素晴らしき人間たちよ23
ヴォルフロードの気配は、あからさまに誘っているとしか思えないほど強大でどす黒かった。マルベリーは、ヴォルフロードの居場所をすぐに見つけ、小百合と共にそこへ降りていった。そこは明神大社からそう遠くない、鬱蒼とした森の中にある廃棄された3階建の大きな屋敷の庭だった。
「ここは心霊スポットとして有名な屋敷ね、実際に多くの悪霊が住み着いていて、近づくだけで空気が凍るように寒くなるのよ。もっとも悪霊はみんなどこかへ逃げてしまったみたいだけれど」
「代わりに奴が館の主となったわけか」
それからマルベリーは、屋敷の上の方を見上げて言った。
「奴は最上階にいる、行くぞ」
「ちょっと待ちなさい、戦う前に最善の準備をしておかなければいけないわ」
「考えている時間など無い! 宮子の命が危ないのだ!」
マルベリーが熱くなるのに反して、小百合は冷静だった。
「宮子ちゃんは大丈夫よ、最近の動向からしてヴォルフロードはこれ以上は人間の血を必要としないはず、何か他に目的があって宮子ちゃんを攫ったのよ、今すぐに宮子ちゃんが殺される事はないわ」
小百合は何を思ったのか、いきなり白い上着をくつろげて首筋をマルベリーに見せた。
「まず、わたしの血を吸いなさい」
「なっ!? こんな時に何を訳の分からない事を言っている!」
「普通の人間は吸血鬼に血を吸われたら死ぬか生ける屍か、運が良くても眷属になるわ。けど、わたしは大丈夫よ、体内に吸血鬼の呪いを浄化する力を持っているから」
「そう言う事か。しかし、本当にいいのか?」
「あなたが生血を吸って力を得れば、勝機が出てくる。宮子ちゃんを助ける為には必要な事よ」
「確かに、お前の言う通りだ、選択の由はなさそうだな」
マルベリーは躊躇なく、小百合の首に噛みついて牙を突き刺した。小百合は少し痛そうに片目を閉じていた。すぐにマルベリーは小百合の首筋から離れて、赤い双眸に光を宿した。百年ぶりに吸った人間の生血による力の漲りが、体中を駆け抜け、何とも言えない充実感が彼女を包み込んでいた。小百合はマルベリーの噛みついた傷口に手を当てると、それだけで血が止まった。
「これなら行けそうだ」
「次は作戦会議よ、固定観念というのがあるでしょう」
いきなり小百合が妙な事を言い出すので、マルベリーは首を傾げた。
「固定観念が崩されると普通は驚くわ、そして大きな隙が出来る」
「何が言いたいのだ?」
「作戦はこうよ、わたしがヴォルフロードを驚かすわ、その隙にマルベリーが後ろから奴の心臓を突き通す、驚かすことが出来るのは一回きり、勝機はそこしかないと思ってちょうだい」
「わかった、お前を信じよう」
小百合が頷くと、マルベリーはその手を掴んで、一気に三階まで飛翔し、二人がテラスの上に立った。テラスと部屋の境にあるガラス戸の窓は全て割れていて、その奥に巨大な影が静かに佇んでいた。その近くに気を失った宮子が倒れていた。
「ぬうぅ、来たか、マルベリー」
「ヴォルフロード……」
影は立ち上がり、マントを払って言った。
「お前は、わたしがたまたまこの娘を攫ったとでも思っているのか? たまたまお前の近くにいる人間を攫ったとでも思っているのか!?」
「……狙いは、わたしか」
「そうだ、わたしはお前をもう一度説得し、仲間にしようと思っていた、それがどうした事だ、街でお前を見つけたは良いが、何故か人間と慣れあっているではないか、これはどういう訳なのだ? ついでに隣にいる人間の事も教えてもらおう」
「宮子はわたしの同級生だ、そして小百合は共に戦う事を誓った戦友」
マルベリーは何の臆面もなく平然と答えた。それがヴォルフロードの怒りを燃え上がらせた。
「貴様、本気で言っているのか!!」
「このわたしが、嘘など言うと思っているのか」
「……残念だ、お前ほどの者が人間に毒されるとは」
