第4話 氷の宰相とマグマ・サウナ
「……ここを、帝国の直轄保養地として買い取りたい」
開店早々、物騒な提案が飛び出した。
前回の来訪から一週間。
約束通り、ルーカス様は再びやってきた。
ただし今回は一人ではなく、いかにも神経質そうな眼鏡の男性を連れて。
銀縁眼鏡に、隙のない濃紺の軍服。
手には分厚い書類の束。
彼こそが帝国の実務を取り仕切る、宰相フランツ様だそうだ。
「お断りします」
私は即答した。
カウンター越しに、ウェルカムドリンクの冷たいハーブ水を差し出す。
「ここは私の私有地であり、私が管理するからこそ価値がある場所です。国家の管理下に置かれれば、いずれ質は落ちるでしょう」
「ふん、公爵令嬢ごときが経営を語るとは」
宰相様はハーブ水に口もつけず、冷ややかな視線で店内を見回した。
「陛下から報告は受けている。『奇跡の癒やし』だの『伝説の魔獣を使役する』だの。だが、私は信じない。陛下は激務で判断力が鈍っておられるだけだ」
「おい、フランツ」
隣でくつろいでいたルーカス様が、苦笑しながらたしなめる。
「まあ待て。百聞は一見に如かずだ。私も最初は疑っていた」
「陛下、甘すぎます。こんな活火山の中腹など、いつ有毒ガスが噴き出すか分かったものではない。即刻閉鎖し、貴女には帝国の監視下に入ってもらうのが筋だ」
宰相様の言葉には、明確な敵意があった。
どうやら、皇帝陛下をたぶらかす怪しい女狐だと思われているらしい。
(まあ、無理もないわよね)
常識的に考えれば、火山でリゾート経営なんて狂気の沙汰だ。
だが、経営者として舐められたままではいられない。
それに、彼の顔を見ていれば分かる。
眉間の深いシワ。
書類ダコだらけの指。
そして、ピリピリと張り詰めた神経質な魔力。
(この人も、限界ギリギリだわ)
同類相憐れむではないが、社畜の匂いがする人を見捨てるのは私のポリシーに反する。
私はニッコリと営業用の笑みを浮かべた。
「宰相様。買収のお話は、一度当店のサービスを体験されてからでも遅くはないのでは?」
「体験だと?」
「ええ。もしご満足いただけなければ、ここを閉鎖して帝国の管理下に入ることを検討します」
「……ほう」
宰相様の眼鏡がキラリと光った。
「その言葉、忘れるなよ。論理的根拠のない『癒やし』など、私が全て論破してやる」
彼は上着を脱ぎ捨て、戦場に向かうような足取りで脱衣所へと向かった。
*
数分後。
腰にタオルを巻いただけの姿になった宰相様は、ルーカス様に連れられてサウナ小屋へと入っていった。
「失礼します」
私も従業員用の麻のチュニックに着替え、後を追う。
ここは男女混浴……ではなく、私が「熱波師」として施術を行うための神聖な仕事場だ。
薄暗い室内。
中央には、赤熱した溶岩石が積み上げられたサウナストーブ。
温度計は九十度を指している。
「……暑いだけではないか。これが癒やしだと?」
宰相様が不満げに呟く。
汗一つかいていない。
魔法使い特有の「魔力障壁」を無意識に張って、熱を拒絶しているのだ。これでは効果がない。
「宰相様、防御を解いてください。身を委ねないと、本当の気持ちよさは分かりませんよ」
「断る。不測の事態に備えるのが私の仕事だ」
頑固だ。
言葉で説得するのは無理そうね。
なら、強制的に分からせるしかない。
私は手桶の水に、アロマオイルを一滴垂らした。
今日は「白樺」の香り。
森林浴のような清涼感が、熱気の中に広がる。
「では、始めます。『ロウリュ』です」
ジュワァァァァァ…………!!
柄杓一杯のアロマ水を、焼けた石にかける。
爆発的な勢いで蒸気が発生した。
熱の塊が、天井を這い、部屋全体に降り注ぐ。
「ぬっ……!?」
宰相様の表情が変わった。
湿度が上がり、体感温度が一気に上昇する。
魔力障壁など意味をなさないほどの「熱の圧」が彼を襲う。
「ここからです」
私は大きな団扇(フェンリルの抜け毛を織り込んだ特注品)を構えた。
大きく振りかぶり、空気を攪拌する。
ブンッ!!
