表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/38

頭陀袋

医務衆が医療用アルコール、清創水の量産を始めた1572年9月半ば医務衆は新たな課題に直面していた。


蒸留小屋の火は落ち、夕暮れの光が薬草畑を斜めに照らしていた。


救走班の訓練が終わり、宗次は汗を拭いながら桃慧のもとへ来た。

彼は元僧兵であり、戦場を幾度も駆けている。

その目は常に、命と死の境目を見てきた目であった。

「桃慧様」

声は静かだが、何やら思い詰めている。

「今のままでは、間に合いませぬ」

桃慧は顔を上げる。

「何がでしょうか?」


宗次は地面に枝で図を描いた。


仮想の前線。


そこから少し離れた場所に荷駄。

さらに後方に医務衆の陣。


「傷病者を見つけ後方へ下げ二線後方の荷駄の位置まで下げる。この時間が無駄だと感じたのです。」


「しかしそれは安全に初期治癒を行うためです、必要な時間かと」

桃慧も頷い意見に同意しつつも反論すべきところはしっかりと告げる。

しかし宗次は続ける。

「確かに必要な間です、然しこの後方へ下げる場面で出血が増大したり無用な傷の拡大があるときがあります」


「確かにそうですね、本来は動かさず止血すべきですが戦場でそんな余裕はないかと思います。」


宗次は桃慧の目を見てしっかりと話す。


「戦場で足軽たちは武具と水、小袋に兵糧丸などを持ち戦います。現状の我々救走班も小刀と腰袋に止血の包帯、見立て紙と炭は持つ、清創水を持つともなると小袋に入れるにしても嵩張り、動きに手間取る。」


