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夜葬曲  作者: スピカ
7/22

7・欲火に焦がれる者

7・欲火に焦がれる者


 4歳の頃の私は、兄と同じ部屋で寝ていた。夜が怖い私は、夜中に一人でトイレに行くことができず、兄に一緒に着いて来てもらっていた。・・・あの夜もそう。


「ねぇ・・・お兄ちゃん、起きて」

「うん・・・何だよ」

「トイレ行きたい」

「・・・一人で行けよ」

「一人じゃ怖いもん」

 私のわがままに兄は嫌がっていたが、結局折れてくれた。目を擦りながら、しぶしぶ私の手を引いて一緒にトイレへ。


「ねぇ、ちゃんといる?」

「いるってば。早く・・・しなよ」

 大きな欠伸がトイレのドアを突き抜けて聞こえる。気の抜けるような安堵感が私を訪れた。

「ごめんね、ありがとう」

「ん、いいよ」

 再び私の手を引いて部屋に戻ろうとする兄。歩く度に床の軋む音がする。

「もっとゆっくり歩いてよ」

「朱音は怖がりだなぁ」

 兄にしがみつきながら部屋に戻る途中、リビングの方に明かりが点いているのに気が付いた。

「まだ起きているのかな?」

「まだ10時だから、大人は寝ないんだよ。なぁ、ちょっと行ってみようか?何か美味しい物食べているかもしれないぞ」

「えぇ、ずるい」

「よし、行ってみよう」

 兄は私の手を引き、リビングの方へ。そして、そっと襖に手を掛けた時だ。乱暴に玄関の戸が開かれた。私達は驚いて悲鳴を上げた。

「はぁ、っあ・・・。お前達、まだ起きていたのか?」

 玄関を開けたのはお父さんだった。

「ご、ごめんなさい。トイレに行って、明かりが、見えたから・・・」

 兄は言葉を詰まらせながら、手振りを交えて説明した。こんな時でも、兄は私の手を離さなかった。

「いや、いいんだ」

 お父さんは肩で息をしながら言った。

「あなた、どうしたの?」

 リビングから慌ててお母さんが出てきた。

「今さっき、社に行ってみたら、見知らぬ人がいた」

「まさかさっき電話で連絡があった・・・」

「かもしれない。社の中にある時雨を手にしたら、大変なことになる」

 時雨(しぐれ)とは、社の中に収められている刀の名前。


「さあ出て来い、水無月!長い間この時を待ったぞ!」

 突然、外に荒々しい叫び声が聞こえた。叫び声と言うより、獣の咆哮に近い。

異常なまでの威圧感に怯えるように、玄関の戸がカタカタと音を立てた。

私は訳が分からず、お父さんとお母さんの顔を交互に見つめていた。二人とも、青ざめている。


「君は二人を連れて行け」

「そんな、みんなで逃げましょう」

 お母さんは泣きそうな声をしている。

「すぐそこまで来ている。私が食い止めるから、その内に」

「無茶よ」

「無茶でもいい。資格こそないが、私は家族の守人(もりびと)だ」

「でも・・・でも!」

「闇を祓える二人を頼んだよ。・・・さぁ、早く」

 その言葉が、私が聞いたお父さんの最後の言葉。

 お父さんが玄関に向かって走り出すと、お母さんはその場に泣き崩れた。

「おかあ・・・さん?」

 4歳の私には、この時何が起きたのか全く分からなかった。

「これが・・・宿命」

 小さな声でそう呟くと、お母さんは覚悟を決めた顔で立ち上がり、私達の手を取った。

「二人とも、私の手を離さないでね」

 お母さんが駆け出そうとしたその時、外から声が聞こえた。

「久しいな、水無月の者。と言っても、お前と会うのは初めてか」

「その禍々しい目・・・間違いない」

「察しがいいな」

「・・・話しは聞いている。お前が(からす)か」

「お前に用はない。水無月の血筋を出せ」


「やっぱり・・・鴉が・・・」

 お母さんの手に力がこもった。


「出す気はないか。なら呼んでもらおうか」


 外から激しく砂利を踏む音と、鋭い風切り音が聞こえ始めた。その音に続き、砂利と金属がぶつかる音が聞こえた。


「まさか・・・」

 お母さんは無言のまま私達の部屋へと素早く移動した。そして部屋の照明を消すと、押入れの襖を開けた。

「早く、この中に入って」

 その言葉にいち早く反応した兄が、先に押入れに入り込んだ。

