素晴らしき人間たちよ19
間もなくして二学期末のテストが終わり、冬休みが目前で生徒たちが浮足立つ時期になった。
クリスマス・イヴの前日、定時制高等部で各教科の期末テストの答案用紙が返還されてきた。マルベリーは全ての教科で一〇〇点という、定時制高等部始まって以来の快挙を易々と成し遂げた。それに関しては、生徒たちも教師もそれほど驚きはしなかった。誰もが授業中に、マルベリーが宮子に勉強を教えている姿を見ていたので、やはりという気持ちの方が強かったのだろう。宮子の方はと言うと、答案用紙の点数を見て大喜びした。
「ねぇねぇ、見てマルベリーちゃん! すごいよ、全教科赤点回避てきたんだよ!」
宮子が見せた数枚の答案用紙には、三〇点台の点数が並んでいた。それを見たマルベリーは、少し顔をしかめた後、怒りを含めて机を叩いた。
「お前は、こんな下らない点数で、何をそんなに喜んでいるのだ! 自分が情けないとは思わないのか!」
いきなり怒鳴られた宮子は、信じていたもの全てに裏切られたような、悲愴な表情を浮かべ、マルベリーから目を逸らすとしょげ返って言った。
「ごめんね、わたし馬鹿だから…………」
宮子の瞳に涙が光り、頬を伝って流れ落ちた。それを見たマルベリーは酷く怪訝な顔をした。
――宮子は何故、泣いている? 少しきつい言い方だったが、勉強を教えている時はもっと厳しい言い方をしているじゃないか、それでも落ち込んだ事など一度もなかった。それどころか、わたしが厳しく言う度に、何者にも負けないという強い意志を感じた程だが……。
マルベリーは宮子の芯の強さに感心していた程だったので、ここで宮子が泣く事に深い疑問を持った。
宮子は学校にいる時も、授業が終わってからも、ずっと元気がなかった。マルベリーは元気で明るい宮子しか見たことがなかったので、調子が狂った。帰り道のバスの中でも電車の中でも、二人は一言も話せなかった。
神社に帰ると、宮子はマルベリーから逃げるようにして二階に上がって部屋に閉じこもった。マルベリーの方は、いつものように小百合との夜話を興じる為に、居間に直行した。
居間にいた小百合は、三人分のお茶を用意して待っていた。小百合はマルベリーが居間に入ってくると言った。
「宮子ちゃんは?」
マルベリーは無言で首を横に振った。
「そう、疲れているのかしら?」
マルベリーは掘り炬燵に腰を落ち着けると、しばらくは黙って小百合の出したお茶を飲んだ。小百合はマルベリーの静けさの中に、迷いを鋭く感じ取った。
「宮子ちゃんと何かあったのね」
小百合が言うと、マルベリーは小百合から目を伏せて言った。
「ああ、宮子を泣かせてしまった。だが、どうして泣いたのか、その理由がまったく分からないのだ」
マルベリーは宮子の為に苦悩していた。その姿は、小百合に少なからず感動を与えた。
「何があったの?」
マルベリーは学校であったことを話した。それを聞き終えると、小百合は言った。
「全教科三〇点台というのは、確かに良い点数ではないけれど、宮子ちゃんにとっては初めて取った最高の点数だったのよ。だから、あなたにも一緒に喜んでもらいたかったのよ」
「……一緒に喜ぶとは?」
マルベリーはそう言いながら、小百合の言う事が理解できない自分に苛つきを覚えた。
「貴方と一緒に頑張って取った三〇点だったのよ、だから宮子ちゃんは嬉しかったのだし、マルベリーにも一緒に喜んでもらいたかったのよ」
「すまん、一緒に喜ぶという事が、わたしには良く分からないのだ」
マルベリーは苦悩している面を隠すように、顔に右手を当てて考え込んでいた。
「なら、言い方をかえるわ。宮子ちゃんにとっての三〇点という点数は、マルベリーにとっての一〇〇点よりも、何百倍も価値のある事だった、だから褒めてもらいたかったのよ」
マルベリーは未だに苦悩の深い表情を小百合に向けると、その苦悩を吐き出すように言った。
「人間というのは難しいものだな」
マルベリーは、次の瞬間には苦悩を消し去り、決然と立ち上がった。
「礼を言うぞ小百合、今ので何となくは理解できた」
マルベリーは早足で居間を出て、二階の宮子の部屋に向かった。
宮子は部屋を暗くして、目の前に答案用紙を置いて泣いていた。宮子はもうマルベリーの性格をよく分かっていて、三〇点位では怒られても仕方がないと思うのだが、それでも悲しくて涙が止まらなかった。
