19・夜明け前
19・夜明け前
「第十章・エトランゼの鍵。をお贈りしました」
私はここまで、顔を上げることはなかった。ずっと俯いたまま、想いに心を捕らわれていた。
「ここで、毎年恒例の、灯篭流しに移りたいと思います。ご面倒をお掛けしますが、河川沿いで花火を見ていた方々は、橋の下を潜った先に移動をお願いします」
アナウンスがそう告げると、辺りは賑やかな話し声で埋め尽くされた。
「警備員が橋の向こうを解放したようだけど、あそこに何があるんだい?」
「川に流す灯篭が用意されているのよ。見物人全員分は用意できないから、早くから場所取りしていた人、つまり河川沿いで見物していた人にその権利を与えるってわけ」
「なるほど、苦労が報われるわけだ」
辺りは雑踏と多くの足音でいっぱいになった。私はそれに怯えるように、俯いたまま浴衣の裾を強く摘んだ。
「しかし凄いじゃないか。今回は君のプロデュースなのだろう?」
「と言っても、選曲して、少しナレーションを考えただけなんだけどね」
「だとしても、何度も甘い吐息で多くの人を包んでいたよ。まるで風変わりなコンサートだった」
「じゃあ来年は花火を控えめにして、生演奏でやろうか」
「それも面白そうだね」
多くの足音が遠くに消えていくのに、二人はこの場から動こうとしない。
(・・・気を使っている、よね)
それが辛かった。でも、私はこの場を楽しむ気にはとてもなれなかった。それどころか、顔を上げることすら心が拒む。
「・・・朱音、私達以外誰もいなくなったよ。そろそろ話してくれない?何が、心を覆っているのか」
「・・・」
「・・・私達にも、話せないことなの?」
「・・・・・・」
話せないわけじゃない。むしろ、話すべきなのだろう。ここまで付き合ってくれた二人なのだから。
だけど・・・言葉が出てこない。
「ああ・・・こんな時になんだが、報告をしておこう。君を襲った鴉についてだ」
「そんなの後にしなよ」
「いや、今話すべきだと僕は思う」
「・・・」
「刀が届いた日に君を襲った鴉だが、調べてみたら罪人だったよ」
(・・・罪人?)
「罪は主に強盗だ。その際に、殺しこそやっていないが、怪我人は何人も出ている。裁かれるべき罪人だったと言えるね」
「じゃあ今頃刑務所にいるわけだ」
「調べたらそうだったよ。これで被害者が減るだろう」
設楽さんは言葉を選び、私を慰めようとしてくれた。きっと、そうなのだろう。
「それと、今回の鴉についてだ。彼も罪人だったのだが、罪の桁が違う」
「と言うと?」
「暴力主義者。つまり、テロリストだったんだ。それも全世界に指名手配されている程の大物。数え切れない罪を犯し続けた人間だったよ。僕は人とは思いたくはないがね」
「凄いじゃん、朱音!そんな奴らをやっつけたんだからさ」
「正確には、そいつ等を操っていた鴉を、だけどね」
「同じ同じ。凄いことに変わりはないよ」
(私が・・・凄い?・・・それは、)
「違う」
「・・・え?」
私は、鴉を斬った時に見えた心を思い出しながら話し始めた。
「鴉はね・・・死にたがっていた。魂だけの存在で、永遠に終わらない生に苦しんでいた。最初は・・・過去の因縁だけで水無月を憎んでいたけど・・・その憎しみは私の家族を殺した時に薄れたみたいだった」
「・・・だから、逃げた幼い朱音を捜しだしてまで、殺そうとしなかったの?」
私は俯いたまま、頷いて答えた。
「その時から、鴉の心は変わった。今までは欲望を満たす為、水無月に向けられた殺意を紛らわす為に人を殺めていたけど、今度は妬みで人を殺し始めたの」
「妬み、とは?」
「死ぬことのできる魂。終わりがある命。それは鴉が持っていないもの。永遠と続く命、その苦悩と葛藤が更なる殺意を生んだの」