熱風の塊を、宰相様めがけて叩きつける。
「ぐぅっ!!」
「これは一回目。身体の表面を温めます」
ブンッ!!
「二回目。毛穴を開き、老廃物を絞り出します」
ブンッ!!
「三回目。思考を止め、ただ熱さを感じてください」
熱波を送るたびに、宰相様の鉄壁の表情が崩れていく。
彼は喘ぎ、玉のような汗を噴き出した。
論理だの、監視だの、そんな小難しいことを考えている余裕はないはずだ。
「熱い……! だが、苦しくない……!?」
「アロマの香りで呼吸を助けていますから。さあ、もうひと踏ん張りです」
私は彼が限界ギリギリになるまで、丁寧に、かつ容赦なく熱風を送り続けた。
隣ではルーカス様が「これだ、これが効くんだ」と恍惚の表情で汗を流している。
「はい、終了です! 水風呂へどうぞ!」
私は扉を開け放った。
*
サウナ小屋を出た二人は、ふらつく足取りで水風呂へ向かった。
地下水を冷却魔法で十五度に保った、キンキンの水風呂だ。
「こ、こんな冷水に……心臓が止まる!」
宰相様が躊躇する。
しかし、身体は熱を求めて悲鳴を上げている。
「息を吐きながら、一気に入るのがコツです」
私が背中を押す(物理的にではない、言葉で)。
意を決した宰相様が、ザブンと身を沈めた。
「ひぃっ!?」
悲鳴が上がる。
しかし、数秒後。
彼の表情から苦痛が消え、代わりに呆けたような安堵が広がった。
「……あ、あぁ……。熱の膜が、守ってくれる……」
極限まで温まった身体が冷やされることで、血管が収縮し、脳内麻薬が駆け巡る瞬間だ。
「上がりましょう。最後は外気浴です」
水風呂から出た二人を、露天スペースのデッキチェアへと案内する。
ここからの景色は最高だ。
火山の雄大な稜線。
澄み切った風。
二人はチェアに身を投げ出し、目を閉じた。
ドクン、ドクン、ドクン。
自分の心臓の音だけが聞こえる。
血液が全身を猛スピードで駆け巡り、手足の先がジンジンと痺れるような感覚。
いわゆる『整う』状態。
宰相様が、ゆっくりと口を開いた。
「……世界が、回っている」
「いいえ、回っているのは宰相様の血流です」
私が冷たいタオルを目元に乗せてあげると、彼は深く息を吐いた。
「……論理的ではない。医学的根拠も不明だ。……だが」
眼鏡を外した素顔から、険しいシワが完全に消え去っていた。
まるで少年のように無防備な顔。
「……悪くない。いや、最高だ……」
完落ちだった。
私は心の中でガッツポーズをする。
「お気に召しましたか?」
「……認めよう。ここは、帝国にとって……いや、私にとって必要な場所だ」
宰相様はむくりと起き上がり、どこか憑き物が落ちたような顔で私を見た。
「買収の話は撤回する。貴女の言う通り、貴女でなければこの質は維持できまい」
「ご理解いただけて光栄です」
「その代わり」
彼は真剣な眼差しで言った。
「私を『個人会員』第一号として登録してくれ。会費は言い値で払う。……来週も来ていいか?」
「もちろんです、お客様」
隣でルーカス様が「おい、私はゼロ号だろう」とむくれていたが、宰相様は無視して私と握手を交わした。
その手はまだポカポカと温かかった。
こうして、私は帝国の二トップを完全に常連客として取り込むことに成功した。
彼らはリフレッシュして帰国した後、驚異的な業務効率を発揮し、「あのリゾートに行けば天才になれる」という噂が帝国上層部に広まることになるのだが、それはまた別の話。
「ふふ、商売繁盛ね」
去っていく二人を見送りながら、私は充実感に浸っていた。
魔石だけでなく、正規の利用料(高額)もゲットできたし、何よりあの堅物宰相のとろけた顔を見られたのが一番の収穫だ。
さて、次はどんな設備を増やそうかしら。
岩盤浴? それとも打たせ湯?
夢は膨らむばかりだったが、その頃、私を追放した祖国では、洒落にならない事態が進行しているとは露知らず。
私の平穏なスローライフに、元婚約者の影が忍び寄ろうとしていた。




