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命と毒の使い方

撤退開始から3日経ちその昼頃に織田伊勢長島攻略軍は一度本拠地、美濃(みの)国へ戻り着いた。


撤退の道中、倒れる兵や熱中症に苦しむ者も多く、桃慧(とうけい)は倒れる者たち、捻挫(ねんざ)擦過傷(さっかきず)の手当を行いながらひたすら歩いた。


軍規(ぐんき)に厳しい信長も流石にけが人や病にかかった者たちへの情はあるらしく行軍の列を乱した患者への対応は慈悲のあるものだった。


医務者たちは熱中症の疑いがある者には梅酢(うめず)を水に溶き、少しずつ飲ませ、脇や首に濡らした麻布を挟みゆっくり歩ませた。


捻挫した者たちは無理に歩かせず肩を貸し、患部を薄荷(はっか)を溶いた水で絞った麻布を巻き酷ければ枝や竹で添え木し何とか歩かせた。




やがて城下町が視界に入る。瓦屋根(かわらやね)の家々、石畳(いしだたみ)の道、商人の呼び声――戦の疲弊とは裏腹に、町は活気に満ちていた。


しかし民衆の表情は複雑だった。


子供たちは、血まみれの兵士たちを見て母親に隠れる。


年配の商人は、倒れた兵を見て「これはまた…良く帰られましたな…」と不安そうに呟く。


行き交う町人たちは頭を下げ兵士たちの列を見送る。


桃慧はその様子に胸を痛めた。戦の結果が町に不安をもたらすことを、身近に感じた瞬間だった。



城門をくぐる前に桃慧は信長の部下に呼び止められた。


「上様からの命令じゃ、桃慧という医務者は城に入ることは許さぬ、城下の大手口(おおてぐち)にある御殿(ごてん)へ入られよ。後に上様が話をしたいとの事」と桃慧に伝えると信長の部下はそのまま城の方へ走っていった。


確かに召し抱えてくれるとは言われたもののまだ一向宗から離反(りはん)したばかりの尼であることには変わりない、縄をかけられていないだけ好待遇という事か。桃慧は言われた通り城の大手口近くにある絢爛豪華な御殿へ案内された。本来この御殿は外交の使者や地元の有力者などが利用する施設の様で内装や外装にもこだわりが見て取れる。


木戸をくぐると、障子越しに差し込む光が畳を照らし、商人や町の人々の賑やかな外の喧騒が薄れて静寂に包まれる。


すると先ほど伝令に来た兵が立っていた。

「来たか、上様は一早くお前に会いたいと仰られていた。この部屋で待て、宗庵様がお待ちだ」

重厚な鉄の戸を開けると中は白い漆喰(しっくい)で作られた壁の物々しい幾多(いくた)にも仕切られた小部屋が左右に分かれた独特なつくり。秘密の会合等をする部屋なのだろうか?中に周囲を見渡せる窓はなく、明かりとりの窓が何か所か高い位置に空いている。


「桃慧、こちらへ」宗庵に案内され香り高い香が焚かれた部屋の角にある座敷へと呼ばれ信長の到着を待つ。


外で何やら一瞬音がしたと思うと先ほどの重厚な扉が開き、誰かが入ってくる。

宗庵が「頭を下げよ」というと急いで桃慧も頭を下げた。



「これ宗庵、そのようなことしなくともよい、桃慧会いたかったぞ」

信長の表情は軍の指揮をしていた時の武神のような顔から、新しい玩具をもらった子供のように弾けた笑顔であった。


「危険な引き際での怪我人や病人の看病と撤収、見事であった。動けぬ者たちが居るにも拘らず余の本隊が城に入ること30分程度で到着するとは.....どんな術を使ったのだ?」


