49.婚約破棄
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「セリーナ=ブロンシュネージュ公爵令嬢。この場を借りて、お前に婚約破棄を言い渡す!」
そのセリフを聞いた瞬間。
ああ、来てしまったか……という落胆が俺の全身を襲った。
俺が召喚された場所はパーティ会場だ。
お偉い貴族、それも若者たちの集まる豪奢な催しの類である。
男女いずれも高価な衣服やドレス、きらびやかな宝飾品で着飾り、その手にはワイングラスやらシャンパングラスやらが。
紋章が描かれた横断幕から突如現れた俺を見る者はひとりもいない。
仮にイツナとシアンヌが出ていたとしても、誰にも見咎められなかっただろう。
ここにいる誰もが、先の宣言をした者とされた者の一挙手一投足に注目しているのだから。
前者が他の貴族よりも質のいい服を纏った美形。
後者がセリーナ=ブロンシュネージュと呼ばれた美しい令嬢である。
俺の幾多の遍歴の中でもこのパターンは数えるほどしかないが、現時点で断言できる。
間違いなくここは悪役令嬢のいる異世界だ。
悪役令嬢が何かについて説明すべきとは思うが後回しにさせてもらう。
とりあえず今は悪役令嬢=セリーナだと認識してもらえばいい。
今は嫁にやっておくよう言われたことが最優先だ。
「鑑定眼起動」
まず観察すべきは悪役令嬢……公衆の面前で婚約破棄を言い渡されたセリーナ=ブロンシュネージュ。
落ち着き払った態度とは裏腹に、セリーナ嬢には大きな異変が起きようとしていた。
淡い水色だった魔力波動が黄金に変わる。その間、わずかコンマ数秒。
真名もセリーナ=ブロンシュネージュから、よくある日本人名に変化した。
「そ、そんな……嘘」
みるみるうちに顔色が青くなって唇を震わせるセリーナ嬢。
これが俗に言う『前世を思い出す』だ。婚約破棄を言い渡されたショックで、セリーナ嬢は日本人としての前世を思い出したのである。
そして通例からすると、彼女はこの後に何が起きるのかを知っている。
国外追放、あるいは処刑。あるいはもっと最悪の破滅が待ち受ける未来を。
あれ、でも何で未来を知ってるんだっけ? 忘れた。
とにかく程度は違えど絶望的な未来に抗う転生者……それが俺の知る悪役令嬢である。
まあ今後訪れるであろう彼女の戦いの話はひとまず置いておいて、だ。
念のために婚約破棄を宣言した美形の方も鑑定眼で見る。
真名アレックス=オーヴァン。魔力波動には特に異常がない。普通の異世界人だ。
おそらく国の王子。違うとしても、服装からしてかなりの地位にある者だろう。
さらに視線を巡らせると、いた。
黄金の魔力波動を纏う、もうひとりの少女だ。
至って普通の日本人といった感じで、かわいらしい外見をしている。
あきらかにこの場に似つかわしい人物ではないのに、王子の少し後ろから事態を見守っていた。
真名、白海蓮実。
俺と同じ異世界トリッパー。
この舞台の当事者のひとりだ。
他にも何人か美形の男が少女の近くいて、セリーナ嬢を射抜くように睨んでいる。
そいつらも含め、黄金の魔力波動を持つ者はこの場にふたりだけ。
転生者のセリーナと、トリッパーである蓮実。
ここまでわかった上で俺は……情けないことに、次にどう動くべきか何も思い浮かばなかった。
まず、俺は悪役令嬢の経験値が少ない。たったの7回。内、婚約破棄の現場に召喚されたケースは今回を入れて3回だけ。
