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夜葬曲  作者: スピカ
9/22

9・深遠の深淵

      9・深遠の深淵


「・・・全部、見てきたよ」

「・・・そうか」

 記憶の中を歩いている時、真愁はずっと手を握っていてくれた。この手に宿る感覚は、全てを知った私を慰めてくれる。

「これで終わったな」

「・・・何も聞かないの?」

「辛い思い出なんだろ?」

 真愁はそう言うと、私の手を離した。

「薄っすらと朝霧が出てきたな。もう帰った方がいい」

 もう終わり?・・・違う、まだ遣り残したことがある。

「まだ終わりじゃない」

「は?」

「もう少し一緒にいて」

 そう言いながら私は真愁の手を取り、歩き出した。

「お、おい、何処に、」

 私は真愁の手を引き、朝霧の中を歩いて社を目指した。

「助けたいの、水無月に伝わる刀を」

 助けられてばかりなんて嫌だった。父にも、母にも、兄にも、何もしてあげられなかった。だからせめて、水無月の歴史だけは守りたい。時雨が悲劇を生み出したものだと、罵られるのは我慢できない。刀が持ってしまった戦慄を知って、出来るのなら浄化してあげたい。


 社の前に立つと、異様な気配を感じた。

(やっぱり刀はここに)

 おそらく処分することが出来ずに、元の場所に戻したに違いない。

 私は両手で社の小さな扉を開放した。思ったとおり、時雨は社の中で眠っていた。

「なぁ、もういいだろ?」

「嫌よ。せめて刀だけでも救ってあげたい。あんな事言われて、退くわけにいかないじゃない。それに・・・」

「・・・それに、何だ?」

「私の、最後の家族だし」

 私に握られていた真愁の手から力が抜けていく。私はそれを肯定と取った。

「いいのね?」

「言い出したら聞かないな。好きにしろよ、ちゃんと見届けるからさ」

 私は無言で頷き、刀に手を伸ばした。

「・・・何があっても・・・朱音を守るよ」


 静かに刀を手に取ると、しっかりとした重量感が圧し掛かった。

(・・・教えて、時雨)

 想い、目を閉じる。いつもなら心に情景が浮かぶのだけど、今回は何も見えない。あるのはただの暗闇。

「・・・え?」

 何かが迫ってくる。

「黒い、感情?」

 とっさに身構えたが、そんなことは何の意味も持たない。迫り来る黒い感情が私を突き抜けていく。

(これは・・・家族を奪った、あの鴉の心)

 黒い感情が私の心を侵食していく。



「我は今、時の牢獄に居る」


「魂は彷徨い、廻り続ける」


「終わらない時」


「募る憎悪」


「沸き立つ殺意」


「黒の衝撃」


「黒の衝動」


「お前にも・・・あるはず」



「あ・・・あ・・・あ」

 黒い感情が、身も心も鷲掴みにして離さない。私の心が徐々に黒く染まっていくのを感じる。

(光が・・・見えない。闇しか・・・見えない)

「朱音、しっかりしろ。刀を捨てるんだ」

(真愁の声?ごめん・・・よく聞こえない)

 私を弄ぶ黒い感情は、鋭い声で私を誘う。


(復讐の始まりだ)


「何処へ行く気だ?まさか、町へ?」

(・・・町?)

 さっき見た幼い頃の記憶が心に映りだした。私を押さえつける無数の手。背中を染める毒。切り刻む視線。詰る言葉。


(お前にも・・・あるはず)

(・・・ある。持っている。憎しみも、怒りも、踏み躙りたい衝撃も、壊したい衝動も)


 頭の中に、鞘から刀を抜く音が響いた。瞼の向こうに鋭い輝きを感じる。

「やめろ、朱音。誰も傷つけるな」

(あぁ・・・真愁。お願い、逃げて)

「約束だ、今助ける」

(止まって、)

 私の意に反し、体は流れるような動作で刀を構える。

(駄目、止めて)

