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素晴らしき人間たちよ12

 翌日は日曜日だった。マルベリーは昼ごろに急に右手に熱を感じて飛び起きた。

「熱い!?」

 慌てて起き上がって見ると、隙間から入ってきた糸のように細い陽光が、手の甲を焼いていた。よく見ると、似たような細い光が、幾筋も部屋の中に入ってきていた。

「ええい、忌々しい、この部屋は隙間が多すぎるんだ!」

 マルベリーは掛布だけ持って、部屋の奥の闇が一番深いところに移動すると、布団に包まって目を閉じた。

「惨めだな、棺桶があればこんな思いはせずに済むのに……」

 そうして耳を澄ましていると、居間の方から楽しそうに話す人間の声が聞こえてきた。

「小百合だけではないな、他に三人いる」

 マルベリーは寝付かれなくなっていたので、人間たちの声を聴いていた。小百合以外の三人は小百合の友人らしく、全員が女の子だった。二人は良く話し、もう一人は小百合ほど無口ではないが、時々相槌を入れたり話を振ったりする程度だった。小百合はたまに返事をするくらいで、自分から話をする事はないようだった。

「人間の女というのは良く喋るものだな」

 マルベリーは少女たちの声を聴いているうちに気になりだしてきて、部屋の戸の前まで行くと、そっと扉を開けた。廊下は薄暗く、日の光は入っていなかった。マルベリーが戸から顔を出したところに、向こうから小百合が廊下を歩いてきた。マルベリーの部屋の前の廊下は、台所にも通じていたので、茶菓子を取りに行こうとしていた小百合が、たまたま通りかかったのだ。

「あら、まだ昼間なのにどうしたの?」

「お前たちの声が気になってな」

「うるさくして悪かったわね、もう少し静かにするように言うわ」

 そう言う小百合に、マルベリーは片手を揺れる木の葉のように振って言った。

「気にするな、起きたのは話し声のせいではない。それに、人間達の会話は、聞いていて興味深いところもある」

 その時に、小百合の友人であろう少女の声が、居間の方から聞こえてきた。

「小百合、どうした? 茶菓子が見つからないのか?」

 それは張り上げるような声で、廊下まではっきりと届いた。少女は小百合が戻ってくるのが遅いので気にしているらしい。マルベリーは反射的に部屋の中に引いた。

「すぐに行くから待ってて」

 小百合は大声を出したりはしないが、凛としていて曇りのない声は、廊下の向こうまで良く通った

「眠れないなら、お茶でも持ってくるわ」

「それはありがたい、紅茶にしてもらえると嬉しい」

 小百合は頷くと、部屋の戸を閉めて台所の方に歩き去った。

 マルベリーは紅茶を届けてもらうと、それを飲みながら真っ暗な中で本を読んだ。彼女はこの頃から、人間の歴史について学ぶ事を心がけていた。母の真意を知る為に、少しでもきっかけになるものがあればと思っての事だった。

 それからマルベリーは一時間ほど本を読み、ひと眠りしてから日が沈むと同時に起きた。それから袖のところにフリルの着いた長袖の白のブラウスと、同じく白で丈の長いスカートの姿で、玄関にいくつかあったサンダルを適当にはいて外に出た。彼女が小百合の気配を探して湖のところまで来ると、湖の畔にある紅鮮やかな紅葉の木の郡立の中で人の気配がしていた。マルベリーは繁っていると言っても良いくらいの紅葉の中に入って行った。

 紅葉の木々の向こう側には、ぽっかりと開いたような空間があって、紅葉の木が円を描くように周りを囲っていた。その中に小百合はいて、紅葉の散る中で桶と柄杓を持って石柱に水をかけていた。マルベリーは小百合の姿と石柱を少し眺め、やがて気付いて言った。

「それは墓所か?」

「そうよ、わたしの母さんのお墓」

「……お前も母を亡くしていたのか」

「……わたしのお母さん」

 小百合はそう言うと、桶と柄杓を置いて話し出した。それはマルベリーに聞かせると言うよりも、自分の苦しみを他人に打ち明けて、楽になるというような趣があった。

「わたしのお母さんね、わたしがずっと小さい頃に死んだのよ」

「何故死んだ?」

「人間界に迷い込んできた妖魔の子供を守って」

「何だと!?」

 小百合の口から語られた衝撃的な事実に、マルベリーは驚くと同時に、何かが胸に迫るような感じを覚えた。彼女にとって、人間が種の違う妖魔を死んでまで守ったという事は、にわかに信じがたいものだった。何の得があってそんな事をしたのか、マルベリーはそう思いつつも口には出せなかった。はっきりとした理由はないが、それは言ってはいけない事だと直感的に思った。

