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素晴らしき人間たちよ2

 その翌日、日が落ちてすぐにマルベリーは部屋から出てきた。服は枕元に桜の花柄の白い浴衣が置いてあったので、仕方なくそれを手に取った。帯というものを使った事がなかったので少し手間取ったが、知識はあったので何とか着る事が出来た。胸の傷はまだ痛み、完全に治癒するまでにはあと二日か三日はかかりそうだった。

 マルベリーは外の様子を探るために玄関から外に出ようとしたが、自分のブーツが見つからず、目についたサンダルをはいた。外はまだ明るいが、日の光がなければ問題はなかった。一歩外に出ると、玄関からまっすぐ前に幅の広い石廊が続き、終点には巨大な白い石の鳥居があった。さらにその向こうには百段を超える階段が下に伸びている。庭にあるもと言えば目立つのは一本の大きな桜の木だけで、他は木蓮や金木犀など、背丈の低い花の咲く木が沢山あった。玄関から右の方を見ると、二階建ての長屋になっている宿坊に沿って円盤型の置石が均等に配置してあり、さらにその向こうに井戸が見え、井戸の近くには樹齢十年程度の柿木がありたわわに実っている。

 階段から吹き上がってきた強い風が神社の方にも流れて、辺りの木々を騒がせた。紅葉して落ちた葉が風に乗って飛び、境内は晩秋の静けさに包まれていた。

 マルベリーは玄関から左手の方に気になるものを見つけた。行ってみると急に場所が開けて、そこには小さな湖があった。その湖は湧水によって出来たもので、中央の方で水面が絶えず盛り上がって、豊かに水を湛えていた。

 マルベリーが湖に近づくと、透き通って底が見える水面に自分の姿が映った。それを見て彼女は、可愛らしい浴衣姿も悪くないと思った。続いて湖の奥の方を見渡すと、遠くに見える山々と、さらにその上空にある紅色の雲が映っていた。それからマルベリーは水辺に棚が置いてあるのに気付いた。それは三段になっていて、お供え物の餅や硬貨などが置いてあった。それから再び近場の水面を見ると、底に赤銅色や銀色で大きさも様々な硬貨が無数に投げ入れてある事に気づいた。マルベリーはそれに何の意味があるのかさっぱり分からなかったが、日本円を見るのは初めてだったので、水中にある硬貨の細部まで観察していた。そうしていると、鳥居の向こうの方から靴音が聞こえてきた。誰かが石階段を上がってくる。普通の人間ではとうてい聞きとれるような音ではないが、吸血鬼の五感は人間の数百倍も優れていた。

「帰ってきたな。確か小百合とか言ったか」

 マルベリーは独り言の後に、今度は棚の方に置いてある硬貨を手にとって見ていた。その間にも小百合が階段を上ってきて、こちらに近づいてくるのが分かった。

「あら、まだいたのね。動けるようになったら、さっさと出て行くと思っていたけれど」

 マルベリーは十円玉を右手でもてあそびながら振り向いた。視線の先には制服姿で鞄を持っている小百合が立っていた。上着のブレザーは黒でその下の白いシャツに緑のリボンタイを結び、スカートは黒と緑のストライプになっていた。

「先の紅白の服ではないのか」

巫女(あんな)の姿で学校に行ったら笑い物ね」

「その服の方が整然としていて良いな」

 小百合はマルベリーの好みには触れずに、先程の要件に話を戻した。

「あなたはここにいるつもりなの? それとも、もう出ていくの?」

「お前に借りを返すまではここにいる。例え人間だとしても、お前は命の恩人だ。その恩には報いなければならない」

「吸血鬼って律儀だったのね」

「人間に借りを作りっぱなしでは、一族の沽券にかかわる、それだけのことだ」

 小百合は宿坊に戻る前にマルベリーの持っているものを指差して言った。

「それは元に戻しておいてね、神様へのお供え物なんだから」

「これは供物だったのか。地上の神はこんなものが好きなのか?」

「神様が好きかどうかは問題ではないわ。供える人の心が大切なのよ」

「わからないな」

「でしょうね、吸血鬼に人間の信仰を理解しろと言う方が無理な話だわ」

 マルベリーは十円玉を親指で弾き飛ばして水辺の棚に戻した。小百合は少し罰当たりだなと思いながら見ていた。

「ところで、わたしの愛剣はどこにある?」

「あなたが腰に差してた剣ね。それならあなたが寝ていた部屋の箪笥に入ってる、上から三段目のところに」

 マルベリーはそれを聞くや否や風を巻いて走り出し、小百合の横を高速で通り抜けた。小百合が後ろを振り向いた時には玄関から宿坊に入っていた。何もそんなに速く走らなくても、と思いつつ小百合も宿坊に入った。