桃慧と宗庵は目見合ったが特段何もしていない、強いて言えば本来動けないはずの者たちも歩くまで回復するのが速かったと言う事だけであろう。


「これといって特別なことは.....強いて言えば重傷者が少なく歩けるもの皆で重傷者を代わる代わる背負い歩いたことではないでしょうか」


宗庵の返答に信長は()に落ちない様で桃慧に目をやる。

「それだけか?」不思議そうに桃慧を眺める。


「治療が上手くいき普通ならば1週間寝込む怪我の者も、2日程度で歩けるようになったためでは...?」


桃慧はそう恐る恐る話すと信長は持っていた扇子をパンと鳴らし

「見事!見事じゃ!ゆえに重傷者が減り少ない重傷者を軽傷者たちと健常者で運んだ為か!これは見事、見事じゃ!」信長はえらくご機嫌で何度も何度も二人のことを褒め称えた。


満足に気に信長が頷くとゆっくりとまじめな顔つきになり

「桃慧、城に入れなかったのはお前が本当に余の元に来る理由が知りたかったのだ、密偵(みってい)(たぐい)ではないと理解はしている、敵も味方もなく人の命を救う大義も理解する、なぜ一向宗を裏切り余の元に来るのだ?訳を話せ」


信長は小刀を畳の上に置きジーっと桃慧の目を睨む。


桃慧は静かに答える。

「仏の教えに従い、命を救うことが第一です。確かに一向宗として戦場に居たことは間違いありません、然し元より私は一向宗として派遣された医僧や尼ではなく旅の途中で一向宗の僧を助け巻き込まれただけの事」


信長はじっと少女を見据える。

「なるほど.....故に裏切りとも思っておらんと言う事か、なら余が桃慧を召し抱えると言った今、余を裏切る可能性はあるか?」


「私のような者に人の命を救う役割と場所をいただけるのであれば、それが失われない限り永久にお使いいたしましょう」

桃慧は深々と信長に頭を下げた。


「そうか、ならば与えてやろう。十分に(はげ)め」

信長は続けて尋ねる。

「母親の遵慧(じゅんけい)のことも聞かせてくれ。桃慧の医術は、母譲りなのか?」


桃慧は少し俯き、静かに答えた。

「私は奥州のある寺で生まれ、母が寺を仕切っておりました。母はかつて大阪の岩山本願寺(いわやまほんがんじ)で修業し西洋の医術や(とう)の書物や技術を学んだ医術師で、さらなる医術を探求する為死期の近い者や罪人を使い、病や怪我の治療を試していました、また人体の謎を解く為に何度も何度も人体の解剖を行い、そんな母から人体や医術や薬学などを学びました。」


信長は頷き、目に光を宿す。

「なるほど……どれほどの人を解体したのだ」


「覚えておりませぬ」


「ふむ、母とその信徒たちはまだ居るのか?」


桃慧は眼の光が陰り地獄を見たかのように曇る(まなこ)で信長を見つめ

「おりませぬ、皆私が殺し医術の学びの為に使いました」


信長と宗庵は桃慧の静かな迫力に思わず手に刀を握り構える。

桃慧はそんなことを気にもせず話続ける。


「母は病にかかりました。当初は何の病かも分からず信徒たちが(こぞ)って母を(いや)そうと薬を飲ますのです。信徒たちは私も学んだことのない薬をどこからともなく運んできては研究の成果だといって母に飲ませました.....皆母に自分の指を切り落とし煎じて飲ませていたのです。」


「うむ....民間医術では確かに人は薬になるとされているからな」

宗庵はゆっくりと話し俯く。


「次第に信徒たちは傷を膿ませ苦しみ、母の奇跡の力を求め始め逆に母の体を食そうとするのです。なので私がすべての信徒を治療と称し使い(ころし)ました。」


信長は刀から手を放しそっとまた座り話に耳を傾ける。

「母の病を調べ、それは内蔵に巣食う腫物(はれもの)(癌)でございました。すでにやせ細り死を待つばかりの母を使いその病が助かるのか調べました。腹を裂き腫物を切り縫合し、痛み止めと膿止めを混ぜ塗り込み、曼荼羅華(まんだらけ)の種子をすり潰し飲ませました。一時は回復したものの別の場所に腫物が出来、手が付けられなくなり死にました。」


