素晴らしき人間たちよ24
二人はヴォルフロードを挟み撃ちするように位置を取った。右側にいた小百合が赤い霊符を二枚放ち、ヴォルフロードがマントでそれらを跳ね飛ばした瞬間に爆発する、それにタイミングを合わせてマルベリーが突進してくる、炎などで怯むヴォルフロードではない、彼は十分に迎撃が間に合うと確信していた。だが、マルベリーに拳を振り下ろそうとしたその時、腕が動かない事に驚愕した。
「なにぃ!? これはどうした事だ!?」
振り上げたヴォルフロードの右腕に、糸のようなものが絡み付いていた。焦る吸血鬼を小百合は冷静に見ていた。
――最初に放った霊符はマルベリーの為ではなく、霊糸であいつを捉える為の囮、霊糸は空間に繋ぎ止めた結界と吸血鬼を繋いでいる、どんな剛力でも空間と融合した結界を引きはがすのは不可能よ。
ヴォルフロードは、小百合の機転により大きな隙を生んだ、その懐に入ったマルベリーが剣を払い、三日月の残光が描かれる。同時にヴォルフロードは腹部を横一文字にかなり深く断たれていた。
「ぶおぉ、ぬおりゃーっ!!」
ヴォルフロードは血反吐をまき散らしながら反撃に転じた。マルベリーは横から丸太のような足を喰らって部屋の隅の方まで吹っ飛ばされた。その後すぐに、ヴォルフロードは霊力の糸が絡む右腕を見て忌々しげに言った。
「小賢しい真似を!!」
彼は右腕に力を込めて、霊糸が肉に食い込んで血が流れるのも構わずに、強靭な糸を無理やり断ち切った。それを見た小百合は表情は変えなかったが、心には恐ろしさが生れていた。
――わたしの霊糸を力だけで断つなんて、出鱈目な奴……。
ヴォルフロードは、小百合に照準を定めて跳び上がった。小百合は低空飛翔して後退し、上空から打ち下ろされた手を硬質化させた剣を避けた。すると着地したヴォルフロードが、小百合の想像を遥かに超えた速さで突出して迫る。
――まずい!
ヴォルフロードが小百合の眼前で、剣と化した右手を振り上げる。完全に一刀両断を可能にするタイミング、もう避けようがなかった。その瞬間に小百合は死を覚悟した。しかし、斬りつけられたヴォルフロードの剣は、マルベリーの剣で受け止められていた、マルベリーがヴォルフロードの小百合の間に割って入って来たのだ。同時に小百合は敵の側面に躍り出て反撃に転じた。人差し指と中指の間に白い霊符を挟み込んで、相手の心臓に向かって突きだした。紙製なのに、まるで刃物のように角の立った霊符を、ヴォルフロードは開いていた左手で受け止める、その瞬間に視界を焼くような白い光が彼の手の中で爆ぜた。
「ぬぅ、ぐおおおぉ……」
手を焼かれる痛みに巨躯の吸血鬼が呻く、さらにマルベリーがもう一本の剣でヴォルフロードの心臓に向かって突いた。
「ぬおぉ、舐めるな小娘どもが!!」
ヴォルフロードは小百合を力任せに押し返し、ほとんど同時に身をよじってマルベリーの剣を避けた。擦過した剣はヴォルフロードの厚い胸板を切り裂いた。渾身の突きをすかされたマルベリーは前にのめるような体勢になり、その隙に後頭部から肘鉄を喰らって前に吹っ飛ばされ、床に落ちると転がって背中から壁に激突した。押し返された小百合も、同じように壁に背中を痛打していた。しかし、少女たちが圧倒的に不利というわけでもなかった。ヴォルフロードは半分ほど灰化した右手を見て、空恐ろしくなってきた。手の方はすぐに治癒する程度の損傷だが、彼に少女たちの与える印象があまりにも異様だった。
――二人になったとたんに、これほどの苦戦を強いられるのか、何なんだこいつらは、どうして吸血鬼と人間が、これほど連帯する事が出来るのだ、気味が悪い……。
