朝の同居生活
翌朝。
まだ少し眠い目をこすりながら階段を降りると、リビングのテーブルで朝食を食べている凛の姿が見えた。
窓から差し込む朝の光の中で、凛は静かにトーストをかじっている。スマホを横に置き、特に誰かと話すわけでもなく淡々と食べていた。
昨日の夜のことが、ふと頭をよぎる。
あいつ、急にあんなこと言ってきて……。
「……おはよう」
考えながら、とりあえず声をかける。
凛は一瞬こちらを見てから、小さく頷いた。
「おはよう」
短い返事。
でも無視はされないらしい。
それだけで、なんとなくほっとする自分がいた。
俺はそのままキッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。
中を確認すると、思ったより食材が少ない。
「……あんまり食材ないな」
パンを取り出し、トースターに入れる。
フライパンを火にかけ、少しだけ油を垂らす。
ジュッという音と一緒に卵を落とすと、静かな朝のキッチンに焼ける音が広がった。
目玉焼きとトースト。
シンプルだけど、朝ならこれくらいで十分だ。
皿に盛りつけて席に座ろうとした、そのとき——
ドタドタドタッ!
「おはよーー!!」
勢いよく階段を降りてきたのは葵だった。
その後ろから、紬が静かについてくる。
「……いい匂い」
葵の視線が一瞬で皿に釘付けになる。
「え、それ作ったの!?」
「まぁな」
そう答えた瞬間——
「私のも作って!」
即答だった。
「は?」
「いいでしょー!お腹すいた!」
キッチンまでぐいぐい近づいてくる。
その袖を、紬がそっと引いた。
「葵」
「えー!」
「自分で作る」
「だって面倒なんだもん!」
俺は少し笑う。
「別にいいよ。卵くらい余ってるし」
「やったー!」
葵がガッツポーズをする。
葵の分の目玉焼きを焼きながら、ふとテーブルを見る。
葵は椅子に座って、待ちきれない様子で足をぶらぶらさせている。
その隣で、紬は静かに座っていた。
特に何か言うわけでもなく、ただ葵の様子を見ている。
俺はフライパンにもう一つ卵を落とした。
二枚の目玉焼きを皿に乗せて、テーブルに置く。
「ほら」
葵が皿を見て、目を輝かせる。
「やった!」
そして、その隣の皿を見て——
「……あれ?」
紬も少しだけ目を丸くしていた。
「紬の分もある」
そう言うと、紬は一瞬だけ戸惑った顔をしてから、小さく頭を下げた。
「……ありがとう」
そんなやり取りをしているうちに、凛が立ち上がった。
バッグを肩にかけ、玄関へ向かう。
「もう行くのか?」
俺が聞くと、凛は振り返らずに答えた。
「バイト」
短い一言。
それだけ言うと、靴を履く。
「……いってきます」
小さくそう言って、凛は外へ出ていった。
バタン、と玄関のドアが閉まる。
「忙しそうだね、凛ちゃん」
葵がパンをかじりながら言う。
「バイトだしな」
俺はそう答えながら、ふと冷蔵庫の中を思い出した。
(そういえば、食材あんまりなかったな)
牛乳もそろそろ切れそうだった気がする。
「……帰りにスーパー寄るか」
そんなことを考えながら、朝食を食べ終えた。
「俺も大学行ってくる」
「いってらっしゃーい!」
葵が元気よく手を振る。
紬は小さく頭を下げた。
家を出ると、朝の空気はまだ少しひんやりしていた。
大学での用事を済ませた頃には、すっかり夕方になっていた。
空はオレンジ色に染まり始めている。
(スーパー寄るか)
そう思って、帰り道の途中にあるスーパーへ向かった。
店に入り、カゴを手に取る。
牛乳。
洗剤。
それから適当に夕飯の食材も少し。
レジを済ませて店を出たときだった。
ふと視界の端に、見覚えのある姿が映る。
長い黒髪。
黒いバッグ。
「……凛?」
少し離れた歩道に、凛が立っていた。
けれど、その隣には男がいる。
妙に距離が近い。
「おつかれ、凛ちゃん」
軽い声。
凛はちらりと男を見たが、すぐに前へ視線を戻した。
「……」
返事はない。
それでも男は気にした様子もなく、話し続ける。
「今日もバイト終わり?じゃあさ、一緒に帰ろうよ」
「いやです」
凛は歩きながら、短く言い捨てた。
声は冷たい。
それでも男は笑っている。
「そんな冷たくしなくてもいいじゃん」
男が一歩、凛に近づく。
肩が触れそうな距離。
(……なんだあれ)
ただの知り合い、って感じじゃない。
凛が足を止めた。
男も止まる。
スーパーの前の歩道で、二人が向き合う形になる。
「何回言えば分かるの」
凛の声が低くなる。
「興味ないです」
「でもさー」
男がニヤつきながら手を伸ばす。
凛の腕に触れようとした、その瞬間——
「何してんだよ」
俺は小さく息をつきながら、二人の間に割って入った。