「では少し大きめの腰袋などを持ちましょうか?」


「いえ、腰に大きな袋は走るのに邪魔となります。」


「なるほど、でしたら背負い袋を作りますか?」


「背負うのは良いですが戦場では些か目立ちませぬか?」


「確かにそうですね。目立たず嵩張らず、邪魔にならない物ですか」


桃慧と宗次が頭を抱える。


「何か良い案があれば...まずは容器の軽量化ですね」


清創水は今土瓶に入れられ木製の栓をしてある。

七三は赤い紐を巻き、五五は青。三七は白として区別してある。


「軽量化ですか、確かに必要ですね」

宗次がこめかみのあたりを指で搔きながら同意する。

そして続けて話す。


「清創水を劣化させず軽量な携行可能な容器、瓢箪では嵩張る、本数が持てない。ならば竹でしょうな。」


「そうですね、竹の容器が作りやすく軽くてよいでしょう。土瓶よりは遥かに良い」

桃慧が木の枝で地面に書き記しながら話を進める。


「只の竹の容器ですと清創水の品質に劣化を生じさせるかと思いますので、内側に(うるし)を塗り清創水を保護しましょう、そうすれば漏れもしませぬ。」

宗次も桃慧の書き記しに合わせて木の枝で書き足す。


「良いですね、それならば数を作るのに支障がないですし、何より命を預かるものの品質にも影響しないですね。」


「では早速今夜数種類作ってみます。明日の朝試してみましょう」

宗次はっそう告げると一礼しその場を離れる。


「なるほど、携行手段に改良が必要ですか.....思いもつきませんでした。」

桃慧は宗次の現場目線の指摘に感心しながら地面の図を眺める。


「一綱、こちらへ」


「はっ!」


「すみませんがこの書き記しを紙に残してくださいませんか?」


「かしこまりました。桃慧様!」


「宜しく願います。」

桃慧は一息間を置き話し始める。


「一綱、貴方の経験からして戦場で鎧兜を付けてどれくらい動けますか?」


一綱はキョトンとした顔から空を見上げ考える。

「突撃の号令を得て駆け出し、地面の泥濘など無く、槍戦(やりいくさ)となれば全力で10分、追撃戦となれば5割の力で30分以上は走りっぱなしですからね」


しゃがみこむ桃慧は頷きながら耳を傾ける。そして聞き返す。


「では装具無しで腰に差す刀も小刀ならどれくらいですか?」

一綱も桃慧の隣にしゃがみ口を開く

「それであれば7割の力で30分は走り回れますね、戦わずなら更に走れます。」


「身に纏う装具は軽いに越したことは無いということで良いですか?」


「そうですね、しかし身を守るものがないのは戦場で不安ですね、矢弾の餌食にもなりかねません。ましてや投石など喰らえばひとたまりもない。」


桃慧はそう聞くとさらに頭を抱える。


「救走班を守る必要もありますが救走班の動きは阻害したくないですね。」


そして夜が更け朝になる。

秋の岐阜の朝は思い切り深呼吸をするのに心地よい。少し冷えた朝の空気が肺に満たされ活力がみなぎる。


「桃慧様、おはようございます。」


夜番の琴が重いまぶたを開けながら礼をする。

「おはようございます、お疲れの様ですね。なにかありましたか?」

桃慧も一晩軽く動きやすい装具を考えていたため頭の重さを感じていたが、部下に見せる顔ではないと気遣いを入れて思い明るくふるまう。


「はい、眼下に矢傷を受けて治療しておりました方が亡くなりました。その方の対応に明け暮れていたので少々寝不足です」


「そうでしたか、最後にご家族にはお会いできましたか?」

少し俯きその訃報に肩を落とす。


「早馬で知らせは出したのですが間に合わず。」


「そうでしたか、でも琴が見送ってくださったのですね」


「はい、私が最後までお見送りいたしました。」


桃慧は琴を胸に抱き寄せ頭を撫でる。

「大変でしたね、然し戦場で誰にも見守られることなく逝くよりは琴に見守られ逝けたのならばそれは寂しい思いをせずに済んだと思います。良く務めを果たしましたね。」


「桃慧様、ありがとうございます」

琴は桃慧愛情深さに感激し受け入れる。。

そして重い瞼が軽くなったように活力をみなぎらせた。


「では桃慧様、私はご遺体をご家族引き渡せばなりませんので」


