76.ロード・オブ・ヴァンパイア
かつん、かつんと王城の広間に無機質な靴音が響く。
かつては栄華に溢れていた大理石の床を一歩一歩踏みしめながら、俺は目的地へと向かう。
「ギャッキャキャキャ! ワシは不死将ディルケーニ! 肉の腐敗に満ちた我が城オオオオオォォォォォッッ!?」
剣星流奥義・聖釘でロビー階段前に現れた巨大ゾンビの核を貫いて着地。
瞬殺した相手の悲鳴を背中で聞き流しながら、階段を登っていく。
「ディルケーニを滅ぼしたのは貴方ですね? 私は不死将コラート・エンポル。エルダーヴァンパイ――」
王城の空中庭園に現れた青白い肌の美丈夫の額に問答無用で聖銀弾を撃ち込み黙らせる。
己の復活を信じてニヤリと笑ったまま、古代の吸血鬼は灰となって崩れた。
ゾンビやレッサーヴァンパイアの群れを掃除しながら、迷宮のように入り組んだ王城の中をさらに歩く。
というより、実際迷宮だった。
辿り着いた先は鏡張りの壁で囲まれた無数に入り組んだ通路。
「あたしは不死将ミファー。迷宮の主よ。さあ、この鏡の無限回廊の中で永遠に彷徨って死ぬといいわ」
四方八方から聞こえてくる口上を無視して鏡の一枚に聖銀銃をブチ込むと、すべての鏡が粉々に砕け散った。
「ひぃああああっ! なんで、なんでよ!? 鏡の中のあたしまで消えぇぇぇぇ……っ!?」
消えゆく断末魔を聞き流しながら、迷宮化の解けた鏡張りの部屋を抜ける。
そして最奥の謁見の間へと乗り込んだ。
本来ここで待つべき不死の王は一番最初に倒しちゃったから、王の玉座は空。
だから用があるのは、その隣。
「……一体何者なの。貴方は」
王妃の座るべき玉座に腰かけ足を組んだ女が怪訝そうに睨んでくる。
黒いローブの隙間から見える肌は不自然なまでに白く、人間の色をしていなかった。
「逆萩亮二。通りすがりの異世界トリッパー。今日は迷子のお知らせを申し上げに来たぜ」
女がぴくりと眉を動かすが、すぐに余裕の笑みを浮かべる。
「フッ、何を言っているのか知らないけど……不死将を突破してくるだけの実力はあるようね。まあいいわ、誰であろうと私の復讐の邪魔をするなら死んでもらう」
玉座から腰を上げた女から底知れない規模の魔力波動が立ち昇る。
それだけで謁見の間がミシミシと音を立てて軋んだ。
「この気配……ロード・オブ・ヴァンパイア級か」
ロード・オブ・ヴァンパイア。その名のとおり、吸血鬼の王である。
並行次元を超えた存在である吸血鬼真祖を除いて、最高クラスの力を持つ。
不死王と肩を並べる上級アンデッドだ。
「しかし復讐、復讐ねぇ。まあいいや。少し遊んでやるよ、未亡人」
「ほざくな、小童が!」
ノーライフキングが魔法で最強のアンデッドだとしたら、ヴァンパイアは物理で最強のアンデッドだ。
太陽の光に弱く、流れ水を通れず、聖印を嫌うなどの数多くの弱点があるものの、多彩な特殊能力を持っており、特に怪力は弱点を補って有り余る。
どうやら目の前に迫るロードの女は脳筋タイプらしく、正面から俺に向かって何の策もなく突っ込んできた。
猪突猛進と言えば聞こえは悪いが、踏み込みの初速から音速を超えた突撃だと表現すれば尋常ならざるスペックを理解してもらえるだろうか。
吸血鬼、とりわけロードともなれば小手先の攪乱など必要ない。
まっすぐ行ってぶっ飛ばす。相手は死ぬ。シンプル・イズ・ベストだ。
まあ、尋常ではないのはこちらも同じこと。
不可視の速度で迫りくるロードの爪の一撃を難なく回避。その手首と肘の関節を極めつつ、背負い投げを敢行。
ロードの女の背中を石畳に叩きつけると同時、爆音が轟いた。
「かはっ……!?」
怪力を逆利用した俺の柔道技は倒れ伏したロードを中心に謁見の間全体に致命的なヒビ割れを波紋の如く広げたかと思うと、瞬く間に崩落の連鎖を生み出した。
降り注ぐ無数の瓦礫の間を鼻歌を歌いながらピョンピョンと飛び移り、階下へと着地する。
一方ロードの女は崩落した瓦礫の下敷きになってしまったが、ボコォッと手が飛び出したかと思うと、邪魔だとばかりに石の柱を吹き飛ばして起き上がった。
埃こそ被ってはいるものの、ロードの女は無傷。
先ほどの投げの際にズタボロになっていたはずの右手も完全に再生していた。
見てのとおり、超再生能力を持つロード・オブ・ヴァンパイアに通常の物理攻撃は意味を為さない。
「貴方、只の人間じゃないわね……何者なの?」
しかし、ロードの女は「人間風情が無駄なことを」と喚き散らしたり勝ち誇ったりはしなかった。
先ほどの攻防が何を意味するのか、正しく理解したのだろう。
ロードに限らずヴァンパイアの攻撃は荒く、粗い。