 掲げられた刀を下げ、足の指に力を込めて踏み込む。その勢いを保ち、刀を振り上げる。


「俺、守人っていうのになるんだって」


「朱音を守る役目だってさ」


「そんなの守人じゃなくてもやるって」


「4歳になったから、これから稽古が始まるんだ」


「朱音一等賞だったんだろ?俺と一緒だ」


「朱音、稽古が終わったらまた遊ぼうな」


「またそうやって泣きそうになる」


「逃げろ、朱音」


「朱音は俺が守る。俺は朱音の・・・」


「起きろよ、朱音」

 耳元で、真愁の声がする。

 その優しい声は光に変わり、私の心を照らして闇を払う。

 強張っていた腕から憎しみが消え、持っていた刀がするりと零れ落ちた。

「ほら、もう夜明けだ」

 私は真愁の声に導かれ、ゆっくりと目を開けた。

「目、覚めたか?」

「・・・うん」

 真愁は朝霧の中で私を抱きしめていた。懐かしい腕に抱かれ、私の心は満たされていく。そして胸いっぱいになった光は、涙に変わって瞳を満たす。

「また・・・そうやって泣きそうになる」

「どうして・・・こんなことに・・・。私、真愁の心を斬った」

 次第に真愁の・・・兄の体から力が抜けていくのが分かる。

(今度は・・・私が支えになる)

 私は兄を抱えたまま、地面に膝を付いた。

「・・・お兄ちゃん」

「なんだ、気付いていたんだ」

「だって、ずっと真愁から感じていたよ。深い・・・兄弟愛を」

 兄の体から光が溶け出し、空に吸い込まれるように消えていく。

「私、取り返しのつかないことを・・・」

「泣くなよ・・・朱音。俺はずっと昔に死んでいるんだからさ」

 その事実が、余計に涙を誘う。

「朱音の顔が一目見たくてさ・・・朱音の声が利きたくて・・・ずっとここに残っていたんだ。・・・想いが遂げられたと思ったら、朱音は苦しんでいた。・・・なんとか、助けたくて・・・」

「私を・・・ずっと待って。・・・今まで助けてくれて・・・」

「だって・・・俺はお前の・・・」

 涙が止まらない。胸が張り裂けそう。

「そんな顔するなよ」

 兄はそう言いながら、私の頭を撫でてくれた。

「笑えよ。今は光の中に居るんだからさ」

 闇を払い、光で満たしてくれたのは、紛れもない私の家族。最愛の・・兄。

「もう・・・時間だ」

 私は涙を撒きながら首を振った。

「やだ・・・やだぁ・・・」

「聞け、朱音」

 兄は私の髪を撫でながら首に手を回し、口元へ引き寄せた。

「いつまでも縛られちゃ駄目だ。黒い影は消えることはないけど・・・怯えるな。これからは、自分の力で振り払うんだ。約束してくれ」


 私は無言で頷いた。


「いい子だ。・・・さすがは俺の妹」

 そう言うと、兄はもう一度頭を撫でてくれた。

「時雨の意味、知っているか?」

「え?」


「泣いて涙を落とす」


「この刀は自愛の刀なんだ。誰も殺めず、悪しき心だけを斬る刀として水無月家に伝わっている。・・・でも20年前の悲劇で黒く染まってしまった。・・・けど今は・・・お前の手で救われたみたいだ。・・・見ろよ」

 私は地面に落ちている時雨に目を向けた。刀身に朝霧が集い、やがて雫に変わった。時雨に出来た雫は刀身を伝い、大地へと帰った。

「ほら・・・泣いて涙を落としている。お前が救ったんだよ」

「・・・ありがとう・・・お兄ちゃん」

「そう。そうやって・・・泣かずに、笑って生きてくれ」

 私は強く真愁の手を握った。

「じゃあな。・・・幸せになれよ」

 兄はそう言い残すと、体が完全に光に変わった。兄の光は私を覆い、私の中に染み込むように消えていった。

「約束するよ・・・優しい想い出をくれて、ありがとう・・・」



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