十二の妹とSOS
十二の妹とSOS
響音 カゲ
百とせの花に宿りて過ぐしてき
この世はの夢にぞ有りける
事故った。
俺は高二になって早々、妹である葵の、自室で行われていた将来の予行練習、というか見てはいけない遊びを見てしまったのだ。
葵の体も、もう大分大人っぽくなってきたことは知っていたが、まさかこんなことまでは……そう思った。俺も人のこと言えんが。
「おまっ、もしかしt……」
「ひっ、ひっ」
葵は怯えた様子だった。戸惑いや、恐怖を感じているんだろうか。俺だって、初めて親に見つかったときはそうだった。でも、今回は性別が違う。
俺は今頃慌てて後ろへ振り返る。せめて、葵の方を見てやらないだけでも。
「で、出てって」
そう言われた俺は、そのまま猛ダッシュで部屋を飛び出していった。
* * *
ちょうど、その夜は母が働きに出る日だった。毎週土曜日は、一晩この家の中は葵と俺だけだ。
今、俺はベッドの上に転がっている。もういつでも寝られる状況だ。
きっと、葵も親がいないからああいうことをしていたんだな、と推測した。そして、これ以上はもう何も考えないようにした。
俺の部屋のドアが開く。
葵の部屋と俺の部屋は完全に分離している。兄弟とか姉妹がいない人から見ると、サザエさんみたいに同じ部屋で寝かされるイメージがある。だが、今どきそんなことはめったにない。普通は別々の部屋だ。特に、性別が違ったり、年齢が大きくなるとそうされることが多い。
「お兄ちゃん、ちょっと横いい?」
「あ、いいけど」
葵はベッドの横に腰掛ける。
さっきの事件のせいで、俺からすると非常に話しにくかった。
「…………」
葵は何かを話そうとしているが、声にはならなかった。
「……ごめん」
口を開いたのは俺だった。そもそも、全部悪いのは俺だ。中学生にもなった妹のことを無駄に気づかって部屋のドアを開けたからだ。
「あ、いや、そのことは別にいいんだけど」
「へ?」
それ以外に、何かあるのか? 俺が何かしたか!
「ご、ごめん、本当に悪かった、もう何でもやってやるから!」
「――何でもやってくれる?」
そっぽを向いていた葵がこっちを見る。
「あ、ああ、もちろんだ」
「それじゃあ」
葵は俺に抱きついてきた。
そして、俺らは身を交わした。
* * *
比較的他のよりは仲がいいとは思っていたが、ここまでか、と疑いの念が持ち上がった。普通、こんなことはありえない。仲がいくら良くてもだ。兄からならまだしも、今回は妹からだ。きっと、何かあるのだろう。俺が葵のプライベートを見てしまったことから、始まっているように思われる。
待て、これは全部夢かもしれない。一炊の夢っていう言葉もある。俺が生きていることだってどうやったって証明できないし、世界が三分前にできたということに反論できないのと同じだ。もしかしたら、世界はすべて一人の巨人の夢かもしれない。
しかし、こんなことを考えている場合じゃない。俺は一つの人間として、目の前にある問題を解決しなければならない。シーツに葵の血を垂らしてしまったのだ。
まあ、仕方ないだろう。最近暑いし、鼻血が出たとか言って誤魔化せばいい。
こうして、俺と葵がぴったんこしたことは、世界に小さな一つの事実を残していった。
* * *
不思議なもので、こんなことはなかったかのように一週間が過ぎた。確かに次の日とかは本当に葵と顔を合わせるのが恥ずかしかったが、今ではいつもと変わらない。再び、土曜日の夜だ。
俺は、一応葵に声をかけておく。
「おやすみ」
「あっ、おやすみ」
葵の声でおうむ返しが来た。俺は少し安心して、自分の部屋に入る。そしてベッドにあお向けにダイブする。
俺は、暗い天井と布団の染みを交互に見つつ、先週の夢のような体験を思い出しながら片手を動かしていた。事後、俺はそのまま寝付いた。
* * *
次の日、葵は十二時過ぎまで寝ていた。普段、土日にも寝坊することはなかったし、昨日は同じ時間に寝たから、少し不思議だった。よっぽど疲れていたのだろう。しかし、昨日は葵は特に遠出したりとかはしていないはずなんだが……?
