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虎の進撃 織田の謀劇

1572年10月15日 

岐阜城には各方面を預かるの総指揮官たち、そして織田家を支える重臣達が一同に会し、軍議を開いていた。

近江、伊勢、そして本願寺それぞれに何やら動きがあるとして警戒するための軍議であった。



近江方面 柴田勝家 木下藤吉郎秀吉

伊勢方面 滝川一益 稲葉一鉄 氏家直元

畿内方面 明智光秀

美濃本国 丹羽長秀 村井貞勝 林秀定 

三河方面 佐久間信盛 

信長旗本 前田利家 佐々成正 桃慧 他


大広間の障子は閉ざされ、燭台の火がわずかに揺れる。畳の上には、東海道から北近江、伊勢、京に至るまでの地図が広げられていた。



上座には織田信長。



「では近江では浅井の軍が集結し朝倉と合流しつつあると」

信長は勝家からの報告を聞きながら頭をかく。



「はっ、おそらく浅井が主軸で兵糧を集めており、そこへ朝倉が集結すれば総勢7千から9千の軍勢になるかと思われます。」

勝家が緊張した面持ちで進言する。



「そうか何か動きがあれば権六の判断に任せる、猿も権六の指示に従え頼むぞ。


「は、お任せくださいませ。」



「一益。伊勢はどうだ?」



滝川が一歩進む。


「はっ、些か不穏な動きがございますな。雑賀や根来の者共が挙って移動しております。そこに三河より逃げてきた一向の国衆が一同に集結してるとの報告が今朝方ありました。近々蜂起すると思われます。」


「今の存兵で足りるか?」


「殿よりお任せいただきました兵6千、桃慧殿の働きもあり士気旺盛にて遺憾なき働きをお約束いたしまする。」


信長は一益と桃慧を一見すると嬉しそうに頷く。


「畿内はどうだ?」


明智光秀が低く言う。

「将軍周辺、怪しき動きあり。昨語報告しました通り石山本願寺とも通じる者がいるとの事、京には密偵を潜ませて情報を集めております。」



信長はゆっくりと息を吐いた。

「全く困った将軍様だ、しかし織田家が将軍家を支えなけらば政治基盤が揺らぐ、将軍家には私が話をつける故ことが起きぬよう引き続き掛け合うことにしよう。」


そんな話がひと段落した一間だった。

廊下を駆ける足音が近づく、そして広間の前でその音が止まり

「申し上げます!甲斐の武田信玄、挙兵!既に徳川領三河国、遠江国へ侵入、既に三河、遠江国境の国衆の一部に武田の調略により徳川より離反するものあり、徳川様は浜松城へ入るとの事」


