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素晴らしき人間たちよ4

 最初は授業に退屈していたマルベリーだったが、次第に様子が変わってきた。喉の渇きを感じ始めたのだ。それは次第に貪欲さを増し、終いには耐えかねる渇きに喉を掴んでいた。そしてマルベリーは気づいた、自分が前に座っている女生徒の首筋ばかりを見ているという事に。

 ――しまった、血の渇望か。人間の生血など百年以上も吸っていなかったから、この感覚を忘れていた……。

 後半の授業は、人間の生血を求める本能との戦いであった。マルベリーは、人間の只中に紛れ込んだ事などなかった。これは餓えた狼が手の届くところに幾つもある生肉を我慢しなければならないのと同じだった。学校の終わりが近い頃には、マルベリーは想像を絶する渇きの衝動を抑えるのに全神経を集中していた。

「どうしたの、マルベリーちゃん、調子悪いの?」

 すべての授業が終わっても動こうとしないマルベリーを心配して宮子が近づいてきた。

「熱でもあるのかな?」

 宮子がマルベリーの額を触った瞬間に、その手が払われた。

「わたしに触るな!!!」

 マルベリーの激昂が教室中を震わせ、宮子は驚きのあまり固まっていた。帰ろうとしたり話し合ったりしていた周りの生徒たちも、精神を打ち壊されたかのように黙ってしまった。その異様な静けさの中でマルベリーは立ち上がり、早足で宮子の横を通り過ぎて教室を出ていった。


 マルベリーが校庭に出た時には、夜の十時近かった。彼女は一刻も早く人間の側を離れたくて、早足で校門に向かっていた。本当は蝙蝠の翼を出して飛んで行くのが早いのだが、それは小百合から固く禁じられていた。とにかく人間の範疇にない行動は慎まなければならなかった。

 マルベリーが夜風に当たって血の渇きが少し和らいだと思った時に、校門の辺りに人影が見えた。先程、授業中にマルベリーにまるで無視された不良たち三人が固まっていた。マルベリーは夜目が聞くので、遠くからでもその姿がはっきりと見えた。一人は長身で染めた金色の長髪に耳にピアス、もう一人は大柄の体系で、やはり金髪だが髪は短かった。最後の一人は赤髪で目が鋭く他の二人よりもずっと小さいが、自らの力に自信を示すように得意な笑みを浮かべていた。マルベリーは赤髪の少年が頭目である事を瞬時に見抜いた。

「よう、ちょっと付き合えよ」

 マルベリーが近付くと赤髪の少年が言った。マルベリーはそれに一瞥すらくれずに言った。

「クズ共が」

 いきなり殴りつけるような言葉だった。少年たちは怒るよりも前に唖然とした。マルベリーが当然のように彼ら前を通り過ぎようとしたとき、赤髪の少年が腹を立てて手を伸ばした。

「てめぇ、待てよおい!」

 赤髪の少年の手がマルベリーの肩に触れようとした時、その手がいきなり予期せぬ方向にいって、手首が凄まじい力で締め上げられた。少年は目を白黒さながら目の前の状況を理解した。マルベリーが少年の手首を掴んでいた。彼女がいつ振り向いてそんな行動を起こしたのか、赤髪の少年の目にはまったく見えなかった。

「貴様、死ぬぞ」

 手首が握りつぶされそうなの、とマルベリーの真紅の瞳を直視した事で、少年の魂は砕かれそうになった。理解不能な凄まじい恐怖のせいで、悲鳴も上げられずに涙が込み上げた。

 マルベリーは少年の手を投げ捨てるように放し、颯爽と風のように歩き去った。赤髪の少年はマルベリーの姿が消えてから、ため込んだ恐怖を一気に吐き出すように奇妙な悲鳴をあげた。他の二人は驚いて取り乱す少年を取り押さえた。

「おい、どうしたって言うんだ!」

「ああぁ……あいつ普通じゃねぇよ…………」

 赤い髪の少年は魂の底から溢れるような恐怖に涙を止める事が出来なかった。取り巻きの二人は闇に沈んだ路上で呆然とその姿を見ていた。彼らはそれ以来、マルベリーから逃げるようにして学園生活を送らねばならなくなった。

 

