素晴らしき人間たちよ22
小百合は朝からテレビのニュースに耳を傾けていた。ヴォルフロードの動向を知る為に、毎日メディアをチェックしていた。まだ世間では大騒ぎはしているが、謎の連続失血殺人の犠牲者は三十数人で止まっていた。ここ一ヶ月近くは犠牲者の数に変動がない、犠牲者の数が増えないのは良い事だが、同時に恐ろしい想像をしなければならなかった。つまり、ヴォルフロードが吸血鬼女王を倒すのに十分な力を手に入れたという事だ。小百合は吸血鬼の性質を良く知っていたので、女王の抑止力がなくなった場合、吸血鬼達が人間界の支配を目論むだろうと容易に想像できた。いくら吸血鬼の数が少ないとは言え、戦えば人間には到底勝ち目はない。だが、そういう事態になる前に、確実に妖魔郷からの刺客がやってくることも分かっていた。
小百合はテレビを消すと、廊下に出てガラス戸越しに青空を見上げた。
「そろそろ来る頃かしらね」
この日は宮子と古都音は街に出かけていて、昼間なのでマルベリーは眠っていた。小百合は一人でゆっくりとお茶を飲みながら過ごした。そうして昼ごろに境内の掃除をしていると、一人の男が訪ねてきた。長い金髪に鳶色の目をした、一見すると女にも見える目の覚めるような美丈夫だった。来ている服が古風で青い綿のズボンに上着は和服のようであるが、それに比べて袖が短く全体的に和服よりもすっきりしていて軽い感じのする服だった。小百合はその男が近づいてくると言った。
「あなた人間じゃないわね」
「わかりますか、流石は明神の巫女ですね。わたしは妖狐族の瑠李という者です、我らが長の使者として参りました」
「ようやく吸血鬼退治? ずいぶん遅かったのね」
小百合が皮肉を込めて言うと、瑠李は本当に申し訳なさそうに頭を深く下げた。
「申し訳ありません、妖魔郷の族長たちの合議が中々纏まらず、ここまで遅れが生じてしまいました」
小百合は黙って相手の次の言葉を待った。
「我らの長は、あなたの協力を望んでいます」
「まさか、人間のわたしまで駆り出されるなんてね」
「何せ相手が相手ですので、どうか力を御貸し下さい、この通り」
瑠李はその場に土下座をした、小百合は制するように手を振った。
「そんなに頭を下げなくてもいいわよ、協力するのはやぶさかではないわ、ただもう一人連れて行ってほしい人がいるのだけれど」
「もう一人と言いますと?」
「今は寝ているわ。まあ、起きてくれば分かるわよ」
「そうですか、分かりました。ところで、妖魔郷の闘士は明日の朝にはここに来ます、人数は四人です」
「では、明日の夜に打って出るという事になるわね」
「そうなります、本当は昼に奴を見つけられれば良いのですが…」
「昼間は巧妙に隠れているだろうし、見つけるのは不可能ね」
「ええ、だから奴が活動する夜に攻めるしかありません」
それから瑠李は、活動の拠点として明神大社を使いたいというお願いをし、小百合はそれを許した。
やがて夕刻になり日が落ちると、マルベリーが起き出してくる。居間で小百合から茶の馳走を受けていた瑠李は、その姿を見て仰天した。
「あなたは吸血鬼!? もしやスコーピオンの令嬢では?」
マルベリーはいきなり自分の正体を言い当てた男を怪訝に見つめた、そして相手の正体を知ると警戒を解いて言った。
「そうだが、お前は妖狐族のようだな、となるといよいよ始まるのか」
「驚きました、こんな所にスコーピオンの令嬢がいたとは、吸血鬼女王から貴方様の探索も頼まれていたのですよ」
「わたしが言っていたもう一人というのは、この子の事よ」
小百合からそれを聞くと、瑠李は諸手を上げるような喜びぶりを見せた。
「それは願ったり叶ったりだ! あなた方二人の力が得られれば、百人力ですよ!」
これまでいくらか暗い影のあった瑠李は、すっかり明るくなった。妖魔郷から来る刺客は選りすぐりの四人だが、瑠李はそれでも不安があったのだ。彼は小百合とマルベリーの協力が得られて、今度こそ大丈夫と胸をなで下ろすことが出来た。
「奴も終わりの時が近いか……」
マルベリーは無念そうに言った。いくら敵わない相手とはいえ、複数人で一人を倒すのは吸血鬼の倫理に反する行為だからだ。だからと言って協力を惜しむつもりはなかった。今のうちにヴォルフロードを倒さなければならない事は、マルベリーが一番良く分かっていた。
その頃、幸野姉妹は駅を降りて明神大社に向かっていた。時間は夜の七時頃だが、冬なので闇はもう深かった。二人が杉並木通りを歩いていると、古都音の方がそれに気づいた。