「宮子、わたしだ」
部屋の戸をノックすると同時に、マルベリーの声が聞こえた。宮子は驚かされた者のように慌てて立ち上がり、戸を開けた。そして、泣きはらした顔をマルベリーの前に晒した。
「マルベリーちゃん……」
「宮子、小百合と話をして、お前が泣いている理由を理解した」
「それ以上は、何も言わないで」
宮子は右手で涙を拭いながら言った。それから顔を上げた宮子には、今まで泣いていたとは思えない強い輝きのようなものがあった。マルベリーにはそういう風に見えたのだ。
「わたし、頑張るね、マルベリーちゃんに褒めてもらえるように、もっともっと頑張るから」
「いい気迫だ宮子、頂点を目指せよ」
そう言うマルベリーは、微笑を浮べていた。それは小百合にも見せた事のない、優しさを含んだ微笑だった。
その後、マルベリーは自室に入り、朝方まで考えていた。
――人間は、吸血鬼よりも優れたものを持っている、わたしにはそれを掴んだという実感がある。しかし、それが何かはっきりとは分からない。お母様も同じものを感じていたはずなのだ、そしてお母様にはそれが何なのかはっきりと見えていた、だから普通の吸血鬼とは違う生き方ができたのではないだろうか。
宮子の直向きさ、そして小百合の種族を越えて見せる献身の姿、彼女たちには吸血鬼の及ばないものを持っていた。それは目に見えるものであって、彼女たちの奥底に、もっと重要な何かがあると、マルベリーは感じていた。
学校が冬休みに入ってすぐのこの日、マルベリーと宮子が約束をした時がやってきた。
この日はクリスマスで、午前中から古都音の友人たちが訪れていた。いつも静まり返っている境内は、子供たちの笑い声で明るさに満ち溢れていた。古都音は小百合から宿坊の一室を借り、沢山の友達を呼んでクリスマスパーティーを盛大に行っていたのである。
子供らは一〇時頃には古都音を含めて九人も集まり、しばらくは境内で鬼ごっこをしたり、湖の魚を見たりして遊んでいた。十一時になると子供が宿坊の空き部屋に集まり、用意してあったテーブルを囲むと、すぐに小百合と宮子が腕によりをかけた料理が運ばれてくる。次々と運ばれてくる料理を見て子供たちは大喜びし、パーティが始まると、たちまち談笑の花が咲いた。子供たちの希望もあり、小百合と宮子も混ざってのパーティとなった。最初は子供たちの神社や巫女に対する興味から、小百合が質問攻めにあっていた。それが一段落すると、古都音が思いついたように言った。
「ねえ、マルお姉ちゃんも呼んであげようよ」
「そうだね、ちょっと見てくるね」
「待ちなさい、あの子は昼間は起こさないであげて」
立ち上がりかけた宮子に、小百合はほとんど咎めるというような、鋭い口ぶりで言った。皆の注目が集まると、小百合は一転して、優しい口調になった。
「あの子は太陽の光が苦手なのよ、陽光アレルギーなの」
「あ、そう言えば、前にも自分で太陽の光が苦手とか言っていました、陽光アレルギーって聞いたことないですけど、すごく悪いんですか?」
「正確には陽光劇状喘息症と言うのだけれど、陽光を浴びると咳が止まらなくなって、すぐに呼吸困難になってしまうという、恐ろしい病なのよ、だから日の出ている内は気にかけてあげなければいけないわ」
「そうだったんですね、顔色があんまり良くないと思ってたけど、そんな怖い病気だったなんて……」
小百合が適当に言った事に、宮子は目に涙を浮かべて、心底マルベリーの事を心配していた。古都音も似たような心境で、神妙に小百合の話を聞いていた。
子供たちは昼過ぎには帰っていった。古都音は友人の家で夜のクリスマスパーティーがあり、お泊りすると言って楽しそうに出て行った。
日が沈むかどうかという時間に、マルベリーは起きた。彼女は右肩がはだけた赤い着物一枚のあられもない寝衣姿で居間に降りてくると、小百合と一緒にお茶を飲んでいた宮子に、寝起きの開口一番に言った。
「宮子、ショップに行くぞ」
マルベリーはこの日を待ちかねていたのだった。
「じゃあ、マルベリーちゃんが着替えたら、すぐに出よう」
「うむ、では制服に着替えてこよう」
「え、制服? クリスマスなんだから、もっとおめかししていこうよ」
「そうは言っても、わたしは今持っている服は、制服か戦闘用の装束しかない」
