第5話 商売繁盛と勘違いの貢ぎ物
かつて私は、宝石など一つも贈られたことのない惨めな婚約者だった。
王太子ジェラール殿下は、いつもこう言っていた。
『お前のような地味な女に宝石は似合わない。豚に真珠だ』と。
だから私は、アクセサリーの一つも持たずに夜会へ出て、周囲から嘲笑されていたのだ。
けれど、人生とは分からないものだ。
火山へ追放された今、私の手元には山のような宝石箱が積み上がっているのだから。
「……あの、ルーカス様?」
私はカウンターに置かれた物体を指差した。
深紅のビロードの箱。
開け放たれた蓋の中には、大粒のサファイアをあしらった首飾りが鎮座している。
その輝きは、火山のマグマの照り返しすら霞むほどだ。
「今週の入湯料だ」
週末恒例の常連客、帝国皇帝ルーカス様は、涼しい顔でそう言った。
湯上がりの肌に、高級なシルクのガウンを羽織り、片手には私の作ったフルーツ牛乳を持っている。
「いや、多すぎます」
私は即座に突き返した。
「当店の入湯料は、金貨一枚です。これではお釣りがご用意できません」
「釣りはいらない。チップだ」
「チップにしては桁が五つくらい違います! これ、国宝級ですよね?」
「帝国の鉱山で採れた石ころに過ぎん。君の瞳の色に似ていたから加工させただけだ」
彼は事もなげに言う。
私の瞳は確かに青いが、こんな高そうな石と一緒にしないでほしい。
「受け取ってくれ。君が受け取らないと、フランツ(宰相)が『やはり金銭感覚の欠如だ』と私に説教を始める」
「……はぁ」
宰相様のお説教を回避するための賄賂ということだろうか。
それなら仕方ない。
「では、リゾートの運営資金としてお預かりします。新しい脱衣所の建設費用に充てさせていただきますね」
私は事務的に処理し、帳簿に『サファイアの首飾り(時価推定一億ゴールド):設備投資費』と記入した。
ルーカス様がガクリと肩を落とした気がしたが、気のせいだろう。
隣で寝ていたポチが、片目を開けて「やれやれ」といった風に鼻を鳴らした。
*
ルーカス様が持ち込むのは、貴金属だけではなかった。
「これは……すごい」
私は厨房の冷蔵室(氷魔法で冷却中)の前で感嘆の声を上げた。
そこには、巨大な木箱が積み上げられていた。
『帝国水産省・直送便』という焼き印が押されている。
蓋を開けると、冷気と共に磯の香りが漂ってきた。
ぷりぷりの伊勢海老に似た甲殻類。
脂の乗った巨大なサーモン。
そして、殻付きの生牡蠣。
「帝国の北海で今朝獲れたものだ。空間転移で運ばせた」
ルーカス様が胸を張る。
どうやら、この物流ルートを確立するために、国家予算と最高位の魔導師を使ったらしい。
権力の無駄遣いここに極まれりだが、料理人(兼オーナー)としては垂涎の食材だ。
「素晴らしいです! これなら、以前から試してみたかった『あれ』ができます」
「あれ、とは?」
「サウナ上がりの『海鮮バーベキュー』です」
私の提案に、ルーカス様の目が輝いた。
その日の夕食は、露天風呂の横に設置した特設テラスで行われた。
溶岩石のプレートを熱し、その上で新鮮な魚介を焼く。
ジュウウウゥ……!
