2・必然への誘い
2・必然への誘い
私はバスを降りた後、町の方に行ってみることにした。海沿いからは離れるけれど、観光もこの旅の楽しみ方の一つだ。色んな場所を訪れては名産品を買い集め、誰も居ない自宅へと郵送していた。
きっと不在通知が溜まっていることでしょう・・・。ご迷惑をお掛けしています。
海を背に歩き続け、私は商店街へ出た。潮の香りが町を覆っている。そのせいだろうか、古くからあるようなお店の看板には錆が目立っている。それが何とも言えない味が出ていて、私は好きです。古の魚屋、古のお寿司屋、そして古の乾物屋。さすが海沿いの町、海産物を扱ったお店が多く目に映る。でもそれだけに・・・食べ飽きた物ばかりだ。海沿いばかりを歩いているのだから当然と言えば当然かな。
私は笑顔のまま小さな溜め息をついた。すると、お爺ちゃんとの思い出が私の中でふと灯った。
「朱音、寿司や刺身を食べ過ぎると痛風になってしまうことがある。あんなに痛い病気はないらしいぞ。朱音が痛風になってしまったら、お爺ちゃんはとても悲しい。だからな朱音、この刺身を変わりに食べてあげよう」
お刺身はお爺ちゃんの大好物だった。
急に笑いが込み上げてきて、声に出そうになった。私は歩みを止め、笑いを堪えた。通り過ぎていく人達が不思議そうに私の顔を覗いていく。私は口元に手を当て、咳をしてその場を誤魔化した。それから大きく息を吸い込み、息を止めた。
(これからは、私が変わりに食べてあげるからね)
商店街を歩き終えると、一軒家が連なっている通りへ出た。天気がいいからだろう、布団を干している家がよく目に付く。
(私も帰ったら干さなきゃなぁ)
そんなことを思い描くと、まだ帰れないことを悟っているのか、ふと遠くを見ている自分に気が付いた。
(帰れない?それとも、帰りたくない?)
自分の問い掛けを、私はゆっくりと瞬きをして潰した。そして髪をかき上げながらトボトボと歩き出した。
通りを進んでいくと、一軒家に混じって歯科医院があった。歯医者独特の匂いが、微かに鼻に届いた。
がら空きの駐車場に止まっている一台の車のドアが開いた。運転席から降りたお母さんが素早く助手席へ移動した。助手席のドアが開くと同時に、子供の泣き声が漏れ出した。
「ほら早く降りなさい」
と言って男の子を引きずり出すお母さん。男の子は泣きながら抵抗するものの、その抵抗も虚しく、力いっぱい引きずられて行く。
「いつまで泣いてんの。お姉ちゃんが笑ってるよ」
(・・・私のこと、かな?)
ふと、男の子と目が合った。
「ほら、がんばって」
男の子はお母さんの腕を振り解くと、自ら歯科医院の入り口へと歩き出した。そしてドアへ手を掛け、躊躇いながらもほんの少しドアを開いた。するとその隙間から悲鳴が勢い良く溢れてきた。
男の子はドアを閉め、後ろを振り返った。
「何処行く気?」
男の子はお母さんに背中を押されるように、悲鳴が鳴り止まない中へと連れて行かれた。
その一連の光景を見ていた私は、奥歯が痛くなってきた。私自身、歯医者にいい思い出はない。・・・当然だけど。
(歯医者に関する・・・一番嫌な思い出は、っと・・・)
多分、親知らずを抜いた時だ。抜歯の後、メソメソしたい気持ちを抑えながら家に帰ると、お爺ちゃんが晩御飯にマーボー豆腐を作って待っていた。歯を抜いた後に刺激物。これ以上の拷問はなかった。
(ワザと?・・・それとも、ボケ?)
嫌な音が聞こえてくる歯科医院の前を、私は足早に過ぎ去った。
幾度となく交差する、今と思い出。過去と未来の間で、私は今も揺れている。
(過去と未来、朱音はどっちに行きたい?)
久しい友達の声。これも過去のもの。
(私は・・・どっちでもないな)
(どういう意味?)
