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素晴らしき人間たちよ11

 その日、夜の十一時過ぎに帰ってきたマルベリーは、明かりの灯る茶の間の障子戸をいっぱいに開けて、麻の一枚織の寝衣姿でお茶を飲んでいた小百合にいきなり言った。

「小百合! 何なのだ、人間というのは! ますます訳が分からなくなってきたぞ!」

「入ってくるなり、そんな事言われてもね。それよりも寒いから、障子を閉めて欲しいわ」

 小百合が迷惑そうに言うと、マルベリーは不服そうな顔をしながらも障子を閉め、それから掘り炬燵に腰を下ろした。

「人間とは誇りをもたない、最低な生き物だという事が分かった」

「いきなり酷い事を言うわね、わたしだって人間なのよ」

「お前がそうではない事は分かっているが、今日見た人間共は、自分よりも弱い宮子を、四人で囲んで攻めていたのだ、まったく何なのだあれは!」

 マルベリーは軽く机を叩き、誇りを持たない人間の行動に対して、激しく憤っていた。そこに小百合は静かにお茶を入れて出していた。

「……宮子ちゃんは虐めを受けていたのね。助けてあげたの?」

「助けはしなかったが、奴らはわたしに恐れを成して逃げていった」

「まあ、結果的には助けたってことね」

「複数人で弱者を攻めるというのは、どういう訳なのだ? よほど込み入った理由があるに違いないと思うのだが」

「大して理由なんてないわ。弱い者を虐めるのが楽しいからそうするのよ。それ以外には、自分の受けている苦しみを紛らわすために虐めたり、目立ちたいから虐めたりとか」

 マルベリーは酷く怪訝な顔をして、小百合を見詰めていた。

「小百合、今言った事は冗談ではないのか?」

「冗談なんか言わないわ、こんな程度は序の口よ、人間は無抵抗な弱者を何十万と虐殺した歴史だって持っている、人間にはそういう事を平然とする魔性の部分があるの」

 マルベリーにとっては、とても信じがたい話だった。勘違いのないように言っておくが、マルベリーが信じられないのは、何十万という人間が虐殺された事ではなく、何十万という弱者をわざわざ殺す意味が分からなかったのだ。弱者など何も出来ないのだから放っておけばいい、というのが吸血鬼社会の常識で、吸血鬼にとって弱者をわざわざ屠るなど、究極と言っていい程の不名誉でしかなかった。マルベリーは、そんな吸血鬼の中でも更に気位が高い方で、弱い者虐めが楽しいなどという感覚は、あまりにも常軌を逸し過ぎていて、ほんの一片でも理解することは不可能だった。

「……人間など、今までは愚かでつまらん生き物だと思っていたが、知っていくほどに何やら異様なものを感じるな」

 理解できない事をいつまで考えていても仕方がないので、マルベリーは気を取り直すようにお茶を飲み、それからまた小百合に行った。

「宮子が、わたしのしている事に対して、沈んだり喜んだりと、ころころ様子が変わって、あれも不思議だったのだが、何故だか分かるか?」

「いきなりそれだけ言われてもね、ちゃんと状況を説明してもらわないと」

 マルベリーは、使い物にならなくなった教科書を破り捨てると、宮子が悲しそうな様子だった事を説明し、その後にはとてつもない難問を突きつけられたという神妙な顔になって言った。

「宮子は、わたしの教科書をやると言ったとたんに、急に元気を取り戻した。それは、使い物にならない教科書よりも、使える教科書の方がいいのは分かるが、それにしてもあの変わりようは異常だ。教科書を手渡した時など、天にも昇りそうな喜びようで、あんなつまらん書物を一生の宝にするとまで言ったのだ。あれはどういう事なのだ?」

 小百合はお茶を飲みながらマルベリーの話を聞いていて、湯呑を置くと言った。

「人間というのは、他人に何かをしてもらうと嬉しいものなのよ。それが大切な存在であるほど、喜びが大きくなるの」

「他人の世話になると嬉しいのか? まったくわからん……」

「貴方は力が強すぎて、他人の世話になる事なんてないでしょうからね」

「いや、少なくとも小百合の世話にはなっている。だが、どうしてそれが喜びになるのだ? わたしは情けないと思うばかりだが……」

「……口では説明のし様がないわね」

「そうか……では、宮子が悲しんでいたのは何故だ?」

「それは、友達に大切な教科書を破られたから、悲しかったのでしょう」

「使い物にならないのに大切なのか?」

「人間というのは、大切にしていた物に対して、思い入れを抱くものなのよ、それが例え使いものにならないとしてもね。宮子ちゃんはよっぽど教科書を大切にしていたのでしょうね」

「既に機能を果たさなくなった物に固執するとは、奇妙なものだ」

 マルベリーは腕を組み、今得た人間に関する知識を頭の中でまとめようとしたが、急に両手で頭を抱えて頭痛でもしているかのように呻きだした。

「駄目だ小百合、どう足掻いても人間を理解する事は出来そうにない、わたしはこれからどうしたら良いのだ……」

「吸血鬼が苦悩する姿なんて珍しいわ、携帯で撮っておこうかしら」

「なんだ、そのケイタイというのは?」

「何でもないわ、こっちの話よ」

「……これからどうすべきか……もう妖魔郷に帰った方がいいのだろうか…………」

 思わず漏れるマルベリーの弱音を聞いて、今度は小百合の方が考え込んだ。吸血鬼が弱音を言うなど驚くべき事だった。人間の複雑な精神性には、吸血鬼には理解できない部分が多分に含まれていて、マルベリーは人間を知るごとに、自信を失っていた。

「貴方は勘違いをしているわ、貴方が成すべきは人間を理解する事ではなくて、お母さんの言葉の意味を知ることよ。だいたい、種族が違うのだから、全部なんて理解できるわけないでしょう」

「……そうだな。しかし、それだけだとしても、雲を掴むようなものだ」

「ここで大事なのは、宮子ちゃんにとって、あなたは大切な人になっているということよ」

 マルベリーは人間に好かれていると聞いて、あまり良い顔はしなかった。

「勝手に思っているがいい、こちらには関係ない」

「貴方も宮子ちゃんを大切にするの、そうすれば答えは見えてくると思う。それが出来なければ、何も分からずに妖魔郷に帰ることになるわよ」

 小百合の静かな声の中には、釘を刺すような鋭さがあった。それでマルベリーは、小百合は本当に大切な事を言っていると理解した。しかし、それでも彼女は渋々という顔で言った。

「……分かった、覚えておく」

 その時に、0時を知らせる時計の鐘が鳴った。


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