「戦闘用の装束って……」
「服だったら、わたしが貸してあげるわ」
宮子の言葉を途中で断つように小百合が言った。
「まさか、紅白の服ではあるまいな」
「そんなわけはないでしょう、巫女の格好で街を歩かせるとか、わたしはどれだけ非常識に思われているのよ」
「お前ならやりかねんと思ってな」
「酷い言われようね」
宮子は二人の言い合いを見ている内に、先ほどのマルベリーが言った戦闘服とか言っていたのを忘れていた。
マルベリーは小百合の出してきた服に自室で着替えて居間に戻る。その間に宮子も着替えていた。宮子はフードつきのピンクのトレーナーの上にピンクのガウンと、スカートは青のジーンズ、膝上まであるピンクと赤の縞のハイソックスという、宮子の印象にぴったりと合った可愛らしい雰囲気の服装だった。マルベリーの方はと言うと、彼女が着替えて居間に入ってきた時に宮子が思わず見とれていた。
「うわぁ、素敵! マルベリーちゃんって、きっと何着ても似合うよね」
マルベリーは白のブラウスの上に黒い革のジャンパーを着ていて、スカートは黒のタイトで短いもので、むき出しになった足の脚線美が半端ではなかった。全体的に黒が多いのでパール色の肌の輝きが増ているように見えた。ジャンパーの胸元を大きく開けていて、ブラウスも第二ボタンまで外しているので、胸の谷間が少し見えていて、その艶かしさも性別問わす見る者の胸を焦がす魅力がある。
「どうもこの服は小百合の印象とはまったく合わないな」
「ああ、それ友達から借りた服だからね」
「普段着を借りなければならないほどに窮迫していたとは」
「……さすがのわたしも服が買えないほど貧乏はしていないわ」
本当のところを明かすと、小百合はマルベリーに普段着が必要になるかも知れないと思い、前から準備していたのだった。
最初はマルベリーの姿に見とれていた宮子が、やがてむき出しの脚線美を見つめて言った。
「すごくいいんだけれど、真冬だしその格好じゃ足が冷えちゃうから、わたしみたいにハイソックスとか履いた方がいいと思うよ、あと中にもセーターとか着た方がいいよ」
「心配はいらない、これでいい。それよりも直ぐに出るぞ」
マルベリーは携帯を一刻も早く手に入れたかったので宮子を急かした。小百合は黙って手を振って出て行く二人を見送った。
宇都宮駅から少女の足で歩いて二〇分程で都心に至る。マルベリーはオリオン通りに携帯ショップがある事を宮子から聞くと、早足でどんどん先に歩いて行った。その速さは宮子が小走りしなければ追いつけないほどだった。
「まってよう、マルベリーちゃん」
「遅い、もっと素早く歩け」
「そんなに急がなくても、ショップは逃げないよ」
この日はクリスマスというだけあって、街は煌びやかな装飾に満たされていた。オリオン通りの中にも大きなクリスマスツリーがあって、道行く人が足を止めては見上げていた。
二人はショップに着くと、すぐに店員にエイルフォンのコーナーに案内してもらった。
「ようやくこの四角い奴にお目にかかれたな」
「マルベリーちゃん、エイルフォンだよ、四角い奴なんて言ってたら笑われちゃうよ」
「そうか、笑われるのは嫌だな、気を付けよう」
それから二人は色をどうするかでしばらく議論していた。
「色はホットピンクが可愛いよね」
「わたしはワインレッドの方が情熱的で良いと思うが」
「え~、ピンクにしようよ」
「何も二人で同じ色にする必要があるまい、わたしはワインレッドにする」
「う~、じゃあわたしもワインレッドにする」
「何故同じ色にする必要があるのだ? ピンクが好きならそれにすればいい」
「どうしてもマルベリーちゃんとお揃いの色にしたいの」
「妙な事にこだわるな……」
二人は色も機種も同じ携帯を買った。その後すぐに、マルベリーは宮子にゲームセンターに連れて行かれた。
ゲームセンターに行く道すがら、二人の少女に男たちの視線が集まる。宮子は少しばかり胸を時めかせた。
――みんながわたしたちの事を見てる、何か恥ずかしいなぁ……なんて、見られてるのはマルベリーちゃんだって分かってるけどね。
宮子は一人心の中で突っ込みを入れながらため息を吐いた。
「マルベリーちゃんと一緒にいると、ちょっと悲しくなる時があるなぁ」
「何が悲しいのだ?」
「何でもないよ、今のは気にしないでね」
