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共存するための掟

岐阜城下に冬の寒さが落ち着きを取り戻しやわらかな陽が差しはじめた頃、坂本の疱瘡流行を鎮めた功により、桃慧率いる医務衆は織田信長より直々に感状と金子を賜った。


戦場と疫病の只中にあった日々から一転し、城下の医務所には静けさが戻り、供回りたちは再び訓練と研究の日常へと戻っていく。



その数日後――


桃慧は、あやめを伴い、岐阜城北方に連なる低山の裾野へと分け入っていた。


「この辺りは日当たりと湿り気が調度良いですね。黄芩(おうごん)柴胡(さいこ)が自生してもおかしくありません」


法衣の袖をたくし上げ、地面にしゃがみ込みながら桃慧は静かに言う。

あやめは籠と鎌を背負い、雪に埋もれる土や木々の種類一つ一つ確かめるように歩きながら頷いた。


「はい。あと、ここは土が柔らかいから、薬草畑にするなら耕しやすそうです」


二人が植生を記録しつつ奥へ進んでいくと、薪を背負った一人の老人と出会った。


弓を肩にかけ、獣皮の袋と鉈を腰に下げた、年の頃五十後半頃ほどの猟師である。


「おや、こんな所にお若いお嬢様方とは珍しい」


「こんなところで人に会えるとは。(しし)狩りですか?」


「いや年を越してそろそろ山が春を迎えるために動き出すからな、お山に入って機嫌を見てきたところさ」


猟師は地べたに獣毛を敷き座ると腰から土瓶を取り出し差し出してきた。


「お嬢ちゃんたち、疲れてはないか?いいものがあるんだ。これを食べてみなさい」

猟師が差し出してきた土瓶の封を外し小皿に傾ける


「んー?甘酒??」


「もっと甘くて体に良いものだよ」


中から現れたのは、琥珀色のとろりとした液体――蜂蜜であった。


「あぁ!蜂蜜……!」


あやめが思わず声を上げる。


蜂蜜は、薬にも甘味にもなる。庶民が口にすることなど、滅多にない。



「これは……蜂蜜ですね。大変貴重なものです。どこで手に入れられたのですか?」


桃慧は自身も普段の治療で使う蜂蜜の価値を良く理解していたため思わず手を振り遠慮と驚きの姿を見せてしまう。


猟師は少し誇らしげに笑った。


「山奥の岩陰や古木に巣を作る蜂が沢山おる。巣を壊さず、煙で追いまとめて蜜を取る、冬越しの分の蜜を残してやれば、毎年また蜜を蓄えてくれる。わしらはそれを“山の恵み”として分けてもらっとるだけよ」


桃慧の目が、静かに、しかし強く輝いた。


「……巣を壊さず、守りながら、蜜だけを分けてもらう……」


それは採集ではなく、管理。

破壊ではなく、共存。

そして、毎年安定して得られる資源。


「桃慧様も蜂蜜をたくさん持ってましたよね?」


「えぇ、甲斐(かい)に知人が居まして、その方に以前たくさんもらいまして」

蜂蜜は滋養、創傷治療、咳止め、保存食、解毒補助など様々な効能を持ち、重要な薬の一つだ。


「もし、この蜂たちの巣を織田家の御用地で保護し、冬越しの環境を整え、守り、計画的に蜜を採ることが出来れば……それは医療にとって、そして兵糧にとっても、計り知れない力になります」



あやめが目を丸くする。


「……蜂さんを飼うのですか?」


「はい。人が蜂を“飼う”のではなく、“棲みやすくして守る”のです。そうすれば、蜂は毎年蜜を返してくくれると聞いたことがあります。」



猟師は感心したように頷いた。



「その通り……あんたさん、ただの僧じゃないな。山の理をよう分かっとる、山伏に知り合いでもいるのかね?」


「いえ、私は奥州の生まれでここに来るまでの道中に様々な教えを受けたもので、先ほども言った通り甲斐の知人が山の恵みとして管理していたのを思い出しまして、その方の受け売りです。」


