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人の力・時の力

1571年6月末日

すっかり夏らしくなってきたこの頃、診療所が本格的に整備され丹羽長秀(にわながひで)の手腕により診療所後方の空き地へ分厚い漆喰(しっくい)の壁を持つ倉庫が二(むね)作られ大手口(おおてぐち)の一角は新たな医の場として整備が進んできた。


町の人々は当初、若き尼や織田家の重臣たちが屋敷へ出たり入ったりするのを見て不気味がっていたが、疥癬(かいせん)の治療の評判や桃慧(とうけい)の人柄を知ると病の治療や体の不調を相談しに来るものたちがチラホラと出始めたのである。



診療所の奥では、薬草を煎じる香の匂いと何とも言えない錆びた鉄のような匂いと腐敗臭が微かにが立ちこめていた。



診療室の隣、個別に仕切りが設けられた寝床には伊勢長島での戦いで負傷し、これまでの治療のかいなく傷が化膿し桃慧へ助けを求めてきた者たちが治療を受け、久方ぶりの安堵の表情で床に就き、寝息が聞こえている。


桃慧は薬研(やげん)に向かい、黙々と薬草をすり潰していた。白い小袖の袖口はうっすらと薬と血で染まり、その表情には疲労と緊張が混じっている。


「……桃慧殿、少し宜しいか」


穏やかでありながら張りのある声が背後からかかった。

振り返ると、織田家お抱え医師団の頂点、御医頭(おいがしら)安藤宗庵(あんどうそうあん)が立っていた。

年の頃は五十に届くかという僧姿の男で、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)で眼差しは鋭く、しかし慈愛(じあい)も宿している。

桃慧は伊勢長島の戦場で初めて宗庵を目の当たりにした際、医に携わるものではなく一騎当千の猛将かと思ってしまったが、知識や手腕も確かで名医と呼べる男だった。


「宗庵様……これはご足労を……」


桃慧が慌てて立ち上がろうとすると、宗庵は手で制した。


「いや、座っていなさい。……ここへは私個人ではなく上様の命を携えて参った」


宗庵は(ふところ)から一巻の巻物を取り出し、静かに桃慧の前に置いた。

封には織田家の朱印が押されている。

「一応上様からしっかりとした命であると形式上残さねば成らぬと言う事で書き記し、私に持たせたものだ。渡すだけも良いと言われたがしっかりと口頭でも伝えようかと思ってな」



巻物を開き桃慧の目をちらりと見て、緊張しているのかこわばる方肩をポンポンと優しくたたき

「安心せい、少々殿は忙しくてな、桃慧に半月も会えず寂しがっていたぞ。しかし桃慧の活躍を耳にするたび唸って褒め称えていたんだ。この度の(めい)其方(そなた)ならできると踏んでの命であろう。読むからな」


かわいい孫へ手紙を読むように宗庵は巻物に目を落とし読み始めた。


”改めてこの度の戦において、其方が果たした功は、一兵(いちへい)一将(いっしょう)一人(いちひと)と見て、退()(ぐち)での奮迅(ふんじん)重臣(じゅうしん)柴田勝家(しばたかついえ)の救命、多くの兵らの治療、いずれも尋常ならざる働きだ。それ故に戦場にて其方の技術や知識を最大限発揮することができる新たな試みを考え意見し導くものとする。わからぬこと、頼りたいこと、無理だと思ったならば速やかに相談すること。桃慧の話ならば余や長秀、宗庵はいつでも手を貸す所存だ のふ”




「……身に余るお言葉にございます」


謙遜(けんそん)は要らぬ」

宗庵は声を低くし、桃慧の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「新たな試みとはまた難題を.....しかしどこから手を付ければよいモノだろうな。殿は戦場でも其方を肌身離さず陣中医官(じんちゅういかん)陣医(じんい)として其方を連れていく気じゃ」


