素晴らしき人間たちよ14
翌日の朝5時過ぎ、小百合が境内の掃除をする為に巫女の恰好で居間まで出てくると、マルベリーがいた。もう外は明るくなっていて、吸血鬼は寝る時間なのだが、マルベリーは小百合が起きてくるのを待っていたようだった。
「小百合、大変な事に気付いた」
「こんな朝早くから、なんなのよ」
「自転車がないという事は、わたしはどうやって登校すればいいのか考えていたのだが、翼が使えないのなら、徒歩しかないという結論に達した。車という奴よりも早く走らなければならないが、それでも問題はないな」
マルベリーが真面目くさった顔で言うので、小百合は思わず苦笑いを浮かべた。
「いえいえ、問題ありまくりよ。車よりも早く走る人なんていたら、おかしいでしょう」
「吸血鬼の身体能力ならば普通だ」
「そうじゃなくて、人間の目から見たらおかしいって事よ。何をするにしても人間のレベルに合わせるという約束だったはずよ」
「……ならどうしたら良いのだ?」
「電車とバスで行けばいいわ」
小百合が言うと、マルベリーはあからさまに嫌な表情を浮かべた。
「前に、電車とバスという奴は、人間がたくさん乗っていると聞いたぞ」
「そりゃあ、公共の乗り物だからね」
「冗談ではない」
「仕方ないでしょう。それに、自転車を壊したのは貴方なのよ、ここは自己責任ということで、電車とバスで登校してもらうわよ」
マルベリーは、今にも不平を言いだしそうな顔をしていたが、それを抑えるように小百合は言った。
「人間の生活に慣れる良い機会だわ」
「……仕方ない、電車とやらを使ってみよう。だが、もしわたしに無礼を働くような人間がいたら、容赦はしない」
「だめ、容赦してちょうだい。あなたの手にかかったら、普通の人間なんていっぺんに死んでしまうわ、洒落にもならないわよ」
「半殺しくらいにしておけば良いだろう」
「半殺しも駄目、せいぜい睨みを利かせるくらいにするのね、それでも十分すぎるくらいよ」
結局は、電車とバスで登校する事を、小百合に承服させられるような形になった。それからマルベリーは寝室に入って休み、夕方に起きて居間に行くと、机の上に電車とバスの回数券がしっかり用意してあった。
電車に乗ったマルベリーは、最初から不愉快極まりない事になった。田舎だし夕方五時前の電車なので、それほど人は多くないが、マリベリーが人間の集団の中に一人立たされているという状況には変わりない。人々は初めて目にする幽玄な少女の姿に、視線を集中させた。そういうものはまだ許せるが、中には嫌らしい目で上から下まで見定める男が何人かいて、マルベリーが眼をくれると、彼らは言い様のない恐怖を植え付けられて目をそむけた。駅を降りてからのバスも似たようなもので、マルベリーは一回で嫌になってしまった。これが朝のラッシュ時であれば、とても耐えられるものではなかっただろう。
マルベリーはすでに授業が始まっている教室に入ると、自分の椅子に座って、足と腕を組んだ。一つ一つの動作が大様で、顔は憮然としていて、不機嫌だということを全体で露わにしていた。そんなマルベリーを見る周りの生徒達は、視線からして腫れものを触るような畏怖があった。しかし、休み時間になると、宮子はそんな様子にまったく気付かずに、平然と近づいて話しかけた。
「マリベリーちゃん、昨日は家に来てくれてありがとう」
マルベリーは黙って宮子を見ていた。あまり話したい気分ではなかったが、マルベリーは仕方なく言った。
「このわたしが、あんな薄汚い場所に行ってやったんだ、感謝するのは当然だ」
「あうぅ、ごめんね、次に来る時はもっと綺麗にしておくから」
「どうやったら、あの外観を綺麗にできる」