 マルベリーが明神大社に帰ると、宿坊の居間で小百合がお茶を用意して待っていた。マルベリーが入ってくるなり、緑茶が出てきた。

「まるでわたしがお茶を所望する事を分かっていたかのようだな」

「分かっていたわ」

 吸血鬼がお茶を飲むのには、血の渇きを少しでも癒す意味が大きかった。小百合はそれを知っていてお茶を出したのだ。しかし、癒すとは言っても、気休め程度にしかならない。例えて言うなら、ヘビースモーカーが煙草のない口の寂しさを飴で癒しているようなものだ。それでも、ないよりはずっとましだった。

 マルベリーは掘り炬燵に座ると黙ってお茶を二杯も飲んだ。それで少し落ち着くと、小百合に言った。

「お前の言う事に従ってみたが、正直に言って得られるものがあるとは思えん」

「まだ一日目よ、もう少し腰を据えて頑張りなさい」

「お母様も吸血鬼女王も人間の何が良いと言うのか、ろくに誇りも持たぬ屑しか目につかなかった。小百合はどう思う、人間に吸血鬼よりも優れた部分があるのか?」

 小百合はお茶を一口飲んでから答えた。

「人間は簡単に死ぬし、寿命はせいぜい生きても百年程度、吸血鬼に比べれば一瞬だわ。怪我をしても吸血鬼のように瞬時に再生なんて出来ないし……」

 小百合がそこまで言うと、マルベリーは苛ついて机を軽く叩いた。

「種族の特性など聞いても意味がない。身体的に人間が吸血鬼より劣るのは当たり前だ、馬鹿でも分かる。人間が吸血鬼より優れた部分があるとすれば、もっと別の部分であるはずだ。お前なら分かるんじゃないのか、分かるのなら教えてほしい」

 マルベリーがそう言いながら少し身を乗り出してくる。その様子には焦りが如実に感じられた。小百合はマルベリーの前に掌を出して制した。

「わたしがそれを知っていて言ったとしても、今のマルベリーでは理解できないでしょう。答えを知りたければ、心で感じるしかないものよ」

「そうか……」

 マルベリーの赤い瞳に陰りが差す。時々見せる彼女の悲しみを刻んだ顔が、小百合は気になっていた。

「血の渇望に負けそうなら、学校へは行かない方がいいわ。もし貴方が人間の生血を吸うような事になったら、戦わなければならなくなる、それは御免被りたいし」

「心配するな、そんなものに負けはしない。だが、あの苦しみの中で見つけられるものがあるのか疑問ではあるが……」

「それでも行く?」

「当然だ、このマルベリー・スコーピオンが、困難を前にして引き下がる事など有り得ない」

「なら、まず友達を作るのね」

 それを聞いたマルベリーは、見るからに嫌な顔をした。

「人間と交友を結べと言うのか?」

「そうよ、あなたの求めているものを見つける為には、それ以外に方法はないわ。とにかく特定の人間と出来るだけ一緒にいる事ね。誰か気になる人はいないの?」

「人間などに気になる者などいない……いや、一人いる」

「誰?」

「小百合だ」

「……わたし以外で」

「いるわけがない。ただ、一人このわたしに話かけてきた人間がいたな、宮子とか言ったが」

「あなたに話しかけるなんて大したものだわ、その子と友達になりなさいよ」

「冗談を言うな、さっきわたしの体に馴れ馴れしく触ったから怒鳴りつけてやった」

 それを聞くと小百合は目を細めて呆れたような顔をした。

「明日に怒鳴ったことを謝るのね」

「なんだと! なぜわたしが謝らねばならん!」

「いいから謝るの、人間の謎を解明するための仕事だと思いなさい」

「大仰な言い方をする……」

 マルベリーは小百合の言う事がまったく承服できなかったが、抵抗も出来なかった。吸血鬼女王の突きつけた言葉の意味を知る為には、小百合の助けが無くてはならないものだと分かっていたからだ。それに加えて、小百合に一目置いていた事も大きかった。

「さて、わたしはそろそろ寝るわね。あなたも日が出る前には寝なさいよ、日が落ちると同時に学校に向かわなければならないのだからね」

「言われなくても分かっている」

 なにやら妙な会話ではあるが、吸血鬼のマルベリーにとっては夜が活動の時間で、朝から昼にかけてが眠りの時間なので、これが普通なのであった。


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