桃慧は深く一礼した。


「奥州から来たのか、それはすごいね、私の知らないことも知っているのだろうな、よい経験を積んだ僧は正に人の宝だよ」


老猟師は腕を組みながら木の枝をパキパキと折り火打石で火を起こす。


「それに蜂は花を助ける、人だけじゃなく植物たちの生き死ににも重要な友なんだ、だから俺は蜂を大切にする、ちょうど越冬しているから今のうちに手助けしておくんだ。」


「貴重なお話をありがとうございます。この知恵は、必ず多くの命を救う礎になります」


「蜂さんっていっぱい巣で住む虫なのに飼えるんだ~」


あやめは土瓶に指を挿し蜂蜜をすくいあげペロリとたしなみ、むふーっと笑顔を転ばせていた。





その日の夕刻、山から戻った桃慧は、早速その足で丹羽長秀のもとを訪れた。


城内の執務所。


内政と軍備の帳簿に埋もれ、胃を押さえながら書付を確認していた長秀は、桃慧の姿を見ると、ほっとしたように顔を上げる。


「おぉ桃慧殿。今日は何用で」


「今日は一つ、ご相談がございます」


「ま、また無理難題ではないでしょうな....」

長秀は少し怯えたように顔をしかめ桃慧を見る。


「いえ、そんな難題ではありませんので」

桃慧は、老猟師から聞いた話――

蜂の生態、巣を壊さず守ることで毎年蜜を得られること、そして蜂蜜が薬としても兵站としても極めて有用であることを、理路整然と説明した。


「……つまり、山の蜂を織田の御用として保護し、計画的に蜜を得る蜂の管理を始めたい、と」


「はい。蜂蜜は滋養、創傷治療、咳止め、保存食、解毒補助と用途が広く、戦時・平時を問わず医療の根幹を支えます、安定して得られるようになれば、医務衆の薬効は飛躍的に向上します」



長秀はしばし沈黙し、やがて小さく笑った。


「……殿が聞けば、また面白がられるだろうな。薬にもなり、兵の口も潤し、さらに農の副産物としても価値がある。しかも殿は甘いものが好きだからなぁ」


そして即座に実務の顔に戻る。


「よし、やろう。場所は医務衆が管理する御用畑の周辺が良い。農民たちにも話を通そう。指導役は?」


「老猟師の方です。蜂の巣の扱いと、冬越しの知恵を熟知しておられます。ぜひ講師としてお迎えしたく存じます」


こうして数日後――


岐阜城下、医務衆と共に薬草畑を管理する農民たちが集められ、丹羽長秀立会いのもと、新たな“試み”が始まった。


老猟師を迎えに行く際、柴田勢が協力してくれたのはいいが、捜索隊を含め数十騎が隊列を組み捜索したことで、何か罰せられると思った老猟師含め付近の村々が阿鼻叫喚の絵図になってしまったことを反省しつつ老猟師を無事岐阜の城下まで向かい入れることができた。


畑の一角、陽当たりと風通しの良い林縁。

そこに呼ばれたのが、あの老猟師 大信田(おおしだ)五郎左衛門(ごろうざえもん) であった。


「今日は大信田様に、蜂の生態と巣の守り方を教えていただきます。皆様、よろしくお願いします」


桃慧の丁寧な挨拶に、農民たちは一斉に頭を下げる。


五郎左衛門は手製の木箱を地面に並べ始めた。


老猟師は、集まった医務衆と農民たちを見渡し、ゆっくりと語り始めた。


「蜂はな、ただ蜜をくれる都合のいい虫じゃねぇ。巣を守る者であり、森と花をつなぐ働き者だ。

こっちが道理を外せば、あっさり姿を消す。それに地域によっては阿弥陀の使い、蜂を巣を壊すと不幸がくる、丁重にもてなせば病が遠ざかるという信仰される虫だ、絶対に無下に扱わないように」



