【競作】人の闇は夜より暗く 第三夜
競作「起・承・転・結」の『転』ですね。
お題は「花火」
最後まで楽しんでいただければ幸いでございます。
――チリン。
心に響くような、美しい鈴の音色が聞こえた。
ずっとその音に耳を傾けていたくなる衝動に駆られつつ、私は目の前だけを注視していた。
いや、私の瞳に映る存在から、目を離せなかったという方が正しいのかもしれない。
全てが幻か、もしくは夢か。
こんな馬鹿げた異常な世界ですら、異彩を放つ彼女を――
北条渚。私という存在に、どれほどの価値がある?
ふとそんなことを思ってしまったが、迫りくる現実の恐怖にそれは瞬く間に払拭されてしまった。
白磁のように混じりけのない、小さくて真っ白な手は、いまだ私へと差し伸べられている。
華奢で、少しでも力を加えれば折れてしまいそうな細い腕を辿ると、見えるのは未だ乾ききっていない血を所々に付着させた巫女服を着た少女の顔。
どこか作り物のように整いすぎた顔に張り付けた笑顔を崩すことなく、血塗られたかのように真っ赤に染まった瞳はずっと私を捉えていた。
しかし、退路が無い今、この手を取る以外に私が出来ることはない。このまま瓦礫の奥に引き籠っていたとしても、無駄に時間が流れるだけだろう。時間が解決してくれるほど、これは簡単なことではないはずだ。
仕方なく、ゆっくりと私は少女の手に自分の指を触れさせるところまで来て、そこで手の動きを止めた。
怪訝そうに首を傾げる少女の髪を結ったリボンに付いた鈴が音を奏で、彼女は困ったように眉をひそめて私を見つめる。
「どうした……ですか?」
「分からないのよ。あなたも、この状況も。全部が」
「大丈夫ですよ、きっと。それに、こうして座っていたってお互いの為にならないのです」
そうして私が答えるより早く、少女は私の手を取りにっこりと微笑みを浮かべた。
更に、彼女のもう一方の手が私の手の平に重ねられ、優しく包み込むにして握られる。
気づけば、無意識の内に私は瓦礫から這い出ていた。
そして、少女の小さな手から伝わってくるぬくもりを感じつつ、彼女に導かれるようにして私は屋敷をひたすら歩く。
やはり、逃げていた時の疑問は正解だったようで、最初に入ってきた時とは内部の構造が全く別のものになっている。
廊下は数倍長くなっているし、ドアの数も異常なほど増えている。
これではまるで迷路だ。絶対に逃がさないとでも言いたいのだろうか。
いや、そもそもこんなことがあり得るのだろうか。
人の死を目の当りにし、さらに謎の少女の存在を受け入れてしまったせいか、自然とこの異常すらも肯定していた。
「知りたいですか?」
そんな時、まるで私の心を読み取ったかのように少女が口を開いた。というか、タイミング的に本当に心を読まれたのだろうか。
終始無言でいたのもあって、何か話題が欲しかったところなので、私は彼女に話を続けさせる。
「ええ」
「ここはもう、一種の異空間と化しているのです。この場で犠牲となった者達の恨みや憎しみ、様々な思いが積み重なり限界に達した時、それは些細なきっかけであり得ない現象すらも引き起こしてしまうです」
「なるほど、ね。いい迷惑だわ」
否定はしない。実際に起こっているのだから、否定しようがないだろう。他にもいろいろ聞きたいことはあったが、とりあえずは一番聞くべきことを優先することにする。
「脱出できるの?」
「い、今そのために出口へ案内してるですよ……」
「え?」
呆れたような視線を向けてくる少女の口から発せられた言葉に、私は目を丸くした。
どうせこの少女もろくな奴じゃないと思っていたせいか、意外な答えに一瞬思考が停止して呆けてしまう。
すると、今度は私の反応を見た少女が何かを察したように眉根を寄せ、
「あーっ! 私のこと信用してなかったですね!? ひどいです! 酷いですー!」
言って、少女は目一杯頬を膨らませながらそっぽを向いてしまった。
どうやら、彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。
それでも、いまだに手は繋がれたままだ。さほど心配はいらないだろう。たぶん。
そうして、いくつか彼女の機嫌を直すための会話をしているうちに、見覚えのある大きな木製のドアの前へとたどり着く。
私が最初にここへ入ってくるためにくぐった、屋敷への入口。つまり、この先は外だ。
道中何も問題なく進んでこれたために、いささか拍子抜けであると同時に、これが罠であるという最悪な展開が脳裏でよぎる。
このドアを開けたらまたあの拷問部屋、なんてことも今の状態ならあり得るかもしれないという以上、素直にこのままドアを開けることを躊躇してしまう。
そうしてしばらく考えを巡らせながら闇雲に視線を周囲に這わせていると、あるものを見つけてしまった。
それは、警察官である須藤の遺体。
