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素晴らしき人間たちよ16

 一二月も中旬を過ぎて、厳冬の季節になっていた。期末テストが近づいていた関係で、この日からしばらくは学校の授業は四時間目までになり、全ての部活も休みになっていた。

 放課後に小百合は、友人と一緒に学校の近くにあるコンビニエンスストアに入った。そこは付き合いでもなければ、小百合が入る事のない場所だった。

「コンビニは近代日本の生み出した素晴らしい文化だと思うわ」

「文化なんて、大げさな言い方ね」

「これだけ普及しているのだから、文化と言っても良いレベルじゃないかしら?」

「そうかもしれないわ。けど、少し割高なのよね」

「利便性を価値として捉えれば、むしろ安いかもしれないわよ」

 小百合はブロンドで緑眼の少女と話しながら店に入ってきた。それをカウンターからじっと見つめている者がいた。

「あ、小百合さんだ~」

「宮子ちゃん?」

 カウンターから顔を覗かせた宮子は、人懐っこい笑みを浮べて小百合を見ていた。

「あなた、こんなところで働いていたのね」

「えへへ、そうなんですよ、妹の給食費とか、食費とか、わたしが稼いでるんですよ」

 小百合は、宮子が無邪気に言う事に、異様なものを感じた。小百合はあえてそこには触れなかった。

「そうだわ、宮子ちゃん、今度あなたの家に遊びにいってもいいかしら?」

「え? だ、だめですよ、わたしの家なんて、それよりも、小百合さんの神社の方に遊びに行きたいです。いつもは日曜も祝日もお仕事なんですけれど、今度の日曜日は休みが貰えるんです、妹と一緒でもいいですよね?」

