畏れの試練
岐阜城城下の町には柔らかな朝日と、ピンと張り詰める冷たい空気が冬の訪れを感じさせるようなとある日の朝、教育と再編成を行う桃慧の元に城から慌ただしく白い息を吐きながら走る伝令が医務所へ駆け込んできた。
「桃慧様!桃慧様はどちらに!上様からの至急の伝令です」
治療室の奥の自室から眠眼の桃慧がひょっこりと顔を出し伝令を見つめる。
「はい、ここに....」
白い寝間着に身を包み、普段の凛とした姿とは見違えるようなあどけない姿に伝令が思わず見惚れているとハッと慌てて口早に言葉を放つ
「う、上様がお呼びです。大至急桃慧様を呼ぶようにと!坂本の町で疱瘡が蔓延しているとの事、故に....!」
伝令が話を終える前に桃慧は寝間着を脱ぎ捨て普段の白い法衣に身を包み頭巾を握り、足早に城へかけていく。
「うるさいなぁ.....何事....?」
あやめが桃慧の部屋から眠眼を擦りながらノソノソと出てくると、ふわぁーっと大きなあくびをし治療室の畳に座る。すると夜番の治長が騒ぎに気が付き、診療室に顔を見せる。
「どうやら、殿からの至急の伝令の様だね。おはようあやめ殿」
「おはよぉ治長さん......桃慧様はなんで呼ばれたんだろう?」
「詳しくは知らない、もしかしたら城で急病人でも出たのかもな~」
治長は薬棚に治療で使った薬を戻す。
「えぇ....こんなに朝早くに桃慧様はたいへんだにゃ~」
あやめはふにゃふにゃな顔をしつつ囲炉裏にあたりながら体を丸めて猫のように綿入りを着込んで瞳を閉じ二度寝に入る。
「ところであやめ、お前は何故桃慧様の部屋から出てきたのだ?」
治長は薬の在庫を記入し終えるとあやめの方を見つめる。
一瞬の静寂が医務室を制し、スズメが鳴くのをやめる。
「んー...?桃慧様あったかいから一緒に寝てたんだ〜」
「...............そうか」
治長は話がややこしくなりそうな気配を感じそれ以上話すのを止め静かに城を眺め桃慧の帰りを待つことにした。
冬の朝の空気が、石畳の上を切り裂くように冷たい。
急な坂を登り切り、警備の兵士たちを横目に岐阜城の大広間へ急ぐ。
広間までに至る廊下化から見える外の景色は爽やかな朝の風に揺れる霜の着いた枯れた木葉に陽光が反射してまぶしく光っていた。
「桃慧様がいらっしゃいました。」
廊下で控える小姓が広間で待つ信長へ繋ぐ。
「通せ」
織田信長は、文机の前に座している。
その前には、少し悩まし気な表情で腹を擦る重鎮、丹羽長秀。
左右には書吏と兵站奉行が控えていた。
「桃慧、朝から悪いな。伝令から話は聞いたか?」
「はい、聞き及んでおります。坂本の町で疱瘡が蔓延と」
「その通りだ。それで聞きたいことがある。医務衆の再編成状況だ。訓練は如何ほどに終えている?」
信長は様々な書上に印を押し、書類の束を小姓に渡すと桃慧との話に集中するため硯や筆を載せた文机を小姓たちに除けさせる。
「基礎的医術、治療法、医務衆ととしての掟、立場、行い、薬草に関する知識など一通り教育は完了しております。部隊編成も完了し練度の向上を図っている段階です。」
「そうか、二月でよく練り上げたな。大したものだ。坂本の町では今光秀と配下者たちが町の再建に動いておる。しかし疱瘡が流行り、その上熱病まで増えておる。このままでは作業に支障をきたし多くの被害が出る」
信長は頭を抱えポリポリと首を描き悩まし気に項垂れる。
「疱瘡に熱病.....それにこの季節...直ぐに広まるでしょう」
桃慧の一言に信長も頷く。
「被害の拡大を防ぎ、再建に支障が出ぬようにするべく向かってほしいのだ。しかし練度の向上為教育を進めている医務衆の立場も考え、派遣する人数は少数精鋭の医師団とその支援隊で考えている。」
「確かに大人数で向かいこちら側にも熱病や疱瘡による被害が出る可能性もあります。少数での派遣には私も賛成でございます。どれほどの人数が疱瘡にかかっているのです?」
信長は桃慧からの同意に笑みを浮かべる。
「今わかっているだけで疱瘡患いは22名、原因不明の発熱などは100名近いと聞く。それで直ぐに出せる人数は如何に」
桃慧は少し悩みながら数秒目を瞑ると
「医師団は20名、救走班27名、荷駄班と支援班を60名、連絡や調整記録役に数名....120名程かと」
眼を開き信長の目を見ながら編成を口にすると信長は頷く
「120名かよい人数だ、直ぐに支度を始めよ。物資の集積や積み込みもあろう。3日程で行けるか?」
桃慧は直ぐに反応する
「即時とはいきませぬが、本日の昼までに出立可能でございます。」
その場が、静まり返った。
奉行衆が顔を見合わせ、信長が片眉を上げる。
「……ほう?まるで兵のように申すな。物資や人員の選定など支度も多かろう何か備えがあるのか?」
「信長様、その件は私から説明させていただきます。」
長秀が数枚の図面と巻物を信長へ手渡すと説明を始める。
「医務衆は改良した荷駄車に医薬品、外科用具、包帯、薬壺、煎薬釜を常備しております。少し大きい四輪の荷駄車には治療台を固定しており、そのうえで行軍中でも処置や治療を行えます。それに普段よりそ治療に必要な薬や医具などを規格を統一し改良した木箱に入れて使っております。振動を防ぐ処置をすれば積み込むだけで即座に動けます」
