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疱瘡神

冬の訪れとともに坂本の町は、音を失っていた。

 凍てつく大地、比叡の(ふもと)に吹き下ろす風は冷たく、琵琶湖から立つ霧が町を包む。

その中で人々は流行病(はやりやまい)を恐れ、声を潜め、戸を閉ざし、戦火からの復興の最中にも関わらず、互いの顔を避けるように冬を越えようとしていた。

人と人との会話、笑い声、すべてが孤独で無言で凍てつく世界だった


その最中———— 疱瘡(ほうそう)が出た。

その一言は、刃よりも鋭く町の人々を切り裂いた。


最初は一人だった。

熱を出し、顔に赤い腫れが出た者がいた。

やがてそれは水疱となり、膿を持ち、破れ、瘡蓋となる。

その過程で高熱と激痛に苛まれ、意識を失い、呻き、直ぐに死んだ。




戦国の世、疱瘡は「病」ではなかった。

人々にとってそれは「穢れ」であり、「呪い」であり、「触れれば終わる死」まさに”死の神”だった。


患者の家は閉ざされ、家族は追い出され、罪を犯した外道と同じであった。例え麗しき美女でも誰も手をを差し伸べない。


近づき、触れようとするだけで、自分が死ぬからだ。



そう、凍てつくのは水や土だけではない。

病という先の見えない冬は人々の心までを凍らせた。

疱瘡の陰に怯え、穢れと罵り差別する。


人を恐怖と偏見で支配する死の神、それが疱瘡という病なのだ。



そんな恐怖が支配する町に彼女は戻ってきたのだ。


白い法衣を靡かせて、凛と佇む。

彼女が姿を見せた途端坂本の町には春が来たのだ。


春の嵐のように目巡る敷く動く人の風、春を喜ぶ鳶の鳴き声のようにピーピーと鳴り響く鉄笛の音。

そして差し伸べられた手の温もりは凍てつく人々の心を溶かし、雪解け水の如く町に活気の川を創る。


「桃慧様、準備できました。」


「ありがとう柚子、では治療を始めましょう」


桃慧は若い鹿の皮を薄く鞣して作った使い捨ての手袋をはめ、口覆い布を縛り治療に入った。


救走班により記された見立て紙を一見する


運ばれてきた娘の名前は ” (うめ) ” 歳は10歳

 息を荒らげながら清潔な布に覆われた寝台に横になる梅。

だが、その身体は、すでに疱瘡の中期に入り、病の火に焼かれていた。

顔は腫れ、瞼は膿疱で閉じ、唇は裂け、乾いた血がこびりついている。

首から胸、背、腕、脚に至るまで、赤黒い斑点が広がり、ところどころ瘡蓋が破れ、膿と血が混じった液が衣を濡らしていた。


呼吸は浅く速く、胸がひくり、ひくりと痙攣する。

身体は熱を持ち、触れれば火傷を負いそうなほどだった。。


「梅ちゃん、必ず助けますから一緒に頑張りましょうね」


病に犯される小さな手を優しく握ると桃慧は躊躇なく、すぐに衣を切り治療に入る。

瘡蓋の裂ける痛み、皮膚が布から剥がれる痛みに、少女は小さく呻いた。


「いたい...痛いよ...苦しいよ」


声は、かすれている。


桃慧は脈をとり、瞳孔を確かめ、呼吸を観察した。

高熱、脱水、全身の炎症。

だが、まだ、間に合う。


まず行われたのは、洗浄だった。


疱瘡そのものを治す薬は無い。

できるのは、病の進行を抑え、更なる感染を防ぎ、身体が回復する時間を稼ぐこと。


 オウレン、オウゴン、レンギョウ――

助手のあやめが苦味の強い生薬を煎ずる。

そして出来た薬液を柚子が布を薬液に浸し、丁寧に素早く全身を丁寧に拭う。

「桃慧様、梅ちゃんごめんね、痛いけどお姉さんと一緒に我慢しよう」

柚子は呻き声を上げる梅を押さえながら桃慧と共にくまなく病状を確認しつつ拭き上げた。


治療は、強い痛みを伴う。


梅はその激痛に呻き、身をよじり逃れようとする

瘡蓋の下は生身の肉だ。


触れれば裂け、滲み、灼けるような痛みが走る。


「いや……やめて……」


梅は泣き、身体をよじる。


だが、止めれば新たな感染が広がる。


「大丈夫です。頑張って...すぐに終わるから、やらないとお母さんに会えないよ」


 桃慧は、か細く泣き叫ぶ声にも動揺を見せず只々命を救うために心を鬼にして治療を続ける。


仏や神には祈らない。

慰めの言葉で誤魔化さない。


それは逆に患者を苦しませる毒の言葉になる可能性があるからだ。



夜中、梅は何度も意識を失った。

高熱にうなされ、幻を見る。

母の声、家の匂い、遠ざかる両親の手。


桃慧は一睡もせず、脈をとり、水を含ませ、適時煎じ薬を与え治療を続けた。


あやめ達も呻き運ばれ、治療を終えた患者たちに薬と水を与え看病を続ける。


戦場のように医務班は常に夜通し患者と向き合い続けたのだ。




二日目の朝は、静かだった。


