素晴らしき人間たちよ5
翌朝、小百合は居間で液晶テレビに流れるニュースを見ていた。日光市内で突然起こった連続殺人事件について騒ぎ立てられていた。一夜にして三人が犠牲になり、殺されていた場所が全く離れているのに、死因が失血死であるのと首に噛まれたような傷があるのは一緒だった。それらの死の謎は専門家たちの頭を酷く悩ませていた。
「ついに始まったわね。こんな栃木の片田舎で騒ぎを起こさないでほしいのに……」
小百合はテレビを見ながら、これからどうしたものかと考えていた。
マルベリーは夕方の四時を過ぎた頃に起き出してきた。居間に降りてきた時には、制服に着替えていた。机の上には水筒と置手紙があった。高校の授業は終わっている時間だが、小百合には茶道部の部活動もあるので、この時間に二人が合う事はなかった。
マルベリーは手紙に目を通した。そこには水筒のお茶を休み時間毎に一杯飲む事と、これは弁当という人間にとって大切なアイテムだという事が書いてあった。
「弁当とは何だ?」
マルベリーには良く分からなかった。それからマルベリーは、日が落ちるのを待って外に出た。
マルベリー二日目の登校、明神大社から聖清学院までは、まず一時間に一本から二本しかないローカル線の電車に乗り、街まで出てからバスか自転車で学校に向かうのが普通だったが、マルベリーは自転車だけで登校していた。明神大社から学校まではほとんど直線なのだが、山を一つ越える必要が有り、辿り着くまでに普通の人間なら一時間半はかかる。マルベリーはその半分の時間で走破する事が出来た。幸い道乗りの半分以上は山道で人も車もそんなに通らないので、人目に付かないところでは猛烈に飛ばした。その速さは時速百キロを軽々と越える。常時でも車に追従して走るくらいの事はするので、出会った人を次々と驚かせた。彼女はわざわざ自転車を使って登校するのが煩わしかったので、飛んでいけば五分で着くと小百合にぼやいていた。
マルベリーは日が落ちてからでないと外に出られないので、一時間目の授業には、どうしても三十分程遅れてしまう。本人にとっては空気に匹敵するほど気にしない事ではあるが、教師は少し迷惑そうな顔をしていた。
一時間目の授業が終わると、マルベリーは小百合の指示通りにお茶を飲んだ。
「これは紅茶ではないか、小百合が気を利かせたということか」
そこに宮子が近づいてくる。昨日怒鳴られたのが効いていて、鈍い歩調に恐れながら勇気を出して行く様がよく表れていた。マルベリーが紅茶を飲みながら見ると、宮子はそこで凍りついたように固まった。
「あ、あの、昨日の事なんだけど……」
「なんだ、わたしに謝れとでも言いに来たのか?」
「ち、違うよ! わたしが何か悪いことしちゃったのかなって、すごく気になってて……」
「いや、何もない。昨日は少し苛ついていたのだ、わたしの方こそ怒鳴ったりして悪かった」
マルベリーは言ってから自分で驚いた。小百合から注意されていたとは言え、人間に対してこれほどすんなりと謝罪できるとは思っていなかった。
宮子は本当に顔が輝きだしそうに思えるくらい嬉しそうに笑った。そんな宮子の様子にマルベリーは訝しるばかりだった。何がそんなに嬉しいのかさっぱり分からないのだ。
「ねえマルベリーちゃん、よかったら夕食休みに一緒にお弁当食べない?」
宮子が思い切って言うと、マルベリーは水筒を見つめた。
「かまわないが、これは食べるものではないぞ」
マルベリーの言っている意味が、宮子には良く分からなかったが、聞く暇もなく次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
二時間目を終えた後は夕食休みで、平時の昼休みと同じようなものだが、時間は三十分と短かった。
「マルベリーちゃん、食堂にいってお弁当食べようよ」
「食堂? 何だそれは?」
「えっとね、この学校には食堂があってね、夜でも開いてるんだよ。そこの方が広くて綺麗だから、一緒にいこ」
「なんだか良く分からんが、よかろう」
宮子は先に立って、スキップするように軽い足取りで歩いて行った。歩いてる姿に喜びが満ち溢れていて、マルベリーと一緒に食事できるのはよっぽど嬉しいようだった。
マルベリーの方は宮子に心を許したわけではなく、実験的に宮子の近くにいるだけで、宮子を人間を知る為の道具のように思っていた。何にせよ、小百合に言われた事は守っていた。
聖清学院の食堂は一回の奥まったところにあり、かなりの広さがあった。木製の丸いテーブルと椅子もなかなか洒落たもので、全体に清潔感もあった。そして、夕食を取るために生徒たちは食券販売機の前に並んでいた。そこにマルベリーが入ってくると、全ての生徒の視線が彼女一人に集まった。食券を買おうとしていた生徒ですら、お金を入れるのを忘れてしまっていた。マルベリーの絵にかいたような美しさに加え、特にパール色の肌と赤い瞳が、人間たちに眩しいような印象を与えていた。
宮子とマルベリーは弁当を持参していたので、すぐにテーブルに付いた。宮子が弁当の蓋を開けるのと一緒に、マルベリーは水筒の蓋を回した。宮子は弁当に箸を付けようとした状態で止まり、マルベリーが紅茶を注ぐ姿を見つめる。
「マルベリーちゃん、お弁当は?」
「これが弁当だが」
マルベリーは湯気の立つ紅茶に口を付けながら言った。
「ええっ!? それだけなの!?」
「これだけで十分だ」
マルベリーが当然のように言うと、宮子は真剣に目の前の少女の姿を見つめた。
――ダイエットしてるのかな? でも、こんな抜群のスタイルでダイエットなんて変だよね。あ、そうか、こういう日頃からの努力があるから、マルベリーちゃんはこんなに綺麗なんだね。わたしも見習わなきゃ!