「かまわないわよ、美味しいお茶とお菓子を用意して待っているわ」

 それから小百合は友人と一緒にコンビニを出た。

 ――何かおかしいわ。

 小百合は先ほどの宮子との会話に違和感を覚えていた。

 その日の夕暮時、学校へ行こうとマルベリーが今に顔を出した時に、小百合はお茶を出した。

 マルベリーは掘り炬燵に座って、登校前の一服を楽しんでいた。

「この緑茶というのも、慣れれば中々いけるな」

「そうでしょう」

「紅茶の方が旨いけれどな」

 小百合はマルベリーの湯飲みにお茶を足してから言った。

「ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」

「何だ、お前の方から聞きたい事とは珍しいな」

「宮子ちゃんのことよ、学校の近くのお店で働いているのを見かけたわ」

「ほう、そうなのか」

「……あなたは宮子ちゃんが昼間に何をしているのか気になったりしないの?」

「興味ないな、宮子が昼間に何をしようが関係のない事だ」

「友達がどんな状況で何を困っているのか、知っておいた方がいいわ、これは大切な事よ」

 マルベリーは宮子と友達と言われることに抵抗があった。彼女は不機嫌になりながら言った。

「勉強がああも出来なければ困る事もあるだろう」

「そんなレベルの話じゃないわ」

 小百合の語調が強くなり、マルベリーは黙った。

「宮子ちゃんの家の様子を聞かせて欲しいの」

 マルベリーは、何の為に小百合がそんな事を聞きたがるのか見当もつかなかったが、とにかく話してやった。最後まで聞くと、小百合は言った。

「その家に、お父さんとお母さんはいないの?」

「父母の姿は、一度も見たことがないな」

「マルベリーが宮子ちゃんに勉強を教え始めてから、一か月近くは経っているわ、その間、一度も親の姿を見ていないのね?」

「ああ、見ていない、それがどうかしたのか?」

「やっぱりそうなのね……」

 小百合は顎に手を置いて考え込んだ。その様子があまりにも深刻そうなので、マルベリーはその意味が分からない事に不快感を覚えて言った。

「一体、何だと言うのだ」

「だって、親が家にいないのよ、貴方はその事について何とも思わないの?」

「別におかしい所はなかろう」

「吸血鬼は親に頼ったりしないの? お母さんに優しくしてもらったり、甘えたりとかないの?」

「そんなのは生まれからごく幼い時までの話だ、子供の時分から父や母に頼った記憶などないな」

「人間と言うのは、大人になるまでは親に依存して生きているのが普通なのよ、その親がいないというのは異常な事だわ」

「しかし、お前にも親はいないではないか」

「わたしは普通の人間とは少し違うから、見本にしない方がいいわ」

 それについては、マルベリーはよく分かっていた。

「お前の言う事は分かったが、宮子に親がいないからと言って、わたしにどうにか出来る事ではない」

「それはそうだけれど、話くらいは聞いてあげなさい」

 マルベリーは小百合の話したことに対して、まだ理解しきれていない部分があったが、宮子に親がいない事が異常だという事は認識できた。

 マルベリーはこの日の夜、学校を終えた後、宮子の家に来て勉強を教える前に言った。

「宮子、お前の親はどうしているのだ?」

 急に予期しない質問が飛んできて、宮子は明らかに狼狽していた。

「えっと、お父さんはずっと帰ってきてなくて、お母さんは時々は帰ってくるんだけど……」

 宮子はそれ以上は言うのを躊躇って、言葉を切った。マルベリーは深くは追及せずに、改めて宮子の住処を見ていった。以前と様子は変わりないが、テレビは明神大社の宿坊にある物とは違って箱形で古びたものだし、今の隣にある押入れの襖も破れて穴があいている。以前には気づかなかったが、宮子の家は古いだけではなく、荒涼とした寂しさが重くのしかかっていた。

「はい、お姉ちゃんたち、お茶を入れたよ」

 古都音がインスタントのレモンティーを作って持ってきた。マルベリーは気にもしていなかったが、今までにお茶と一緒の茶菓子など姿を見せたことがなかった。

 古都音は今ではもうマルベリーにすっかり慣れていて、姉に勉強を教えてくれているので信頼を寄せているくらいだった。

「古都音、もう寝なきゃだめだよ」

「うん、お勉強頑張ってね!」

 古都音は姉とマルベリーが勉強している間に歯を磨き、隣の部屋に言って寝巻に着替えると布団に入った。隣との部屋に間に仕切りがなく明かりが差しこんできたが、姉たちの姿が見えるので返って安心して眠る事が出来た。

 古都音の寝息が聞こえ始めると、マルベリーは思い立ったように言った。

「ずっと聞きたいと思っていたのだが、宮子はどうして古都音の為に勉強をしているのか、その辺のところが良く分からないのだ」

「え? どうしてって言われても……」

「お前が勉強を出来るようになると古都音に何があるのか、お前は古都音をどうしたいのか。わたしには自分以外の者を誇りを持つという事が理解できない、だから知りたいのだ、お前が古都音を誇りとする理由を」

 あまりにも突拍子もない質問だったが、宮子はマルベリーの真剣さに打たれて、いつもふんわりしている表情を出来る限り引き締めて、思いのたけを素直に語った。

「古都音を幸せにしにしてあげたいんだよ」

「幸せにするだと?」

「うん、その為に勉強が出来るようになりたいの。頭が良い方がお給料の良い所に就職できると思うし、いつかは妹と二人で生きていかなきゃならないと思うから、わたしが頑張らなきゃいけないんだ」

 宮子が言った事には、普通の人間ならば気になる事が多分に含まれていたが、マルベリーは右へ行くところを左に行くように、宮子の予期しない質問を繰り返す。

「妹を幸せにするとか言ったな、それはお前にとって何の利益になるのだ?」

 宮子は少し面食らったが、即座にマルベリーに言った。

「古都音が幸せなら、わたしも幸せだからだよ」

 にこやかに言う宮子の姿はどこまでも真っ直ぐで、輝く大きな瞳は抜ける青空のように純粋で澄んでいた。そんな宮子の姿が、明らかにマルベリーの理解の範疇を超えるものが、宮子の中にはあった。マルベリーにはそれが何か分からずもどかしい思いがすると同時に、心の中に何かが迫ってくるような不快な感覚を抱いた。