「そんな我がままで、多くの犠牲が?」
私は頷いて答えた。
「・・・そして思い出したの。時雨を使い、心を斬ることの出来る水無月なら、自分を滅ぼしてくれるって」
「そして、君の所へ訪れた」
「・・・でもその時の私は、時雨が使えなかった。だから生かされたの」
浴衣を掴む手に力が入った。まるで鴉の苦悩と葛藤が私に乗り移ったように、心に風が吹き荒れている。
「でもさ、もういいじゃない。鴉の駒として動いたわけだけど、朱音が終わらせたことに変わりないよ。もう・・・宿命は終わったんだよ」
解っている。もう、私は自由だってこと。だけど・・・いくら求めても解らない答えがある。
「そう・・・もういいんだ、そんなことは」
「だったら、顔上げなよ」
奏は私の頬を両手で包み、俯いた私の顔を起こした。
「・・・」
奏は私の顔を見て言葉を失った。止まらない涙に、笑うことの出来ない虚ろな表情。
「朱音・・・どうして?」
「鴉が言ったの。兄が、命を捨てて守ったのは・・・私じゃなくて、守人としての掟だって」
私は鴉の残した闇を吐き出した。
「あんな奴の言葉なんか信じるの?お兄さんのこと、一番よく知っているでしょ?」
奏の荒げた声に、私は目を閉じて涙を切った。
「自分の心に聞いてみなさいよ。本当の意味で、それが出来るでしょ!」
「捜したよ、片隅まで。でも見付からなかった」
「だからって、」
奏は私の肩を強く揺らした。揺さぶられる度に、私の涙が零れ落ちる。
「止めよう、これ以上は酷なだけだ」
設楽さんは間に入り、私と奏を解いた。
「何で止めるのさ!誰が聞いたって同じ答えを言うに決まってるよ。それが解らないなんて、」
「それ以上は言うな・・・お願いだ」
私はとうとう声を出して泣き出してしまった。眼の奥が熱い。喉がカラカラで張り付いている。
「どうして・・・私を、守ったの?」
そう呟いて、私はその場に崩れた。
私の胸に、小さな光が灯った。
「また泣き虫に戻ったな?」
「え?」
涼しく、懐かしい声に反応して、顔を上げた。
だけど・・・そこに真愁はいない。
再び泣き崩れそうになると、もう一度胸に光が灯った。
「起きろよ、朱音」
「・・・」
私はハッとしながら、言葉に従い、体を起こした。
胸の光は全身を包み、その強さを増していく。
「朱音?その光、」
奏にも、私を包む光が見えている。
光は私から抜け出すと同時に、辺りを強く照らした。眩しさに私は強く目を閉じた。
(・・・ここは?)
何も聞こえない。
(・・・闇の中?)
何も見えない。
(・・・自分の、心の中?)
きっとそうなのだろう。そう思い、私は目を閉じようとした。
(きっと私は・・・このまま闇に)
瞼が閉じる瞬間、私の前に光で満ちた手が差し出された。
(・・・温かい光だ)
奈落に落ちる私に向けて、広げられた手。
私は戸惑いながらも、その手を取った。
「それはな、朱音。俺が、お前の兄貴だからだよ」
心に響く声が、私の鐘を鳴らした。繋がった手が夜明けの光となり、闇を振り払う。
「・・・かね、朱音!」
私を呼ぶ声。
「ねぇ目を開けてよ、朱音!」
(そうだ・・・夜明けなら)
私はゆっくり目を開けた。滲んだ顔の奏が見える。設楽さんの顔も。
「・・・」
次第にハッキリと見え始めた二人の表情。
(・・・泣いてるの?・・・怒ってるの?)
(・・・どっちも、か)
私が掴んだ手は暖かさを残して消えていた。握られた手を開けてみると、蛍のような光が一つ、空へと昇って行った。
「・・・奏の言うとおりだった」
もう泣かない、そう約束した。
「真愁は・・・私の兄貴だった」
これからでも遅くない。
「・・・ごめんね」
この涙が止まったら、約束の始まり。




