素晴らしき人間たちよ21
クリスマスが過ぎれば、次はあっと言う間に大晦日がやってくる。明神大社の湖は初日の出スポットとしてそれなりに有名だったので、大晦日から元旦にかけての一日は朝から大忙しだった。小百合は宮子にも巫女の格好をさせて手伝ってもらっていたが、夜になって参拝者が多くなってくると、マルベリーも駆り出された。
「何という事だ、吸血鬼に聖職者の格好をさせるとは……」
紅白が鮮やかな巫女の格好をさせられたマルベリーは、次から次へとやってくる参来者を見ながら不満一杯の顔で呟いていた。
「あの、すみません、御神籤引きたいんですけど」
「金はいらん、勝手に引け」
マルべリーは参拝客に大きな態度で言った。マルベリーは神社の入り口近くで簡易に立てた屋台のような小屋の中にあって、希望する参拝者に籤を引かせていたのだった。
「参拝者にはもっと愛想よく、来てくれてありがとうございますという心を込めてね」
小百合が近くに来て、マルベリーの耳元で言った。
「……金も払わずに籤を引く方が悪いのだ」
「それはお客さんが悪いんじゃなくて、内の方針なの」
マルベリーは承服まではいかないが、小百合の言う事は黙って聞いていた。居候の身でもあるし、小百合に世話になっている事もあって、手伝う事も巫女の姿になることも断り切れなかった。
「不合理だな、これだけ客がいるのだから、金をとればいいではないか」
「内の御神籤は昔から無料なの、湖のお賽銭だけで十分すぎる程よ。ここは任せるから、もっと愛想よくね」
小百合はそれだけ言って社の方に早足で戻っていった。
「甘酒はどうですか~、体が温まりますよ~」
社の方から宮子の遠い声が聞こえていた。
年明けの日の出の時間には、多くの人々が明神大社の湖の畔に集まっていた。そんなに広くはない場所にひしめくようにして人が立っていて、階段の方まで行列が続いている。東の空を背にした山向こうから太陽が昇ってくると歓声が上がった。その時マルベリーは宿坊の窓を開けて日の当たらない所から人々の姿と湖の水面に映る太陽を見ていた。徐々に出てくる太陽の光が、次第に山や大地を明るく照らしていく、神社の境内や社からも、影が払われていった。やがて太陽が完全に姿を現し、あらゆるものを白い光で染め上げると、人々は拍手をしたり、湖に映った太陽に向かって手を合わせたり、お賽銭を湖に投げて願を掛けたりした。水面に映った太陽を見てマルベリーは言った。
「太陽は、あらゆる生命の源だと言うが……」
その太陽に抗えぬ我らは何なのだろうか、とマルベリーの心の声が続いた。太陽を有難がる人間を見て、マルベリーは吸血鬼という存在に少し悲しさを覚えた。
一月に入って何日かすると、悠長な空気になってくるものだ。学生は冬休みだし、社会人だって休んでいる人が多い。明神大社の少女たちも例外ではなかった。
夕刻、日が沈んだ頃に、宿坊の茶の間でマルベリーと宮子は携帯をいじりながら話し合っていた。
「送ったぞ、メールとやらを、どうだ?」
「きたきた……って、なにこれ、英語?」
「ドイツ語だ、真の帝王は民に隷属すと書いてある、わたしの故郷の格言だ」
「マルベリーちゃん、ドイツ語って……」
宮子はドイツ語まで使いこなす親友に軽く嫉妬を感じた。『いくら何でも万能すぎだよ』、というのが宮子の正直な感想だった。
「これでメールは使えるようになった、後はこの四角い奴に、他にどのような能力があるか理解しなければ」
「四角い奴じゃなくて、エイルフォンだよ」
「いいなぁお姉ちゃんたち、古都音も欲しいな、エイルフォン」
二人の様子を物欲しそうに見ていた古都音が言った。
「じゃあ、明日お姉ちゃんと一緒に買いに行こうか」
「本当!? 絶対に、約束だよ!」
宮子は大喜びする妹に、笑顔で頷いて見せた。
その夜の事、大抵の人間は寝静まる時間に、マルベリーは宿坊の空き部屋の窓を開け、窓枠に腰を置いて真夜中の半月を眺めていた。マルベリーはこの頃、考える事が多くなっていた。今まで書物で人間の哲学や歴史について学び、小説も外国文学から流行のものまで一通りは読んでいた。マルベリーは今まで手にした多くの本によって、思索を促されていた。考えるのはもちろん人間の事と、母や女王の言葉の意味だ。
「あら、ここにいたのね、部屋にいってもいなかったから探したわ」
そう言いながら、小百合が月明かりの入る暗い部屋に入ってきた。
「小百合か、わたしに何か用か?」
「お茶を淹れたから一緒にどうかと思って」
「それは嬉しいが、お前がこんな夜中まで起きているのは珍しいな」
「せっかくの冬休みだもの、たまには夜更かししようかと思ってね」
「お茶の前に、聞いてほしい事がある。わたしは人間について一つの結論を得た、それが正しいものなのかお前に判断してほしい」
「分かったわ、聞かせて」
月光の中で少女たちは語り合った。普通の状況ではないが、そこには嘘偽りのない心を現す清純さと、不可思議な神秘性があった。
「人間とういうのは、生まれた瞬間から、幸せに向かって生きていく者のようだ」
「その真意は?」
「わたしは人間の書いた書物を多数読んだ、その中に幸せだの幸福だのという言葉が良く出てくるのだ。特に小説に多いが、歴史書や哲学書に出てくる事も少なくない。それに、宮子も言っていた、妹が幸せな事が、自分にとっての幸せなのだと。わたしには幸せという言葉の意味がよく分からないが、それは人間にとって根幹を成すものではないのかと、最近思うようになった」
「そうね、当たっていると思うわ、どんな人間でも幸せになりたいと思うもの」
「小百合、幸せとは何だ?」
「幸せの形なんて人によって違うわ、生きている人間の数だけ幸せの形がある」
「そうすると人間の幸せの形は、百億種類程ある事になるぞ」
「そうなるわね。一つ言える事は、宮子ちゃんのように他の人の幸せを自分の幸せとし生きられる事が、本当に幸せだという事ね、わたしはそう考えているわ」
「そうか、宮子のような生き方が幸せというのか、良く分からないな……」
「焦らない事よ、貴方には永遠の時間があるのだから」
「そう言えば、小百合はわたしの答えが見つかるまで手を貸すと言ったな、何十年と答えがみつからなかったとしたら、お前は老婆になってもわたしと共にいる事になる、そこまで尽くしてくれるとは殊勝を通り越して酔狂だな」
それを聞いた小百合は、少し大きく開いた目に驚きを示したあと、すぐに微笑を浮べて返した。
「冗談いわないで、さすがにそこまで付き合っていられないわ、四貴族とかいう偉そうな肩書きを持っているんだから、せめてあと半年以内にはどうにかしなさい」
「安心しろ、半年も時間をかけるつもりはない」
「なら、何十年なんて言わなければいいのに」
月明かりの下でマルベリーが微笑を見せると、小百合は可笑しくて少しだけ声をあげて笑った。その笑い声には心の底から楽しいという響きがあった、感情の希薄な小百合がこんな笑い方をするのは珍しい事だ。この時、マルベリーが初めて小百合に冗談めいた事を言ったのだ、それはマルベリーが四百年以上生きていて初めて口にした冗談でもあった。