桃慧は思わず息を呑み、宗庵を見つめ、やがて深く頭を垂れた。

「……承知いたしました。私にできる限りを力を尽くします」


「其方にはこの通り抱えている負傷者も多い、特にここに居る者たちは私の部下たちが見捨てて者たちじゃ、面目(めんもく)経たぬ」

宗庵は深々と頭を下げたが桃慧は慌ててそれを止めた。


「そんなことございません、この者たちの傷は深くここまで命を長らえたのは親身に治療を続けてきたからこそ、私はそれを引き継いだまで」

桃慧がそう話すと宗庵は悲し気に話し始める。


「長秀様より選抜したものを其方へ渡すようにと命を受けたが、伊勢長島での治療を見ていた者たちが桃慧の治療は呪いだとか、人の道を外したものだとかという連中が多く、引き渡すのが恐ろしくてな、それ故なかなか人選が決まらぬのだ。」


桃慧も思わず悲しそうな表情をするがそれを見て宗庵は再び優しく肩をたたき話を続ける。


「医の道とは一つではなく明確な答えも正直に言えば解らぬことだらけだ、然し一つ正しいことと言えば.....病や怪我で苦しんでいた者たちが笑顔になればそれが正しい道となることだ」


宗庵は襟を正し立ち上がる。


「殿からの命令は以上だ、何かすぐに必要なことはあるか?」


桃慧は少し考えたが頭の中で整理がつかない






そんな最中(さなか)に声を上げながら診療所に声を上げて入ってきたのは松吉(しょうきち)だった。

「お嬢!大変だ!畑でけが人が出た!話しかけても唸るばかりで話ができないんだ!」


松吉はぜいぜいと息を鳴らしながら診療所の入り口に座り込む。


「怪我とはいったい何があったのです?」

桃慧の表情は鋭さを増し、松吉に質問する。


「詳しくは分からねぇがどうやら開墾作業中に大岩を転がす際、足を挟んで転んだようだ、今若い連中が運んでくるよ」


「大岩を.....骨折かもしれぬな」

宗庵はそう言うと、隣に立っていた桃慧はネズミのように素早く動き始めた。

桃慧の表情は一変し、目には焔を灯して真剣な表情で動き続ける。


治療室は一気に緊張の糸が張りさながら戦の前かのような様相だった。


桃慧は急ぎ湯を沸かし、その隙に薬棚(くすりだな)から恐らく使うであろう薬草を選び煎じ小鉢へ入れる。

軟膏の入った壺を取り出し台へ並べ包帯と多量の煮沸消毒し乾燥させ保管していた清潔な状態の布を用意し、竹で作った添え木を用意し骨折の治療へ備える。


「......見事な段取りだ」

宗庵はポツリと呟くと診療所の外がざわつき始めた。

「こっちだ!しっかり持て!」「バカ!あまり揺らすな!」

「おいおい!けが人が落ちるだろうが!まっすぐ持て!」


怒号と共に家の扉のような木の板に4人がかりで負傷者を運んできたのは畑で作業を手伝っていた丹羽長秀の部下たちだった。

「重てぇな」「バカ、だから傾けるな」


板の上に乗せられた男は板が揺れる度呻く、そんな姿を桃慧は真剣な眼差しで見つめる。

細い眉がきゅっと寄せられ思う。


—――――――これでは戦場ではどうなるのだろう?


