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素晴らしき人間たちよ18

 宮子たちが選んだのは、宿坊の一番奥の角部屋だった。小百合の私生活に対する遠慮から、居間から最も遠い部屋を選んだのだ。角部屋である為に、正面だけでなく側面にも窓が付いていて、温かな陽光がふんだんに注いでくるので、すごし易い部屋でもあった。

 小百合は夕餉の支度をしながら、二階から響く古都音のはしゃいで歩き回る足音と、妹を注意する宮子の声とを聴いていた。

「賑やかになりそうね」

 小百合は微笑を交えて言った。母は小百合が幼少の頃に死に、父は蒸発してしまっている。たまに参拝客が宿坊に泊まる事はあるが、普段は境内も宿坊も小百合一人で静まり返っていた。賑やかになるのは友人が遊びに来た時くらいだ。それも落ち着きがあって良いのだが、幸野姉妹の明るさは、小百合にとって好ましいものだった。

 夕食は、小百合と宮子と古都音の三人だけで、マルベリーは自室にこもって本を読んでいた。宮子がマルベリーの姿が見えない事を気にするのは当然だった。

「すみません、お夕飯までご馳走になってしまって」

 そう言う宮子が見つめるテーブルの上には、自家製の炉端漬けを始め、赤根ホウレンソウのお浸し、やつがしらと冬大根と烏賊の煮つけ、川魚の塩焼き、みそ汁の具は芋がら、湯気の立つ白いご飯も輝石のような輝きを放って旨そうだった。全ての食材の香りが混然一体となって、幸野姉妹を魅了したが、料理は三人分しかなかった。

「マルベリーちゃんは食べないんですか?」

 宮子がマルベリーの姿を探していると、小百合はそれが当たり前という態度で言った。

「あの子は母国の習慣で、一日食事は朝早くに一度しか取らないのよ。後は昼も夜もお茶しか飲まないわ」

「確かに学校でも食事をしているところは見た事なかったなぁ、そう言う事だったんですね!」

 宮子は謎が解けたという晴れやかな顔をしていた。小百合は、マルベリーの吸血鬼として性質が垣間見える部分を、その場の思いつきで平然とやり過ごした。


 二学期末のテスト期間中、聖清学院の授業は昼で終わる。その後の時間、生徒たちは遊びに行くか、まっすぐ帰って勉強をするかのどちらかなのだが、小百合はその枠から全く外れた行動を取っていた。彼女は学校が終わった後、事件のあった現場を回っていた。事件と言うのは当然、ヴォルフロードに関するものだ。生血を吸われた犠牲者は既に三〇人になろうとしていた。もはや失血連続殺人事件は、日本全土どころか海外にまで飛び火して騒ぎが拡大していた。

「ここで事件があったのは三日も前なのに、まだ強烈な妖気が残っている、パワーアップしているんだわ……」

 小百合は虚空を見上げる。

 ――遅すぎる。

 と心の中で言って、小百合は苛立ちを募らせた。マルベリーの言っていた、妖魔郷からの刺客はまだ現れない。その間に、ヴォルフロードはどんどん力を増していく。だが、と小百合は思った。

 ――血を吸った者を不死者にしないだけましか。

 吸血鬼には生血を吸って殺した者を、不死者として蘇らせる力がある。もしこの力を行使したのなら、辺り一帯は想像を絶する恐怖と混沌に陥っただろう。ヴォルフロードの目的は、吸血鬼女王を倒す事なので、この力を行使する意味はまったくなかった。無駄を嫌う吸血鬼の性格がこの場合は幸いしていた。そうであるとは言え、小百合は外見は冷淡で無口でも、その内には熱く燃えたぎる正義の心を持っている、犠牲者の数は彼女の我慢を越える所まで来ていた。しかし、小百合一人ではどうにもならない相手である上に、マルベリーの事も考えると、妖魔郷からヴォルフロードの討ち手が来るまで待つしかなかった。小百合は今までの犠牲者と、これからも犠牲になるであろう人の事を思うと、無念さと怒りが込み上げてくるのだった。