(過去は知っているし、学べる。未来はこれから行けるし、創造できる。だからどちらにしても、今が大事)
(学べるし、創造できる、か。ちょっとつまんない)
(つまんないって何よ)
(もっとこう・・・はちゃめちゃな答えを期待していたのにさ。もっともらしい答えを言うんだもん)
(そう言う奏はどうなのよ?面白い答え、聞かせてくれるんでしょうね?)
思い出から覚めると、立ち止まっている自分の足が、いつもより重く感じられた。
「過去は、思い出。未来は、自分の望む姿。望む・・・姿」
私は顔を少し上げ、先に続く道を見据えた。
(この先に・・・何を望む?)
「もちろん、夢の場所」
そう声に出すと、一匹の猫がブロック塀から飛び降り、私の前で背伸びをした。
猫は気持ち良さそうに高い声を上げると、ゆっくりと目を開き、私を見た。
「・・・目、どうしたの?」
猫は不思議なことに、左目だけが赤くなっていた。
私の問い掛けに、猫は首を傾げた。答えるつもりはないようだ。
「ねぇ猫さん、この町を案内してくれる?」
猫は気だるそうに鳴いた後、ひょいっと塀の上に飛び乗り、器用に歩き出した。そして少し進んだ後、振り返って私に向かってもう一鳴き。
「・・・着いて来いって?」
別に私は動物と話が出来るわけじゃない。何となく話しかけて、何となく解釈して。ただそれだけ。
のんびり気ままに歩く、一人と一匹。
「ねぇ、何処行くの?」
猫は返事の変わりに尻尾を振った。
「・・・内緒?」
次第に家も少なくなり、空き地と電柱が多く目に映るようになった。そんなことは気にも留めず、猫は歩き続ける。時折揺れる猫の尻尾に合わせて、私も首を振った。・・・ただ、何となく。
ふと猫から視線を外すと、再びガードレールと水平線が私の目に飛び込んできた。潮風が私達を撫でてくる。私達はいつの間にか、海岸沿いの道に出ていた。
辺りは朱色に染まりかけていて、もうすぐ夢の時刻。
「夢の場所、知っているの?」
私は海を見ながら猫に話しかけた。しかし、波の音しか聞こえない。視線を戻すと、猫は私を無視して歩き続けていた。
「あ、ちょっと待ってよ」
私は小走りで猫を追いかけ、再び後ろに並んだ。
猫と夕日を交互に見ながらしばらく歩いていると、何だか懐かしい気持ちに包まれた。際立つ心音が、不思議と切なさを伝えてくる。
「何だろう・・・この気持ち」
私は自分の胸に手を延ばしたが、触れることはなかった。躊躇うように震え、開いた手は次第に握られていく。
汽笛の音が響いた。
大きな音で我に返ると、私達は港に着いていた。猫は私よりずっと前で立ち止まっていて、髭を器用に撫でている。私は猫に歩み寄った。
「ここに連れて来たかったの?」
猫は欠伸で返事をした。そして来た道を戻り始めた。
「あ、ちょっと待って」
私の言葉が分かるのか、猫は立ち止まり、私の方へと振り返った。
「お礼にいい物あげる」
私はカバンの中を手探りながら、猫に近づいた。目当ての物を見つけると、私はしゃがんで猫の頭を撫でた。
「これ、この前訪れた町で買ったんだ。君、首輪してないから、その代わりにね」
私は手作りのビーズアクセサリーを猫の首に付けてあげた。
「私の腕には大きすぎたんだけど、猫さんには丁度いいみたい。これでまた会った時に分かるね」
また会える。ふと零れ落ちた言葉だった。けど・・・本当にそんな気がする。
「本当にありがとね」
私は心を込めて頭を撫でた後、別れを告げた。
私は港には寄らず、その先を目指して歩き始めた。次第に高鳴る心音。きっと、何かがある。
(・・・何かが?)