工夫なき力任せの一撃こそが圧倒的膂力を誇るヴァンパイアにとって最も効率的であり、人間の生半可な技や魔法など簡単にねじ伏せることができる。
それでも異世界人が斯様な化け物に対抗できるのはヴァンパイアの弱点を徹底的に突くからだ。
人間が怒り狂った象に対抗するなら日々研鑽して身につけた体術ではなく、銃などの遠距離武器を用いるべきという理屈と同じである。
しかし俺は真正面からロードの女の速度に追随し、力に圧殺されることなく投げ技まで披露してみせたのだ。
指摘された通り、普通の人間にできることではない。
「さっきも言ったろ。通りすがりの異世界トリッパーさ」
不敵に笑い返してみせると、ロードの女は答えを期待していたわけでもないのか感情の籠っていない声で目を細めた。
「真面目に答える気はないのね」
「俺も普通に戦って壊れない相手ってのがなかなかいなくてな。ちょっと息抜きに付き合ってもらうぜ」
俺から仕掛けた。
先ほどの攻防と同じぐらいの速度に加減しつつ、真正面から殴りかかった。
瓦礫で足場は非常に悪いが、やはり俺には関係ない。
ロードの女が俺の右ストレートをかわせないと見るや、左手で受け止めようとした。
そのまま拳を握りつぶそうとでも思っていたのかもしれないが、俺のパンチは止まることなくロードの女の左手を砕き散らして心臓に突き刺さる。
思い切り拳を振りぬくと、ロードの女の肉体が衝撃に耐え切れずバラバラに砕け散った。
「っと、やりすぎたか」
もちろん、大して待つまでもなくロードの女は完全再生を果たす。
「くっ、こんなことが……!」
とはいえ着ているローブまでは再生できない。
肢体を晒すことに恥じらいがあるようで、ロードの女は身を縮ませながら魔法を唱えるとローブが元通りになった。
「悪いな。セクハラする気はなかったんだが」
「どうして、何故貴方のような存在が私の前に立ちはだかるの!?」
一応謝ったほうがいいかと思って頭を下げたが、返ってきた返事は理不尽への怒りだった。
「私には復讐する権利があるのよ! 息子を奪い、実験で私をこんな体にした連中に対して復讐する権利が! だから邪魔しないで頂戴!」
激昂して叫ぶロードの女の唇は異様に赤く、口元からは牙がのぞいていた。
その赤い瞳には壮絶な決意の炎が燃えている。
「こんな世界、滅んでしまえばいいのよ!」
その身を焦がす炎のようなロードの魔力波動が可視化して、周囲の瓦礫が浮き上がる。
なんかこれ以上長引かせるのは悪い気がしてきて、思わずぽりぽりと頬を掻いた。
「わかったよ、アンタ相手に遊ぶのはやめる」
「私で遊ぶ、ですって? ふざけたことを! 今までは手加減してあげていたのよ、その気になればアンタなんか一瞬で――」
セリフの途中で問答無用で聖十字の鎖を取り出し投擲。
がんじがらめに縛って女を拘束、瞬時に無力化した。
「なっ。こ、この鎖は……力が出ない!?」
「少しだけ、おかしいとは思ってたんだよ」
つかつかと。
ゆっくりロードの女に歩み寄りながら、往年の友人に会うときのように笑顔を浮かべた。
「野生化したゾンビどもは、何故かゴーストたちを襲ったりしてた。何の意味もないのに」
俺のセリフに女が眉をひそめる。
「野生化? 何を言うの、あいつらはネウリードのやつが操って――」
「よく見るとゴーストの服装とゾンビの服装は文化の傾向が違っていた。だから、ゴースト化とゾンビ化には何か別のルールでもあるのかと思ったんだけど……結果的にその予想は半分あってて、半分間違ってた」
ロードの女を無視してラタ老から聞いたゴースト達の起源を答え合わせとして披露した。
「ゴーストになってるのは30年前に殺され、地底で眠っていた王国民たちの成れ果て。そしてゾンビは昨日今日、亡霊たちに取り殺された帝国臣民たち。この認識で合ってるかな? 不死将シーラ・エスティリア殿」
今度こそロードの女……エリクの母親の目が驚愕に見開かれる。
「何故その名を!? 私を知っている人間はひとりも生きてないはずなのに!」
「ああ、だから死者から聞いた。というか、アンタの名前を知っていたのが全員死者だった……というべきか?」
唾を飛ばすシーラに肩を竦めて見せてから、俺は事の次第を語り始めた。
「そもそも帝国図書館は今となっては帝国臣民が立ち入ることを許されない場所になってるそうじゃないか。太陽神の神官さんにも改めて聞いてみたら、そこに禁書庫どころか司書がいることすら知らなかったよ。つまり、シーラ・エスティリア。アンタも30年前の人物ってことになる」
俺の指摘に黙するシーラ。
ならば、部外者の俺の口から語るしかない。
シーラとエリクを……いいや、この街の人々を襲った惨劇を。




