第6話 王国の崩壊と聖女の正体
水を失った魚がどうなるか、想像したことはあるだろうか?
答えは簡単。
干からびて、死ぬだけだ。
そして今、私が生まれ育った王国が、まさにその魚になりかけているらしい。
「……酷い有様だな」
湯上がりのコーヒー牛乳(特濃)を飲みながら、帝国宰相フランツ様が言った。
彼の手には、帝国諜報部からもたらされた最新の報告書が握られている。
今日は週末。
いつものようにルーカス様とフランツ様が来店し、サウナで一汗流した後、テラスで涼んでいるところだ。
ただ、今日の話題は少し深刻だった。
「王国全土で井戸が枯渇。王都の魔導灯は全消灯。下水道の浄化システムも停止し、街中に異臭が充満しているとのことだ」
フランツ様が読み上げる内容は、まるで終末予言のようだった。
「原因は明白だ。魔力供給の断絶だよ」
隣でルーカス様が、呆れたように肩をすくめる。
「マリエル。君、王城にいた頃、毎日何をしていた?」
「何って……普通の日課ですよ」
私は記憶を掘り起こした。
婚約者として王城に住み込みで働かされていた頃のことだ。
「朝起きたら、まず城の地下にある『礎の石』に魔力を注ぎます。その後、王都の四方にある浄水施設を回って、ろ過装置のメンテナンス魔法をかけます。午後は農場へ行って土壌改良の魔法をかけて、夜は余った魔力を街灯の蓄魔石にチャージして……」
指折り数えていくと、ルーカス様とフランツ様が顔を見合わせた。
「……おい。それは『日課』レベルの仕事量ではないぞ」
ルーカス様が真顔でツッコミを入れる。
「通常、宮廷魔導師団が五十人掛かりで行う国家事業だ」
「えっ」
「君一人で、王国のインフラ全てを維持管理していたということだ。無自覚なのも大概にしろ」
言われてみれば、確かに忙しかった。
毎日魔力が空っぽになるまで働いて、倒れるようにベッドに入っていた。
でも、ジェラール殿下はこう言っていたのだ。
『その程度の雑用、次期王妃として当然の務めだ。地味なお前にできるのはそれくらいだろう』と。
「……私、ブラック企業の社畜みたいに使われていたんですね」
前世の記憶とリンクして、今さらながら腹が立ってきた。
サービス残業どころの話ではない。
国家運営の動力源として使い潰されていたのだ。
「で、その『バッテリー』を捨てた結果がこれだ」
フランツ様が報告書の続きをめくる。
「王太子は、新しい聖女──男爵令嬢エレナに代役をさせたらしい。だが、彼女の保有魔力は微々たるもの。しかも属性は『魅了』に特化しており、インフラ維持には何の役にも立たない」
「魅了……ですか」
エレナ。
愛らしいピンクブロンドの髪と、甘ったるい声を持つ少女。
殿下は彼女を『真実の愛』だと言い、私を『石ころ』と罵った。
「彼女は魔力を注ぐどころか、王太子の側近たちに魅了をかけ、高価なドレスや宝石を買い漁らせているそうだ。国庫は空っぽ、水も出ない。暴動が起きるのは時間の問題だな」
自業自得。
その四文字が脳裏に浮かぶ。
ざまぁみろ、と思う気持ちがないわけではない。
けれど、それ以上に「やっぱりね」という徒労感が強かった。
土木や建築といった地味な魔法を軽んじ、見た目の華やかさだけを求めた結果がこれだ。
インフラを舐める者はインフラに泣く。
前世の格言通りである。
「それで? 愚かな王太子はどう動いた?」
ルーカス様が氷入りのグラスを揺らしながら尋ねる。
その目は笑っていなかった。
「……気づいたようです」
フランツ様が眼鏡の位置を直し、報告書の最後の一行を読み上げた。
「『全てはマリエルの職務怠慢だ。あの女がサボっているせいで国が傾いた。直ちに連れ戻し、責任を取らせろ』……だそうです」
カシャン。
私の手の中で、空き瓶にヒビが入った。
職務怠慢?
追放しておいて、責任を取らせる?
「……ふざけないでいただきたいわ」
怒りで魔力が溢れそうになる。
私の背後で、火山がゴゴゴ……と呼応するように鳴動した。
「落ち着け、マリエル。君が怒ると噴火する」
ルーカス様が私の手に自分の手を重ねてきた。
ひんやりとした冷気魔法が、私の熱を鎮めてくれる。
「彼らはすでに動いている。君の魔力痕跡を辿り、この火山へ向かっている最中だ。騎士団の一部と、王太子本人がな」
「ここへ来るんですか?」
「ああ。おそらく明日には麓に到着するだろう」
ルーカス様は楽しげに口角を上げた。
「どうする? 私が軍を出して、国境で消し炭にしてもいいが」
「……いえ」
私は深呼吸をして、首を横に振った。
「ここは私の店です。お客様として来るなら拒みませんが、迷惑行為をするなら店主として対処します」
帝国の力を借りて追い払うのは簡単だ。
でも、それじゃあ私の気が済まない。
私を無能だと切り捨てた彼らに、今の私がどれだけ「有能」で、どれだけ「幸せ」かを見せつけてやりたい。
そして、二度と関わらないように完全に縁を切るのだ。
「それに、ここには最強の用心棒もいますから」
私は足元のポチに視線を落とした。
ポチは「任せろ」とばかりに、骨付き肉を噛み砕く音を響かせた。
「分かった。君の意思を尊重しよう」
ルーカス様は立ち上がり、マントを翻した。
「だが、私も『客』としてその場にいさせてもらう。私の愛する……いや、お気に入りのリゾートが荒らされるのは不愉快だからな」
「愛する?」
「サウナをだ! 言葉の綾だ!」
ルーカス様は赤くなってそっぽを向いた。
宰相様がやれやれと溜息をつく。
こうして、迎撃の準備は整った。
王太子殿下、そして新しい聖女様。
ようこそ、地獄の火山へ。
貴方たちが捨てたこの場所が、今や世界最高のリゾート地になっていると知ったら、一体どんな顔をするのかしら。
私は冷えたコーヒー牛乳をもう一本開け、来るべき明日に備えて喉を潤した。
戦いの前には、糖分補給が必要不可欠だから。




