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夜葬曲  作者: スピカ
5/22

5・誡めの傷跡

5・誡めの傷跡


 背中を何かが伝う感触がする。その軌跡を追うように、今度は燃え上がるような痛みが背中を這う。

「熱、い」

 紅蓮の炎が私に焼印を施す。そんな感じだ。

「痛っ」

 激しさを増す痛みに、私は目を開けた。

「・・・夢じゃないの?」

 目が覚めた今も、痛みは消えず、熱は私を焼き続けている。

「背中が・・・」

 私は布団の中で蹲り、痛みに耐えた。


 どれだけ時間が経ったか分からないが、ようやく痛みはぼやけ、徐々に熱が退いていく。

 私は布団を跳ね除けた。

「・・・っ」

夏の空気すら冷たく感じる。荒く息を吐きながら、背中に手を回して優しく撫でる。

「・・・・・・」

 汗で纏わり付くシャツを着替えようと思い、私は静かに立ち上がった。


 静かに居間の電気を付け、バックから替えのシャツを取り出した。続いて背中を気遣いながらシャツを脱ぐと、ふとあることを思い出した。

(そうだ・・・旅館でお風呂に入った時、女将さんが私の背中を見ていた・・・)

 背中を凝視する視線を思い出すと、急に体が寒くなった。

「・・・」

 私は脱いだシャツをバックの上に置き、ゆっくり視線を左に向けた。そこには等身大の鏡があり、鏡には、何かに怯えた目をした私が映っている。

「・・・怖い」

 私を囲むように騒ぐ虫達の声が心を乱し、不安を煽る。


私はゆっくりと鏡に背中を映した。





「圭り」

※現在では使われていない言葉のようです。「けい」と読みます。意味は「家畜などを、嬲り殺す」

 




「はぁ・・・あぁ・・・」

 人は本物の恐怖に対峙した時、何も言えない。失ったように、言葉が出てこない。

 発狂しそうなほど怯え、視界は歪み、全てが闇に覆われていく。

 私は震えながらシャツを着て背中を隠した。そしてこの場から、自分を染めようとする闇から逃げ出した。


 自分の思考すら振り払うように、暗闇の雲に覆われた空の下を私は走り続ける。

(何も考えたくない)

私の背中めがけ、後ろから無数の手が伸びてくる気配がする。これは幻想じゃない。私を呼び覚ます、意識の訴え。

(付いてこないで)

後ろを見ない。

(触らないで)

前も見ない。

(何で・・・私が)

どこも闇。

(うるさい。聞きたくない)

目に映る全てが闇。

(もう・・・楽になりたい)


 街灯のない海岸沿いの道路を走り続けると、不気味なまでに赤く染まった鳥居が見えてきた。

(きっと、全ての始まりがここにある。このまま逃げ切れないのなら、どこまでも纏わりついて来るのであれば・・・いっそ、全てを知って、)

「壊れてしまえばいい」

 自分が自棄になっているのは分かっている。それでも止められない。止められやしない。

「っ、」

 恐怖に飲み込まれる前にと思い、私は石段を駆け上がった。

 破裂しそうな心音が、私の息を崩す。

異常な呼吸音を木霊させながら、私は一心不乱に石段を登り続けた。

(みんな消えてしまえ。全て・・・消えてしまえっ)

 思うように上がらない足が縺れ、私は石段に両手を付いて倒れ込んだ。

(痛・・・)

 拳を握りながら横を見ると、わずかな風に靡く木の枝、そしてその奥下には、漆黒に染まった海が今にも全てを飲み込もうとうごめいていた。

(・・・怖い。この町は・・・黒い闇)

 そう思うと、この町であった事が次々と脳裏に張り付いた。

 萎縮するように蹲っていく私。このまま闇に染まると思った時、たった一つだけ、光でできた思い出が浮かんだ。


「・・・真愁!」

 大きすぎて掠れた声で、私は光の名を呼んだ。

「真愁!」


「こんな真夜中にここへ来るなんて、物好きだな」


 出会った時と同じ、涼しげな声。


「どうした?怯えているのか?」


 私は頑なに強張っている顔をゆっくりと上げた。するとそこには、明るい表情で私の顔を覗き込む、真愁の姿があった。

「真愁・・・どうして?」

「どうしてって、俺の名を呼んだだろ?」


 あぁ・・・光が・・・闇を祓う。


 私は全てを真愁に話した。何故かこの町の住人が私を知っていること。私を忌んでいること。港で会ったおばあちゃんのこと。背中に浮かび上がった文字のこと。恐怖に駆られ、自棄になってここまで走ってきたこと。

 言葉を吐き出すにつれ、私は少しずつ落ち着きを取り戻していった。でも、目の奥に潜む恐怖心だけは拭い切れなかった。


「話は分かったよ。・・・それで?これからどうしたい?」

「・・・・・・」

「これ以上怖い思いをしたくないなら、朝までここにいればいい。俺が一緒に居てやるよ。夜が明けたら船に乗って帰れ。そしてここでのことは忘れろ」

(全てを、忘れる選択)

「もし・・・もしもだ。真実が知りたいのなら、ここを登りきれ」

「知る手掛かりがあるの?」

「・・・さぁ、」

 真愁はバツが悪そうに目を逸らした。

「俺は選んでやれない。自分で決めるんだ」

 私に選択を迫る真愁。それを照らすように、千切れた暗闇の雲から月明かりが差し込んだ。

光の矢筋を辿って空を見上げると、訴えの象徴のような、欠けた月が静かに輝いていた。


(これはきっと・・・私に咲く運命)


