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おくりもの

作者: たま爺

 目を覚ますと白いレースのカーテンが風にたなびいて、半透明の影を揺らしていた。窓の外では子どもの遊んでいる声や、車の排気音が通りすぎている。眠っている間に、赤い日射がまぶたを照らしていた反動からか、白壁の室内は青みがかって見えた。

 ――見慣れない天井。ここはどこだろう。一瞬わからなくなる。そうだ、俺は引っ越してきて、今日からここに住むんだった。

 フローリングの床に直接寝ていたせいだろう、背中と首が痛む。上半身を起こすと部屋の端に積まれた段ボール箱と観葉植物の鉢が目に入ってくる。荷物をひととおり運び入れて、レースのカーテンをつけたところで、疲れて昼寝していたのだ。

 起き上がってなるべく部屋全体が入るようにスマホで写真を撮った。実家を出て初めての一人暮らし。キッチンと寝室のみの狭い借家だが、眺めているだけで達成感があった。この白く輝く部屋は俺の新しい生活の象徴だと感じた。

 さてと、と段ボールの梱包を解きはじめたその時。ピンポーンと甲高い呼び鈴の音が鳴り響いた。

 誰だろう。まだ友人にもほとんど住所を知らせてないのに。備え付けのドアホンの画面には宅配便の業者の制服が映っていた。親が何か送ってくれたのかもしれない。

 玄関を開けてずっしりと重い荷物を受け取った。送り状の届け先には俺の名前がプリントされており、差出人は空欄になっていた。送り主が書き忘れたのかもしれない、と特に気にも留めなかった。

 ガムテープをはがして中を見ると、そこには文庫本くらいの厚さの封書と、果実酒を作るような大きめの瓶が入っていた。

そして瓶には赤黒い液体に浮かぶ何かの臓物が詰まっていた。

「うわっ!」

驚いて思わずのけぞってしまう。

臓物は一つひとつの塊がそれなりの質量を持っていて、大型の哺乳類のもの――例えば人間のもの――と思われた。

瓶には触れずに、おそるおそる封書に手を伸ばす。開いてみると一万円札がぎっしり詰まっていた。

「なんだこれ……。気持ちわり」

 正体不明の臓物と札束。間違えて届いたにしても不気味なシロモノだ。俺は封書を元あったところに戻すと、足を使って箱ごと部屋の隅まで押しやった。

 捨ててしまおうか。しかし捨てるのを誰かに見られたら面倒なことになるかもしれない。素直に警察に相談してみるか。いずれにせよ面倒くさいことになった。

 まあ警察には今日話さなくてもいいだろう。

俺はとりあえず臓物のことは考えないことにして、引越しの荷物を整理し始めた。


 部屋があらかた片付いたところで、空腹を感じた。そういえば朝食ったきり何も口に入れていない。

 何か買ってこようかと思ったとき、視界の端に例の箱が目に入った。

 ちょっとくらいなら拝借しても問題あるまい。俺は箱から封書を拾い上げると、一万円札を五枚ばかり抜き取り、引越し費用の支払いで寂しくなった財布に入れた。

 その五万円はその日のうちに使ってしまった。

 

 この部屋に住み始めてから一ヶ月がたった。

 俺は今日新たに届いた臓物の瓶をキッチンに置いた。買ったばかりの大型冷蔵庫を開けると、そこにはすでに二つの瓶が入っている。この冷蔵庫は一つ目の瓶を放置していたら異臭がするようになってきたため購入したものだ。

 生ゴミとして小分けにして捨てるのも考えたが、蓋を開けて得体の知れない血肉を扱うのには抵抗を覚えた。トイレに流すのは万一つまったときの業者への言い訳を思いつかなかった。一つ目の封書の札を使いきったとき、警察に言う気は無くしてしまった。今さら言っても放置していたことで変に疑われるかもしれない。苦肉の策で処分方法を思いつくまで冷蔵保存しているというわけだ。どうせ金には余裕があるのだ。

 冷蔵室に一つ、野菜室に一つ。さすがに三つは入らないか……。

 冷蔵庫は食品を保存するために使っている中型のものがもう一つある。こちらはキッチンではなく寝室の隅に置いてあった。俺は瓶を寝室まで引き摺ると、やむを得ず食品と一緒に三つ目の瓶を押し込んだ。