「はい、よろしくお願いいたします。あ、でも私も最後に経を上げさせてください。」


「ご家族の方もまだお休みになられていますので準備ができ次第お呼びに上がります。」

そういうと琴はパタパタと職務へ復帰していった。


「桃慧様おはようございます、何かあったのですか?」


「おはようございます。おや?もうできましたか?」

障子が開き、姿を見せたのは宗次である。


その腕に、細長いものが数本抱えられている。

宗次は畳に膝をつき、抱えていたそれを並べた。


竹筒である。

太さも長さもまちまち。

口元には木栓が差し込まれている。


「一晩で試作を揃えました」

淡々とした声。

桃慧は目を細める。

「もう?」

「漆を塗ったものと、塗らぬもの。内側の仕上げを変えております」


一本を手に取る。

軽い。


土瓶の半分にも満たぬ重さ。


「水を入れております。お確かめを」


桃慧は軽く振る。

音が違う。

「……竹に染みませんか?」


宗次は首を振る。

「漆を塗らぬ方は滲みます。漆塗りは、今のところ問題なし」

桃慧の瞳が僅かに輝く。


「では本日の訓練で試しましょうか」

そして日が昇り始めた頃庭先に救走班が集められる。


宗次の合図で、竹筒を腰袋に入れ、走らせる。


走る。

止まる。

しゃがむ。

担架を持つ。

竹筒は軽い。


土瓶のように手で抱える必要もない。

「軽い!」


若い救走が声を上げる。

確かに携行性は優れる。

だが


「少々邪魔ですな」

走ると腰袋の中で揺れ、太腿に当たり、位置がずれる。


一綱が眉をひそめる。

「土瓶よりは良いが……腰袋が足に当たり邪魔になります」


腿には何度も竹筒入りの腰袋が当たった箇所に青あざが出来ている。


桃慧は黙って観察している。

宗次はさらに指示を出す。

「では、腰巻に差してみよ」

竹筒を刀のように腰巻きへ差す。


なるほど、固定はされる。


だが走ると、ずるりと下がる。

そして抜けかける。


一本が地面に落ちた。

「だめだ、これでは走れぬ」


救走が息を吐く。


桃慧は拾い上げた竹筒を見つめる。


軽さだけでは足りぬ。


携えるだけではなく、“走れる”ものでなければならぬ。


宗次が静かに言う。

「刀のようには参りませぬな」

「刀は鞘があるからです、受け袋を付けて腰に巻きますか?」


桃慧は答えず、

竹筒を手にしたまま空を見上げた。

秋の光が白い。

軽さは得た。

だがまだ完成ではない。


止まらぬためには、揺れぬ形がいる。


「もう少し考えましょう」

静かな声。

宗次は深く頷いた。


庭先の訓練は、すでに半ば意地になっていた。


様々試すもだが安定せぬ。


走れば暴れ、差せば落ちる。


救走班の一人が、息を切らしながらぼやく。

「腰袋に入れるくらいなら……」

彼は竹筒を取り出し、衣の合わせを開いて、


胸元の内側へすっと差し込んだ。

「こうしてしまえば」


宗次が顎で示す。

「なるほど走れるか?」


若者は駆け出した。

ぬかるみを蹴り、方向を変え、しゃがみ込み、立ち上がる。


竹筒は揺れない。

落ちない。

どこにも当たらない。


「……たしかに、こっちの方が走りやすい」

周囲からも同意の声が上がる。

「体の中心だからな」

「腰より安定する」

一綱も腕を組み、感心したように頷く。

桃慧はその様子を見つめていた。

「胸元に、ですか……」


ぽつり。


無意識に、自分の胸元へ視線を落とす。


それにつられて隣に立っていた一綱も、つい同じ方向を見る。


一瞬。


(……あ)


何かに気づいた顔。

そして次の瞬間、耳まで真っ赤になり、勢いよく視線を逸らした。


「な、何も見ておりませぬ!」

誰も何も言っていない。


一綱だけが一人で動揺している。


宗次が怪訝そうに眉をひそめる。


桃慧は気づいていない。

彼女の視線は胸そのものではなく、


その上にかかる布、頭陀袋に注がれていた。


そして。

固まる。

まばたきもしない。

数秒の沈黙。

やがて......