宗庵は青ざめた顔をなんとか(つくろ)うので必死で言葉も出ない。


「つまり腫物は治らぬ病と言う事か」

信長は釈然(しゃくぜん)とせず桃慧へ聞く。


「腫物は道理があるのかと思われます。似た症状を持つ信者の腫物、石のように固く、潰しても治らず、体を(むしば)み続ける腫物は小さいうちに切除できれば治ることが出来ました。しかし大きくなり体中に腫物が分かれていると手の(ほどこ)しようがありませんでした。熱を持ち、悪しき血や異臭を持つ腫物ならば膿を取り出し薬、きれいに洗い流したのちに薬を与えれば良くなります。」


宗庵は思わず息を呑む

「硬い石の様な腫物....穢れや神罰ともいわれる病をそこまで調べ言い分けるとは.....」


信長も驚愕し、やがて不敵な笑みを浮かべた。

「なるほどそこまでわかるのか....救えるものと救えぬもの見極められるのなら良い、戦もまた同じ、勝てる戦と勝てぬ戦、勝てぬとなれば早々に退くのも名将の(たしな)みよ.......面白い、実に面白い娘だ」


信長は続けて話を振る

「桃慧は薬にも詳しいようだが.....有害な薬....つまり毒はどうだ?酒に混ぜ、矢に塗り、あるいは密かに盛る。これを防ぐ術はあるのか?」


桃慧は淡々と答えた。

「毒と申しましても、その性は多様にございます。草や花、虫から作られた毒ならば吐かせ、下らせあるいは炭や多量の水、土に吸わせ和らぐものもあります。蛇や蜂の毒は傷口を裂いて血と共に毒を絞り出せば助かることもございます。また人によっては体内に入れると湿疹や嘔吐、咳や涙などの反応を示す個別の人体に効く毒というものもあります。蕎麦の実や漆などがその例でございます。また石や鉱石から取られた毒、砒石(ひせき)や水銀、鉛などは体に残りやすく、気が付いた時には助けられないことがございます。」


宗庵は思わず声を漏らした。

「.......炭や土で?毒を吸わせる.....との我らが見てきた膳毒(よどく)(たぐい)とは全く類の違う道理でございます。すぐさま調べたく思います。」


信長は唇の端を吊り上げにやにやとしながら、扇をひらひらと揺らしながら呟く。

「.............逆に敵に使うとしたら砒石や水銀、鉛が効果的と言う訳か、井戸に流し、兵糧(ひょうろう)に混ぜ込めば大軍も弱り相手にせずとも崩せよう」


宗庵は一瞬息を詰めた。信長が発するその発想に冷や汗が背を伝う。


だが桃慧は怯まず、静かに首を横に振った。

「毒は強ければ強いほど、人と共に地も水も害します。矢や水に毒を盛れば敵は倒せましょうが己の兵も民も知らずに触れれば命を落とします。井戸に流せば敵は苦しみましょうが、戦の後に住む民が滅びます。毒は使えば必ず自らに返る刃....御身の覇道(はどう)に混ぜるには、あまりに(けがれ)れが深すぎます」


宗庵はその言葉に思わず頷き、ハッとして信長の顔色を(うかが)った。

だが信長は一度大きく笑い、扇で膝を打った。


「ははははははははっ!小娘がよく言うわ!いやいや、よいよい良くぞ言った。戦は戦で勝つ。戦はその準備と戦までの準備の積み重ねで勝つものだ!毒のような小賢(こざか)しい技は武の誉れに非ず。余は毒を武器とはせぬ。だが知っておけば敵の一歩先を行く。桃慧、そなたの知恵は余の天下を守る(たて)にもなりそうじゃ!」


部屋の空気は再び張り詰め宗庵は心底より震えを覚えた。


ーーーーこの少女の口から語られる理が戦国の世を変えるやもしれぬ。



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