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素晴らしき人間たちよ9

 マルベリーは午後四時半を過ぎると、制服に着替えた姿で居間に現れた。その時、そこには制服姿の小百合もいた。この日は部活が休みだったので、帰りが早かったのだ。彼女は茶の間でテレビを見ていた。マルベリーはテレビというものを見たのは初めてだったので、それが不思議でならなかった。

「それは何だ? 絵が動いているが……」

「テレビっていうの、これは絵じゃなくて映像よ」

 テレビにはヘリコプターで上空から撮影している、近くの森林公園の惨状が映っていた。池の近くの芝生に、まるで絨毯爆撃でも受けたように無数のクレーターが穿たれていて、リポーターがテロだの何だのと大騒ぎしていた。

「これ、貴方がやったのよね」

「そうだ、奴に対して魔法を使ったのだ。このテレビと言う奴は、この程度で何を大騒ぎしているのか」

「騒いでいるのはテレビの中の人だけどね。言っておくけれど、一夜にして公園が吹き飛ばされるなんて、人間にとっては驚天動地の出来事よ」

「吸血鬼同士の戦いでは、これくらいは普通だ」

「もう二度とやらないでほしいわね」

「その点は心配いるまい、奴とは戦わないと約束したのだからな」

「そうね、心配はしていないわ」

 それから小百合はリモコンでテレビを消してから言った。

「今日は休んだらどう、まだ傷が癒えていないのだし」

「いや、やると決めた以上は前に突き進むのみだ、この程度の傷で立ち止まってたまるか」

「分かったわ、気をつけていってらっしゃい」

 小百合は紅茶の入った水筒を差し出しながら言った。マルベリーはこれまで通り、日が落ちてから自転車で登校した。

 

 一時間目の授業が終わると、すぐに宮子がマルベリーに近づいてきて、包帯で覆われた右手を取って心配そうに言った。

「マルベリーちゃん、この怪我どうしたの?」

「触るな!!」

 宮子が余りに馴れ馴れしいので、マルベリーは腹にすえかねて怒鳴ってしまった。クラス全体の注意を集めた叫びで、宮子は体を震わせて委縮した。

「ごめん、痛かったよね……」

「いや、そうではない。気安く体に触れられるのが嫌なんだ、慣れなければいけないとは思うが……」

「そうだったんだね、気を付けるね」

 宮子はマルベリーの怒った理由が分かって、すっきりしたようだった。慣れなければいけないと思う、とマルベリーが反省を宮子に対して口にしたことは奇跡的だった。

 マルベリーは、今朝、小百合と約束を交わしてから、自分にとっての宮子の存在意義を考えていた。マルベリーが吸血鬼女王と母の真意を知る為には、人間が必要不可欠なのは自明の理だ。今のところ自分に近づける人間は、小百合と宮子の二人しかいないし、そんな奇跡そのもののような人間が、それ以外に現れるとも思えなかった。よって、宮子という存在は大切なものであると、マルベリーは結論した。まだ宮子を物のように考えている節はあるが、驚くべき心境の変化だった。

 二時間目が終わり夕食休みなると、マルベリーは水筒を出して宮子が来るのを待っていた。当然のように、食堂とやらに誘いにくるだろうと思っていたが、宮子は来ないどころか、教室に姿さえ見えなかった。夕食休みが終わるまでは、マルベリーは気にもせずに紅茶を飲んでいた。それから三時間目の授業が始まったが、その時になっても宮子の姿はなかった。マルベリーは少し気になってきて、宮子の行方を追う為に、聴覚を研ぎ澄ました。その途端に、さまざまな音や声がマルベリーの耳に伝えられた。その中に宮子の声もあった。

『やめて、やめてよぅ』

 宮子の声は涙混じりで弱々しく、同時に周りで複数の女の笑い声が起こっていた。

 マルベリーは立ち上がると、ずかずかと歩いていき、扉を開けはなって教室を出ていった。見ていた教師や生徒達は唖然としていた。

 マルベリーが教室を出た後、廊下を歩いていた二人の生徒が、突風に襲われて悲鳴を上げた。窓は全部閉まっていたので、まるでわけが分からなかった。二人の生徒はマルベリーが走って脇を通り過ぎた事にまったく気付かなかった。

 宮子の声が逼迫していたので、マルベリーは急いで宮子のいる場所へ向かっていた。

 ――恐らく、一番奥の方だな。

 聖清学院の校舎は大きく、マルベリーの教室から最奥までいくと結構な距離があった。さらに定時制の授業が行われている教室から外れると、廊下の電気も消されていて真っ暗で不気味だった。そんなところで、全体の半分だけ蛍光灯の付いている教室が一つだけあった。