香ばしい匂いと、バターが溶ける音。
「うまい!!」
野太い声が響いた。
ルーカス様だけではない。
今日は彼のお供として、屈強な男たちが五人ほど来店していた。
帝国騎士団長とその部下たちだ。
「この貝、身が濃厚で……ビールに合いすぎますぞ!」
「熱波で絞り出した後の身体に、この塩気が染みる……!」
騎士たちは豪快にジョッキを傾けている。
彼らも最初は「皇帝陛下の護衛」として渋い顔で来ていたのだが、一度サウナに入れたらこの有様だ。
今では非番の日にも「自主訓練」と称して通ってきているらしい。
「どうぞ、お肉も焼けましたよ」
私は霜降り肉(これも差し入れ)を切り分け、皿に盛った。
特製のオニオンソースをかけると、騎士たちが争うように箸を伸ばす。
「女将さん! 俺、この店に骨を埋めます!」
「いや、俺が婿入りしてここで働く!」
「お前ら、陛下と女将さんの前で何を口走っている」
騎士団長に拳骨を食らいながらも、彼らは幸せそうだ。
その様子を眺めながら、ルーカス様が満足げにワイングラスを揺らす。
「どうだマリエル。帝国の食材は悪くないだろう?」
「ええ、最高です。おかげでメニューの単価を上げられます」
私は計算機(魔道具)を弾きながら答えた。
これだけの高級食材を無料で提供してもらえるなら、利益率は凄まじいことになる。
「ルーカス様、提案があります」
私は真剣な顔で彼に向き直った。
ルーカス様がゴクリと喉を鳴らす。
なぜか少し頬が赤い。
「……なんだ? 言ってみろ」
「これほど頻繁に通っていただき、さらに食材まで提供していただいているのです。毎回現金や宝石で支払うのも手間でしょう」
「うむ。……つまり?」
「『ロイヤル会員専用・回数券』を作りましょう! 十一回分のお値段で十二回入れます。さらに、食材提供一回につきスタンプ二倍です!」
私は自信満々に、徹夜で作ったスタンプカードを差し出した。
フェンリルの肉球マーク入りだ。
「…………」
ルーカス様の動きが止まった。
期待に満ちていた表情が、急速に虚無へと変わっていく。
「……回数券……」
「はい! お得ですよ?」
「……そうか。私は、お得意様か」
彼は乾いた笑いを漏らし、ワインを一気に飲み干した。
なぜだろう。
すごく良い提案をしたはずなのに、空気が重い。
「グルゥ……(鈍感すぎるだろ、お前)」
足元で骨付き肉を齧っていたポチが、呆れたような視線を私に送ってきた。
何よ。
経営者として、常連の囲い込みは基本でしょう?
「……まあいい。受け取ろう」
ルーカス様はスタンプカードをむしり取るように受け取ると、それを胸ポケットに大事そうにしまった。
「だがマリエル。一つだけ条件がある」
「なんでしょう? オプションのマッサージですか?」
「違う。……来週は、ドレスを着てくれ」
「ドレス? サウナでですか?」
「違う! 食事の時だ!」
ルーカス様は珍しく声を荒げた後、咳払いをして視線を逸らした。
「帝国の職人が作った最新作を持ってきたんだ。モデルとして着心地を……そう、モニターしてほしいだけだ」
「ああ、なるほど。商品モニターですね」
それなら納得だ。
帝国の繊維技術は世界一。
新しいタオル地の開発とかにも役立つかもしれない。
「分かりました。モニター料として、次回はマッサージを十分延長しますね」
「……頼む」
ルーカス様は力なく頷き、騎士たちの方へ戻っていった。
背中が少し寂しそうに見えるのは、きっと湯当たりでもしたのだろう。
こうして、私のリゾート『マグマ・スパ』は、帝国の全面バックアップ(という名の貢ぎ物)を受け、急速に高級化していった。
おいしいご飯。
最高のお風呂。
そして、気前の良いお客様たち。
順風満帆だ。
この幸せがずっと続けばいいのに。
けれど、山の天気は変わりやすい。
私の元に、招かれざる客の足音が近づいていることを、私はまだ知らなかった。
「……ん? なんだか、空気が臭いわね」
片付けをしていた私は、ふと鼻を鳴らした。
硫黄の臭いではない。
もっとじめっとした、不快な気配。
それは、かつて私がいた場所──王国の方角から漂ってきていた。