ヴォルフロードは起き上がろうと片膝をついている小百合の方を睨んだ。
――早くどちらか片方を潰さなければ、万が一という事もあり得る。
脆い人間である小百合の方が潰すのには適当だと、ヴォルフロードは判断したが、その思考を読んだかのようにマルベリーが後ろから跳びかかってきた。ヴォルフロードは振り向き様に上段からの斬り下ろしを手刀で防御し、左の拳をマルベリーに向かって繰り出すが、それは空を切った。マルベリーは翼で飛翔して後退し、部屋の中央辺りに立って言った。
「どうしたヴォルフロード、狙いはわたしだろう、それとも人間の小百合の方が怖いのか?」
「ぐぬぅ、言うに事欠いて、このわたしが人間が怖いだと! なら貴様から殺してくれるわーっ!!」
ヴォルフロードは頭に血を登らせて、吸血鬼の少女に向かって突進した、するとマルベリーは真上に跳んで逃げて、同時に悪魔の翼を大きく開いた。両翼の前に赤い魔法陣が現れ、そこから無数の光線が雨と降る。ヴォルフロードはそれをマントで防ぎ、その場に釘付けにされた。マルベリーが離れた瞬間、小百合の目が光った。
「捉えた、結界発動!」
ヴォルフロードの足元に、八芒星を描いた白く光る円陣が現れ、外円から光が立ち上がり、巨体が一瞬にして筒状の結界に閉じ込められた。
「こ、これは!!?」
ヴォルフロードが驚いている間に、真上から大量の赤い霊符が降ってきて、次々と赤炎をあげた。無数の爆発が超高熱の炎を生み出し吹き上げ、その威力で結界の真上の屋根が円形に吹き飛んで炎が突き抜けた。屋敷の屋根の中心から吹き上がる炎が闇を払い、辺りを眩い程に照らし出す。
「これでどうかしら」
「やったのか……」
結界内で燃え盛る炎の中から黒い影が見えてくる。ヴォルフロードがどのような状態にあるのか、判別はつかなかったが、少女たちが様子を見ていると、いきなり強烈な衝撃が結界を揺るがした。影が結界の壁に向かって拳を振っていたのだ、ほどなくして何度目かの拳で筒状の光の結界は粉々に砕け散り、中の炎が一気に部屋中に広がった。完全に姿を現したヴォルフロードは、いまだに自身を焼いている炎をマントの一振りで吹き消した。
「あらら、効いてないみたい。並みの吸血鬼なら三、四人は焼き尽くす事が出来る炎だったのに」
小百合はこんな状況でも余裕を持った調子で言った。マルベリーの方は敵の余りの怪物ぶりに、顔を強張らせていた。
「でも、ダメージは受けているわ、回復するまで少しは時間が稼げるわね、一度外に逃げましょう」
少女たちはテラスから飛翔して、ぽっかりと穴の開いた屋敷の屋根を見下ろした。それから小百合は指を三本立てた。
「作戦その三、これが最後よ、失敗したら死ぬ覚悟を決めるしかないわ」
「今度は何をするのだ?」
「さっき吸血鬼が言った事を本当にやってやるわ」
「奴が言った事だと?」
「そう、わたしを倒したければ、本物の太陽を持ってこいって言っていたでしょう」
「まさか、そんな事が可能なのか!?」
「さすがに本物の太陽は無理だけれど、太陽と同じ光を生み出す事なら出来るわ、ただ高等霊術で一度使ったらわたしの霊力はなくなるし、術中は身動きも取れない、だから止めを刺すのはマルベリーの役目よ」
「陽光の中で動き、奴に止めを刺すのか、わかった必ずやってみせよう」
「わたしたちが負ければ、近くにいる宮子ちゃんも殺される事になる、それを忘れないで」
「わかっている、必ず宮子は助ける」
「あなたが宮子ちゃんを思う気持ちがあれば、必ず勝てるわ」