 そのときポケットに突っ込んであったスマホが俺の心境を無視した明るい着信音を鳴らした。大学の友人からだった。

「もしもし」

「おー。今お前んちの正面にいるんだけど。二階の真ん中の部屋だったよな。いるんだろ?開けてくれよ」

「えーっと……」

 友人を部屋に上げて瓶を見られるリスクをとるのは避けたかった。とっさに、帰ってもらうための嘘を考える。人が来てるから……ではバレバレだな。彼は俺の狭い交遊関係を知りつくしている。時間は夜の八時過ぎ。今から出かける、というのは理由が思いつかない。なんと言えばいいか……。

「ちょっと体調が悪くてさ。疲れてるみたいなんだ。悪いけど今日は」

「えー……。熱あんの? 風邪?」

「熱はないけど。いろいろあってヘトヘトでさ」

「そんなの酒飲んだら治るよ。もうコンビニでいろいろ買っちゃったんだよね。いいだろう?」

「うーん、でもなあ……」

「新居をちょっと見たら帰るからさ。入れてくれよ」

「わかったよ。いま開けるから」

 まあ部屋に入れたからといって、すぐに冷蔵庫の中身を見られるわけでもあるまい。俺は友人が階段を上ってくるわずかな間に、窓を開け、換気扇を回し、部屋中に消臭スプレーを吹きかけた。