ただ単に疲れていただけ、そう考えることにした。それ以上は決して考えなかった。
* * *
さらに次の日のことだ。
「あれ、お金がまだこんなに残ってる」
母がそんなことを言い出した。
「最近の節約が実ってるんじゃないかな」
俺はそうだと考える。きっと、そうだ。
「妙にたくさん残っているのよね、少し不思議だわ」
「まぁ、家計に余裕ができることはいいことなんじゃない?」
「そうね、余った分は貯金に回さないとね、何かあったときに大変だし」
「俺の大学費用とかもあるから、しっかり貯めとかないと」
「忘れてたわ」
そのあと、俺と母はしばらく笑っていた。
* * *
葵が寝坊する事態は次の週の日曜にも起きた。
葵は起きてからもずっと疲れきっていて、精力のない顔をしていた。
「葵、大丈夫か?」
「あ……うん」
葵は目の下に隈を作った顔で返事した。
「お前、本当に大丈夫か?」
もう一度聞き直す。
「ま、まあ多少疲れてるだけだから、別に大丈夫」
先週もそうじゃなかったか?
「土曜日に大変なことでもあるのか?」
「特にないけど、筋トレとかはしてる」
「あ、そ」
おそらく、それが原因だろう。
『おそらく』だが。
* * *
次の土曜日、俺は『おそらく』を解決するべく、葵を監視することにした。葵の部屋とは薄い壁一枚だ。耳をくっつければ、何をやっているか大体わかる。
あの疲れかたから見ると、夜更かししているように思われる。努力家のあいつのことだから、いろいろ頑張りすぎているんだろう。
何か、ごそごそやっている。
ガチャ。
ドアが開いた音だ。
ドンドン。
階段を降りていく音が、壁じゃない方から聞こえてくる。
追うぞ。
俺はそっとドアを開き、葵を追いかけるように慎重に階段を降りる。
葵は、着替えを始めていた。
というと、もしかしてどこか外に出るのか? あいつこの時間からジムとか行くのか? そんなわけない。十二時過ぎて開いてるスポーツセンターなんて聞いたことない。絶対、良からぬことだ。俺も着替えねえと!
大慌てで寝巻きを脱ぎ捨て、洗濯かごに突っ込んであった今日着ていた服にもう一度袖を通す。若干湿っぽくて気持ち悪いが、この際仕方ない。
自分の部屋に戻り、財布をつかんで一階に戻る。ちょうど、葵は玄関から出ていくところだった。
勝手口の鍵をわしづかみにして、靴のかかとを潰して外へ飛び出す。音を立てないように鍵をかけ、葵がどこに行ったかを探す。
なんと、家の前に止まっていた車に乗り込んだ。
俺は父愛用のロードバイクにまたがり、後を見つからないように追った。親父、勝手に使ってすまん!
* * *
その車は、とあるマンションの駐車場に止まった。葵と、知らない男が降りてくる。男の年は……二十歳ぐらいか?