 この夜は早めに勉強を切り上げて、マルベリーは帰っていった。とは言っても、もう一時を回っていた。

 宮子が風呂に入った後に、パジャマ姿で半分寝ながら就寝前の歯磨きをしていると、夜中だと言うのに外から人の声がし、玄関の戸を誰かが叩いた。宮子が何かと思って黙って耳を澄ますと、ただ延々と叩かれる戸の音に、異様なものを感じた。宮子は急いで妹を起こした。強く揺さぶられて無理やり起こされた古都音は、最初は不機嫌そうに眠い目をこすっていたが、すぐに異常な空気を感じ取って、不安そうに姉を見上げた。

「押入れに隠れるの、早く!」

 古都音は何のことか分からなかったが、宮子が声を荒げるような事は今までになかったので、とにかく隠れなければならないと強く感じて従った。まだ誰かが戸を叩いていた。

「何だろう……」

 宮子は妹を隠すと、恐る恐る玄関まで行って、外で戸を叩く何者かに思い切って声をかけた。

「あのう、どなたですか?」

「いやあ、すいませんね、こんな夜中に、ちょいと聞きたい事がありましてね」

 まともそうな男の声だったので、宮子は少し安心し、妹を隠す必要なんてなかったと思いながら、玄関の鍵を外して戸を開けた。すると主頭の男と、大柄な男が玄関の前に立っていた。二人とも黒いスーツを着ていた。

「おお、可愛いね、これは良いんじゃないですか」

「借金分を取り返すには十分だな」

 宮子には男たちが何を言っているのか分からなかったが、明らかに普通でない二人に恐ろしくなって固まっていた。

 大柄な方が一歩踏み出すと、宮子は危険を感じて振り返り、奥に駈け出そうをした。

「おっと、逃げるなよ」

 宮子は大男に後ろから捕まえられて、悲鳴を上げる間もなく口に布のようなものを押し付けられる。その途端に、宮子の意識が遠のいた。

「君のお母さんの借金が大変な事になっててね、それを返済するために、君にはひと肌脱いでもらわなければならんのだよ。ちゃあんと、お母さんの同意は取ってあるからね」

 坊主頭が言うと、宮子は自分の事よりも妹が哀れになり、悲しみと絶望の渦に巻き込まれながら気を失った。

「後、妹がいるはずだ、探せ」

 坊主の方が大男に命令した。しかし、三十分ほど探しても男たちは古都音を見つける事が出来なかった。誰かに見られるとまずい事もあり、男たちは諦めて宮子だけを連れ去った。

 その頃、マルベリーは町外れ自転車で走っていた。そこは歩道がない二車線の道路で、行き交う車のライトの光を浴びながら、マルベリーは考えていた。

 ――この感覚は何だ、初めて味わう。わたしは宮子に対して、何らかの感情を抱いているようだ。

 マルベリーはそこまで考えると、自転車を急停止して星の瞬く夜空を見上げた。後ろから来た車のライトが彼女の幽玄な姿を浮き彫りにし、通り過ぎていく。

「わたしは認めている、宮子は、わたしには無い優れたものを持っている、わたしはそれを認めているのだ! これは、そういう感情だ!」

 新たな発見に対する喜びと、人間よりも吸血鬼を下に見る苦悩との葛藤の中で、マルベリーは夜空に向かって叫んでいた。人間で言えば羨むというところなのだが、マルベリーは数百年生きてる間に他人を羨ましいなど思ったことがなかったので、それは全く未知の感情だったのだ。

 その時に、マルベリーは古都音の声が聞こえたような気がした。聴覚を研ぎ澄ますと、今度は確かに古都音の泣き叫ぶ声が聞こえた。彼女は湧き上がる感情に従って、自転車を横に放り出し背中から蝙蝠の如き両翼を出して、夜空に舞い上がった。

