3・始まりの歯車
3・始まりの歯車
「ここは・・・何処」
私はいつの間にか、知らない場所を歩いていた。
とても・・・不思議な町並み。変わった建物ばかりが並んでいて、それでいて調和がある。まるで町そのものが、大きな建築物のような気さえする。
「これは・・・夢か」
私は今、目を瞑った自分の意識の中にいる。それは何となく分かった。
「それで?どうすればいい?」
階段を上り、建物同士を繋ぐアーチ状の通路の下を潜り、今度は階段を降りる。迷路のような町を闇雲に歩き続ける私。
「・・・何か聞こえる」
遠くで音・・・いや、音楽が聞こえる。この音は・・・ハープ?
耳を澄ましながら、音のする方へ体を向けたときだ。突然、頭上に轟音が響いた。
「さ、起きて下さい」
女将さんの声だ。女将さんは襖を力任せに開け放ち、私に大きな声を浴びせた。
「起きろ、と言っているのが聞こえないのですか?」
昨日とは違う声色。冷たい感情が宿った声。
「あ・・・っと。朝食ですか?」
夢の中から引きずり出された私は、まだ馴染んでいない体を巧く動かせないまま答えた。
「今・・・起きます」
フラフラと立ち上がると、鋭い目をした女将さんが私を見据えていた。
「すみません、えっと、あの」
起き上がったものの、言葉が続かない。口をモゴモゴさせていると、痺れを切らせた女将さんが冷たく話し掛けた。
「さあ、もうお帰りになって下さいな」
「?・・??」
「聞こえましたか?もう帰ってくれと言ったんです」
「・・・へ?」
まだはっきりしない思考回路は、この現状を把握できないでいる。
「あの、今何時ですか?」
宿泊は一日。きっとチェックアウトの時間が迫っていて、これ以上いるならもう一日分の料金が発生してしまう。だから起こされたのだろう。
「・・・朝の8時です」
・・・どうやら違うようだ。
「さ、早く荷物をまとめて」
一体・・・何なのよ!
「・・・っ」
行動に移さない私に苛立ったのか、女将さんは私の荷物を持って部屋を出ようとした。
「ちょ、何するんですか」
「早く出ていって下さい」
「何だって言うの?私が何かしましたか?」
さすがに頭にきた私は、女将さんに強く問いかけた。しかし女将さんは動じることなく、目を細め、冷たく私に、
「答える必要はありません」
と言った。
「・・・じゃあせめて着替えだけでも」
そう言うと、女将さんは鋭い舌打ちをした。
「・・・この疫病神」
そう言い残すと、女将さんは私の荷物を置き、再び襖を力任せに閉めた。
次第に足音が遠のいていく。
「・・・もう何なのよ~」
結局私は訳を知ることなく、旅館を追い出された。しばらく佇んで考えてはみたものの、答えが出るはずがない。仕方なく私は、昨日夕日を見た場所まで行くことにした。
・・・と、その前に、食べ損ねた朝食を取ろうと思い、お店を探すことにした。
「まだ早いけど、お店やってるかなぁ」
溜め息交じりで吐き出した言葉。最悪な一日の始まり方だ。
少し進むとのれんを出している蕎麦屋が目に留まった。
「ラッキー♪」
そのお店に駆け寄る私。しかし、私と目が合ったお店の主人は、慌てた素振りで「準備中」の札を入り口に掲げ、そそくさと中へ入っていった。
「やっぱりまだ早いか・・・」
その時は、そうとしか考えなかった。でもその考えは、徐々に違和感へと姿を変えていた。
ワザとらしく、水を撒いたり、塩を撒いたり、なかには「本日休業」と張り紙をされたりなど、お店を見つける度にそんな悪態をつかれた。
それだけではない。
「・・・見られている?」
確かに視線を感じる。それも冷たく、刺さるような鋭い視線だ。通り過ぎる人の殆どが私を見ていく。私が視線を向けると、睨み返してくる。中には怯えて駆け出す人もいる。誰もいない場所を歩いていても、どこからともなく視線を感じる。
私は今、町全体から見られている。
私は立ち止まり、荷物を持つ手に力を込めた。とても苛立たしい。そしてそれ以上に悲しかった。更にそれを越える、止め処ない恐怖心。荒くなる呼吸が、涙を誘う。
私は締め付ける心を振り解くように走り出した。視線を感じ続けながら、あの場所を目指した。あの場所に行ったら、すぐに帰ろう。そしてもう二度とここへは来ない。そう心に念じながら、私は走り続けた。
鳥居に手を掛け、滴り落ちる汗が土に吸い込まれていく様を見ながら、私は呼吸が整うのを待った。
が、振り切った心の乱れが私に追い着き、また呼吸を乱し始める。
私は海が見える方へ向き直り、昨日と同じように鳥居に寄り掛かった。そして力なくその場にしゃがみ込んだ。
(忘れよう。どうせこの町とはさよならするんだから・・・)
ようやく落ち着いた私は、石段へ目を向けた。茂る木に囲まれたその場所は、何処か冷たい印象を感じさせる。
辺りに誰もいないことを確認すると、私は汗を拭い、重い体を動かした。
「・・・一体、何段あるんだろう」
石段を見上げると、上の方は霞んでぼやけている。この暑さのせいだろうか?