 期末テストの直前のある日の夕刻、彼女はふと気になった。生徒たちの多くが長方形の妙なものをしきりに弄っているのだ。よく見るとそれは手に納まるくらいの大きさで、片面以外は、ゴム製のカバーにがしてあり、画面と思われる剥き出しの部分は鏡面のように滑らかに輝いていた。そこに様々な絵や文字が映っていて、画面を触っただけで絵が動いたりする。マルベリーは今まで人間のする事など気にも止めていなかったが、宮子への思いやりを通して、人間に興味を持つようになっていた。だから急に、人間の持つ奇妙な機器が目に留まったのだ。一度気になりだすと、それが何をする為のものなのか、どうしても知りたくなった。だからマルベリーは、授業が終わって休み時間になると、隣の宮子に聞いた。

「宮子、あの者がいじくっている四角い物はなんだ?」

「え? 四角い物?」

 宮子は、マルベリーが顎でしゃくって示した、少し離れたところにいる女生徒を見て理解した。

「ああ、あれはエイルフォンだよ」

「何をする為のものなのだ?」

「なにって言われると、色々出来るから難しいんだけれど、簡単に言うと電話とかメールをする為のものだよ」

「メールとは何だ?」

「え!? マルベリーちゃん、メール知らないの……?」

 毎日、勉強を教えてやっている宮子に無知を驚かれ、マルベリーはたちまち不機嫌になった。

「知らなくて悪かったな」

「そんな、悪く何てないよ、ただお勉強があんなに出来るのに、メールを知らないなんて変わってるなって思ったの」

 宮子が取り繕うと、マルベリーは不機嫌なまま言った。

「お前もあれを持っているのか?」

「わたしは携帯電話しかもってないよ」

「携帯電話?」

 マルベリーがまた分からないような顔をすると、宮子は制服の内ポケットから桃色の携帯電話を出した。

「もうあまり見なくなった、二つ折りの携帯電話だよ、これすごく古いんだよね」

 古いと言われても、マルベリーにとっては、それすらまったく目新しい機器だった。

「それはどこに行けば手に入るのだ?」

「えっと、ショップに行けば売ってるよ」

「よし、学校が終ったらショップとやらに行くぞ、わたしもそれを手に入れたい」

「え? 学校終わった後じゃ、遅すぎてショップは閉まっちゃってるよ。それなら、今度のクリスマスは日曜日だし、わたしのバイトも休みだから、一緒にショップに行こうよ、どうせなら二人でおそろいのエイルフォンにしよう」

「エイルフォンという奴でも構わないが、一刻も早く手に入れて使いこなさなければならない」

 マルベリーは異様な程の決意を込めて言った。マルベリーが急に携帯電話を欲しがったのは、人間が当たり前のように使っている物を知らない自分が許せなかったからだった。

 マルベリーは、神社に帰ってからすぐに、携帯の正体を見極めようとして、小百合と宮子を居間に呼んだ。小百合も宮子も寝ようとしていたので、寝巻姿だった。

「何なの、用って?」

 小百合が迷惑そうな顔で言った。宮子の方は眠い目を擦っていて、気を抜いたらすぐにでも寝てしまいそうな状態だった。小百合はいつもならマルベリーの夜話に付き合ってくれるのだが、今回は大した用事でない事を直感していて、あまりマルベリーの話をきく気がしなかった。

「小百合、お前も携帯電話という奴を持っているのか?」

「ええ、持ってるけど……」

「どのような用途があるのか、実際に使って見せてくれ」

「この子は急に何を言いだすのかと思えば……」

「どうしても携帯電話を使わせたいみたいですよ、小百合さんとは番号もアドレスも交換してありますし、見せてあげようよ」

「まあ、別に良いけど、そう時間がかかる事でもないし」

 宮子と小百合が妙に親しげなので、マルベリーは疎外感があって少し機嫌が悪くなった。小百合と宮子は、彼女のそんな様子には気づかないで、お互いに携帯電話を出した。小百合の携帯電話は白で、宮子のように二つ折りではなく、長方形でエイルフォンに似ていた。宮子の携帯電話よりも、こちらの方がずっと新しいタイプだった。