分かっている。私の勘が伝えてくる。
(夢の場所。きっとそう)
緩やかな坂を上る途中、私は口で呼吸をし始めた。単に坂だからではない。高鳴る心音が呼吸を乱しているせいだ。
もう少しで坂の終点。ここを登り切れば、あの場所が私を待っている。そう思うと、次第に急ぎ足になっていく自分を静められなくなった。舞台の幕が上がるように、正確にはその逆だけど、少しずつ見えてくる未来。そしてついに。
「・・・おっと」
坂を登り切ると、その先には緩やかな下りのカーブが私を待っていた。
「そりゃないでしょ・・・」
登りきった途端にあの場所があるものだと思っていた。しかし、これが現実。一気に力が抜けて、私はその場に両膝と両手を付いた。アスファルトが私の顔を照りつけてくる。
「ドラマのようにはいかない、か」
道路に話し掛けても仕方ない。けど、すぐ顔を上げる気にもならない。
「勘が外れたのは初めてじゃない」
また歩けばいい。ただそれだけのこと。
「ただ・・・それだけの、こと」
温い風が頬を撫で、伝えてくる。「夏はまだまだ続くよ」と。
私はゆっくりと立ち上がった。滲む汗を拭い、火照った腕を冷やすように、深い溜め息を吹きかけた。
「・・・暑い」
そう呟くと、朱色だった周囲に少し陰りが現れた。不思議に思い、夕日を見上げると、薄い雲が太陽を覆い始めていた。
「なるほどね・・・っ」
私は息を呑んだ。さっきまで何も無かったこの道の先に、赤い鳥居が立っているのが見えたからだ。
「・・・間違いない、鳥居だ」
カーブの手前辺りに、その鳥居は姿を現した。その奥には石段がずっと上へと続いている。
「夕日に照らされていて見えなかったんだ。やっぱり私の勘は当たっていたんだ」
と、次の瞬間には私は走り出していた。
「本当に・・・あったんだ・・・この場所」
私は昂ぶる心音に呼吸を奪われながらも、鳥居の元へ走りついた。そして、肩で息をしながら辺りを見渡した。
鳥居から石段までの間には砂利が敷き詰められていて、雑草が生い茂っている。ここだけじゃない。雑草は辺り一面に見られる。
ここは誰も手入れをしていない空間。誰も近づかない空間。ひっそりと、誰かに見つかるのをずっと待っていたように思える。
「やっと、逢えたね」
私は誰でもない、この場所に話し掛けた。
私は鳥居に寄り掛かってしゃがみ、ガードレール越しの夕日を見続けた。ただ、ひたすらに。
不思議と何も浮かばなかった。ここに至るまでの旅のことも、これからのことも。
太陽はやがて海に浸かり始めた。水面に溶け込み、その身を水面で揺らしている。
「湯加減はいかがですか?」
それは太陽の半分くらいが海に浸かった頃だった。ポツリと漏れた、子供のような私の言葉。
(どうして・・・この場所を夢で見たんだろう・・・)
考えては見たものの、すぐにどうでもよくなってきた。もうすぐ太陽が海に沈む。今はこの景色を見ていたい。
やがて空に青が群れ始め、朱色を塗り替えていく。
(そろそろ・・・行こうかな)
鳥居に手を掛けながら起き上がると、私は石段があるのを思い出した。石段を見上げると、結構な高さであることが分かった。
「・・・どうしようかな」
この奥には何があるのだろう?
ふと生まれた疑問はやがて、私を不思議な感覚で包み込んだ。
体が・・・揺れる。
「・・・え?」
どれ位ボーっとしていたのだろうか。ふと我に帰ると、全身が冷めて粟立っていることに気が付いた。
「この先に・・・何かあるの?」
そう声を漏らすと、背中に焼けるような痛みが現れた。
「何?・・・熱い」
身を焦がすような痛みは、私の背中に何かを描くように動いていく。
私は痛みに耐えられなくなり、その場に蹲った。それでも容赦なく、焼ける痛みは動き続ける。
息を止めながら耐え続けると、やがて痛みは動くのを止め、ぼやけて消えていった。全身の粟立ちも、後を追うように消えていった。
(鳥居に長い間寄り掛かっていたからかな?きっと、太陽の熱を帯びていて・・・それで焼けるような痛みが)
鳥居に触れると、じんわりと熱が伝わってきた。
「・・・やっぱりそうね」
(でも・・・それだけでは)
浮かんだ疑問を、私は考えないことにした。
(石段の奥は明日にして、今日は宿でも探そう)
運良く、鳥居の側には町の案内板が立て付けられていた。酷く錆びてはいるものの、何とか読める。目を凝らしながら宿を探すと、面倒なことに気が付いた。
「今日降りたバス停の近くだ・・・」
結構な距離を歩いたことが脳裏に浮かび、私の力を吸い取った。
「・・・仕方ないか」
他に宿はなさそうなので、私は黙って歩き始めた。
これから先、私はどうするのだろう?旅の目的を果たした今、もう流れる必要は無い。家に帰って、受け継いだ店を開けるのだろうか?
