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素晴らしき人間たちよ17

 マルベリーが宮子を家に連れ帰ると、それまで頑張って起きていた古都音は、安心してすぐに眠りについた。

 マルベリーは暗闇の中で気を失ってからまだ目を覚まさない宮子の前に座って、その寝顔を見ていた。

「何なのだ、この気持ちは……」

 体の芯の方から湧いてくる、胸が軽くなるような気持ちに、マルベリーは戸惑っていた。彼女には数百年の間に蓄積してきた知識と、人間界に来てからも本を読みあさっていた事もあり、その気持ちが何か想像することが出来た。

「……わたしは、ほっとしているのか? 宮子を助ける事が出来て、安心しているのか? これはそういう気持ちか?」

 彼女は経験のない心持なので自問自答した。マルベリーはどうやらそうらしいと結論を導き出すと、深く溜息をついた。

 ――このわたしが、人間の宮子を、これほどまでに深く思うようになるとは……。

 マルベリーは、それを喜んでいいのか悲しんでいいのか分からなかった。それとは別に、母の言葉の真意に確実に近付いたという実感があった。その点に関しては、喜ぶべきだろうと、マルベリーは冷静に考えていた。

 明け方に宮子は目を覚ました。彼女はさらわれた時に、どこか恐ろしい場所に連れて行かれると思っていたので、目を開けた途端に起き上がって辺りを見た。薄暗かったのですぐには自分の家とは気付かなかったが、すぐ近くにマルベリーが座って見ていたので、それに驚いた。

「あれれ、マルベリーちゃん? わたしさらわれたような気がしたんだけど、夢だったのかな」

「夢などではない、お前は二人組の男にさらわれたのだ」

「あ、そうだ!! 古都音は!?」

「お前の隣で寝ている」

 宮子は妹の姿を認めると、安堵して深く息をついた。

「もしかして、マルベリーちゃんが助けてくれたの?」

「まあ、そう言う事になるな」

「あの怖そうな男の人たちは?」

 マルベリーはそこで少し思いあぐねる。瞬殺したと言うのはさすがにまずいと思った。

「隙をついてお前を連れ出したのだ。もう奴らは追ってはくるまい、安心していい」

「ありがとう! マルベリーちゃんって、本当にすごいね!」

 宮子は何の疑いも抱かずに、素直に信じて無垢な笑顔で心からの喜びを表白した。そんな宮子を律するような厳しさで、マルベリーは話し始めた。

「はっきり言うが、宮子を売ったのは、お前の母親だ」

 何の躊躇もない、刀で上段から袈裟に斬るような、鋭さと痛みを持った言い方だった。部屋には明かりはなかったが、空が白んできて外は少し明るくなっていた。宮子は薄暗い中でマルベリーと向かい合うと言った。

「……知ってるよ」

「知っていたか、ならば話は早い」

 その時、宮子とマルベリーの瞳が合った。峻烈な一撃が放たれる前の緊張した静けさに二人は身を置いた。そして宮子は気づいた。マルベリーが自分を見る目には、今までとは明らかに違う温かいものがあった。

「このネズミの穴倉のような場所から抜け出すのだ、宮子!」

 宮子は、マルベリーの強固な意志を持つ言葉に気圧された。もうマルベリーの中では、自分がここを離れる事が決まっていることを確信した。それ故に、彼女の気持ちは揺れた。

「抜け出すって、どういうこと……?」

「この住処を離れろ」

 宮子が恐る恐る聞くと、マルベリーは当然のように言った。

「そんなこと言っても、他に行くところなんてないよ」

「わたしに考えがある、今夜発とう」

 マルベリーの言う事はあまりにも急だった。即座に返答を迫られた宮子は、戸惑いを露わにしながら言った。

「無理だよ、生まれた時から、ここに住んでいたんだよ、思い出が沢山詰まってる。それに、お母さんが帰ってくるかもしれないし……」

 何で裏切り者の母親にいまさら拘るのか、マルベリーにはまったく理解できなかった。同時に、宮子を通して人間という存在が哀れに思えた。マルベリーは、悲しそうな顔で母を思う宮子を見ていると、何としてもここから連れ出したくなった。

「お前にはもう母などいない」

「え? そんなことないよ、ちゃんとお母さんはいるよ」

 マルベリーは立ち上がると、真紅の瞳に燃え立つような輝きを湛えて、宮子を見下ろした。

「同族を売るような奴は屑だ、ましてや母が娘を売るなど、もはやそんな者は同族ですらない! お前が母と思っている者は、もはや人間ではないのだ! 人間の形をした別の何かだ! そんな存在を母などと思うな!!」

 人間としては、裏切られたとしても娘が母を思うのは無理もない事だが、吸血鬼には分からない事だ。マルベリーには裏切った母を思う宮子の気持ちが弱さとしか思えず、激昂していた。しかし、マルベリーは宮子の事を思って怒っているのだ。それは今までにはない事だった。宮子はそれを理解した、それ故に余計にどうしたらいいのか分からなくなり、自分を思ってくれるマルベリーへの感激と、母に対する悲しさの混沌とした気持ちに押し流されて、声を上げずに涙を零した。

「この家は臭うぞ、腐った人間の臭いだ、お前の母の臭いが染み込んでいるのだ。この家にいては、お前も古都音も腐ってしまうぞ!!」

 マルベリーの激した声を浴びせられ、宮子は小さく震えた。隣で寝ている古都音の安らかな寝顔を見ると、このままでは妹は不幸になると、強い思いを抱いた。そして、何があっても妹だけは幸せにするのだという思いが、焔のように燃え上がって、宮子に強さを与えた。