「そ、それは、見た目は無理かもしれないけど、家の中なら片づければもう少し綺麗になるから……」
この時、マルベリーはまるで人間のように他愛のない話をしている自分に気付き、あまりのやるせなさに溜息が出た。
「今日はあまり話す気になれない、一人にしておいてくれないか」
「うん、じゃあ向うに行くね」
あまり勘の良くない宮子も、さすがにマルベリーの不機嫌さに気付き、今日はもう話しかけないと決めて自分の席に戻った。
二時間目の授業が終わり、三〇分の夕休みになると、宮子は相変わらず弁当も食わずに勉強に専念していた。その時に、彼女に三人の男子生徒が近付いてきた。それは、転校初日のマルベリーにちょっかいを出してきた、あの三人だった。その中の一人がいきなり宮子の教科書を取り上げた。宮子はその時になって初めて、彼らの存在に気付いた。
「な、何するの……」
宮子が怯えた目で見上げると、リーダー格の赤髪が言った。
「幸野、もうやめろよ、お前が勉強してるのを見てると痛々しいんだよ」
「前のテストはけつから三番目だったよな」
「勉強してる奴が、勉強してない俺たちよりも下って、どんだけ絶望的なんだよ」
「お前はけつだったじゃないか」
「ああ? そうだったっけ? 忘れてたぜ」
宮子を囲む三人の間に笑いが飛び交い、宮子は下を向いて、その笑いの中に沈んた。
「どうせなら、勉強なんか止めて俺たちと一緒に遊ぼうぜ、その方が潔いってもんだ」
彼らは宮子を虐めているのではなく、本気で憐れんでいた。それは虐められるよりもずっと辛い事だった。そうだ、無駄な努力をしている自分よりも、この人たちの方がずっと賢い選択をしているのかもしれない。宮子はそう思うと、あまりの惨めさに涙が滲んだ。
その時、リーダーの赤髪の生徒が、いきなり後ろから足を払われて派手に倒れ込んだ。彼は怒りにまかせて声を発した。
「なにしやが…………」
彼は目の前に立ちはだかる少女を見た瞬間に、言葉が凍りついた。マルベリーは黙って彼を見降ろしていた。宮子を囲んでいた三人は、恐ろしい化け物を見るような目に深い怯えの色を添え、逃げるように宮子の前から消えた。宮子はマルベリーが助けてくれたと思い、飼い犬が主に尻尾を振るのと似た無条件の喜色を浮かべた。
「ありがとう」
「勘違いするな、奴らはお前と話をするのに邪魔だから追い出しただけだ」
マルベリーは、宮子の礼の言葉を叩き落とすように言った。静かに見つめるマルベリーの赤い瞳が燃えるように輝いていた。その激しい光に、宮子は自然、委縮した。
「お前は今、奴らの言ったことを認めたな、そういう姿をしているぞ」
「わたし、その……」
宮子はマルベリーの言った意味を何となく察したが、堪えられずに黙ってしまった。それからマルベリーは、弱い獲物にも全力で襲いかかる獅子のような強烈さを言葉で体現した。
「情けない奴だ、お前は他の者どもよりは、少しはましかと思っていたが、失望した」
「そ、そんな……」
「お前はつまらぬ戯言の前に、自らの誇りを捨てようとしたのだ。お前にとって、誇りである妹とは、その程度のものなのだな」
「マルベリーちゃんに、わたしの何が分かるって言うの……」
マルベリーのあまりに容赦のない攻めに、宮子の大きな瞳から涙が溢れてこぼれ出した。
「泣いて誇りが守れるのか? それならいくらでも泣くが良い、それで妹が守れるというのならな」
宮子の鳴き声が高くなり、周りの生徒たちの視線が集まりだした。マルベリーはそんな事は気にも止めずに言った。
「そんな事だから、幾ら学んでも頭が悪いままなのだ」
「……酷いよぅ、わたし頑張ってるもん……頑張っても駄目なんだもん…………」