婚約破棄の方だと誓約者が目の前のメインキャストとは限らず、周囲の外野であることもあり、しかも何故か恋愛に関わる誓約であることが多い。
多いというのも確信があるわけじゃない。
よくわからないけど何故か嫁がいろいろやったら誓約を達成できたって話なのだ。
特に婚約破棄のケースは、すべて嫁任せにしていた。
悪役令嬢の異世界には俺の苦手なシリアスとラブコメ両方の要素があるからだ。
若い男女恋愛の機微とかって、どうにも苦手なんだよな。
男と女なんて突き詰めたら、やるかやられるかだと思うんだけど。
そういうわけでしばらく悪役令嬢……セリーナ嬢のお手並み拝見といこう。
「何故……で、ございますか。アレックス様」
キッと顔を上げるセリーナ。
声こそ震えているが、瞳には強い意志が込められている。
今回の悪役令嬢も未来に抗うことを決めたか。
ここで踏ん張らないと破滅とはいえ、悪役令嬢に転生する子ってメンタル強いよな。
「何故? 何故だと? この期に及んでまだシラを切ろうというのか!」
アレックスが美貌を歪ませながらセリーナを非難した。
「シラを切るも何も。わたくしには何の心当たりもありません」
対するセリーナは落ち着き払っている。
断罪される理由が本当にわからないと、そう周囲の貴族にアピールしているのだろう。
「ハスミに不当な虐めを行なっただろう!」
対するアレックスが怒気を荒げ、大袈裟に手を振るった。
ここのセリーナのぽかーんとした顔も、おそらく演技。
周囲の貴族に対して、そんな気は一切なかったというポーズ。
「不当な虐め、ですか」
ハァ、とため息をついてからセリーナは落ち着いた口調で先を促した。
「例えばどのような?」
「例えばだと? 認めないつもりか」
舌打ちしながらもアレックスが腕を組んで考え始めた。
「文例祭のパーティの際に、ハスミへ俺と踊るなと言ったそうだな」
「それはハスミさんにいらぬ恥をかかせたくなかったからです。彼女は異世界人。貴族のダンスなど踊れないのですから」
ああ、やっぱり蓮実ちゃんの方は異世界から来てますって体で国に保護されてるパターンね。
ここだけはいつも同じ……『そうでないと始まらない』から当然か。
澄まして答えたセリーナに向けて、アレックスがそれ見たことかと人差し指を突き付けた。
「恥をかかせたくないと言いながら、この場でハスミを貶めるようなことを言っているではないか!」
「さすがにわたくしとて公の場で婚約破棄を言い渡されたこの状況で、ハスミさんを気遣う余裕などありません」
そりゃそうだ。
周囲の貴族もセリーナの意見に同意しているのか、小さく頷いている。
蓮実の周囲にいる男どもは厳しい顔をしてはいるが反論もしない。
で、肝心のアレックスはというと。
「ふん。女狐め、本性を現したか」
……うーん。
こいつ殴ってもいいよね?
いやいや、前にそれで王子ポジションを殺しちゃってややこしいことになったんだった。
セリーナが頑張ってるんだし、ここは我慢我慢……。
とりあえずコイツの頭がアレでナニだってことはわかった。
命名、アレ王子。
「他にもあるぞ。私に近づくなと言ったそうだな」
アレ王子がドヤ顔で言う。
それを聞いたセリーナの表情に浮かんだのは困惑だ。
「近づくな……と言いますか。わたくしという婚約者がいるアレックス様に他の女性が何かにつけ接触するのは好ましくないと苦言を呈しただけです」
「それが問題だというのだ!」
どれが問題だというのだろう。
当たり前のことじゃないか?