宮子は盛大に勘違いしていた。しかし、相手が吸血鬼ではそんなふうに思うのが当然であろう。
「宮子、その黄色いのは何だ?」
マルベリーはふと見た弁当の中身に興味をそそられて言った。
「これは卵焼きだよ。マルベリーちゃん、卵焼き知らないの?」
「……知らんな。そっちの足のようなものがある奇妙なものは何だ?」
「これはタコさんウィンナーだよ。本当に知らないの?」
「知らない、人間は妙なものを食べるんだな」
マルベリーが言うと、宮子は急に可笑しそうに笑い出した。それにマルベリーは憮然として言った。
「何を笑っている」
「だって、マルベリーちゃん、自分が人間じゃなみたいな言い方するんだもん」
それを聞いたマルベリーは、自分の不用意な発言に苦虫を噛むような顔をした。宮子の方は冗談としか思っていないので問題はなかった。
――わたしとした事が不用意な発言をしてしまうとは、これからは気を付けねば。
完璧を求めるマルベリーは、自身を戒めた。
それから二人が食事をしていると、いきなりテーブルにかけ蕎麦が置かれた。
「ご一緒しても良いかしら?」
「あ、はい、どうぞ」
笑顔を振りまいて言う宮子に対して、マルベリーは新たな人間の介入が煩わしく、ほとんど脅すような鋭い目つきでかけ蕎麦を置いた少女を見た。その瞬間に、マルベリーは思わず立ち上がっていた。
「小百合!?」
「あら、こんな所で会うなんて奇遇ね」
「何で小百合がこんな所にいるんだ!?」
「わたしもこの学校の生徒なのよ、会ったって不思議はないわ」
「お前が学校にいる時間帯は全然違うだろう」
「今日は部活の終わりが遅かったから、ちょうど良いと思って様子を見に来たの」
「さっき奇遇とか言っていなかったか」
小百合はそれには答えずに、椅子に座った。肩透かしを食らったマルベリーも、腑に落ちないような顔をしつつ小百合に倣う。小百合の登場に最も驚いたのは宮子だった。いきなり現れてマルベリーと親しく会話する様子は、ある意味ではマルベリーを初めて見たときよりも印象が大きかった。
「あの、マルベリーちゃんのお知り合いなんですか?」
小百合はテーブルの上に用意されている割り箸を一本取って、それを二つに分けながら言った。
「マルベリーちゃんは、わたしの神社の宿坊に下宿してるのよ。そうよね、マルベリーちゃん」
「うるさい、わざとらしくちゃん付けを連呼するな!」
小百合とマルベリーのこういうやり取りには、旧知の仲のような趣があった。その様子に宮子は眩しい物でも見るような目で言った。
「へぇ、神社に住んでるんですか。えっと、確か小百合さんでしたっけ?」
宮子が言うと、小百合は不意に手を差し伸べた。
「普通科二年の明神小百合よ、よろしくね」
「わたしは幸野宮子です、定時制高等部の一年生です」
無表情の小百合に、宮子は花咲くような笑顔で応じた。二人が握手する様子を、マルベリーは紅茶を口にしながら興味深そうに見ていた。
「宮子ちゃんね、マルベリーが昨日あなたの事を話していたわ、学校で初めてできた友達だって」
「なっ!? おい小百合、いい加減な事を言うな!!」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない、もっと素直になりなさいよ」
小百合はマルベリーの心を知りつつ平然と言ってのけた。それを信じた宮子は、夜空にまたたく星々のように瞳を輝かせ、無条件の信頼を寄せてマルベリーを見た。そんな宮子の目が合ったマルベリーは、小百合を睨んで憤懣の中に苦笑いを浮かべた。
――言うにことかいて、こいつは……。
小百合は平気な顔で蕎麦を食べていた。
「そうだ宮子ちゃん、今度うちの神社に遊びに来なさいな、なかなか良いところなのよ」
「はい、絶対に遊びに行きたいです」
「あなただって歓迎するわよねぇ」
マルベリーは小百合にそう振られると、憤懣やるかたなしに言った。
「知らん! わたしはもう教室に戻る!」
マルベリーは席を立って早足で食堂から出ていった。それに宮子が不安そうな顔をしていると、小百合は微笑を交えて言った
「大丈夫よ、あなたはマルベリーの良い友達になるわ。これからも一緒にいてあげてね」
「はい!」
明るく答える宮子の笑顔はどこまでも純真無垢であった。小百合はこういうのを天使のような笑顔と言うのだろうと思った。
マルベリーは小百合の介入のお蔭で、すっかり不機嫌になった。さらに授業の後半には血の渇きとの闘いが待っている。マルベリーはそれを思うと、さらに不興が深くなった。
それから三時間目が終わり、四時間目が終わった。不思議な事に、マルベリーの生血への渇望は昨日ほど強くは襲ってこなかった。全くないわけではないが、昨日のように血の渇きを耐えるのに神経をすり減らすような苦労はなかった。マルベリーは4時間目の休み時間にお茶を飲んでいてふと思った。
――このお茶が血の渇きを抑えているのか? 小百合の奴め、どんな細工をしているのか。何にせよ在り難い事ではあるな。
マルベリーはお茶の事に関しては、小百合に素直に感謝した。