「ねえ、お姉ちゃん、あの木の天辺に人が立ってるみたい」
「え~、そんな訳ないよ」
宮子が妹の指さした方を見ると、遠くに見える大きな杉の木の頂に、確かに人影のようなものが立っていた。人とは言っても、遠目から見て普通の人間よりも遥かに大きいのが分かった。宮子は気味が悪いと思ったが、さすがに木の天辺に人がいるとは思わなかった。
「きっと、ああいう形の木なんだよ」
人影のようなものを見つめ続けていた古都音が、急に震えだした。影がマントを大きく翻し、赤く輝く双眸を開いたのだ。その刹那、影が飛び立ち幸野姉妹に迫った。ほんの一瞬の出来事だった、古都音は瞳から強烈な光を放つ巨大な影を震えながら見上げ、宮子は影に抱かれて気を失っていた。影は宮子を闇そのもののようなマントで包み込み、古都音の前から消えるようにいなくなった。
宮子がさらわれたすぐ後に、マルベリーはずっと遠くで悲鳴とも泣き声ともつかない異常な叫びを聞いた。宿坊に居間にいた彼女は、一瞬で外に走り出た。
「これは、古都音の声だ、何かがあったのだ!」
異常な事態を予感したマルベリーは、小百合との約束を破って背中から蝙蝠の翼を出して飛び上がった。後から来た小百合は、空中で闇に溶け込んでいくマルベリーを見て言った。
「何が起こっているの……」
マルベリーは並木通りの林道で泣いている古都音を見つけると、少し離れたところに降りて駆け寄った。
「古都音、何があった!?」
古都音はただ泣いているだけではなく、相当なショックを受けていた。
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……黒いのに…………さらわれたよぅ!」
何が宮子を攫ったのか、マルベリーならそれだけ聞けば十分だった。
「奴が、ヴォルフロードが宮子を攫っただと!!?」
マルベリーは今すぐにでも宮子を追いかけたかったが、古都音を放っておくわけにはいかなかった。マルベリーは古都音を抱き上げると、今度は全速力で走って明神大社に向かい、二キロほどある距離を一分程で走破した。古都音はショックを受けて半ば放心しているような状態だったので、マルベリーの足がどれだけ速いのか理解できなかった。
マルベリーは明神大社に着くと、外で待っていた小百合に言った。
「宮子が、ヴォルフロードに攫われた」
「何ですって!?」
いつも冷静な小百合も、この時ばかりは狼狽した。後一日で妖魔郷から刺客がくるというこのタイミングで、最悪の事態に陥ったのだ。
マルベリーは抱いていた古都音を下に降ろして立たせた。そして小さな肩をしっかりとつかんで言った。
「思い出せ古都音、前にも宮子が攫われた事があっただろう、今もあの時と同じだ、わたしが宮子を助け出してやる、だから安心して待っていろ」
「マルお姉ちゃん……お願い…………」
古都音は泣きながらそれだけ言うのが精一杯だった。
「馬鹿な!? 一人でヴォルフロードを倒そうと言うのですか!?」
近くで話を聞いていた瑠李が青い顔になって言った。
「この子の姉が攫われてしまったのだ、わたしは助けに行く」
そして、マルベリーは小百合の事を真摯に真っ直ぐに見つめた。
「わたしはこんな事を頼める立場ではないが、それでもあえて言おう」
マルベリーがそこまで言うと、小百合は微笑を浮べた。
「言わなくてもいいわ、行きましょう、宮子ちゃんを助けるわよ」
「済まない、小百合」
少女たちのやり取りを見ていた瑠李は、必死になって言った。
「無謀すぎる! 攫われた人間の事は諦めて下さい! 明日になれば、ヴォルフロードを確実に倒せる準備が整うのですよ!」
マルベリーは喚く瑠李を無視して、戦いの準備をした。ゴスロリ系の白の装束に、白のブーツ、腰に二振りの剣を交差させて携える。それから小百合と共に神社の鳥居の方に向かった。
「待って下さい! どうして吸血鬼の貴方が、人間の為に命を懸けてまで戦うのですか!!? 理解し難い事だ!!」
マルベリーは瑠李を一瞥して言った。
「人間には愚か者も多いが、そんな者ばかりではない。わたしは少なくとも、ここにいる明神小百合と、幸野宮子という人間を尊敬している、だから助けに行くのだ!」
そして、小百合とマルベリーは走りだし鳥居をくぐって階段を下り、その途中でマルベリーは背中から蝙蝠の翼を出して小百合の手を掴み、少女二人は闇夜に飛翔した。