 マルベリーは愛剣を見つけると、それを帯の隙間に差して今度は宿坊の中を探索した。いくつも部屋があるだけで変わったものは何もなかった。探索にも飽きて階下に行くと、黄金色の光が溢れている部屋を見つけた。中からは人の気配がしていた。

「おい、お前、そこにいるのか?」

「お茶を入れるからこっちに来なさいよ」

「お茶は嬉しいが、この部屋は明るいぞ。まるで陽光のようだが……」

「ああ、こっちの部屋は白熱灯だからね。大丈夫よ、心配ないわ」

「本当に大丈夫なのか……?」

 マルベリーはまず部屋から漏れる光に手を晒して、安全である事を十分に確かめてから部屋に入った。

「本当になんともない、こんな明るい場所にいられるというのも妙なものだな」

「吸血鬼が電気を使わない事がよくわかったわ。いくら夜目が効くと言っても、まったく明かりを使わないとは思えないけれど」

「明かりと言えばランプか蝋燭しか使わないな」

「吸血鬼ってエコロジーなのねぇ」

「エコロジーとはなんだ?」

「人間の作った言葉、自然に優しいって事よ」

 マルベリーは人間の言葉など興味ないと言うように鼻を鳴らした。そうして今度は小百合が座っている掘り炬燵の前で怪訝な顔をする。

「……これはテーブルのように見えるが、何でこんなに低いのだ? その上この妙なクロスは何だ?」

「掘り炬燵も知らないの?」

 小百合が相手の無知を嘲るようにわざとらしく言うと、マルベリーは人間に馬鹿にされたのがよほど悔しいらしく、憮然としながら開き直った。

「こんなもの知らん! だいたい、下賤な人間の使うような道具など知る必要もない!」

「高貴な吸血鬼様の言い分は良く分かったわ、とにかく座りなさい」

「おのれ、お前が命の恩人でなければ承知しないところだ」

 マルベリーは著しく機嫌を損ねながら、掛布を持ち上げて炬燵の下に掘り抜かれた構造を確認して座った。

「なるほど、このようになっているのか」

 悪くない座り心地だと思いながら口には出さなかった。また小百合に馬鹿にされそうな気がしたからだ。

 小百合は強力な吸血鬼を目の前にして表情一つ変えずに淡々と急須から湯呑にお茶を注いでいた。まるで家族か友人にでもお茶を淹れているようだ。吸血鬼にとって人間など取るに足らぬ存在だったので、マルベリーは人間のくせにと怒りを覚えたが、同時に小百合の豪胆さが快くもあった。

「はい、どうぞ」

 マルベリーは、小百合が差し出した一輪の百合の絵が入った黒の湯呑を見ると言った。

「何だこれは、ティーカップではないのか?」

「ここにはティーカップで飲むお茶なんてないわ」

 マルベリーは自分の中にあるお茶の概念と突き崩されて、戸惑いながら湯呑を手に取った。そうして中のお茶を見て、今度は怒り出した。

「なんだこのお茶は、緑色だぞ!? 腐っているではないか!!」

「緑茶なんだから、緑色に決っているでしょう」

「緑茶だと? そんなお茶があるのか? 本当は腐っているのではないのか?」

「いくらわたしでも、吸血鬼に腐ったお茶を出す勇気はないわ」

 マルベリーは小百合の言う事は最もだと思いながら、緑色のお茶に視線を落とした。

小百合の方は旨そうに緑茶を飲んでいた。マルベリーはそれを見て、とりあえず一口すすってみた。

「渋い!? なんだこのお茶は、渋いし青臭いぞ!?」

「まあ、そういうお茶だからね」

「紅茶かハーブティーはないのか?」

「ない、気に入らないなら飲まなければいいわ」

 にべもなく小百合は答えた。マルベリーはお茶の味が気に入らないのを恨むように湯呑を見詰めていたが、すぐに諦めたように言った。

「いや、頂く」

 小百合は渋々緑茶を飲むマルベリーを少し可哀想に思った。マルベリーが好きでもないお茶を無理にでも飲む理由を良く知っていたからだった。

 それからマルベリーはお茶を飲んでは溜息ばかりついていた。どうもお茶の味が気に入らないだけではなさそうだった。

「……お前は吸血鬼の事を良く知っているようだ」

「退魔師だからね、妖魔の事はそれなりに分かるわ」

「なるほど、退魔師か。お前なら吸血鬼女王(ヴァンパイアクイーン)の事を知っているのではないか?」

「聞いた事ならあるわ。その腕一本で吸血鬼達をまとめ上げる、怖いお母さんみたいな存在だとか」

「人間的な感性がだいぶ混じっているようだが、そんなところだ」

「その人がどうかしたの?」

 小百合が聞くと、意を決するような間をおいて言った。

「吸血鬼女王は我々吸血鬼が人間の成れの果てだと言った。妖魔と人間を知るお前は、この言葉をどう思う」

 小百合は黙って、急須のふたを開けてポットのお湯を注いだ。この人間の少女は感情が希薄で、マルベリーはまるで無視されているように思えて不快だった。小百合はそれぞれの湯飲みにお茶を足してから言った。