その時、小百合の背後にいきなり黒いものが現れた、余りにも唐突な事だったので、マルベリーは声を上げる事しかできなかった。
「小百合、後ろだ!!!」
突然現れたヴォルフロードが、組んだ両手を頭上まで上げて、小百合の背中に叩き下ろす。それをまともに喰らった小百合は、白い光の雫を散らしながら、急角度で屋敷の屋根に激突して突き破り、ほとんど同時に小百合が墜落した地点に近い二階と一階のガラスのない窓から、塵や破片が煙のように噴出した。
「……小百合…………」
マルベリーは呆然として、小百合の体が破壊した屋根の部分を見ていた。小百合はすぐ近くにいたのに、マルベリーは反応する事が出来なかった。
「ふはは、あの人間は砕け散った、後はお前だけだ」
「貴様、よくも小百合を!!」
「ほう、怒るのか? たかだか人間の一人を殺されたくらいで、四貴族のお前が怒るのか!? お前はどこまで吸血鬼の誇りを汚せば気が済むのだ!!」
「黙れ、小百合の仇だ!!」
激情したマルベリーは、敵に向かって剣を斬りつけるが、そんな状態での攻撃に当たってくれるような甘い相手ではない、ヴォルフロードは難なく避けて、逆に強烈な蹴りでマルベリーを叩き落とした。悲鳴と共に、今度はマルベリーが屋根を突き破って、三階の床に叩きつけられる。
「ぐ、くうぅっ……」
マルベリーは体中が軋むような鈍痛に耐えながら立ち上がる、そこに屋根に開いた大穴からヴォルフロードが下降してきた。その右腕にはマルベリーの見知った少女が抱かれている、宮子だった。
「そこの茂みに落ちていたから拾って来たぞ。今度はこの人間を殺してやる、お前がどんな顔をするのか楽しみだ!」
ヴォルフロードが大口を開けて、長い牙を宮子の首に近づける、それと同時にマルベリーは体中の血が沸き立ち、今まで経験した事のない闘争心に突き動かされた。その瞬間にヴォルフロードは我が目を疑った、マルベリーの姿が忽然と消えていたのだ。その一瞬後に、凄まじい痛みが右腕の付け根に走った、見るとマルベリーがいつの間にか懐に跳び込んでいて、彼の右腕を切り落としていた。
「ぬあ、ぬわにぃっ!!?」
マルベリーが突然発揮した、圧倒的な力の前に、ヴォルフロードはたじろいだ。さらに心臓への突き、剣は巨躯の厚い胸板を貫き血を吐かせたが、心臓をわずかに外れていた。それからマルベリーは切り落とした右腕が床に落ちる前に、宮子を抱き上げてその場を離れる、ほんの一瞬でそれだけのことをやってのけた。
「何だ、今の力は、わたし一人で奴の手から宮子を奪い返す事ができるとは」
マルベリー自身も、どうしてそんな力が出せたのか分からなかった。
ヴォルフロードは切り落とされた右腕を元あった場所に戻すと、傷口が瞬時に癒着して元通りになった。
「何という事だ、もう少しのところで心臓をやられる所だった……」
ヴォルフロードは目の前の吸血鬼少女に怒りを燃やして、力任せに床に拳を叩きこんだ、その凄まじい衝撃は一階まで突き抜けて、二階と三階の床が一気に崩壊し始めた。ヴォルフロードは崩れゆく瓦礫と共に階下に落ちていった。マルベリーは宮子を抱いて翼を開いてゆっくりと下降していき、瓦礫の山と化した一階に着地すると、宮子を壁に寄り掛からせてその前に立った。間もなくヴォルフロードが瓦礫を吹き飛ばして立ち上がった。
「そんなにその人間が大切か、恥を知れ!」
「何とでも言うがいい、宮子はわたしが守る」
「さっきの力には恐れすら抱いたが、あれは何らかの要因によって発揮されたものだろう、お前本来の力ではない、あれがお前に与えられた最後のチャンスだったとも言えよう、今それを教えてやる!」