「わたしは人間界に来てから、多くの事を学んだ。お前は吸血鬼女王を倒した先に人間界の支配を目論んでいるようだが、我々は人間の世界に手を出すべきではない。この世界は人間が築いてきたものだ、地球を滅ぼす事が出来るのは人間だし、地球を救う事が出来るのも人間だ、全ては人間たちが選択してゆくことだ、わたし達の出る幕はない」
「人間はこの星を食いつぶすに決まっている! そんな事はもう目に見えているではないかっ!!」
「わたしはそうは思わない、人間は吸血鬼達が言う程愚かではない、それに吸血鬼よりも遥かに優れた部分もある、わたしはそれを二人の人間から教わった」
「もはや話すことは何もない、お前は粛清しなければならん。同じ吸血鬼として許せんという事もあるが、何よりも今のお前が妖魔郷に帰れば、吸血鬼女王の側に付くだろう。四貴族のお前が女王の側に付けば、天秤がかなり女王に傾くことになる。そのような脅威を見過ごすわけにはいかん」
かっと見開かれたヴォルフロードの目が赤い光を放つ、すると小百合が前に出てきて、強大な吸血鬼に向かってゆっくりと歩き出した。
「吸血鬼ヴォルフロード、わたしが相手になるわ」
「人間の小娘が相手になるだと? 一撃で粉々のミンチにしてくれるわーっ!!」
激昂したヴォルフロードが爆発的に床を蹴って飛び出し、一瞬で歩いている小百合の前に現れ、巨大な拳を少女に向かって叩きつけた。その瞬間、拳が空を切る感触に、ヴォルフロードはまさかと思った。小百合はヴォルフロードの頭上にいた。
――まさか、人間の娘が、このわたしの拳をかわしたと言うのか!? そんな事が有り得るのか!?
ヴォルフロードは空中にいる小百合を見ていて、更に驚かされた。
――何だこいつは、動きが不自然だぞ、この人間は浮遊している!?
小百合は空中で体勢を変えて、驚いているヴォルフロードの側頭部に飛び蹴りを叩きこんだ。その途端に、巨体が傾いだ。
「ぐおおおぉっ!? この衝撃はぁっ!?」
ヴォルフロードが片膝を付いたと同時に、その背後からマルベリーが突っ込んできた。
「もらったぞ、ヴォルフロード!」
「ぬおぉ、まずい!!!」
ヴォルフロードは背中から心臓に剣が突き立つ寸前に立ち上がった。マルベリーの剣は、ヴォルフロードが動いた分だけ心臓から位置がずれ、背後から腹部を貫いた。ヴォルフロードは血反吐を吐きながら、背後のマルベリーに肘鉄を喰らわせて吹っ飛ばした。
「きゃあっ!?」
マルベリーは吹っ飛ばされながらも蝙蝠の翼で軌道を変えて飛び、床に倒れていた宮子を抱き上げ、出来るだけ安全な部屋の隅の方に移動した。
「ぐぅっ、何という事だ、人間と吸血鬼が協力して攻撃してくるとは、しかも抜群に息が合っている、今のはお互いに信頼がなければ出来ない攻撃だ、信じがたい事だが貴様らの息が合っている事は認めねばなるまい」
最初の攻撃は失敗した、ヴォルフロードは予想外の事があっても、微塵も取り乱さない、小百合は嫌な空気が漂っていると思った。
「……おしかったわ」
「人間、お前は魔を滅する力を持っているようだな、今の衝撃には少々驚かされた。今のが並みの吸血鬼であれば、かなりのダメージを与える事が出来たであろう。だが、わたしには効かん、それほどはな。その力でわたしを倒したければ、本物の太陽でも持ってくるんだな」
ヴォルフロードは貫かれた腹から血を流し、蹴られた顔からは煙を吹きながら言った。腹の方は対吸血鬼用の剣でまともに貫かれたので、さすがにすぐに再生とはいかなかったが、焼けただれていた顔の方は既に治りかけていた。太陽神の守護を受ける小百合は、吸血鬼との闘いを得意としていたが、目の前にいる奴はあまりにも強大な力を有していた。
ヴォルフロードは小百合の力に驚いたものの、意識は常にマルベリーに向けられていた。
「小百合、宮子を安全なところに連れて行ってくれ、わたしが時間を稼ぐ」