「何か重要な意味がありそうだけれど、良く分からないわ。わたしは哲学者ではないから」

「まったく下らん戯言だ!!」

 マルベリーはいきなり激昂して机を叩いた。その衝撃で置いてあった湯飲みが跳ね上がり、危うく倒れるところだった。

「机が壊れる。吸血鬼は馬鹿力なんだから、加減してちょうだい」

「……すまん」

 マルベリーはどうしようもなく納得できない心と戦いながら言った。

「下らん戯言だとは思うが、吸血鬼女王が無為にそんな言葉を発するとは思っていない。しかしこれは、吸血鬼が人間に劣っているというようにしか聞こえない。そんな事があるわけがない!」

 マルベリーは怒りを露わにして歯を食いしばり、唇の隙間から鋭い犬歯を覗かせた。

「吸血鬼女王っていうのは敵が多そうね」

「当然だ、人間を擁護する吸血鬼など稀有だからな。それが女王とあっては、疎まざるを得ない。その上女王は、百年ほど前に人間の生き血を吸う事を禁じている。禁を犯した者は、悉く抹殺されるのだ。眷族から憎まれるのは当然と言えるだろう。わたしも一度は反旗を翻したことがある。女王に辿り着くことすら叶わずに失敗したが」

「よく生きていられたわね」

「女王は寛大だからな。人間の生き血でも吸わない限りは死を命ずる事はない」

「ちょっと会ってみたくなったわ、その女王様」

「止めた方がいい。普通の人間だったら、その余りの美しさと凄まじい妖気で精神が破綻する。会えるのは妖魔の中でも女王に座が近い者だけだ」

 それからマルベリーは急に悲しげな顔をして溜息をついた。それはまるで、魂を吐き出すかのように深く沈みきった吐息だった。

「お母様も人間は尊い存在だと言っていた。分からない…………」

 小百合は何も言わずにお茶を飲みつつマルベリーの様子を眺めていた。妖魔を知っている彼女でも、吸血鬼が苦悩する姿を見るのは初めてだった。

 マルベリーは顔を上げた。その表情にもう苦悩はなく、吸血鬼としての誇りと威厳が全面に現れていた。

人間界(ここ)でやる事はもう決まっている、人間とはどのような存在なのか見極めてやる。お母様や吸血鬼女王が人間に何を見ているのか、わたしは知りたい」

「人間の事が知りたいのなら、人間の中に入っていくしかないわ」

「馬鹿な!? そんな事は不可能だ!」

「そうしなければ、あなたのお母さんが言った事の意味は分からないわ。それとも人間の中に入って行くのが怖いのかしら? 四貴族とか偉そうなことを言っていた割には大したことはない」

 挑発するような小百合の言葉に、マルベリーは歯軋りするように悔しい思いをした。

「貴様、このわたしを愚弄するとは……。いいだろう、やってやる、貴様の言うように人間の中に入って見極めてやる」

 小百合は湯飲みを置くと、微笑を浮べて言った。

「なら、良い考えがあるわ」

「……聞かせてもらおう」

「その前に、お前とか貴様とか言うのはやめてほしいわ、ちゃんと名前で呼んでちょうだい」

「必要なければお前でも良いではないか」

「しばらくは一緒に暮らすのに、それでは空気が悪くなるわ」

「人間は妙な事にこだわるな」

「人間にとっては大切な事よ」

「まあ、目的を達するまでは人間に合わせなければなるまい。確かお前は小百合だったな」

「そうよ。あなたはストロベリーだっけ?」

「マルベリーだ」

「ラズベリー?」

「マルベリーだ!! わざと間違えるな!」

「人間はこういう冗談を言って仲良くなるのよ」

「こんな無礼な行為でどうやったら仲が良くなるんだ!?  いい加減な事を教えて愚弄する気ではあるまいな!」

「よく分かったわね」

 平然と言い放つ小百合に、マルベリーは返す言葉を失った。彼女にとって吸血鬼を愚弄する人間など青天の霹靂も良いところだった。だが、不思議とマルベリーに怒りは湧かなかった。小百合は表情が少なく言う事も淡泊だが、言葉の底の方にはどこか気持ちの良いものがあった。

「小百合……まったくとんでもない奴だ。呆れてものも言えんな」

 そう言われたのか嬉しいとでも言うように小百合は微笑を浮べた。マルベリーもそれに応ずるように微笑する。マルベリーに対してここまで慣れた態度をする者は吸血鬼の中にさえそうはいなかった。小百合との邂逅は、マルベリーにとって印象深かった。


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