「・・・ふぅ」
私は荷物を置き、石段を登り始めた。と同時に、涼しい風が私を駆け抜け、木々を揺らしながら頂上へ登って行った。
「・・・早く来いって?」
勿論、何となく、ね。
石段は間隔が狭く、普通に登るとつま先がぶつかってしまう程だ。その度にバランスを崩される。だから私は下を向いて、小刻みに足を運び続けた。しかし、その動きが異様に疲れる。
「っふぅ・・・」
私は膝に両手を付け、何度も深く息を吸い込んだ。それから上を見上げると、石段の終わりを示すように、赤い鳥居が立っていた。
「まだ・・・半分もある」
長い石段に嫌気が差し、私は頂上から目を逸らした。すると木々の間から、キラキラ輝く海と水平線が目に飛び込んできた。
「はぁ・・・奇麗」
しばらく眺めていると、無性に頂上からの景色が見たくなってきた。
「頑張る価値はあるかな、」
私はもう一度登る気になり、足元に視線を向けた。
「ここは立ち入り禁止だ。帰った方がいい」
突然の声に驚き、私は背筋を伸ばした。
「あっ」
と声を上げると、私の体はバランスを失った。全身を駆け巡る寒い感覚が、辺りを静寂へ変える。
(・・・落ちる?)
「ほら」
大きな手が私の腕を掴み、私の支えとなった。
「あ、ありがとう。・・・ごめんなさい」
前を見ると、一人の男性が涼しそうに立っていた。
「無事か?」
そう聞こえると、辺りの静寂は覚め、夏の音が木霊し始めた。全身の冷たい空気も消え、また体が火照りだした。
「手、離すよ」
涼しい声。
「あ、はい。助かりました」
「気をつけた方がいい。この高さから落ちたら怪我じゃ済まない」
こうなった原因の男性は私を見ずに、遠くを眺めながらそう言った。
「何を・・・見ているの?」
「ん?・・・遠く」
釣られるように目線を追うと、澄んだ青空と、薄い雲。それから燃え盛る太陽が目に映った。
また暑さで頭がボーっとしてきた。
「風が出てきたな。少し座って休んだらどうだ?」
その優しい声の主に目線を戻すと、彼はまだ遠くを眺めていた。風に吹かれ、乾いた髪がサラサラと揺れている。
「そうしようかな」
私は言われたとおり、石段に座ってみた。ひんやりとした石段と、駆け抜ける風が私の微熱を攫っていく。虫の声も静かになり、木の揺れる音だけが、私の耳に届いている。
(不思議な感じ・・・)
私は急に、夏が恋しくなった。
「ねぇ、あなたの名前は?」
「知りたい?」
「知りたい」
「・・・どうして?」
「呼んでみたいから」
私から始まった会話。誰が聞いても変なやり取りだろうな。
「・・・真愁」
「真愁さん?変わった名だね。年齢は?」
「知りたい?」
「知りたい」
「・・・どうして?」
「・・・さぁ?」
「君の年齢は?」
そう言われて初めて、自分が名乗っていないことに気が付いた。失礼しました。
「私は、水無月 朱音。24歳」
「・・・朱音・・・」
真愁の口元が少し緩んだ。私には、そう見えた。
「・・・どうかした?」
「いや・・・。なら俺も24だな」
「なら俺もって、自分の年齢でしょ?」
私は思わず吹き出してしまった。彼が私の中で、不思議な人、から、変な人、に変わった瞬間だった。
チラリと真愁の瞳を覗くと、彼はまだ遠くを見ていた。
「・・・・・・」
少し、嬉しかった。真愁だけは私を変な目で見ない。たったそれだけの事なのに、嬉しかった。それだけ私は怖かったのだろう。この町の人から向けられる視線が。
「ずっとこの町に住んでいるの?」
「生まれた頃からずっとな。ここから出たことがない」
「この町・・・好き?」
私は遠まわしに聞いてみた。
「どうかな・・・何も感じないな」
「・・・そう」
(私は・・・怖いよ。この町が)
「この先は、立ち入り禁止?」
「そう。誰かがそう決めたわけじゃないけどな」
「どういうこと?」
「町の人は絶対にここには来ない」
「どうして?」
「・・・さぁ、ね。登っても何も無い。疲れるだけだ。朱音みたいにね」
ドキッとした。久しぶりに、本当に久しぶりに名前を呼んでもらえたからだ。
「そっか。じゃあ、ここまででいいや。いい景色も見られたし」
その言葉どおり、この先に対する興味はなくなっていた。名前を呼んでもらえたことでお腹いっぱいになったのだろう。
「朱音は、どうしてここに来た?」
「ん?」
真愁が少し俯いて言った。
「ここへ来たのは、ただの偶然。子供の頃から見続けている夢の場所を捜して、流れ着いただけ」