そういえば、少女が殺したと言っていた。
と、同時に、あることを思い出す。
最初に須藤を警察官だと認識できた要因の一つ。本物の拳銃である。
これから先に罠があるかもしれないというのなら――
私は床に転がった須藤の死体に近づくと、腰に付けてあったホルスターから銃を引き抜く。
少女はそれを不思議そうに眺めるだけで、特に止める気はないようだ。
それを確認すると、私は再び視線を銃へと戻し、映画の見様見真似で弄ってみる。
銃は所謂リボルバーと呼ばれるタイプのようで、弾は五発しか入らないようだ。しかも、予備の弾を見つけることはできなかった。
そのまま何の気なしに銃を構えると、銃口を少女へと向ける。
「え? ふええええ!? な、なにするです!?」
てっきり反撃でも来ると思ったが、少女はぎゅっと両眼を瞑ると頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
体が小刻みに震えている様子を見ると、怖がっているフリをしているわけでもなさそうだ。
本当に何の企みもなく、ただ私を脱出させたいのだろうか。
判断に迷っていると、私の顔を窺うようにして、少女がゆっくりと片目だけ開いてこちらに視線を向け、目が合うと『ひゃっ!』などと小さく声をあげて再び眼を閉じる。
なんだか、これでは私が彼女を虐めているようにも見える。というかそうだろう。
なんだか罪悪感がこみ上げてきたので、私は銃を腰に差すと、少女に歩み寄ろうとし――
「こっちだ!」
立ち上がったところで、誰かが声を張り上げながら私の手を握り、そのまま引きずられるように少女と入口のドアから遠退いてしまう。
抵抗はしてみたが、意外と力が強くて振り払う事は叶わない。
そのまま完全に少女の姿が見えなくなると、私を掴んでいた者の力が抜けていくのを感じる。
と、急に頭に軽い衝撃が走った。
「行くなって言ったろ。信じられないのは分かるけどさ」
そういって、あきれ顔でため息を漏らしたのは、牧野さんの息子である京谷。
彼はもう何度かため息をつきながら私の頭を何度も小突く。
事前に警告をしてくれただけでなく、助けに来てくれたのだろうか。
どちらにせよ、見知った顔に会えて、私は無意識に安堵の域を漏らしていた。
「とりあえずここから出よう。須藤さんや親父は死んでるしで分けわかんねぇが、とりあえずヤバいのは確かだ」
「あ、でもさっきの女の子が……」
そう、巫女服の少女を置いてきてしまった。脅かしておいて言うのも何だが、あそこに一人で放っておくのは心配である。
確かに常人離れした存在だが、見かけ同様に少女らしい部分もあり、尚且つこの屋敷のことについて知っているようなので、できれば一緒に居たかったのだが――
「あれはやばいやつなんじゃないのか? とにかく、行くぞ」
「あ、ちょっと……」
有無を言わさず、京谷は私の手を取ると強引に廊下を歩かせる。
しかし、よく考えれば出口は先ほどの少女のいた場所だ。いったいどこに向かっているのかと京谷の手を無理矢理振り払いつつ睨みつけ、
「さっきのところが入口でしょ。どこに行く気よ」
「…………」
しかし、京谷は応えない。代わりに、顔を表情が確認できないほど俯かせ、再度私の手を握った。
今度は、うっ血するくらい、肉に食い込むかと思うほど強く、だ。
「き、京谷、痛――」
言葉をすべて言い切らない内に京谷へ引き寄せられた私は、腹部に強い衝撃が加わったのを感じながら、意識が薄れていくのを理解した。
記憶が途切れる直前に私が見たのは、牧野と同じ……いや、それ以上に醜悪なほど顔を歪めた京谷の姿だった。
「……痛」
私の意識が覚醒したのは、頬と腹部の火照りと痺れを感じたからだろうか。
ゆっくりと目を開けると、そこには血の付いたナイフを私の顔の前でちらつかせる京谷。
ここは、あの拷問部屋のようだ。
「起きたか、早いな。親父に弄られて耐性付いたか? いや、その様子だとそうなる前に親父は死んだっぽいな」
言いながら京谷はまるで楽しそうに笑うと、ナイフをペタペタと私の頬にくっ付け、ふん、と鼻で笑い、
「――っ!?」
ナイフの切っ先を立てて私の頬をなぞった。瞬間、最初に感じたものよりも熱い刺激が私を襲う。
「痛いか? でも本当はもっとリアクション欲しいんだよな。せっかく面倒な芝居まで打ってやったんだからさ。助かるって思った奴を、そこからどん底に突き落としてやった時の絶望した顔って、こうグッと来るものがあるだろ?」
また、またこんなのだ――
どこへ行っても、何をしてもこうなるのだろうか。
ここへ来てから最悪なことばかり。正直、少し疲れてしまった。
どのみち逃げられないのなら、もういっその事ここで――
そう思った瞬間、微かにだが鈴の音色が聞こえた。京谷には聞こえなかったようだが、聞き間違いではない。
少女はまだ私を探してくれているのだろうか?