せっかちな俺は我慢できず、葵のことを呼んだ。
「葵っ!」
葵がこっちを向く。そして、葵の手を取っていた男が続いて俺のことを睨む。そして、すぐに視線を葵の方へと変える。
「葵ちゃん、行こうか」
男が葵をマンションの中へ引き込もうとする。
「おい待てっ!」
俺は、走ってマンションと男の間に入る。
「お前、誰?」
男はすごい形相で睨んでくる。
「葵を返せ!」
「子供は黙ってろ!」
次の瞬間、男の右拳がいきなり俺の顔面に飛んでくる。時間がみるみる引き伸ばされていく。
見えた。
体を右へとひねり拳の動線から外す。右手の平で相手のパンチをいなす。同刻、俺のを相手の顔面に撃ち込む。しかし、相手もさすがに読んでいたのか、身を後ろに反らす。
しかし、これは俺の通りなのだ。まあ、避けただけすごいと褒めてやるしかあるまい。大抵のやつに対しては今の拳が入って、さらにそこから他の技をかけているところだな。
相手の突きだしたままの右拳をすぐに俺の左手で取り、右手と全身を使って相手の手を大きく円を描くようにひねる。相手が膝をつくまで体勢を崩させる。しかし、相手もやられてばかりではない。すぐに俺の手を振り払って体勢を整えようとする。
逃がすわけないだろう。
型通りに三教という技に入る。相手の方につかんだ手を左手で押し込み、肘を曲げさせる。さらに手を肘の逆関節方向に引っ張るように回し、次にその手を大きく奥へ回すようにして相手をかがませる。そのまま肘に右手を当て、相手を地面に倒す。
うつ伏せになっている相手に足を突っ込み、体を回転させ、相手の体をひっくり返す。最後に、足を絞め、相手の服を強く引いて、相手を絞め落とす。男の意識は飛んだらしい。
これが、合気道と柔道の合わせ技。まあ、これができるのは何年も続けた結果だが。こんな形で役に立つとは思ってもみなかった。
「お兄ちゃん……」
「葵、もう大丈夫だ、帰ろう」
「……うん」
俺は、自転車を押しながら葵と一緒に家に向かうのだった。
一応、男は車の中に転がしておいた。路上に放置はさすがにまずいから。
* * *
結局、葵は男と援助交際して、金をもらっていたらしい。だから、毎週土曜の夜にいなくなっていたのだ。寝不足だったのは、そのせいだ。
こうして考えると、何もかもがが合う。葵が部屋であんなことしていたのは、完全未経験だったから。何もなしにはさすがにキツいだろう。俺にいきなりどっかんしたのも、同じ理由。ホントの予行練習だったのか。
家の金が妙に余っていたのは、葵が手にいれた金を家に当てていたからだ。うちは本当にお金がなく、非常に苦しい生活を送っている。きっと、葵はその事を知って、少しでも家計を助けようとしてくれたんだろう。あいつにとって、一番手っ取り早い方法がこれだったんだ。
あんなにSOSを出していたのに、葵がこんなに苦しんでたこと、気づいてやれなくてごめん。俺は、兄失格だ。
* * *
それっきり、葵はいたって普通に戻った。日曜の朝も寝坊しないようになったし、変な行動をしたりすることもなくなった。
例の男の人はたぶんもう来ないだろう。あれだけ痛め付けられてまた来たら、相当なマゾヒストだ。見た感じ、カッコはつけていたが、裏の世界に深く絡んでいるようには思えなかった。だから、もう大丈夫だ。まあ、ただの勘だが。
このことは両親にも話して、葵の心のケアに役立てた。この事件のせいで、葵も心に相当深い傷を負っていた。PTSDに近い状態にまでなっていた。直後はホントにちょっとしたことで泣き出したりするぐらい不安定だった。
そんなこんなでスクールカウンセラーにも大分世話になった。この制度を大抵の人が使わないのを不思議に思うぐらい、居心地がいいんだもの! あ、もちろん葵にとってだぞ!
たくさんの協力と長い時間をかけて、葵の心は元に戻っていった。葵の顔に笑顔が戻っていくのを見ているのは本当に嬉しかった。元凶の家計は相変わらず苦しかったが、こればかりはしょうがない。俺も高校出たら働くか。
あと、お互いの合意があって十二歳以上なら違法じゃないらしい。あ、葵ってギリ十二歳じゃん。中一。じゃあ合法だね! 俺の合意があったかどうかは甚だ疑問だけど。まあ、別にいいや。
でも、もう今からしてみれば、ずっと昔のような気がする。それどころか、こんなことがあったのかどうかさえ曖昧だ。布団についていた染みもいつの間にか見つけられなくなっていた。何一つ、変わっていない。いや、変わっていないんじゃなく、すべて夢だったのかもしれない。俺の、小さく儚い夢。そうであってほしい。
* * *
朝、私は目を覚ます。日付は、三月末。私は、小学校を卒業したばかりだ。
自分が兄になっていた永い夢を思い出す。隣の兄の部屋の壁を見て、一人、ため息をつく。
何が、俺の夢だ。
百年間、花から花へと宿って過ごしてきた。
この世は胡蝶の酔夢であった。
はじめまして、響音カゲと申します。
小説を書き始めて、やっと半年がすぎました。結構経つものです。
皆様に楽しんでいただければ幸いです。
最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。