 それから一分もしないうちに、マルベリーは宮子の家の前に降りてきて、玄関の戸を開けた。すると玄関に通じる廊下のところで、古都音が座り込んで泣いていた。

「古都音、どうしたのだ、宮子はどこにいる」

「ああ……マルお姉ちゃん、お姉ちゃんがどっかいっちゃったよぅ……」

「そうか、待っていろ、すぐに探してきてやる」

 マルベリーは外に出て後ろ手に玄関の戸を閉めると、翼を広げて急上昇した。闇に染まる虚空で、マルベリーは全ての感覚を最大限に高めて宮子の行方を捜した。真紅の瞳は闇を見通し、聴覚、嗅覚と共に人間の数百倍は優れている。宮子を探し出すのはそう難しい事ではなかった。やがて嗅覚が、宮子の匂いを捉える。

「見つけたぞ、移動しているな、あちらの方角か」

 マルベリーは高速で夜空を飛行した。目下には夜空で輝く星々のような、無数の光点が散りばめられている。民家や街灯からくる光が創りだす夜景だった。宮子の匂いを追って、マルベリーは闇に沈む街に急降下した。そしてすぐにとらえた、街外れに向かって漆黒の自動車が走っていた。車体だけではなく窓ガラスまで黒くなっていて、いかにも闇に紛れて走っているという様子だったが、マルベリーの前では全く無意味な擬態だった。

 マルベリーは黒い車を上空から抜き去り、翼を閉じるといきなり車の前に着地した。当然、車の方は急ブレーキをかけ、民家もまばらで街灯もない暗い夜道にタイヤとアスファルトの摩擦が悲鳴のように甲高い音を轟かせた。車はタイヤから煙をあげながら、マルベリーに接触するか否かというところで、斜めの状態で止まった。

「ごぉらぁっ、この餓鬼、何考えてやがる!!!」

 黒いスーツんの大男が激昂しながら車を降りてきた。男はマルベリーが飛び出してきたとしか思っていなかった。

「この車に宮子が乗っているはずだ」

 男の激昂を空かすようにマルベリーが言った。男の方はさらに憤ったのは言うまであるまい。

「そんなもん知るか! そんな事よか、さっさとどけ! 本当にひき殺すぞ、こんがきゃあ!!」

 怒りのあまり、男の米神の辺りがひくついていた。マルベリーはまるっきり無視して男の横を通り抜け、車のドアノブに手をやって、車を揺さぶるほど強い力でドアを開けようとした。

「開かないな、破壊するか」

「てめぇ、何してやがる!! ぶっ殺す!!」

 大男が少女の後ろから殴りかかる。するとマルベリーは神速で振り返り、迫っていた大男の拳を手首の少し下辺りを掴んで止めた。

「なにっ!?」

「うるさいぞ蛆虫、少し黙っていろ」

 マルベリーと目が合った瞬間、大男が恐怖を感じる前に、枯枝を折るよりももっと鈍い異様な音がした。大男は一瞬、何が起こったのか分からなかったが、自分の右手首から十センチほど下のところで、ぽっきり腕が折れてぶらついてるのに気付き、信じがたい状況と突然に襲ってきた激痛とで闇を震わす奇妙な悲鳴が上がった。それを聞いて後部座席から坊主頭の男が降りてきた。

「おい、どうした!?」

「い、いでぇよう! 兄貴、あの女が、俺の、俺の腕をぉっ!!」

 折ったというのか、そんな馬鹿な。坊主頭が信じられないのも無理はなかった。彼の目の前にいるのは華奢な美少女なのだから。

 マルベリーは、彼らなどまるで最初から存在しないもののように気にせず、車の後部座席に寝ていた宮子を抱き上げて運び出した。

「おい、待て、その子を連れていかれちゃ困るんだ、離してもらおうか」

 坊主頭の男は、余りにも奇妙な状況と、マルベリーの恐ろしい美しさに打たれながら、精一杯の凄みを持たせて言った。するとマルベリーは、彼の言う事を承服したかのように、宮子を静かに下ろして、民家のブロック塀にもたせかける。男が安堵の息を吐こうとした時に、マルベリーは言った。