議場が一気に凍り付く、信長を残して。

信長はその報告を聞くと傍らにあるひじ掛けを切り蹴とばした。


「おのれ信玄ッ!!!上杉との和睦を断ったのはこの為か!ふざけおってッ!!!!!」


その怒りは暴れる龍が如く、普段の合理的で優しい父親のような信長とは思えない苛烈なものだった。

「おいッ!直ぐに動かせる兵力は如何ほどか!」


長秀が冷静に答える。

「現在美濃にて動員できる兵は二千から三千、予備の兵力を合わせて約七千程かと思われます。」


「で、武田の規模は如何ほどか!」

信長は息を荒くし伝令の胸ぐらをつかむ。


「お、恐れながら、三千の先鋒を確認しており、信玄本隊の規模は確認できておりませぬが、おおよそ二万から二万三千程かと思われます。」


そう聞くと信長は物見を離し席に戻る。

「各地から兵は引けず、こちらが出せるのは多く見積もり七千か。」


その数字が地図の東に重くのしかかる。だが動かせる兵は分散している。

信長は息を整え再び立ち上がり地図へ歩み寄る。指先が遠江に触れ、三河へと滑る。


「徳川の兵は恐らく七千から多くて九千、とてもでは無いがまともにぶつかれば勝ち目は無い。そこは家康もわかっているはずだ。時を稼ぎ織田の援軍を待つだろう。」


低い声。


「信玄も冬が近いためここ2か月が勝負とみて。城と兵を削りに来るだろう。」


振り返る。


「こちらが慌てて兵を東へ寄せれば、北や南が動く。近頃の活発な動きは信玄挙兵に連動してのことか。」


燭火が揺れ、信長の影が壁に伸びる。


「では西も動くと?」

佐久間信盛は緊張した面持ちで問う。

そして信長が考えながら声を絞りだす。

「いや、西は動かぬ、まだ動かぬ、動かせる兵が居らぬはずだ。」


顕如(けんにょ)は動くでしょうか?」

勝家が目を瞑り項垂れる。


「わからぬ、あやつらは一概に分からぬ、光秀、京の情報は他にないのか?」

信長は必死に地図を睨みつけながら情報を整理している。


「まことに申し上げにくいのですが京の動きは他に入っておりませぬ、密偵も物見も間者も何も申しておりませんでした。」


信長は振り返り

「五郎左、密偵を増やせ、各地へ散らして情報を集めるのだ、情報が入らぬ限り徳川への援軍は出せぬ。東美濃の国衆の動きにも目を光らせよ、いや京だ、京へ密偵を集中させよ。京の将軍家、三好残党、石山の坊主共に刺されるのが最大の脅威だ。」


「はっ、然し上様、密偵の多くは出払っており未熟なものしか残っておりませぬ。」



「その者らでもよい、情報だ、今は情報が欲しい」

信長は周囲を敵に囲まれ、同盟の徳川は余命を宣告されたに近い状況に焦りを感じていた。


「恐れながら、京への密偵は立ち振る舞いや、その知識で密偵と露見する可能性が高く、僧や出入りの経験あるものでなければ務まりませぬ、何より裏切りや逆に調略される可能性もあります。」