「宮子ちゃん、駄目でしょう、あんたみたいに馬鹿で屑が外国のお嬢様なんかと友達になったら」

 宮子は四人の女生徒に囲まれて、下を向き、制服や髪がかなり乱れていて、既に何らかの危害を受けた後だった。

「もうそのお嬢様とお話しちゃ駄目だからね」

 四人の中のリーダー各の美香は、宮子の交友を害するのが当然の権利でもあるように言った。その目は悪意に満ちていて、まるで宮子が小動物でもあるかのように見下げていた。宮子が無言で首を横に振ると、美香が掌を返し、そこに連れの一人が素早く黒板消しを乗せた。美香はそれを思い切り宮子の頭に叩きつけた。

「きゃっ!?」

 宮子は頭のてっぺんを真っ白にされて、その場に座り込んだ。宮子の目から涙が零れ、辺りには石灰の粉が煙のように漂っていた。

「言う事聞かないから悪いのよ。でも、可哀想だから痛くないように叩いてあげたんだからね」

「その代り、頭真っ白だけどね!」

 美香に追従するように一人が言うと、周りからどっと笑いがあがった。

 この四人は一見すると品行の良さそうな女子に見えるが、中学校から宮子を虐めてきたグループだった。宮子は定時制高校に来て安心していたが、虐めっ子の中の一人も同じ定時制の同じクラスに来ていて、それがリーダーの美香に宮子の事を報告していて、夏ごろから虐めが再開されていた。彼女等は時々ではあったが、夜の学校に赴いてまで宮子を虐めていた。宮子が外国のお嬢様と友達になったという報告は、美香に燃え上がるような嫉妬と、黒い嗜虐性を呼び起こした。

「もう一回言うからね、もう例のお嬢様とお付合いしちゃ駄目よ」

 優しくなでるような言い方に、途轍もなく暗い憎悪が隠れていた。宮子は泣きながら、しかしはっきりと言った。

「いやだもん! お友達だもん!」

「あら、そう」

 そう言う美香の顔に、狂喜する笑みが浮かんでいた。美香はいきなり、宮子の髪を鷲掴みにして引き倒した。宮子は髪の毛を乱暴に引っ張られながら、冷たい床に顔を押し付けられて呻いた。

「あうぅ、痛いよぅ……」

「馬鹿で間抜けのくせに、犬みたいに尻尾振って、他人と仲良くなるのだけは上手なんだから、ほんとむかつく」

「あたしらが虐めるようになってからは、誰も近寄らなくなったけどね」

 美香の連れの一人が言うと、また宮子の周りに笑いが溢れた。宮子は底に悪意を隠した明るい不協和音に責められて、床を涙で濡らした。

「泣いたって許してあげないんだから、お嬢様ともうお付合いしないって約束してくれなきゃね」

 宮子は床に伏せながら、小刻みに首を横に振った。にやけていた美香は、急に真顔になって、黒い憎悪の炎を燃やした。彼女は宮子から手を離すと、仲間の一人に顎をしゃくって何かを合図した。すると、二人が倒れている宮子の体を押さえつけた。

「み~や~こ~ちゃん」

 合図を受けた女子が、しゃがんで何かをちらつかせた。宮子は押さえつけられているので、頭だけを上げてそれを見た。

「これなーんだ」

「教科書……?」

「宮子ちゃんの、英語の教科書でーす」

「あう、返して……」

「あなた、お勉強頑張ってるんだって?」

「それなのに~、成績は~、下から数えた方が~、ずっと早い~」

 美香が言うのに追従して、取り巻きの一人が歌うように侮辱に満ちた言葉を綴った。

「馬鹿なのに勉強なんてしたって無駄でしょ、可哀想だから勉強なんてしなくても良いようにしてあげたわ」

 美香が言うと、教科書を持っていた少女がそれを開いて宮子に見せた。それには、どこのページか分からないくらいに、みみずののたくったような字が、太字の黒の油性マジックで書きこまれていた。宮子が悲しそうなすると、取り巻きの一人はそれを楽しんで笑い、次々とページをめくった。全てが悶絶する黒い蛇のようは文字で滅茶苦茶になっていた。

「あうう……」

 宮子がまた大粒の涙を流したところで、美香が近くの机まで歩いていって、机の収納スペースに手を突っ込んで教科書の束を出し、それを宮子の目の前に放り投げた。その中の何冊かが開いて、その中身の惨状が目に映った。英語の教科書と全く同じようにされていた。全て宮子の教科書だった。

「全部こうするの、すごく大変だったんだから、感謝してよね」

 美香の感謝するのが当然という口ぶりと、想像を絶する悪意に、宮子は悔し涙を流すしかなかった。


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