「宮子、決断の時だ!!」

 マルベリーの言った事が、宮子を奮い立たせた。宮子はおもむろに立ち上がると、泣きはらした瞳でマルベリーを見つめて言った。

「わかったよ、わたしどうしたらいい?」

「わたしと共に来るのだ」

「じゃあ、古都音が起きたらすぐに支度するね」

 宮子が言うと、マルベリーは一瞬、顔をしかめた。

「いや、そんなに急がなくていい。外に出るのは日が落ちてからにしよう」

「今すぐに行こうよ、善は急げだよ」

 いつになく強気な宮子に、マルベリーは少し狼狽した。ちらと隣の部屋の窓を見ると、もう明らかに外には燦々と太陽の光が照りつけていたし、急に贖い難い眠気も襲ってきた。幸いな事に、この部屋は雨戸が締め切られていたので、太陽の光は完全に遮断されていた。

「すまないが、太陽の光が苦手なのだ」

 マルベリーはあまりの眠気に考えるのが面倒になり、一切のごまかしなしに本当の事を言った。宮子はそれを聞いて、太陽の光が苦手なんて変わってるなぁ、と思うだけで、感覚として言えばニンジンを嫌う子供を見るのと似ていた。マルベリーにとっては陽光は生死にかかわる問題なので、何としても眠る前に、宮子に分からせなければならなかった。下手をすると、この眠りが永遠になるとも限らない。

「宮子、わたしは途轍もなく眠いから寝るが、この部屋には絶対に太陽の光を入れるな、絶対にだ!」

 マルベリーの訴えが必死なので、宮子は物珍しそうな顔をした。今までの偉大で威厳のあるマルベリーのイメージとはまるでかけ離れた姿に見入っていた。彼女自身も、情けないとは思ったが、どうにも仕様がない睡魔の前に、そうせざるを得なかった。

「もしこの部屋に太陽の光を入れたら、もうお前とは絶交だ! もう二度と口も聞かないし、勉強も教えてやらないからな!」

「それは嫌だよぅ、約束は絶対に守るから、安心して」

 それを聞くなり、マルベリーは邪魔な制服を脱ぎだした。宮子は突然の衝撃的な状況に目を丸くしていたが、すぐにマルベリーのパールのようにきめ細かく滑らかな肌と、抜群に均整のとれた完璧すぎる肢体に魅了された。それは、一から十まで強烈な眠気から起こった衝動的な行動で、マルベリーは、もう宮子が側にいる事も忘れていて、制服を脱ぎ捨て下着のみの姿になると、宮子がさっきまで寝ていた布団に潜り込んだ。そのすぐ後に、宮子は少し緊張しながら、マルベリーの顔を覗きこんだ。

「もう熟睡してる、マルベリーちゃんの寝顔、可愛いなぁ」

 宮子は寝息を立てるマルベリーの頬をつついてみた。まったく反応はなかった。宮子はくすっと笑った。いつも強気で怒ってばかりのマルベリーに、悪戯できてしまうというこの状況は楽しかった。彼女は、もう少し悪戯してみようかとも思ったが、気づかれた時の事を考えると怖いので止めた。


 この日は日曜日だったので、マルベリーが起きるまでの間、宮子と古都音はテレビを見たりお茶を飲んだりして、ゆったりと過ごした。今日の夜中に妙な男たちに襲われたばかりだと言うのに、落ち着いたものだった。この二人は普通の人間がマルベリーを本能で恐怖するのとは、まったく逆の感覚を持っていた。吸血鬼の強大な力と偉大な加護を本能で読み取って、それが安心感に繋がっていたのだ。

マルベリーは、きっちりと日か沈むと同時に起きた。その時には、宮子と古都音は、出かける準備を整えていた。二人は、自分等がどこに連れて行かれるのか分からなかったが、今の家に戻らなくても良いだけのものは持っていた、とは言っても、二人とも旅行用のバッグに納まりきるくらいのものしか持っていなかった。

「二人とも、すぐに出られるな」

 宮子はどこに連れて行かれても構わないという覚悟を決めて頷いた。一方、古都音の方は遠足に行くような気分で、楽しそうに鼻歌なんぞを歌っていた。


 かくして、マルベリーは、幸野姉妹を明神大社へと連れて行った。三人が神社に着いたころには、ほとんど夜の帳が降りていた。宮子はずっと遊びに行こうと思っていた明神大社に、妙な形で訪れる事になった。

 マルベリーは玄関のところで小百合を呼び出し、何やら話をしていた。宮子と古都音は少し離れたところでそれを見ていた、マルベリーに離れているように言われたのだ、そこには小百合との会話を聞かれたくないというマルベリーの意思があった。マルベリーと話していた小百合の顔が、だんだんと呆れの色が出てきて、その時に小百合は手招きして宮子と古都音を呼んだ。二人が玄関のところまで来るなり、小百合は呆れ顔のまま言った。

「聞いてちょうだい、あなたたちに散々格好いい事を言ったこの人が、あなたたちをここに連れてくるだけ連れてきて、後の事は頼むですって」

「人間の事は人間に任せるのが良いと思ったのだ」

 マルベリーが抵抗するように強い口調で言うと、小百合はマルベリーをじと目で睨んで言った。

「そういうのを丸投げって言うのよ」

「あの、ごめんなさい! ご迷惑ですよね、すぐに帰りますから」

 マルベリーと小百合の会話に割り込む形で、宮子が言って頭を下げた。そうすると、小百合は見る者を安心させる和らな微笑を浮べた。

「迷惑なんかではないわ、ここには空いてる部屋がいくらでもあるから、好きなところを使っていいわよ」

「ほ、ほんとうですか!?」

 幸野姉妹が喜んだのは言うまでもないが、マルベリーも小百合に深く感謝していた、口には出さなかったが、赤い瞳にそういう光が現れていた。


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