「…………ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

喉の奥から、声にならない何かが漏れた。


次の瞬間。

ずるり、とその場に崩れ落ちる。

「桃慧様!?」

一綱が慌てて駆け寄る。

桃慧は庭の土に両手をつき、

肩を震わせている。

顔は見えない。


「ここに……」

震える声。

「ここにあるではないですか……」

頭陀袋ずだぶくろを両手でつかみ、持ち上げる。

「首と腰で固定されて、胸の前が安定して、走っても揺れなくて……」


さらに声が小さくなる。

「……なんで今まで気づかないんですか私……」


完全に落ち込んでいる。

一綱が戸惑う。

「え、ええ......いったい何を?」

「毎日身に着けているのですよ……?」


桃慧は地面に額をつける勢いで項垂れた。

「僧として何年……ずっと……ここに……」


宗次が静かに言う。

「あっ........なるほど確かに頭陀袋がありましたな」

ここで宗次も気が付く。

「桃慧様お気を確かに、私めも今気が付きました。」

慰めになっているのかいないのか分からない。


桃慧はしばらく固まっていたが、やがてむくりと顔を上げる。

目が据わっている。

「縫い付けましょう、頭陀袋を首だけではなく腰ひもを付け胸部に纏わせればきっと!」

一同が頷く。

一綱だけがまだ少し顔を赤くしている。


宗次が低く問う。

「では胸部に巻き付けるような頭陀袋を用意して揺れぬように仕切りをつければ良さそうですな」


桃慧は掛絡の胸元を指差した。

「そうです!胸元から取り出しやすく仕切りをつけて固定する、なんでこんな単純な発想が……胸元にしまう。その発想の時に気が付かないなんて……」


桃慧は胸もとに竹筒をしまう動作を何度も行い、自らの発想力の無さに唸っている。


その様子を見て一綱の肩がびくっと跳ねた。



桃慧は本気で悔しそうな顔をする。


一綱は口をぱくぱくさせ、

やがて観念したように天を仰いだ。


柚が小声で囁く。

「一綱様、顔が赤いです」


「か、寒風のせいだ」

くすくす笑う柚。


だが庭先だけは、妙に和やかな空気に包まれていた。



桃慧は真剣であった。

「仏様も救命の為ならば頭陀袋も衣服の改造も許してくれましょう、生あっての仏様です。」


「こらこれ何と罰当たりなことを申しますか」

宗次がすかさず口を出す


胸部に固定する頭陀袋の試作が始まる。

厚布を胸幅に裁ち、首紐を付け、下部に幅広の腰帯こしおびを縫い込む。

腹部左右に縦袋三つ。

赤・白・青の竹筒が収まる。


宗次が装着する。

首に掛け、腰紐を腰で締める。


袋は腹に密着する。

「走るぞ」

再び丘を駆ける。

草を踏み、斜面を下り、急停止する。

竹筒は揺れない。

腹に沿い、体と一体になっている。

宗次が戻る。

息は荒いが、顔は静かだ。

「……揺れません」


桃慧が頷く。

「音も出ません」

治長が冷静に言う。

「肩への負担が減りました。腰への集中も無い」

桃慧は宗次の背を叩く。

「これを救帯とします」


宗庵が小さく合掌する。

「僧衣が、命を運ぶ衣となりましたな」


桃慧は言う。

「武は斬る衣をまとう。医は救う衣をまとう」

救帯は、救走班の新たな装具となった。


竹筒は腹に沿い、

首と腰で固定され、

揺れは消えた。



蒸留小屋の火は、静かに燃えている。

理はまた一つ、形になった。

(今更)【登場人物紹介①】1572年4月時点


桃慧とうけい〔15歳〕

役職:織田家御医頭 医務衆筆頭 陣医頭

桃慧とは戒名であり俗名はりん

真面目で凛としているが、年齢相応の柔らかさもある。僧なのだが頭を丸めていないのは毛髪を縫合に使う場合があるためである。人を救うことへの情熱が強く、信長からも寵愛されている。善人に見られるが母の遵慧を信仰するもの達を事実上殺めている事になる。少々狂人気味。


宗次そうじ〔25歳〕 

役職:救走班総指示役

宗庵の息子で元僧兵。戦経験豊富で、現場の指揮官として絶大な信頼。

口数が少なく渋い兄貴分。若い桃慧を陰で支え、時に諌め、場を収める苦労人。

桃慧とは宗派は違えど仏に仕える身として信頼している。


一綱がずつな〔21歳〕

役職:総医指示役

元柴田勝家の足軽

伊勢長島で桃慧に命を救われる。爽やかな青年で意外に手先が器用な“桃慧の右腕”。

素直でまっすぐ、感情を隠せないのか表情豊か。桃慧に一目惚れしており犬のように従順。

よく柚と琴におもちゃにされてる。


治長はるなが〔22歳〕

役職:医監班総指揮役

元丹羽長秀配下の政務官。常に平常心で、他の誰かが慌てても一人だけマイペース。数字と記録に圧倒的な強さを持ち、状況判断が冷静。武芸も程々に熟す為長秀には重宝されていたのだが桃慧の医術の手腕に惚れ込み医務衆へ。手先が不器用


あやめ〔14歳〕

役職:筆頭薬師

岐阜城下の大農家の娘。御用畑の選定で山々を視察していたところ桃慧に出会う。

野山で遊ぶのが好きな為植物の扱いは抜群。桃慧仕込みの調合技術で調薬と毒や薬の見分けに長ける。快活で明るく、桃慧と最も年齢が近い親友のような間柄。診療所以外ではよく一緒に行動し、桃慧の心の拠り所にもなっている。

医務衆では最古参。


ゆず〔22歳〕

役職:治癒長

普段はしっかり者で穏やか。

技術は繊細で正確。桃慧の指示を一言一句逃さず守り、他者が少しでも軽んじると静かに怒る。

没落商家の生まれで路頭に彷徨う寸前の所を御用畑の政策で桃慧に救われる。

その為か桃慧を崇拝に近い絶対的忠誠心を持つ。琴とは年近く仲良し。


こと〔21歳〕

役職:副治癒長

しっかり者でお姉さん気質。

公の場以外では桃慧を琳ちゃんと呼び「下の子」扱いして愛でることで日々の癒しを得ている。

教えるのも上手く、他の供廻りに基礎医術を教える際は琴が取り仕切ることも多い。

坂本出身の農民で延暦寺焼き討ちの際に桃慧の姿に惚れ込み医務衆へ志願した。


宗庵そうあん〔66〕

役職:御医頭補助役 御医頭後見人

元織田家御医頭で屈強な肉体を持つ老医、少々口が悪い時があるがこれまで織田家を支えてきた忠臣。

信長を息子のように見守る。当初は桃慧を危険視していたが今ではすっかり丸くなり桃慧を信頼する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
頭陀袋かぁ、、そうですよね。確かに。 灯台下暗し的な感じでしょうか? 冷静な桃慧が慌てふためく様を見ると、何だか安心します。 15歳らしいかなと思って。 また更新楽しみにしています。 寒暖差があるので…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