「宗庵では京に面識があり織田の家中の者と露見するか」

信長は桃慧の後ろに座る宗庵を眺めるも目を瞑り首を横に振る。


「上様。」

澄んだ声が響く。


信長はその声の主を見る。

背筋を伸ばし凛と佇む桃慧であった。


広間の視線が集まる。

「密偵のお役目、この桃慧が承ります。」


丹羽の眉がわずかに上がる。

「医務衆の長が、か」


桃慧は静かに言う。

「京は戦場ではございませぬ。医僧であれば出入りも自然。疫病の診立てを名目に、寺にも町にも入れましょう」

信長はじっと見ている。


桃慧は続ける。

「若い女であり、僧衣をまとい、しかも一向宗の出。一向の力が強い京での活動は容易く、織田の重臣とは誰も思いませぬ。」


林が目を細める。

「しかし、危険ぞ」


「承知しております」

桃慧の声は揺れない。


「岐阜で動かぬ漬物石になるならば、今織田の将の一員として動く方が織田家、上様のためになりましょう」

信長の視線がわずかに変わる。

たしかに理にかなっている、若い女、医僧、一向宗の僧で、桃慧は褒美や金、利権などで動く人物ではない。むしろほかに出せる信頼できる適材など家中にはいない。


「......頼めるか」

信長は天より垂れる蜘蛛の糸にしがみつくような心持で桃慧の手を握る。


「お任せくださいませ上様、必ずやご期待に添う情報をお持ちいたします。」

桃慧の手は震えている。露見すれば一向の裏切者、将軍家に仇成すものである。


「光秀、桃慧を支援せよ。事が露見した際は坂本へ逃げるのだ、いいか?」


「承知いたしました。」

光秀も頭を下げ承諾する。



そうして桃慧は京、将軍家、そして大坂の石山本願寺の密偵の為に岐阜を経つことになる。

信長は将軍家へ浅井朝倉との和睦仲裁を交渉を続けつつ、その対立を深めぬため話し合いを継続する。


「一綱、私が留守の間、引き続き訓練と医務所の維持をお願いいたします。」


「はっ」少し寂しそうな一綱。


「あやめ、医薬品の備蓄、薬の調薬はお任せしました。」


「はい、桃慧様」

あやめはびしっと背筋を伸ばし応える。


「治長、私に万が一のことがありましたら皆を頼みます。私が留守の間上様のお役に立ちなさい、丹羽様も居りますので何かありましたそちらに相談するのですよ。」


「ご無事の御帰還をお待ちしております。」

意外にも少し不安そうな治長。



「宗次、本来なら彼方を供廻りとして連れて行きたかったのですが宗派の違いにより違和感が出ると務めに支障が出るので今は救走班の訓練をお願いいたします。」


「承知いたしました。どうかご無事で」

宗次は落ち着いた様子で応える。


「柚、滝川様より治癒班の働きお褒めいただきました。引き続きよろしくお願いいたします。」


「ありがたき幸せです、桃慧様留守の間必ずやこの務めやり遂げて見せます!」

柚は頬を染めながら桃慧の手を握りぶんぶんと振る。


「琴、今回は私の供廻りをお願いいたします。坂本出身のあなたの土地勘と京の作法を教えてください。」


「かしこまりました、桃慧様」


そして翌日1572年10月16日桃慧と琴は草木も眠る丑の刻岐阜を発ち明智光秀の部下と合流するため坂本へと赴いたのである。


門を出るとき、見送る者はいない。

密命とはそういうものだ。


道は南へ。

琴が小声で言う。

「京へ入れば、寺の空気が違います。比叡の僧と、石山の僧とでは声色も違います。お気を付けください」


桃慧は頷く。

「はい。過去に母から石山の事を聞いたことがあります、あそこは只の寺ではなく一つの国だと外者に優しければよいのですがね」


二人は道中、丹羽長秀や村井貞勝の配下たちの支援を受けつつ20日の朝方に坂本へと着いた。

三井寺の外の小さな宿場で明知光秀配下の藤田景盛(ふじたかげもり)という三十半ばの男と合流した。


「桃慧様、遠路遥々ご苦労様でした。私は明智光秀様の部下、藤田景盛と言う者です。この度は桃慧様の案内、護衛を務めさせていただきます。」


「藤田様よろしくお願いいたします。こちらは私の従者、琴です」

桃慧は丁寧に礼をし琴を紹介する。


「琴です、どうかよろしくお願いいたします。。」


琴は使い挨拶する。

「それでは参りましょう」


道中景盛は二人のやり取りを聞きながらも口を挟まぬ。

だが視線は街道の先と脇道を絶えず測っている。


やがて日が昇り、山を下り川沿いを抜ける。


立ち寄る村々は平和、戦など遠い世かと思うほど。

桃慧は医僧として怪しまれぬよう、休憩ついでに軽い病の者や怪我、体が痛む者の手当を手早く済ませ歩み続ける。

しかし京に近づくと街道には噂が流れていた。


「甲斐の武田信玄様が来るらしい」

「信玄が上洛するそうな」

「織田は四面楚歌、終わりだな」

「甲斐の虎と美濃のうつけじゃ相手にならん」

商人の声が風に混じる。

景盛が静かに言う。


「京では、武田の名が力を持ち始めておりますね」

桃慧は歩みを止めずに問う。


「将軍様のうわさはあまり聞けませんね。」

「静かにございます。されど、静かな水ほど深い」

景盛の声は抑揚がない。


彼は桃慧の正体を知らない。

信長の密命も知らぬ。

ただ、光秀から言われている。

「若い医僧を京へ導け。もしもの時は坂本へ、命を懸けて守り抜け。」


それだけ。

琴が小さく笑う。

「藤田殿は、僧の作法もお詳しいとか」

景盛はわずかに目を細める。

「比叡の麓で育ちましたゆえ。念仏の調子くらいは」


桃慧はそこで初めて、彼をまともに見る。

武士だが、宗門の言葉を知る。

京情勢にも通じている。

光秀が選んだ理由がわかる。



「そうなのですか?私も坂本の生まれです」

琴が嬉しそうに景盛に話しかける。


「おぉ、同郷でしたか。もしや過去にお会いしたことがあるかもしれませんね。」


三人で交流を深めながら歩みを進める。



やがて京の町並みが見える。

瓦屋根が連なり、寺の鐘が遠く鳴る。


戦場ではない。

だが緊張は戦より濃い。

門前で、景盛が立ち止まる。


「ここより先は、将軍家、そして朝廷の目がどこにあるか分からぬ故、お気をつけて。」


桃慧は深く息を吸う。

医僧として。

一向宗の縁者として。

そして織田の影として。


琴がそっと囁く。

「都は、人の目が刃のように鋭いです」

桃慧は静かに頷いた。

「怪しまれぬよう心がけます。」

京の空気は、確かに違った。

武田の名がさざ波のように広がり、将軍の御所は静まり、寺々の出入りは多い。


ここからが本当の任務。


藤田景盛は半歩後ろに控え、町の動きを測る。

若い医僧の一行は、誰の目にも特別な存在には映らない。


だが、その一歩一歩が、織田を支える情報へと繋がっている。

「まずはどちらへ?」


曲直瀬道三(まなせどうさん)様のお屋敷へ」

桃慧の一言に景盛は眼玉を飛び出させるのかと思うほど目をかっぴらいた。

それもそのはず、若い医僧が天下にその名を轟かせる天才医師、曲直瀬道三とつながりがあるとは思いもしなかったからだ。


「ま、曲直瀬道三様ですか?!」


「えぇ、私の師です。挨拶せねば不忠者でしょう。」

桃慧はくすくすと笑いかける。


「なんと、曲直瀬道三様のお弟子様でしたか。なるほど光秀様からしっかりと守れと忠告を受けた理由に合点がいきました。かしこまりてございます。ではあちらへ」


京の空は高い。静かな都で、

見えぬ戦が始まろうとしていた。



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