 夜明けとともに霧が薄れ、坂本の町に冬の冷気が流れ込む。隔離陣の中では、息を潜めるような緊張が続いていた。


梅は弱々しくも息を荒らげながら生きていた。


それだけで、桃慧は小さく息を吐いた。


「梅ちゃん頑張ってるね」

桃慧は梅の横に座り優しく手を握る。

落ち着いた容態に胸をなでおろすもまだ安心できる状態ではない。


疱瘡は一晩で人を赦す病ではない。

むしろ、二日目こそが正念場だった。


 熱は依然として高く、肌は赤く腫れ、夜の間に新たな膿疱がいくつか浮かび上がっていた。水疱の一部は破れ、寝具に黄色く濁った滲出液が染みている。



桃慧はまず、昨日と同じように洗浄に入った。


昨日よりも慎重に、昨日よりも確実に。


 あやめは桃慧の指示を聞き調薬を行っている。

オウレンとオウゴンを強めに煎じ、そこにレンギョウを加える。

苦味と渋味が立ち上る湯気。


「桃慧様、梅ちゃん用の薬です。」


「ありがとう、あやめ」

桃慧はあやめより受けとった薬液をぬるま湯に混ぜ、布にしみこませて梅の体を優しく拭く。


 梅は歯を食いしばり、声を殺して耐えた。


「うぐっ.........痛い...」


 それでも逃げようとはしなかった。


 桃慧は、痛みの理由を知っている。

 瘡蓋の下に潜む腐敗が、命を奪うことも。


「今は、ここを清めます」


 言葉は淡々としていたが、手つきは驚くほど優しい。


 膿疱を破らぬよう、だが周囲の汚れは残さぬように。

 これは治療であり、同時に戦いだった。




二日目の夜、梅は一度、大きく容態を崩した。


急に息が荒くなり、胸が大きく上下し、意識が遠のく。

高熱による脱水と衰弱だ。


桃慧はすぐに判断した。


「水を、少量ずつ」


米の研ぎ汁を薄く温め、少しの塩を溶かしたものを、唇に含ませる。喉が反射的に動き、わずかに飲み下す。


生きる意思が、まだそこにある。


夜、桃慧は梅の脈を確かめながら、またほとんど眠らなかった。患者は梅だけではない、未だ多くの人々が苦しんでいるのだ。

疱瘡は、夜に人を連れていく。数分前に話せた患者が急に逝く。眠るように。



覚悟はしていたが救えない者が出る度に、助ける術がほかにあったのか、何をすれば生きられたのかと暗い思考ばかりが頭の中で発酵する。

然し死んだ者は助けられない、まだ生きている者に目を向けるしかないのだ。



膿や血なの体液で汚れた寝具を片付け直ぐに火へくべ、熱湯で洗い乾燥させる。


徹底した穢れの抑制を行い治療を進める。それが新たな死者を出さないための方法なのだ。




三日目の朝。

交代で医務班は休みを取り始めた。数時間、数分の安堵の時、桃慧、あやめ、柚子を筆頭に働いてきた医務班一同は泥の如く眠りについていた。


それでも看病を行う者が一声かけると桃慧は飛び起き急変した患者の元へ向かう。


疱瘡神(ほうそうがみ)の攻勢は止むことがない。

しかし梅の体調の変化は、微細だったが、確かにあった。


熱が、わずかに下がっている。

脈の乱れが減り、呼吸が整い始めていた。


新しい膿疱は、増えていない。


それは、この病において大きな意味を持つ。


桃慧は静かに頷いた。


身体が、病に負けていない。


三日目の処置では、瘡蓋の管理が主となった。

無理に剥がさず、乾かし、二次感染を防ぐ。


破れた箇所には、薄く煎じ薬を塗布し、清潔な布で覆う。

この工程を怠れば、疱瘡そのものよりも、膿毒が命を奪う。


梅は、うわ言を減らし、時折、周囲を認識するようになった。


「......おねえさん...あたし...お母さんに会える?」


その声は、かすれていたが、はっきりしていた。


「はい。必ず会えますよ、お姉さんが絶対に梅ちゃんを助けますから、約束です」


希望を煽らず、絶望を与えず。

優しく慈悲深い声に梅は少し笑顔を見せる。


「...あたし頑張るね」


梅の小さな声に桃慧は微笑み返し力強く手を握る。






同じ頃、本陣では別の戦いが行われていた。


疱瘡患者とは分けられた健常者と避難民のための炊事場。

ここでは、煙が立ち、人の声があった。


治長(はるなが)が指揮を執っていた。


「味噌は薄めに。塩気が強いと体が持たん」


大鍋の中では、芋の子が煮え、いちょう切りの大根と人参が柔らかくなっている。最後に、擦り下ろした生姜が加えられ、湯気とともに香りが立ち上った。


冷え切った身体に、温かい汁は何よりの御馳走だ。


雑穀(ざっこく)混じりの握り飯を作る手は、最初こそ震えていた医務衆の人々や町人たちも、次第に動きが慣れていく。ごまと塩を軽く振り盆へ並べられ避難してきた町人達へ汁物と共に配られる。