 小百合が宮子の携帯番号を入力している様を、マルベリーは何が起こるのか興ありげに見ていた。すると、隣にいた宮子の携帯電話からけたたましい音(マルベリーにはそう思えた)が鳴って、宮子が電話に出た。

「もしもし~、小百合さんですか~、目の前にいますけど、あはっ」

 宮子は楽しそうな様子で、自分の携帯をマルベリーに渡した。

「携帯といのは、こういう使い方をするのよ、分かった?」

 少し離れたところにいる小百合の声が、宮子の携帯から聞こえてくると、マルベリーは驚いて携帯電話をまじまじと見つめた。

「何だ!? この機械から小百合の声が聞こえるぞ!?」

「相手の電話番号さえ分かれば、どこにいてもお話が出来るんだよ」

「何と、どこにいてもか? 異世界でもいいのか?」

「い、異世界!?」

 マルベリーがおかしなことを言うので、宮子は吃驚した後、どう返していいのか分からなかった。

「どこの世界かは知らないけれど、流石に異世界は無理」

 小百合の冷静な突っ込みに、宮子は話の内容がおかしいと思うよりもほっとしていた。

「じゃあ次は、メールを送ってみま~す、文字を打ってと……」

 マルベリーは宮子の携帯の画面をのぞき込み、宮子が『小百合さんへ、お元気ですか?』と文字を打っているのを見た。

「これでよしっと、そうし~ん」

 宮子が携帯電話のボタンの一つを押してから少し経つと、『ぼちぼちね』と返信があった。

「何だこれは? 言葉が返ってきているのか?」

「小百合さんからの返信だよ、小百合さんのメールアドレスっていうのが分かれば、いつでも小百合さんに文字が送れるんだよ」

「その機械一つで、密かに手紙のやり取りが出来ると言うことか?」

「うん、まあそんなところ」

 マルベリーは今度は考え込んだかと思うと、宮子と小百合を交互に見て言った。

「それでは、お前たちは密かに内通していたということではないか」

「まったく間違いではないけれど、内通って何やら嫌なものを感じる言い方ねぇ」

 小百合が言うと、マルベリーは少し向きになった。

「お前たちは、わたしの知らない所で文のやり取りをしていたのだ、それは内通ではないか。やもすれば、わたしに対する誹謗なども囁き合っているのではないのか」

 マルベリーは、携帯電話というものを知らないが為に、自分がのけ者になっていたのが余程気に入らないらしかった。

 宮子はマルベリーがエキセントリックな言い方をするので少し戸惑っていたが、誹謗と聞くと慌てた。

「そんな、誹謗だなんて、わたしマルベリーちゃんの悪口なんて絶対に言わないよ」

「そうよ、わたしはともかく、宮子ちゃんがあんたの事を悪く言うはずないわ」

 マルベリーはつまらぬ事で機嫌を損ねている自分に気づき、すぐに気を落ち着けた。考えるまでもなく、宮子が自分の悪口を言うはずはないと、感覚で理解していた。

「それもそうだ、つまらんことを言った」

 少しばかり反省の意を示したと同時に、マルベリーは、あっと気づいた。

「ちょっと待て、小百合は、わたしはともかくと言っていたぞ、それではお前は、このマルベリーを誹謗していると告白しているようなものではないか!」

「まあ、人間、誰に対しても不満の一つや二つはあるものよ、そんな程度の小さい事を気にしては駄目よ」

 相手が大貴族と知っていて平気な顔で言い放つ小百合に、マルベリーは返す言葉に詰まって、代わりに溜息が漏れた。

「……お前という奴は」

 マルベリーが溜息の後にようやく言った声に険はなかった。小百合はマルベリーと対等の立場でものを言ってくる、それは前々から分かっていた事だし、マルベリーは小百合のそういうところを気に入ってもいたのだから。



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