宮子はかすれた声を嗚咽で途切れさせながら言った。
「お前は命を捨てても誇りを守ると言っていたが、本物の覚悟がない。わたしはそんな奴とは付き合いたくはない」
その時に三時間目を知らせるチャイムが鳴った。マルベリーは自分の席に戻り、宮子はマルベリーに完全に見捨てられた事で一層深く悲しんだ。
その後、宮子は泣き止んでから、授業を聞かずにただ呆然としていた。そうしていると、心の奥底に溜まっていたものが、次第に熱を帯びて沸騰してくるように、怒りと悔しさになって現れてきた。その怒りと悔しさは、宮子自身に向けられたものだった。マルベリーから妹を真に守る覚悟がないと分からされ、そんな自分が許せなかった。それと同時に、何があっても妹の古都音だけは守ろうと、本当の覚悟を決めた。
すべての授業が終わると、マルベリーは席を立って誰よりも早く教室を出た。それから闇色に染まった校庭に出て、校門に向かう。マルベリーは、宮子の事を残念に思っていた。母の事に関して、宮子のお蔭で分かりかけたところもあったし、小百合のお墨付きもあったので、少し期待をしていたところだった。しかし、誇りを簡単に捨てるような者など信用するわけにはいかなかった。
「待って、マルベリーちゃん!!」
宮子の呼びかけに、マルベリーは立ち止まった。宮子は走ってきて、マルベリーの前に回り込むと言った。
「マルベリーちゃん、さっきのわたしは駄目だったかもしれないけれど、これだけは言っておきたいと思って」
マルベリーは黙って宮子を見つめていた。宮子は息を吸い込むと、決死の覚悟を前面に押し出して言った。
「妹を命を懸けても守るって言った事は本当だから! これだけは、絶対に譲らないから!」
周りにある街灯の光を受けて、宮子の瞳が闇の中で強く輝いていた。それを見ていたマルベリーは、驚いて真紅の瞳を見開いた。前に小百合が戦ってでもマルベリーを止めると言った時と、全く同じものを宮子の中に感じたのだ。
わずかな街灯の光しかない闇の中で二人の少女は見つめ合う。マルベリーを恐れもしないどころか、立ち向かうような宮子の姿は感動ですらあった。マルベリーは宮子の言葉を受け取って言った。
「今言った事に相違はないな」
宮子が強く頷くと、マルベリーはそれを真摯に見返して言った。
「よし、ならばわたしが勉強を教えてやる」
「え!?」
思ってもいなかったマルベリーの申し出に、宮子が戸惑った事は言うまでもない。
「あの、本当に教えてくれるの?」
嘘のような現実の前に宮子が言うと、マルベリーは途端に不興の色を強めて返した。
「お前は、わたしの言う事が信じられないのか」
宮子は慌てて両手を振って言った。
「うんん、そうじゃないの、わたし完全に嫌われたと思っていたから、もしかしたら夢なんじゃないかって思って」
「訳の分からない事を言うな。宮子の覚悟は本物になった、それならば行動を共にする意味もあろう。それに、誇り無き者が、誇りある者を蔑むという人間の不条理を、見過したくはない。お前は自らの誇りに見合った力を手に入れるべきだ」
「でも、力って言っても、わたしすごく弱いし……」
宮子が言うと、彼女のあまりの分かりの悪さに、マルベリーは怒るよりも心配になってきた。
「お前が非力なのは百も承知だ、腕力はどうにもならない事だが、知識なら本人次第でどうとでもなる、だから勉強を教えてやると言っている」
宮子はようやく理解して、いつもの明るい笑みが出てきた。
「わたし頑張るね」
「行くぞ」
「え? どこに?」
「お前の住処に決まっているだろう」
「今からやるの?」
「当然だ!」
マルベリーが強引に宮子の手を引くと、宮子は転びそうになりながら連れて行かれた。