 小百合は思い出すほどに悲しみを募らせ、薄暗くなってきた紅葉の園の中で、その瞳は潤みを帯びて輝いていた。

「お母さんは、子供を守りながら妖魔を狙う人たちと戦ったの、そして人間界と妖魔郷の境界で力尽きたわ、そのおかげで子供は無事に妖魔郷に帰る事が出来たの」

 話しが切れて、沈黙の中に紅葉の間を風の渡る音が混じった。マルベリーは言葉が見つからず黙っていた。小百合さらに話を続けた。

「それを知ったのは、ずっと後の事だった。わたしは退魔師になって、何の罪もない妖魔を沢山殺したわ、それが正しい事だって思ってた。そして、気づいた時には……」

 小百合はその時、微笑を浮べた。少し前にマルベリーが浮べたのとまったく同じ、痛いのを我慢しながら出したような、悲愴な微笑だった。

「何もかも手遅れだったの」

 小百合の過去は、マルベリーも黙してしまう程に残酷なものだった。何とも言えないような顔のマルベリーを見て、小百合は表情を穏やかにした。

「今はもう大丈夫よ、沢山の人に助けてもらって、立ち直る事が出来たから。でも、貴方はこれからよ、これから答えを見つけなければならないわ。わたしはその為に、出来る限りの事をするつもりよ」

「……何故だ、他人であるし、種も違うのに、そこまで言う理由は何だ?」

「それが人間というものなのよ」

 そう言われてしまうと、マルベリーは何とも返し様がなかった。小百合はふと楽しそうな微笑を浮べてさらに言った。

「それに、マルベリーのこと結構気に入っているから」

「なっ!!?」

 マルベリーは一瞬、唖然としたが、小百合から目を逸らすと、しどろもどろに言った。

「わたしもその、何と言うか、お前のことは人間にしては、悪くないと言うか……」

「好意と受け取っておくわ」

「……勝手にするがいい」

 マルベリーは投げやりな調子で言って、いかにもその場に居づらいという感じで立ち去った。その頃には風が止んで、闇が濃くなり始めていた。


 その夜、テレビの使い方をすっかり覚えたマルベリーは、その不思議さに付かれて、チャンネルを次々に変えていた。それを一緒に見ていた小百合は、やがて無表情のままに言った。

「あんまりころころチャンネルを変えないでくれる、落ち着かないのよ」

「この薄い板には、どれほど多くの絵が隠されているのだ?」

 マルベリーは小百合の言う事など全く聞かずに、自分の疑問だけを投げながら、テレビのリモコンをいじっていた。

「板じゃなくて液晶テレビね、それと前にも言ったけれど、絵じゃなくて映像だから、他人が別の場所で撮っている映像が、テレビに映っているのよ」

「なるほど、わたしが破壊した公園が映っていたのは、そういう訳か」

 それから、チャンネルをやたらに変えていたマルベリーが、一瞬顔を強張らせて、一度通り過ぎた番組にチャンネルを戻した。

『テロの起きた公園での犠牲者に続き、これで十一人目の犠牲者です。まったく、謎ばかりが多い殺人事件です』

 テレビには連続失血殺人事件と銘打ってニュースが流れていた。世間では殺人事件の犯人は謎とされていたが、マルベリーと小百合だけは知っている。

「奴め、どれほどまで人間の血を啜るつもりだ」

「誰かが止めない限りは、延々とやるでしょうね。退魔師としては、この状況を黙って見ているのは辛いわ」

「仕方がない、戦いを挑んだところで殺されるだけだからな。なに、そのうちに妖魔郷から刺客がやってくる、そうなれば奴は粛清されるだろう。しかし一人や二人ではどうにもならん奴だからな、刺客の人選には慎重を要するだろう。しばらくは野放しにしておくしかないな」

「あとどれだけの人が殺されるのかしら……」

 小百合はヴォルフロードの犠牲者が増える事に責任を感じていた。戦ってもまず勝てないのだから、仕方がないのだが、そんな簡単には割り切れなかった。その様子を見たマルベリーは言った。

「もはや我々には関係のない事だ、わたしは成すべきことをする」

 そう言って、マルベリーはテレビを消した。

「そうね、それが正しいわ」

ヴォルフロードの事を忘れろと、マルベリーに言ったのは自分なのにと、小百合は苦々しく思った。

 マルベリーは本当にヴォルフロードの事など気にしてしないように見えた。実際のところはそうではないが、一度こうと決めた以上は、それに向かって邁進する。自分の選択に誇りを持っているのだ。小百合はマルベリーのそういうところが好きだった。


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