私はその夢を詳しく真愁に説明した。
「私って、子供の頃のことって全然覚えてないんだけどね。思い出そうとすると、肩がこるって言うか、面倒になるって言うか。あんまり考えたくなくなるんだよね。だからどうしてこの場所を夢で見るのか、自分でも分からないんだよね」
「子供の頃に・・・見た場所だから?」
「多分ね。何故かは分からない。だけど、そんな気がしてならないの。私が覚えている一番古い記憶は、お爺ちゃんに遊んでもらっている夢。だからこの場所を見たのは、それよりも前ってことになるよね。それが全、然、思い出せない」
「・・・別にいいだろ。思い出さなくても」
「ま、そうだろうね」
「今は、何処に住んでいるんだ?」
今度は少し嬉しそうに私に問いかけた。
「ここからずっと遠い場所。私を育ててくれたお爺ちゃんの家で、アンティークショップを経営してる」
「アンティーク・・・?」
「知らないの?歴史のある物ばかりを扱うお店のこと」
「知らないな。聞かせて欲しい」
「例えばね、」
私は手振り身振りを加えながら、無我夢中で話し続けた。真愁は、まるで我が子の話を聞くように優しく頷きながら、ずっと私の話を聞き続けた。
何だか不思議な気持ち。ずっと昔にも、こんな事があったような気がする。遠い昔、今みたいに、私の話を、私の隣で、優しい人が。
「・・・・・・」
お爺ちゃんの顔しか浮かばない。と言うより、他の人を知らない。
「どうした?」
「・・・いえ、何でも」
私は頭を掻きながら、唇を噛んだ。
「それで、どうやって値段を決めるんだ?古い物ばかりなんだろ?」
「古い物ばかりって訳じゃないけどね。私は買いたい人を見て値段を決めるんだ」
「つまり?」
「どんな物にも思い出はあるの。私はその思い出に触れて、価値を決める」
「・・・思い出に触れる、か」
「私ね、手で触ると分かるんだ。その物が持っている感情とか、記憶とか。分かると言うか、伝わると言うか。例えばね、古ぼけた椅子があるとするでしょ。その椅子に触れると、どんな人が座っていたとか、どんな場所にあったとか、どれだけ季節を過ごしてきたとか、座った場所から見える景色とか、そういうのが見えるの」
これは、あまり話したことのない私の秘密。何の躊躇いもなく、流れるように話したのはこれが初めてだった。
「それは、凄い力だな」
真愁は遠くを見ながら言った。どこか、切なそうに見える。
「疑わないんだね。普通、信じないよ?」
「疑わないよ。だって、」
真愁は私を見ると言葉を詰まらせ、息を呑んだ。何だと言うのだろう?
「・・・便利そうだ」
そして再び、遠くを見た。
「便利、かぁ・・・。それがそうでもないんだよね」
私も遠くを眺めた。
「誰かに触れると、その人の心の在り処が分かっちゃうんだ。嘘も飾りも無い心は、奇麗とは限らない」
「・・・そう」
真愁の寂しく微かな声は、風に攫われる様に消えた。
「ま、当たっているかは分からないんだけどね。そんな気がする、って感じ」
私は背伸びをしながら、脳天気を演じた。と言うか、元々そんな性格の私。
「あ、思い出した」
「何を?」
「私、お腹空いてたんだ。朝も昼も食べてないから、今にもお腹の虫が鳴りそう」
さすがの真愁も笑わずにはいられなかった。
「・・・いいな、朱音は。心のままで」
ほんの少し、空が朱色に染まってきた。黄昏の時。
「もうすぐ日が暮れる。そろそろ帰った方がいい」
「・・・そうね」
私はふらふらと揺れながら腰を上げた。
「楽しかったよ。ありがとう、真愁」
「ああ。気を付けて帰れよ、アンティークショップに」
「ん。また逢おうね」
私はまた視線を落とし、ゆっくりと石段を降り始めた。
「そう・・・だな」
消え入りそうな声に振り返ると、そこに真愁の姿はなかった。
石段を降りきり、長いこと置きっぱなしにしていた荷物を持つと、私は港に向かって歩み始めた。
相変わらず、鋭い視線が私を捉えてくる。沸々と嫌な気持ちが湧き上がってくるのが分かる。足は途端に重くなり、胸の内が次第に激しく揺れていく。
(一体・・・何なのよ)
ヒソヒソと話す声が、私の中で罵声に変わる。
(折角いい思い出ができたのに、)
全ての音が、私に向けられた憎しみに聞こえる。纏わり付く町の声に、私は耳を塞いで港へ走った。
港へ駆け込み、帰りの切符を買おうとカバンに手を伸ばした時だ。
「・・・朱音、ちゃん?」
「え?」
鬨を貫く、私の名を呼ぶ声。