「朱音、早く入れ」

 私は訳が分からないまま言葉に従った。押入れの中に入ると、兄は私を引き寄せ、背中から私を抱いた。

 お母さんは押入れを閉めると、戸越に小さな声で言葉を送った。

「何があっても、この中でじっとしていて。声を出しちゃ駄目よ」

 その言葉が、私が聞いたお母さんの最後の言葉。


「・・・・・・」


「・・・・・・」

「・・・・・・」



「・・・・・・」


「怖いよ・・・お兄ちゃん」

「大丈夫。俺が守ってやるよ」

 頭を撫でながら、耳元でそっと囁く兄。

重なり合う心音。私は今・・・守られている。



乱暴に玄関を開ける音が暗闇に響いた。私を抱く手に力が入る。

「声、出すなよ」

 私は頷いて答えた。


 ・・・ギィ・・・


      ・・・ギィ・・・


・・・ギィ・・・


 床の軋む音が家の中を徘徊している。


 遠ざかる足音。完全な静寂が、余計に私の正気を削っていく。口を窄め、ゆっくりと呼吸をするものの、破裂しそうな心臓に振り回され、痙攣するように体が揺れる。


 再び床の軋む音が聞こえ始めた。徐々にこの部屋へと近づいてくる。


・・・ギィ


・・・ギィ・・・


ギィ・・・


 ギ


 音が部屋の前で止まった。


 スーっと静かに襖が開く音。


 緊張の限界に達した私は、呼吸の仕方を忘れ、喉を鳴らして息を吸い込んだ。

 お兄ちゃんが慌てて私の口に手を当てた。


「隠れてないで、出てきたらどうだ?」

 見知らぬ男の声に、私は祈るように手を握り合わせた。

「そう恐れるな。・・・迎えに来ただけだ」

 唸る心音を少しでも抑えようと、私は握り合わせた手を胸へ運んだ。


「出て来ないか・・・残念だ」

 男は突然、押入れに刀を刺してきた。


 目の前で刀が妖しく揺れている。私の息が完全に止まった。目の前が霞み、意識がまどろむように曖昧になっていく。


 唐紙が擦れる音を響かせながら、ゆっくりと刀が抜かれていく。開けられた穴から月明かりが差し込んだ。

 無音の時。私は強く目を閉じた。


 どれだけの時間が過ぎたのか分からない。刹那?永劫?

 尽きるように瞼から力が抜けていく。私の意志に逆らい、開かれる眼。

 うつろう瞳が最初に映し出したのは、刀で開けられた穴から覗く、深紅の眼だった。


「あ・・・あ・・・お、お兄ちゃん」

「逃げろ、朱音!」

 兄は勢いよく押入れを開けると、男に飛びかかって行った。

「早く逃げろ」

 よろめく男の足にしがみつき、小さな力で抵抗を始めた。

「でも・・・でも、」

「いいから、早く行け!」

「・・・っ」

 気迫のこもった言葉に押されるように、私は走り出した。喚きながら、泣きながら、必死に足を動かした。そして気が狂いそうな中、靴に足を乱暴にはめ込み、よろめきながら再び駆け出した。



「これが、この家を襲った悲劇。真愁・・・私・・・」

「朱音、もういい」

「私・・・私」

「もういいって」

 欠けた記憶。大切な人を全て奪われる記憶。色濃い、漆黒の記憶。

「もうすぐ夜が明ける。もうここを出よう」

「まだ・・・終わってない」

 そう・・・まだ終わりじゃない。

「何を言う」

「この後・・・私はどうなったの?背中に浮かび上がった文字は何?」

 そう、欠けた記憶にはまだ続きがある。

・・・知りたい。全てを見届けなければ、私の世界は救われない。

「この家から逃げた後の事なんて、どうやって知る?何を触っても分かるはずない」

 いや・・・それは違う。

「一つだけ、方法があるよ」

「・・・?」

 もうこれしかない。欠けた真実を埋める、唯一の方法。

 私は深呼吸をした後、自分の胸に手を当てた。

「私自身に触れば・・・見えるはず。試したことないけどね」

 そう言って、下手な作り笑いを浮かべると、真愁は真顔で私の瞳を覗き込んだ。

「ふう・・・止めても無駄か」

 覚悟を察してくれた真愁に、今度は本当の笑顔を浮かべた。

「繋いだ手、離さないでね」

「ああ、約束だ」

 その言葉を胸に宿し、私は目を閉じた。



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