そう言って、巣箱の前に腰を下ろし、一本の枝で地面に図を描く。



「まず知っとけ。蜂の生き方だ。



一、女王蜂は一匹。

 巣の命そのものだ。女王が死ねば群れは滅びる。

 巣を動かす時は絶対に女王を驚かせるな。



二、働き蜂はすべて雌。

 蜜を集め、幼虫を育て、巣を守る。

 雄蜂は春から夏にかけて生まれて、役目が終われば追い出される。



三、蜂は温度と匂いに敏い。

 寒さと湿気を嫌い、煙に弱い。

 採蜜のときは焚いた草の煙で蜂を落ち着かせるんだ。

 乱暴にすると一斉に襲ってくる」



桃慧が静かに頷きながら問う。


「巣を壊さず蜜を頂くには、どの程度までが許容でしょうか」


「六分までだ。四分は蜂の冬越しの命綱だ。それを奪えば翌年は群れが死ぬ」


農民たちがざわめく。


「そんなに残すのか」と。


老猟師は低く笑った。

「残すから、毎年くれる。取り尽くすから、二度と来ねぇ。山も人も同じだ」


次に巣箱の置き場所を指示する。


「南向き、朝日が当たる場所。強風を避け、雨水が溜まらん高さ。獣に倒されぬよう杭で固定する。蟻が入らぬよう、脚に灰か油を塗る」


「向き的にもこの薬草畑と野菜畑の間が良いですな」

宗次がぐるりと周囲を見渡す。


あやめが興奮気味に口を挟む。

「蜂さんたちはどんな花は何が好きなんですか?」


「梅、桜、菜の花、蓮華(れんげ)(くず)(はぎ)(くり)。薬草でいえば、当帰(とうき)芍薬(しゃくやく)薄荷(はっか)、菊。花が多いほど蜜も薬効も良くなる」


柚がはっとする。

「では、薬草畑と蜂は……」


「互いに助け合う。蜂は受粉を助け、花は蜂を養う。これは“共生”ってやつだ」



治長が腕を組んで尋ねる。

「危険は?」


「一番の敵は人間の欲だ。巣を揺らすな、叩くな、覗き込むな。汗の匂い、酒の匂い、香油の匂いは蜂を怒らせる。巣の前で騒ぐ者がいれば、その場から下がらせろ」


五郎左衛門は声を低くを落としながら語りだす。


「蜂は山の恵みであると同時に、死人を増やす。刺された者の中には、毒よりも早く逝くのがいる」


「……毒よりも早く?」


「刺し口が腫れるのは普通だ。赤くなり、熱を持ち、じんじん痛む。だが、まれに違うのがいる。刺されて間もなく、息が苦しくなる。喉が詰まったように声が出なくなる。咳をしても空気が入らない。顔色が土気色になり、唇が青くなる。汗が噴き出して、目が泳いで、腹を抱えて吐く。それでも刺し口は小さい。……なのに倒れて、その日のうちに逝った」


あやめが喉を鳴らして唾を飲み込む。


桃慧は、老人の語る順番を頭の中で並べ替えた。刺されてすぐ症状を頭の中で整理し患者を診る様に考え出す。


呼吸の苦しさ――

喉の詰まり――

青い唇――

冷汗――

嘔吐――

急激な失神——


局所の毒ではない。血が全身で暴れ、呼吸の道を閉ざす。いわゆる“身体が起こす大崩れ”だ。


「その者は、刺されたのは一度だけですか」


「いや……蜂を追ったことがある若い衆だった。昔にも刺されている」



桃慧は頷いた。


「二度目、三度目で急に重くなることがあります。身体が“毒を覚えて”しまい、次に刺された時、症状が重く....いえ過剰に反応するのです」


あやめが不安げに桃慧を見上げる。


「桃慧さま、それ……治せるんですか?」


桃慧は即答せず、しかし曖昧にもせずに言った。

「治せない場合が多いですが.......防げます。助かる可能性を増やすこともできます。ただし手遅れは早い。刺されてから“刻”が勝負になります」


五郎左衛門が、意外そうに眉を上げる。


「ほう……医者は、刺し口を焼いたり、毒を吸ったりするが」


「焼くのは、毒蛇(どくへび)などには意味がありますが、蜂のそれには多くは効きません。口で吸うのも危険です。口の中に傷があれば、そこで悪さをします。何より……今あなたが語った“息が詰まる”は、刺し口とは別の場所で起きています」


桃慧は自分の腕と、細い木の枝で症状がわかりやすいように農民たちにみせながら説明を始める


「蜂に刺されると、まず多くは刺し口が赤く腫れ、痛みます。これは局所の反応。ここは冷やして腫れを抑え、刺針が残っていれば抜く。爪や刃で“横に払う”ようにして取る。指でつまむと、針の袋を押して毒が余計に入るからです」


あやめが思わず自分の指を握る。


「つまんじゃダメなんですね……」


「ええ。慌てるほど、やりがちですから。次に、刺された者の様子を見ます。ここが大事です」


桃慧は指を一本ずつ折って示した。


一つ、声が出るか。かすれていないか。

二つ、咳が止まらないか、喘ぐような息になっていないか。

三つ、喉を押さえたり、胸を掻きむしったりしていないか。

四つ、顔色、唇が青い、まぶたが腫れる、全身に赤い斑が出る。

五つ、腹が痛い、吐く、下す。

六つ、立っていられない、目が白目をむく、冷汗が止まらない


五郎左衛門が、低く唸った。


「確かに……逝った若い衆は、腹を抱え、吐いていた」


「それが出たら危ない。“病の穢れ”ではなく、“身体の暴走”です。放っておけば喉が腫れ、胸が縮み、血の巡りが落ちて、息が尽きます」


あやめが小さく震える。

「じゃあ、どうするんですか……?」


桃慧は、選び抜くように言葉を置いた。

「まず、刺された者を座らせない。息が詰まる者は、背を丸めてしまうと余計に苦しい。上体を起こし、肩を楽にし、衣の紐を緩める。そして“冷やしすぎない”。寒さで震えると呼吸が乱れます。刺し口は冷やしてよいが、全身は温めすぎず冷やしすぎず、落ち着かせる」