マルベリーが飛翔してヴォルフロードの側面から突っ込む。ヴォルフロードは脳天に振り下ろされた剣を、右手を硬質化させ刀剣のように伸長させた剣で防いだ。互いの間に火花が散り、凄まじい力がせめぎ合う。
「無理はしないで、危なくなったら逃げるのよ」
小百合はそれだけ言い残して、部屋の隅で寝ている宮子を抱くと、テラスから外に飛び出た。
二人の吸血鬼は真紅に輝く瞳で睨み合いながら、力比べを続けていた。
「ぬう、この力は、人間の血を吸ったな、マルベリー!?」
「お前を倒すためだ!!」
マルベリーは半瞬、ヴォルフロードから離れ、今度は二本の剣を同時に叩きつけた。それを防いだヴォルフロードは、強烈な衝撃を受けて防いだ体制のままで床を滑って数メートル後退させられた。
「素晴らしい力だ、お前を殺さなければならないのが、返す返すも残念だ」
「ほざくな!」
ヴォルフロードは牙をむき出しにして笑みを浮べると、両腕を広げてマルベリーに襲いかかっていた。その速さも圧力も、今までとは段違いだった。左右から迫る両手にマルベリーは反撃を考えるよりも先に後ろに飛んで逃げていた。ヴォルフロードは無造作にマルベリーを捕まえようとしただけだが、それでもマルベリーが逃げてしまう程の威圧があった。
「これからは本気でいくぞ、吸血鬼女王を殺す力、とくと味わうが良いわ!」
ぐわっとヴォルフロードが迫る、マルベリーは剣を相手の心臓に向かって突きだすが、それよりも早く巨拳が少女の腹にめり込んだ。
「かはあぁっ!!?」
内臓をすり潰されるような強烈な痛みに、マルベリーは苦悶を浮べながら距離を取ろうと床を蹴って跳んだ。すると、ヴォルフロードは恐るべき速さでマルベリーの着地点に回り込んでいた。マルベリーが床に足を付けた時には、小柄な少女に覆いかぶさるような巨躯が目の前にあった。
「こ、これほどの速さとは!!?」
「呆気ないが、これで終わりだ」
待ち構えていたヴォルフロードの手刀が、マルベリーの左胸に吸い込まれる。マルベリーは咄嗟に翼を開いて羽ばたかせ、わずかに上体をずらし、手刀はマルベリーの右胸を貫いた。マルベリーは肺からせりあがってくる鮮血を吐いて、苦しみながらも気丈に恐ろしい吸血鬼を睨みつけた。
「ほう、何とか避けたか、その方が面白味があって良い」
マルベリーは後方に跳び、手刀を胸から引き抜いて逃れると、二本の剣を構えた。
「これだけの実力差を見せつけられてもまだ戦おうと言うのか、お前の戦友とやらは逃げろと言っていなかったか?」
ヴォルフロードは楽しげに唇を歪めながら言った。生血を吸ったマルベリーを子ども扱いするほどの強さだ、余裕があるのは当然だろう。彼が言った、『女王を殺す力』が真実である事を、マルベリーは粟立つ肌で感じていた。
「敵を前にして逃げるなど、そんな事が出来るか!」
「ならば、今度こそ死ね!」
ヴォルフロードがマルベリーに向かっていこうとしたその時、赤いお札が飛来してヴォルフロードの横っ腹にあたった。その瞬間に御札は爆炎を上げた。
「うおっ!?」
赤い札は次々と飛んできて、マントでその身を包み込んだヴォルフロードに次々と炸裂し、真っ暗だった部屋は飛び散った炎で明るく照らされた。
「まったく、危なくなったら逃げろって言ったのに、言う事聞かないんだから」
いつの間にか小百合がマルベリーの隣に立っていた。
「今は吸血鬼の誇りにこだわっている時ではないわ、あいつを倒す事だけを考えなさい、どちらか一方でもやられたら、もう勝ち目はないんだからね」
「すまない、熱くなってしまった」
「やられてなくてよかったわ」
それから小百合は指を二本立ててマルベリーに耳打ちした。
「作戦その二、今度は高出力の霊術で攻撃してみるわ、あいつを部屋の中心のおびき寄せて」
「わかった、やってみよう」