「お邪魔しまーす」

「おっ、でかい冷蔵庫だな」

 電話口ではわからなかったが友人は二人で来ていた。それぞれ酒とつまみの入ったコンビニ袋を提げている。

「その冷蔵庫は親戚から預かってるものだから、触るなよ」

 キッチンを通りすぎて寝室へ。

「おーけっこうキレイにしてるじゃん」

「ああ、まだあんまり物がないからな」

「おい、あれなんだ……?」

 二人目の友人が室内に入った途端、何かに驚いて立ち竦んだ。信じられないものを目撃したといった様子だ。

 俺は内心冷や汗をかいた。何かへまをしただろうか。胸の中をぎゅっと掴まれたような気がした。

「あれって何のことだ?」

「あのでかいテレビだよ!バイトもしてないくせに、さてはお前んち金持ちだな」

「ああ、あれか」

 そんなことか。ほっと息をつく。封筒の金で買った五十五型の液晶テレビだ。一人暮らしには不相応だが今の俺にはタダみたいな値段だった。

「雑誌の懸賞で当たったんだよ。へへ、いいだろ」

「マジか……。運のいいヤツだ」

 人数分のクッションを床に投げて、自分はさりげなく冷蔵庫の前に腰かける。

 それからひとしきり酒を飲み交わし、同級生の悪口などに興じた。


 対戦格闘ゲームを始めてしばらくした頃。俺は尿意を我慢できなくなって席を立った。

「ちょっとトイレ行ってくる。すぐ戻るから」

「おお。ごゆっくりなあ」

 キッチンを通り抜けてトイレに入る。カチャカチャと音を立てて、急いでチャックを開ける。そして用を済ませていたその時。

「何これ!?」

「うわーっ、グロいな」

 ドア越しにくぐもった友人達の声が聞こえた。

――見られた。

 俺はあえてゆっくりドアを閉めると、努めて普段どおりの足取りで部屋に戻った。

「何かあったのか?」

 何食わぬ顔で、冷蔵庫の前に座っている友人達を見やる。

「おい、お前これ何?」

 友人達の表情は犯罪現場を発見した善良な市民のそれのように、俺には見えた。通報されて牢獄の冷たいベッドに寝転がる俺の姿が脳裏に浮かぶ。

「おいおい、勘違いするなよお前ら」

 何と言えばここを切り抜けられるか。

「親戚が家畜の屠殺業をやっててさ。その瓶は牛の内臓の一部なんだけど、焼肉にすると旨いとかって送ってきたんだよ」

 自信たっぷりに言い放つ。

「へーぇ」

「すげえ量だなあ」

「ああ。一人じゃ食いきれないし、もて余してたんだよねえ」

 じゃあさ、と友人の一人が言った。

「俺たちが食ってやるよ。いまから焼肉パーティーにしようぜ」

「えっ?今から」

 札束と一緒に送られてくるようなわけのわからない臓物を食うなんて冗談じゃない。ここはどうあっても断らないと。

「実はホットプレートを持ってなくてさ」

「キッチンにぶら下がってたフライパンで焼けばいい。俺が調理してやるよ」

 彼は腕まくりをしてすっかりやる気になっている。

「じゃあ、俺は追加の酒を買ってくる!」

 もう一人が立ち上がって言った。もう完全に今から焼肉パーティーを開くのは決定事項になっている。

「お前ら勝手に決めてんじゃねえ!」

 俺はたまらず怒鳴りつけた。

 まるで時間が止まったかのように、室内が静寂に満たされる。二人の友人は、俺がなぜ怒っているのか全く理解できないというように、まぶたを見開いて硬直している。

 冷蔵庫のモーター音がやけに大きく響いた。

「大声出してすまん……。俺ホルモンとか苦手でさ」

「お、おお。こっちこそ悪かったよ」

「俺考えてみたらぜんぜん腹減ってねーや、あはは……」

 気まずい空気が残ってしまった。だが臓物を食うのは避けられた。

「わりい、今度時間のあるとき埋め合わせするから」

 壁に掛けてある時計を見やる。つられて友人達も壁を見上げた。

「もうこんな時間か。終電やばいな」

「じゃあ、そろそろお開きにしますか」

 立っていた友人は腕を広げて背筋を伸ばした。もう一人は立ち上がり、置いてあったバックを手に取った。


「でもお前が食わないんじゃ、あの肉どうすんの? 勿体なくない?」

 玄関で靴を履きながら友人の一人が言った。

 それを聞いて瓶を処分する最高のアイデアが閃いた。なぜ今まで思いつかなかったのだろう。

「良かったらお前らの家に送るよ。 瓶は二つあるから、一人ひとつ食ってくれないか?」

 この内臓を友人たちに食ってもらえばいいのだ。何の肉かは知らないが、辛めの焼き肉のタレでも合わせて送ればわかるまい。

「えっ、くれんの? 」

「食う食う。うち五人家族だから余裕」

「じゃあ、クール便で送っとくよ。助かるわ」

「なんか悪いなあ」

「今度なんか奢るよ」

「いや全然いいよ。処分方法思いつかなくて困ってたんだ」

 ありがと、じゃあまたな、といって友人は帰っていった。ドア越しに靴音と話し声の遠ざかるのが聞こえた。完全に音が届かなくなるまで俺は玄関に佇んでいた。

 だんだん可笑しくなって、笑いがこみあげてきた。


 そろそろ二つの瓶が友人に届いた頃だろう。ひょっとしたらもう彼らの腹の中に収まっているかもしれない。

 なぜ三つすべてを送らなかったかというと、一つ目の瓶の中身は食うには鮮度的に厳しいと思ったからだ。腐った生ごみを送りつけたら、何も知らない友人もさすがに気を悪くするだろう。

 一つ目の瓶の中身は、あきらめてこの部屋で細かく切って、小分けにして燃えるゴミに棄てることにした。

 俺はホームセンターで買った厚手のゴム手袋を装着し、キッチンのシンクに置いた瓶の蓋に手をかけた。上半身の震えるほどの力を出すと、空気の漏れるプシュという音がして蓋が回った。蓋が開くのに伴い臓物の腐敗臭がキッチンに充満する。臭いが外に漏れないようあえて窓は締めきり換気扇も回していない。耐え難い悪臭が目に沁みて涙が出てきた。水泳用のゴーグルを着けておけば良かったと少し後悔する。

 瓶を横倒しにして中身の臓物をシンクにぶちまけた。腐って茶色く濁った血液が排水口に流れる。臓物の山から大きい塊を拾い上げ、この作業のために買ったまな板の上に乗せる。新品の包丁でほどよい大きさに切り分け、不透明のビニール袋に入れていく。

 作業が順調に進むにつれて自然と鼻歌を口ずさんでいた。

 半分くらい片付いた頃。俺は臓物の中に奇妙なものを見つけた。それははじめ血に濡れた餃子のように見えた。

 ――なんだこれは。

 指でつまみ上げて眼前に掲げる。


 その奇妙な物体は見まごうことなき人間の耳だった。

 すうっと血の気が引いて頭が冷たくなる。自分が人間の死体を処理しているということを、今さらながら実感したからかもしれない。

だが問題はそんなことじゃない。

 友人達に送った瓶にも同じものが――人間の死体だという証拠が――入っていたら。

俺はどうなるのだ。友人達は通報したかもしれない。もうこの家に警察が向かってきているかもしれない。

 膝に力が入らなくなって床にへたりこんだ。落とした耳がべちゃとフローリングにへばりついた。

 壁を隔てた隣人が俺の部屋の悪臭を責める話し声が聞こえた。窓の外の車が俺への悪意を隠さない暴力的な排気音を鳴らした。子どもたちが俺を嘲る悪魔のような笑い声を上げている。

 俺は子どもの頃、毎週通った教会を思い出していた。あのときの聖堂のようにすべての音に深い残響がまとわりついていた。

「神様……どうかお助け下さい……俺が何かしたというのですか」

 俺に死の宣告を下す死神の、階段を上ってくるコツコツという靴音が響いた。

 自分の不遇な身の上が憐れで涙が流れた。


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