この狂気の館から私を逃がすために?
確証なんてないし、あの少女が本当に私の考えた通りの子だなんて保証はどこにもない。だが、まだ諦めるのは早いのかもしれない。
体の状態を確認する。どうやら、拘束はされていないようだ。
だが、この腹部に感じる痛みと、京谷の持った血の付いたナイフを見るに、刺されてしまったのだろうか。
それならば、先ほどから感じる息苦しさにも納得がいくような気がする。
一応確認のために視線を腹部に。案の定、私の服は血でその半分を真っ赤に濡らしていた。
放っておくとまずいだろうが、歩けないほどでもない。逃げることくらいはできるはずだ。
私が逃げる機会をうかがっていると、
「ほら、見てみろよ。俺の獲物を狙った馬鹿な親父の爆破ショーだぜ」
壁に磔にされた牧野の死体。それを指さしながら京谷はけらけらと醜い笑い声を立てる。
牧野の体には、いたるところに打ち上げ花火やらロケット花火が突き刺さしてあった。
京谷はいつの間にか持っていたライターに火を付けると、花火を一斉に点火する。
後はもう、誰もが目を逸らすような光景が広がった。牧野の体は人間だったかどうかも分からないほど爆散し、部屋の壁にはべっとりと血肉の塊がこびりついていた。
それを見て壊れたように笑い続ける京谷。
しかし、それに恐怖している暇などない。今ならば、逃げるだけの隙はある。
意を決し、私が足に力を込めると――
「おっと、逃げるなよ。意外と油断できないなぁお前は」
しかし、すぐに気取られ退路であるドアの前で陣取られ、逃げ場をなくしてしまう。
そうだ、京谷とてこれが初めてではないのだろう。何度もこういった経験があるなら、逃げ出すような者も相手にしたことがあるはずだ。
今の私が思いつくようなことが通用するとは思えない。ただ、京谷に逃げ惑う獲物という滑稽な図を見せて喜ばせるだけにしかならないだろう。
また逃げ場もなくただ流されるだけ?
――違う。
今度は、今度こそは。私にも選べるだけの選択肢がある。
私は京谷に気づかれぬよう、腰に差してある鉄の感触を確かめる。
それは確かに、私の手にずっしりとした重みを感じさせ、その存在を認識させた。
私はそれを――
睨みつけることしかできない獲物を哀れむように見つめる京谷へと向けた。
「なっ!?」
もちろん、それに京谷が驚いたのは普通の反応だ。ただし、向こうも同じように銃を抜いたのは、私の予想を超えた出来事。
互いに銃を向け合ったまま、硬直。
しかし、私の方は腹部の出血があるせいか、だんだんと銃口を京谷に向けることすらも辛くなってくる。
それを見透かしたように、
「どうした? 撃たないのか? なあ、下手に抵抗すんなよ。ただ死ぬよりも俺と楽しんだ方が色々と特だろ?」
「だ……れが……」
すでに口で呼吸し、肩を上下させている私が銃を撃ったところで命中させられるかなど分からない。
先ほどから頭は殴られているように痛いし、視界も歪む。だが――
可能性があるなら、私はあきらめない。
すでに半分くらい感覚がなくなた指を何とか動かし、引き金を引く。
が、弾丸は放たれたが、反動で私は銃を取りこぼしてしまった。
「うおっ!? っと、ははっ! 残念」
しかし、当たりはしなかったのだろう。軽い調子で笑う京谷の声と、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。
すぐさま銃を拾いなおそうとするが、ぼんやりとした視界のせいで自分の周りを見るのが精一杯だ。
だが幸い、銃は私の手の届くところに転がっていた。そう、あれと一緒に。
「……ぁ」
銃の横にあったのは、先ほど牧野を肉片に変えた花火の残り。
まるで誰かがそうしろと教えてくれたかのように、私の中である一つの案が浮かんだ。
それの通り、私は震える手で銃を何とか握ると、銃口を花火の方へ向ける。
「ん? 何をする気だ?」
京谷の声がすぐ傍で聞こえた。もう迷っている時間もない。
「確か……この屋敷は……殆ど、木製だったはず……よね?」
「まさか……やめろっ!」
視界に見えるだけでもかなりの量がある花火。それのどれでもいい、一つに点火さえすればあとはその花火が連鎖的にすべてに火をつけてくれるだろう。
発射の際銃口から生じる発射炎。それを火種として――
私は、ゆっくりと引き金を引いた。
最後らへんはお題を入れ忘れたため突貫でやってしまいました。何回も競作してんのにこのミスはないわー、とか笑ってもらって結構ですごめんなさい。それでも読んでくれた人に感謝です!