「急襲するのではあまりにも忍びないので、教えておいてやる。わたしは今からお前を攻撃する、お前たちに宮子を売り渡した者の名を聞く必要があるからだ」

 マルベリーはゆっくりと一歩ずつ確実に坊主頭の男に近づいていく。大男の方は泣きながら車の後ろに隠れて様子を見ていた。

 近づいてくるマルベリーに対して、坊主頭は耐え切れずに懐から拳銃を出した。それは思考を超えて危険を訴える本能の起こした行動だった。

「く、くるんじゃねぇ、それ以上近づいたら、撃っちまうぞ!」

「それは人間の使う武器か、銃と言う奴だな、面白い撃ってみるがいい」

 マルベリーが一歩踏み出した瞬間に、坊主頭は銃の引き金を引いていた。常識では考えられない事だが、マルベリーの与える異常な恐怖が、彼を突き動かしていた。サイレンサー付の銃だったので音はほとんどないが、高速回転する鉄弾は確実に目の前の少女を捉えていた。マルベリーは右手を前にだし、悪魔的な反応と正確さで、親指と人差し指、中指の三本で銃弾を摘まんで止めた。マルベリーの指先から細く煙が上がり、坊主の男は銃弾がどこに命中したのか、何度も目を瞬いて確かめようとした。マルベリーは、男に摘まんだ銃弾を見せつけた。小さな弾は月光の淡い光を吸って異様に輝いて見えた。

「下らん玩具だ」

 マルベリーが銃弾を指ではじいて捨てる。それはアスファルトの上で高い音をたてて跳ねた。もはや坊主頭は不思議そうな顔で路面に転がる銃弾とマルベリーを交互に見ていた。もはや畏怖や驚愕などというレベルを遥かに超えて、男はこれは夢に違いないと、思い込みによる逃避をしようとしていた。瞬間、マルベリーが一気に坊主の男に迫り、その顔面を掴んで近くの電柱に後頭部を叩きつけた。全てが一瞬の出来事で、やられた男の方がまったく訳が分からなかった。

「あ、あがあぁぁ……」

 脳震盪を起こして坊主男の意識が揺れた。同時にこれがまぎれもない現実であることを突き付けられ、余りの恐怖に息が止まりそうになった。車の陰に隠れて見ていた大男の方は、この時に情けない悲鳴をあげながら逃げ出していた。

「お前たちに宮子を売ったのは誰だ、言え!」

「あ、あああぁっ!!?」

 男は恐怖の余り舌がもつれて奇妙な声しか出なかった。マルベリーはそれを黙秘と受け取って言った。

「出来る事なら、素直に喋って欲しいものだ、お前の頭を握り潰し、血と脳漿でこの手が汚れるのを想像すると、あまり良い気持ちはしないのでな」

「は、はばだ!! ははだ!! あ、あの娘の母親だっ!!!」

 男は死の間際を突き付けられて、必死に訴えた。それを聞いたマルベリーは、真紅の目に凶暴な光を湛えた。

「母親だと 嘘を吐くな!!」

「う、うそなんかつかねぇっ!!! こんな状況で、う、う、嘘なんてつくもんかっ!!! 助けてくれ、殺さないで!!!」

 男の声は叫びよりも発狂に近かった。その必死さの前に、マルベリーは男の言った事が真実だと知ると、男を掴んでいた手を放し、呆然とその場に佇んだ。解放された男の方は強烈な恐怖に腰が砕けて、逃げだそうにも逃げられない状態で、マルベリーを見上げて震えていた。

「何という事だ、母親が、娘を売るとは…………」

 吸血鬼にとっては、同族を売ると言うだけでも信じがたいのに、母が娘を売るなどもはや衝撃だった。


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