桃慧は五郎左衛門の目を見て、さらに踏み込んだ。

「もし私なら、この症状が出た者に、まず“薬”を与えます。熱や腫れそのものではなく、呼吸の道を開けるためです」


「そんな薬があるのか」


「あります。すぐ効くものではありませんが、“助かる刻”を稼げます。たとえば、麻黄(まおう)を用いた煎じ。胸が詰まり、息が浅くなる者に、身体を少し開かせる。ただし心が乱れ、脈が速すぎる者には加減が要る。そして甘草(かんぞう)。咳を鎮め、喉の荒れをなだめる。喉が閉じていくのが見えたら、温い蒸気を吸わせる、湯気で道を湿らせるだけでも違います」


あやめが、ぱっと顔を上げる。


「湯気……! それなら、炊事場で出来ます!」


「そう。現場で出来ることが大事です。ただし、これらは“間に合わせ”です。」


五郎左衛門が、ぽつりと言う。


「なら……どう備える?」


桃慧は息を吸い、あやめの方も見ながら言った。


「備えは三つです。一つ、刺される前に防ぐ。教えてもらった通り、蜂の機嫌を知り、巣の近くでは匂いの強いものを避ける。汗と酒と香蜂は刺激に(さと)い。煙を使う。火を焚き、煙で蜂を落ち着かせる。布で顔と首を覆い、手袋をする。首筋が一番危ない」


「ふむ」


「二つ、刺されたらすぐ刺針を“横に払って”抜き、腫れを抑える。」


「横向きに払う....」


「三つ、息苦しさや全身の斑、冷汗、嘔吐が出たら“危ない者”として最優先で扱う。走らせるな。興奮させるな。道を開け、湯を用意し、胸を見続ける。そして、その者は二度と蜂の巣に近づけてはいけません」


あやめが、ぎゅっと拳を握る。


桃慧は微笑み、しかし目は真剣だった。

「ええ。救うのは技だけではありません。知っていること、それを伝えることが命を救います」


農民たちは不安そうな顔で見つめ合う

「そんな危険なことを俺たちにさせるのか?」


「桃慧様の言いつけとはいえ少々不安です」


桃慧は予想通りというようなニコニコと微笑み村人たちへ満面の笑みを向けた。

桃慧が示したのは、目の細かい麻布で作った頭巾と、首元を覆う布、手袋の試作だった。


「蜂は黒くて動くものを嫌います。白い布で覆い、煙を焚いて、肌を出さなければ、まず襲ってきません」


農民の一人が、恐る恐る布を手に取る。

「……まるで鎧だな」


「はい。命を守る鎧です」

桃慧は頷いた。


「蜂は敵ではありません。花を受粉させ、実りを増やし、蜜と蝋という薬と灯りを与えてくれる。


ただし、敬意を払わねばならぬ相手です。


武具を持たずに戦場へ出ないように、防具なく蜂のもとへ行かない。それだけのことです」


老猟師が、巣箱の模型を叩いた。

「巣は人の家から離して置く。子供の通り道には近づけない。作業は決まった者が、決まった装備でやる。それだけで、九割は防げる」


しばし沈黙が落ちたのち、年配の農夫が口を開いた。


「……命がけだと思っていたが、用心すれば、畑仕事と同じ、山に取りに行くより安全かもしれん」


別の者が続く。


「蜂が増えりゃ、作物の実りも良くなるんだろう?」

「蜜は薬にもなる……城からの御用で、きちんと守られるなら……」


不安は、次第に「やり方を学びたい」という空気へ変わっていった。

あやめが嬉しそうに声を上げる。


「じゃあ、防護服をみんなで作りましょう!

麻と木綿で、頭巾と手袋と、首巻きを!」


桃慧は微笑みながら頷いた。

「蜂を恐れるのではなく、理解して共に生きる。それが出来た時、皆さんは“蜜”だけでなく、“知恵”も手に入れるのです」

こうして城下では、巣箱づくりと同時に、白い布の頭巾と手袋が縫われ始めた。


それはただの作業着ではなく、

“命を守るための新しい鎧”として、人々の不安を静かに包み込んでいった。


こうして織田家の御用畑では、

・女王を守る

・蜜は六分まで

・冬越し分を必ず残す

・煙で鎮め、匂いに注意

・すの近くでは騒がない

蜂守甲冑(はちもりかっちゅう)を身に着けぬ者は近づかない

・一度刺された者はむやみに近づかない

・花畑と一体で管理する

という“蜂守(はちもり)(おきて)”が定められ、農民の中から蜂守という役職も設けられミツバチは医と兵站を支える小さな同盟者として、城下に迎え入れられることとなった。



信長は蜂蜜の量産の計画を耳にし書状に目を通すとすぐさま印を押し興奮した様子だったと言う。

「甘味が増えるのは良いことよ」

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