運ばれてきた男は泥と汗にまみれ顔色は青く呻くばかりだ。


桃慧は運んできた者たちに質問した。

「この方はどこを挟まれどの様なことを訴えていましたか?」


男たちはポカーンと顔を見合い何も知らない言い狼狽(うろた)える。



桃慧は小さくため息を付き、急ぎ患者の体を見て回る。

「右足が腫れてる、ほかには頭にたんこぶ?頭も打ってるのね」

桃慧は患者の肩をたたき、声をかけ続け、右足のつま先、爪をぎゅーと押して血の巡りを確かめる。

爪は押すと白くなるが手を離すと赤みを取り戻し血の巡りは確かめられた。


「お兄さん、聞こえますか?お名前は?言えますか?」桃慧は男の肩をたたき意識を確認し続ける。


「骨は......大丈夫折れてなさそうね」

足を骨に添って撫で、時には少し押してみて患者の反応を見る。


「お兄さん話せる?私の声は聞こえる?聞こえたら私の手を握って」

桃慧は男の手を握ると男は桃慧の小さな手を握り返してきた。


「聞こえてるのね、よかった......今治療しますからね、足の骨は大丈夫でしたよ」


男は小さく「ありがとう」と呟くと少し目を開け周囲を見渡す。


「お兄さん、私が見える?」

桃慧は優しく耳元で声をかける


「お、お嬢.....そっか......またお嬢が助けてくれたんだな」


「丹羽様のお役人様や松吉さんが連れてきてくれたんですよ。頭は痛くない?たんこぶが出来てるけど?」

腫れている箇所を撫でると男は少し痛そうな顔をする。


「足が挟まれそうになって後ろに下がったら転んじまって.....」

桃慧はそう聞くとふぅと一息つき軽く患者の手足を触り反応を確認し、見えているもの、聞こえるものを確認した。


「足の打撲と、頭を打ったことによる意識障害かと思われます、頭の中で出血してしている場合もありますので明日の昼まで診療所で様子を見ます。」

桃慧がそう判断すると一同はほっと胸をなでおろした。


「ありがとうお嬢、また助けられたな~。今度畑を見に来てくれよ!みんなお嬢に会いたがってるから」

松吉は手を振りながら診療所を後にして、長秀の部下たちも良かった良かったと大事にならなかったことを喜びつつ診療所を去っていった。



「..........宗庵様」


「見つかったな、確かにこれではいかんな。」


桃慧は右足の患部にユキノシタをすり潰し酒で溶いた汁で漬けた布を巻き包帯で固定し、たんこぶが出来た頭は丁寧も濡れた手ぬぐいを当てて患部を冷やしつつ、血がたまらぬように横を向かせて寝かした。


桃慧は治療の記録を付けるため筆を執り書き記しながら今の問題を宗庵に話し始める。


「まずは搬送手段、城下の道であの有様ですと戦場では目も当てられぬことでしょう」


宗庵は頷き桃慧に話す。

「確かに金創医(きんそうい)たちも良く言っていた。患者が運ばれてくるのが遅い故、こちらが戦場で走り回った方が早いと」


桃慧は思考を巡らせていた。


「私たちが戦場の前に出れば安全に治療ができませぬ、負傷者たちを急ぎ陣の後方へ下げ安全に治療できる環境を作る、これが一つ目の課題」


宗庵も頷き目をつむる。


「次に運ばれる際にそのものがどんな症状で、どの様な状態なのかがわかりませぬ。これでは一刻を争う場で処置が後手に回ります。ですので搬送前にある程度の症状を判断する仕組み、これが二つ目の課題」


桃慧は淡々と話す。


「さらに平時で患者が一人なら良いかもしれませぬが戦場では不特定多数の患者が一度に押し寄せます。誰を優先して治療するか、だれを犠牲にするか、早急に判断せねばなりませぬ。これが三つ目の課題」


宗庵も頷きその言葉の意味を噛み締める。


「今は一人なので、すべて私が行っています。ですが.....この状態で戦場に赴いても患者の搬送もできず、準備にも手間取り、助けられる命は限りなく少ないでしょう。それでは大殿の期待に背く結果となってしまいます。」

桃慧は肩を落とし呟くように話した。


その姿を見た宗庵は力強く語る。

「桃慧、作るぞ。我々の手で、一からじゃ、心願寺や一向宗、毛利に朝廷、浅井朝倉、上杉や武田、長曾我部も来るやもしれぬ。四方はすべて敵、信長公の軍を守るは我らの務め、一刻の時すら無駄はないぞ」


宗庵の言葉が桃慧の背中を押す

「まずはできる所からだ!」


桃慧は「はい」と力強く返事すると筆を止め、宗庵と手を握り思考を巡らせるのであった。



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