活力をみなぎらせるのは温かい飯である。



町人一人一人が感謝をしつつ飯に食らいつく。


温かい飯を口にした老人が目に涙を浮かべながら呟く


「うまい…......あぁ......…生きてていいんだな」


周りにいた人たちも無言でその声を聴き、寺の外、町の北側を見つめる。


「生きてて....よかったんだよな」

握り飯と汁の椀に視線を落とす。


「ほーら♪少しは美味しそうに食べてくださいよ~」


悲しみに浸る町人達の元に来たのは(こと)であった。

坂本は琴の地元だ。活気に満ちた坂本を知る琴には、町の人たちの落ち込んだ姿は他の者より胸に来るものがあるのであろう。無理に明るく朗らかに話す。


「沢山食べてくださいね、信長様がごはんいっぱい持っていけって言ってたんです。明日も明後日も沢山届きますから、坂本を天下一の町に再興しましょうね」


琴が老人の肩を優しく揉みながら笑顔を向ける。


家を失い、家族を失いかけている人々は絶望していた。だが、温かい食事は人を繋ぎ止める。


 徐々に重い空気だった本陣もぽつりぽつりと笑い声が出始めて、いつの間にか賑やかな場へと変わっていた。




第二陣では一綱が必死に熱病の診察を続けていた。


熱病――咳、悪寒、頭痛、関節の痛み。

 命を即座に奪う病ではないが、放置すれば衰弱し、疱瘡と重なれば命取りになる。

 一綱は、その中央に立っていた。

 白衣の袖を肘までまくり、筆を持ち見立て紙をかいて助手の医務衆の者に手渡す。


「次の方、どうぞ」


 声は低く、しかし落ち着いている。

この患者は四十を越えた町人だった。

 顔は赤く、目は潤み、息が荒い。


「寒気は?」


「……止みませぬ」


「咳は?」


「夜になると……」

 

一綱は頷き、手を伸ばす。

 額に触れ、首筋、胸元。

 呼吸の音を聞き、脈を測る。

「高熱はありません。ですが、体力が落ちているのかと思います」

 

(かたわ)らの記録係が、静かに筆を走らせる。


「今日は、こちらで休んでください。水は、少しずつ。咳が酷くなったら、すぐ知らせてください」


 町人は、驚いたように目を見開いた。


「……よいのですか」


「はい」

 一綱は迷いなく答えた。


「体力が落ちてるところに感冒にかかると症状が重くなりますので体を温めて一晩ここで様子をみましょう」


一綱のシャキッとした笑顔を見た町人は胸をなでおろし、奥の部屋へ歩んでいった。


 次に来たのは、若い女だった。

 腕で幼子を抱いている。


「子どもが……熱を……」


 一綱は、すぐに膝を折った。


「……まだ小さいですね、1歳くらいですか?」


 子の額に触れ、頬に手を当てる。熱はある。だが、呼吸は安定している。


「疱瘡ではありません。熱病です」


 その言葉に、女の肩がゆっくりと下がる。


「……良かった…では直ぐに治りますか…?」


一綱は赤ん坊の顔や体、口の中を覗き込み、優しく言葉を駆けながら診察する。


一連の診察を終えて一綱は、はっきりと言った。

「うん、ここで、きちんと休めば治りますよ」

その声には、揺らぎがなかった。


一綱は、次々と人を診る。咳の音、震える手、不安に歪む目。

どれも、見逃さない。


「布をもう一枚。冷えさせないでください」


「こちらの方、食が細い。粥を薄くして、回数を増やしましょう」


指示は的確で、迷いがない。

いつの間にか、周囲の者たちは一綱を中心に動いていた。

一綱は元は足軽。戦場で血を浴びてきた男が、今は――「人を生かす場」を守っている。




「一綱さんは自信をもって患者さんに接した方がいいですよ。その方が安心してくれると思います。私もそのほうが安心して任せられます」


かつて桃慧にかけられた一言が胸の内で熱を持つ。




「桃慧様の仰る通りだ、はぁ....桃慧様.....」」

北の疱瘡患者の隔離陣の方を眺めながら胸の前で拳を握り、何かに誓うように目を瞑る。


桃慧の信頼に応えられている、その実感が彼を支えていた。


 

4日目、朝の寒さは厳しいく人々は囲炉裏や焚火で暖を取っていた。


疱瘡神という見えぬ敵は、まだ牙を収めてはいない。

今ここで慢心し歩みを止めるは疱瘡神の進撃を許すだけだからだ。


だが、二日目と三日目を越えた命は、確実に前へ進み始めていたのだ。



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