前の、実に女子っという感じの女子が、どうやれば探偵に見えるのか。
「師匠の下校時に移動される道を、張っていました。師匠はルーティーンで行動されますよね」
「確かに……」
桔梗は無駄を嫌う女である。
下校などと言う行為は、自宅に帰るだけの行為だ。
家にカバンを置き、制服を脱がなければ、ちょっと気になるカフェに寄る行為すら買い食いに値する。
都立高校の校則違反……では無いのだが個人的に気になる。
そして、今、桔梗は制服であった。
脇目も振らずに帰宅する途中である。
そこを、男子どもに囲まれた純と遭遇した。
周囲は繁華街。
桔梗の自宅はここを抜けたところにある。
父親がかつて、若い頃に用心棒とやらをしながら糊口を凌いでいた記録があり、それらの縁からこのいかがわしい土地に居を構えたのである。
だが、この土地に馴染まぬ人間にとって、繁華街とは魔境である。
人類の欲望が渦巻く地。
多くの事が金で片付く地。
決して眠らぬ地。
それが繁華街。
誘蛾灯の如く、いかがわしい空気を好む輩が引き寄せられ、自然、繁華街はそのような空気をより濃厚なものへと醸成していく。
それを、目の前の少女はどうだ。
女子である。
JKである。
まるで、取れたての生肉を腰に巻いて、獅子の檻に飛び込むが如しではないか。
いや、獅子というのでは獅子に失礼な例えだな、と桔梗は考えた。
思考に没頭するあまり、己の手を引いて、純がゲームセンターに入っていくことになど気づかない。
強烈に耳朶を打つ電子音の奏でに出会って、ようやく桔梗は我に返った。
ゲームセンターであった。
ビデオゲーム前では、学校ではイケてないグループに属するであろう、チェックシャツ・アブラギッシュ眼鏡・ぺったりヘアスタイルの少年、青年たちが、あたかも類人猿に似た咆哮をあげている。
硬貨を塔の如く積み上げ、続けて筐体に投入していく。
またマシラの叫びが上がった。
レアカードが出たらしい。
魔境である。
「師匠、今日と言う日の記念が欲しいんです」
「記念? 今日と言う日は、なんでもない普通の日では無いの」
「なんでもない普通の日に、女子に絡んだ男性を叩きのめす女子高生はいません」
「なんと」
桔梗は衝撃を受けた。
巷の常識とはそのようなものであったのか。
では、今まで桔梗が送ってきた日常とは何だったのか。
「プリクラを撮りましょう」
「なん……だと……」
純の宣言に、桔梗は呻く事しか出来なかった。
プリクラを知らぬわけではない。
だが、あの暖簾に覆われた巨大な筐体を見た時、桔梗は思ったのである。
一人であのようなものの中で写真を撮って、一体何をするというのか。
その思いは今覆された。
なるほど、あれは友人と写真を撮るものだったのだ!
最近の桔梗の友人はと言うと、書物好きの変わり者である金城心葉と、学年の過半数が友人であろう、コミュニケーションの権化、生徒会長観音寺美穂子。そして、心葉に懸想するふんわり系男子、風間。あとは桔梗がビッチであろうと予測を立てる、風紀委員の本城桐子。
特にこの中で、桐子はよくない。
風紀委員と言う学内の規律を守る立場にありながら、よい男がいると見れば、恋人の有無に関わらず奪い取りに行く。右にいい男あれば行って略奪し、左にいい男あれば行って篭絡する。
あれは恐らく、愛欲に関連する化生の類である。
なるほど、進んでプリクラに行くような面子ではない。
だが、プリクラに行くような面子であれば、プリクラを撮るのである。
衝撃的な真実であった。
そんな桔梗の中で渦巻く思考など気づくことなく、純は暖簾の中に桔梗を引きずり込んだ。
「背景はこれで、ほら、ポーズを決めてください師匠」
「ポーズ……!? ぬぬぬ……!」
純が手の甲を見せるピースをした。
はたと桔梗は手を打つ。
なるほど、白羽取りの構えか。
繁華街ともなれば、ナイフを振り回しての刃傷沙汰もある。
ナイフは切ろうと思っても、小さな刃ゆえ大した傷はできない。
本来の使い方は、突くのである。
桔梗と桔梗の父は、これを指先による白羽取りで受け止める事がよくあった。
それゆえの勘違いである。
桔梗も身構えた。
純は理解せず、撮影を行った。
果たして、餓狼と少女が写る一枚は、実にミスマッチであったと言う。
「師匠、明日は剣を教えてください」
「剣を? あなたが学ぶ必要はないと思うけれど」
「必要なんです」
帰り道で交わした言葉はこうである。
頑として、純はいう事を聞かない。
「私は探偵なんです」
「探偵なの」
「探偵なんです。我が身を守る為には、護身の術が必要なんです!」
「真の護身とは、危ういところに近寄らないことよ」
「それでも……!」
決意を秘めた少女の眼差しは熱かった。
これは、言葉で止めても聞かない輩である。
ちょうど、いい男を見つけた時の本城桐子と同じ目をしている。
餓狼の輝きだ。
「わかった。だけれど、約束して」
「はい」
「略奪愛はダメよ」
「はい?」
いつか彼女も分かる日が来るだろう。
そう思う桔梗であった。