あの場所で一人なのは・・・やっぱり寂しい。
「・・・こんな気持ちになるなら、まだ見つからない方がよかったなぁ」
そう呟きながら顔を上げると、道の先で何人かの人が私を見ていた。
「・・・?」
私の視線に気が付くと、町人は慌てた素振りで目を逸らし、その場から逃げるように去っていった。
(一人で喋っていたからかな?)
そう思うと急に恥ずかしくなった。私は口元を強く締め、何事も無かったように歩き出した。しかし、人とすれ違う度に、視線が私に纏わりつく。
(一体何なのよ・・・よそ者がそんなに珍しいの?)
私は長い一日の終点である宿まで、急ぎ足で向かった。
「すいません。お部屋空いていますか?」
私は逃げ込むように宿に入り、すぐ目に留まった女将さんらしき人に話し掛けた。
「はい、空いていますよ」
目が合った瞬間、女将さんの顔が硬直した。
「・・・何か?」
「・・・いえ、何でもありませんよ」
少し動揺した声と、表面だけの笑顔。私にはそう感じた。
「お部屋にご案内します。お荷物をお預かりします」
差し伸べた手に荷物を手渡すと、女将さんは歩き出した。私はその後に続いた。
「こちらの部屋になります」
案内された2階にある部屋に入ると、窓から海が見渡せた。思わず声を出しそうになったが、見事抑えることに成功。私は落ち着いた素振りで振り返り、女将さんに声を掛けた。
「あの、すぐお風呂に入れますか?」
「ええ、大丈夫ですよ。大浴場は1階になります。
落ち着いた声で返された言葉。動揺していたように見えたのは私の思い過ごしのようだ。
「助かります。今日はずっと歩きっぱなしで、汗びっしょりなんです」
「そうでしたか。今日はどちらへ?」
「この辺りでバスを降りて、港の方へ」
「港の方・・・そうですか」
(・・・?)
「それでは、食事は入浴の後でお持ち致しますので、どうぞごゆっくり・・・」
私は早速、浴場へ向かった。浴場は思っていたよりも遥かに大きく、銭湯のような作りになっている。まだ早いせいか、私以外誰もいない。
「いいねぇ」
長々と湯船に浸かっていると、今日見た夕日を思い出した。
「海に浸かるとき、太陽もこんなに気持ちいいのかなぁ」
目を閉じると、その時の光景が鮮明に映りだした。
「・・・気持ちいい」
「痛、」
背中に刺激痛が走った。
「やっぱり火傷したのかな?」
私は湯船から出ると、髪を洗い始めた。シャンプーの量が多かったのか、泡立ちが強い。目に入らないように瞼を閉じると、戸が開く音が聞こえた。
(貸し切りもここまでか)
「湯加減はいかがですか?」
入ってきたのは女将さんのようだ。
「ええ、丁度いいですよ」
「・・・そうですか」
冷めた声で言葉が返ってくると、何故か背中に視線を感じた。
「・・・あの、何か?」
「いえ、失礼しました。どうぞごゆっくり」
「・・・はい」
遠のく足音に、戸が閉まる音。私は溜め息の後、桶に溜まったお湯を頭からかぶった。
ゆっくりと目を開けると、鏡に映ったいつもの自分と目が合った。
「私は・・・変?」
入浴の後食事を済ませると、すぐに睡魔に襲われた。転がり落ちるように遠のく意識。
長く、不思議な一日の終わり。