アレ王子の頭が問題だというのはわかったが。
「第一王子である俺が許可しているのだぞ。セリーナ、越権行為にも程がある!」
あ、やっぱり王子だったのか。
しかも第一王子ってことは次期国王。
オーヴァン王国とやらの未来は暗そうだ。
「え、えっと……その。本気でおっしゃっているのですか?」
「無論だ!」
アレ王子の力強い宣言にセリーナが言葉を失う。
「それから――」
「もういいよ、アレン」
口を開きかけたアレ王子を制止したのは白海蓮実。
しかも仮にも第一王子である男を、これみよがしに愛称で呼んだ。
不敬を指摘すべき肝心のアレ王子は頬を染めている有様である。
「し、しかしハスミ」
「無駄だよ。どうやらセリーナ様は何を言ったところで認めてくれないみたいだし……」
蓮実が堂々とアレ王子の横をすり抜けて、セリーナと真正面から対峙する。
「こんなことになって残念って思うよ」
「ハスミさん……」
心底苦しそうに言う蓮実にセリーナが不安を隠すためか手首をキュッと握る。
「セリーナ様としてはあたしを気遣ってくれたのかもしれないけどさ……でも、それであたしが傷ついたことは確かなんだよ?」
「そ、それは……ごめんなさい」
蓮実の泣きそうな声に気勢を削がれたのか、セリーナが素に戻って頭を下げてしまった。
まずいかもしれない。部分的にとはいえ、謝った時点でセリーナが悪いのを認めてしまった形になる。
しかも蓮実の攻勢は終わらない。
「今ここで大事なのはセリーナ様が正論を言ってるかどうかじゃなくて。傷ついたあたしを見て、第一王子であるアレンが怒ってくれている……という事実だけだよ。セリーナ様からすれば言いがかりかもしれないけど、さ」
……この女。
言ってることは無茶苦茶だが、うまいこと心の話にすり替えて自分が被害者だと周囲にアピールしやがったぞ。
しかも次期国王候補のアレンの感情まで武器にして、誰に味方すべきなのかを貴族どもに教えやがった。
ここまでくると、もはや政治の話。正統性より損得勘定。
そして俺の見てきた貴族は正論なんかより家の利で動く生き物だ。
あとはそこに大義名分さえあればいい。白海蓮実は明らかにそれを理解した上で行動している。
前の婚約破棄では悪役令嬢の断罪がうまくいかなかったトリッパーが慌てふためいていたのに……どうやら蓮実の中身はただの馬鹿じゃないらしい。
「でも、セリーナ様は謝ってくれたし。誤解だったみたいだね」
クスッと笑いかけられたセリーナが予想外の展開にきょとんとしていた。
そんなことに構わず、蓮実はクルッとかわいらしく体を回転させてアレ王子を見つめる。
「だからこうしましょ、アレン。一週間後の卒業式。そこで改めて婚約破棄をするかどうか決めればいいよ」
「何? しかし、それでは予定と」
「うん。だから予定変更」
……いいや違うな。
お前の笑顔には予定通りって書いてあるぜ、蓮実。
何を企んでやがる。
「行こう、アレン」
「あ、ああ……」
アレン他、取り巻きの男たちを引き連れて、衆人環視の中を歩き去っていく。
その堂々とした姿は少女の姿に似つかわしくない王者の貫禄すら漂わせていた。
ぽつんと残されたセリーナも蓮実たちの背中を唖然と見送るしかない。
自然、連中は入口付近に陣取っていた俺の横を通り過ぎていくわけだが……。
蓮実がふと俺の方に視線を向け、その目が驚きに見開かれた。
まあ同じ日本人がいるんだし当然だな……と思いきや。
「……みーっけ」
不遜な笑顔を浮かべつつ、舌なめずりして俺の方へと近づいてくる。
「初めまして。あなた、名前は?」
「……逆萩亮二だ」
思わず気圧されて、いつもの名乗りができなかった。
「そう。あたし白海蓮実……よろしくね?」
それまでとは打って変わって屈託のない笑顔を浮かべると、今度こそ蓮実は会場を去っていった。
アレ王子や取り巻きどもに軽く睨まれた気がするが、そんなのはどうでもいい。
もっと重要なことがある。
俺の存在意義に関わる、座視できない問題。
「俺、いらなくね?」