マルベリーはゲームセンターに着いたとたんに不満を口にした。
「何だここは、やたらとうるさい場所だな、それに人間がやたらと多い」
そんなマルベリーの愚痴を聞かずに、宮子はいくつかあるユーフォ―キャッチャーの一つに小走りで近づいて中を覗いていた。マルベリーもガラス張りの箱の前で腕組みして気難しそうにガラスの向こう側にあるものを見た。
「宮子、何だこの妙な機器は? 中に何か色々と入っているが……」
「もしかしてとは思ったけど、ユーフォーキャッチャー知らないんだね」
「ユーフォ―キャッチャー? 何やら奇怪なものを感じる名前だな」
「奇怪な事なんて何もないよ、お金を入れて、上のクレーンで下のぬいぐるみを取るんだよ」
マルベリーにお手本を見せようと、宮子が百円を入れてクレーンを動かす。
「よ~し、犬さんのぬいぐるみを狙うよ」
宮子が狙いを付けたぬいぐるみは、当然のようにクレーンをすり抜けた。
「うう、駄目だった」
「なるほど、クレーンを操作してぬいぐるみを確保するゲームか、わたしもやってみよう」
そしてマルベリーの挑戦、宮子と同じく犬のぬいぐるみを狙うが、やはり取る事が出来なかった。それからクレーンの動きをマルベリーは黙って見ていた。そして、クレーンが元に位置も戻ったと同時にそれは起こった。
「おのれたかが機械の癖に、このわたしに恥をかかせるとは!」
マルベリーは激した言葉と同時に、ユーフォ―キャッチャーの台の部分を叩いた。吸血鬼は怪力なので、それだけで大きな機械が激しく揺れて、積んであった中のぬいぐるみが崩れる。
「ちょっ、マルベリーちゃん!? 叩いちゃ駄目だよ、怒られちゃうよ!」
宮子が慌てふためいて言った。大きな音とマルベリーの妙な言動に加えて、彼女の見る者に打撃を与える程の人間離れした流麗さも相まって、その一事は否応なしに人々の注意をひきつけた。店員が近くにいなかったのは幸いだった。
マルベリーは気を落ち着けると、ケースの中のぬいぐるみを好敵手を見るような鋭い目で睨んで言った。
「このマルベリー、二度は不覚を取らない」
宮子はユーフォ―キャッチャーにむきになるマルベリーが可愛いなと思いながら、温かい目で見ていた。そんな宮子に、マルベリーはケースの中の状況を見極めて言った。
「宮子、犬のぬいぐるみは取れそうにないが、向こうの兎なら取れるぞ」
「え? 本当に?」
「見ているがいい」
マルベリーが百円を投入して再びクレーンを動かす、そして見事に兎のぬいぐるみを取って見せた。マルベリーは満足気な顔でぬいぐるみを宮子に渡した。
「わ、すごい!? 本当に取るなんて!」
「あの隅の方にあるリスのぬいぐるみも取れる、その次は手前の猫だ」
マルベリーは次々とぬいぐるみを取って見せた。宮子は何が起こっているのか分からないという風に、目を瞬いていた。
「え? え? どうして急にそんなに取れちゃうの?」
「分からないか? ぬいぐるみの位置とクレーンの動き、クレーンがぬいぐるみに至るまでを角度を計算し、確実に取れる位置にあるぬいぐるみだけを狙えばいい、分かってしまえば簡単な事だ」
「……たぶんそれが出来るのって、マルベリーちゃんだけだと思うよ」
それを聞いたマルベリーの正直な感想は、口には出さなかったが、『人間はこの程度の事もできないのか』、だった。
それからマルベリーは、さらにキリンのぬいぐるみを取って、そこでもう取れるものはないと言った。宮子の目からはまだ取れそうなぬいぐるみが幾つもあるように見えたが、何の未練もなくきっぱりと止める様は、いかにも計算しているという感じがした。
二人がゲームセンターを出たのは、夜の九時に近かった。この時間になると人通りが少なくなってきていた。終電の時間も近かったので、二人が帰ろうとオリオン通りのアーチを抜けた時だった。
「!!?」
マルベリーが急に立ち止まって夜空を見上げた。怖気が走るような殺気を感じたのだ。マルベリー程の吸血鬼に恐怖を与える程の殺気だ、尋常なものではない。それは何者が発したものなのか、答えはもう分かっていた。
「一瞬だが、奴の気配を感じた……」
「どうしたの?」
心配そうに見ている宮子にマルベリーは言った。
「何でもない」
マルベリーは出来るだけ素っ気なく言って、先に歩き始めた。マルベリーの胸の中には、理由の分からない胸騒ぎが蟠っていた。