「私は、ここで遭ったことを忘れることなんてできない。忘れたフリもできそうにない」

 それだけ深い闇。心に根付く、深い闇。

「それに、全てを忘れることができたとしたら、真愁もおばあちゃんも、ルルも消えちゃう。私の中で消えちゃう」

 私が本当に怖いのは・・・。

「いい思い出を忘れて生きるのは嫌。私の中で、誰かが消えてしまうのは絶対に嫌」

 私の為に泣いてくれたお婆ちゃん。町を案内してくれたルル。そして、光を感じさせてくれた真愁。

 ・・・消えさせはしない。

「それは自棄になっての意思じゃないな?」

「・・・うん」

「選んだ選択を、後悔に繋がないな?」

 真愁は私に手を差し伸べた。この手を取ったら、私はもう戻れない。

(どうしよう・・・。なぁんてね)

 私は迷わず真愁の手を取った。

「後悔なんかしない。私が自分の心で選んだ未来なんだから」

 真愁は鼻で小さく笑うと、グッと私の手を引いた。

「じゃあ、行こうか」

 私達は手を繋いだまま石段を登り始めた。先ほどとは違い、月明かりがしっかりと足元を照らしてくれている。ふと横を見ると、漆黒に染まっていた海に、ほんの少し輝きが戻っていた。

「海が恋しいのか?」

「別に、そういう訳じゃ、」

「心配するな。朝が来たら船に乗って海の上にいるさ。それまでは・・・俺が守ってやるよ。何があってもな」

 真愁の言葉に、私の胸が少し疼いた。

「おやおや?私に惚れたのかな?」

「・・・馬鹿、そんなのじゃない」

 真愁は何もなかったように、私の手を握ったまま石段を登り続けた。

(じゃあ・・・どんなの?)


 石段の頂上にある鳥居の前で真愁は立ち止まり、私の方へ振り返った。

「この鳥居が入り口と言えるな。最後にもう一度、」

「聞かなくていいよ」

 私は真愁の言葉に割り込んだ。

「ここで逃げたら、私は闇から抜け出せなくなる」

「・・・そうか。そうだな」

 私達は最後の石段を登り、鳥居をくぐった。わずかな月明かりにさらされた古びた神社が見える。

(ここが・・・私の家?生まれ、育った?)

「何か思い出したか?」

「・・・何も」

 明かりの付いた神社を想像してみたが、全く記憶は呼び起こされなかった。縁日の賑わいも試してみたが、結果は同じだった。

(明かりに縁日・・・。怖がっているだけじゃない)

 何を想像しても、今感じている恐怖は和まなかった。

「神社に入るぞ」

 私は無言で真愁の後ろを付いていった。


「ん・・・硬いな」

 真愁は神社の入り口の戸に手を掛けると、息を止めてそう言った。その声に混じり、戸の軋む音が耳を(つんざ)いた。

「・・・っと、」

 両手で力を込めて戸を開くと、舞い上がった埃の一つ一つを月明かりが照らした。

「よし、入るぞ」

 私は声を出さず、後に続いた。足音を殺すように、そっと足を運ぶ。

「喋らないな。怖いの、」

「ひっ」

 私は息が止まった。硬直した私の手が真愁の手を締め上げた。

「いで、どうした?」

「ひ、人がいる」

 私は闇に薄っすらと浮かぶ人相を指差した。

「これは人じゃない、ただの像だよ」

「あ、や、」

 言葉が出てこない。

「ちょっと待ってろよ」

 真愁は小走りで入り口に戻ると、開きかけの戸を全部開放した。さっきよりも多くの月明かりが差し込む。

「ほら、よく見ろ。ただの観音像だ」

 真愁の言うとおり、私が見えた人相の正体は、桐の箱の上に乗った観音像だった。

「本当だ。・・・なぁんだ」

 しかし、これはこれで怖い。

(これは・・・年代物の箱だね。紫色で模様が施されている)

 流れるような曲線は、美しいとしか言いようがない。

「それにしても、脅かさないでくれる?別に怒ってないけどね」

「何をブツブツ言っているんだ?早く済ませよう」

「ん、うん」


「手掛かりがあるとしたら、家の中か」

 そう呟きながら、真愁は歩き続けた。私は黙って後に続く。

 奥に進んで行くと、一枚のドアが私達の行く手を遮った。躊躇わずに真愁がドアを開けると、たくさんの月明かりが私達を照らした。眩しさに目を細めながらも、私は真愁の後ろからドアの向こうを覗き込んだ。

(窓がたくさん。それでか)

 ドアの向こうは長い渡り廊下に繋がっていた。両脇には窓が連なっていて、月明かりが窓枠の影を廊下に映し出している。

「この廊下はどこに繋がっているの?」

「・・・行けば分かるさ」

 真愁はそう言うとドアをくぐった。勿論、私もそれに続く。私は向こうのドアまで、子供のように窓枠の影の上だけを歩き、廊下を渡った。

「渡り廊下とは、隣り合う建物を繋ぐ廊下だ。つまり、このドアの向こうは?」

「私が・・・育った場所?」

「そうなるな」

 私は思わず固唾を呑んだ。



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