信長は長秀の説明を聞きながら改良された荷駄車の図面を眺める。まるでそれは現代の可搬ポンプ車のように治療台を固定、降車させることが出来る荷駄車であり、信長はほうほうと興味津々で図面を眺める
「医務衆は医務所での治療も請け負っておりますので一日中それぞれの担当官が常駐しております。そのため負傷者搬送・医務・記録班・薬事班の各部が常時待機状態にございます。人員が揃えば、馬を引くだけ動かすだけで...直ぐに向かえます」
信長の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「ふふふ、余が主家、大和守家の謀反に合った時でも精鋭の与力たちの支度に半日はかかったぞ。医の軍でそれ以上を成すか!ふははははっ!良いぞ!良いではないか!」
信長は自らの行いを思い出し懐かしむように感心しながら頷く。
長秀が感心する信長や官たちの目をこちらにむけ直させるように話し続ける。
「上様、すでに医務衆の改良された荷駄車は大工たちの挺身的な協力の元でその数五十両を超え、全て医療専用に改装済み。速やかに診療が始められるようでございます。」
「……なるほど、聞けば聞くほど戦の道理を越えておる。」
その目は、桃慧に深く据えられている。
「桃慧、おぬしの構想はまるで戦略そのものだ。戦で負う傷を、騎馬突撃のような速さで癒す仕組みとは」
丹羽長秀が一歩進み出て、報告する。
「坂本行き百二十名、荷駄車三十両、馬四十頭。補給は私の配下にて管理いたします。物資は本日中に城下より引き上げ、街道に備えます。」
「よい。物資の集積も三日も待つ必要はないな。桃慧、物資の本格的な搬送は坂本到着後2日後から開始と心得よ」
「承知いたしました。」
信長は立ち上がり、窓越しに小雪が風に流される比叡山の方角を見やった。
「桃慧、そなたの隊は今日中に岐阜を発て。夜には坂本の地にて明智隊と合流し、治療を始めよ。」
短く、しかし確固たる命。
その声は、戦場への出陣命令と同じ重さを持っていた。
「御意。」
桃慧は足早に広間から下がり城門へ控えていた宗次に令を出す。
「医務衆各位へ伝えてください、少々時期尚早ですが実戦になります、隊の半分に直ちに支度させてください、坂本の町へ医療援助に出ます」
宗次は頭を下げ医務所へ駆けると鐘を鳴らし呼集する。
鐘の音に呼応して鉄笛が響き渡る。宿舎は突如として慌ただしく怒号と指示が飛ぶ。
一人一人の顔つきは2か月前のただの町民や農民ではなく人の命背負う医療集団として凛々しい表情に変わっていた。
数刻もせずして医務所の前には荷駄車と、治療用の荷車の担ぎ手、医務衆面々が整列し桃慧の指示を待っていた。選抜された120名の医師と救走班、支援班などの面々が緊張した面持ちで白い息を拭き空を仰ぐ。
「桃慧様、物資の確認終わりました、人員118名集合終わり」
一綱が桃慧に報告を終える。
「宗庵様、医務所はお頼み申します、残置の者たちには引き続きふさわしい教育を」
桃慧は宗庵へ声をかけると宗庵も任されたと拳を突き上げその思いに応える。
「一綱、それでは参りましょう、目標は坂本、医務衆出立します」
織田家の旗印と白地に医の文字の2つの旗が掲げられ一行は歩み始めた。敵は疱瘡、神とも畏れられる病の王、疱瘡神である。
冬の曇天が、比叡の裾野を覆っていた。
雪は細く降り続け、灰のように大地を染めている。
かつて炎に呑まれた坂本の町の空は今はどんよりと薄暗く時々散り落ちる小雪と頬を凍らせるような風が木々の間を抜ける。
。
焼け焦げた柱の跡に新たな材木が打ち込まれ、仮屋根が並んでいた。
だが、漂う空気はいまだ重い。
戦と人の過ちが同時に人々を襲ったその地は、再生の途上にあった。
そんな町の南東に位置する町の入り口、明智の兵が街道を警備していた。
遠くから車輪の軋む音が聞こえる。雪煙の中を、白い幌をかけた荷駄車の列が進んでくる。
坂本を警備する明智勢の兵が、慌てて槍を構える。
「誰何!この寒空に行軍とは何者か!」
先頭を進む宗次が馬を止め、笛の信号で停止を告げた。
「織田家御医頭、桃慧様の一行である。大殿の命により坂本の治療を命ぜられ参った。」
その名を聞いた兵たちはざわつく。
桃慧。延暦寺焼き討ちの折、火の中で民を救った医の娘。
そして明智隊にとっては一触即発になった医の隊。
桃慧の行いで処罰はなかったものの仕える明智光秀の立場は織田家の間でも気まずい立場になったのだ。
兵の一人が駆け出し、やがて息を切らせて戻ってくる。
「お通り下されとのこと! 殿の仰せです!」
兵たちが槍を降ろし道を開ける。幌車がゆっくりと町へ入ると、人々が戸口から顔を出した。
煤けた着物、痩せた頬。その瞳に、驚きと戸惑いが混ざる。
しかし次第に、その目が見開かれた。
「…あれは織田の木瓜紋…それに白い法衣の女子.....桃慧様だ!」
「見ろ!桃慧様だ!」
町中にざわめきが走る。
誰かが声を上げた。
「桃慧様?戻ってくださったのか……!」
「桃慧様が来てくださったのか!」
桃慧は、白衣の裾を整え、静かに町の中央へ歩み出た。
雪の粒が髪に落ち、溶けて光る。
堂々と進む一軍の中心ひっそりとたたずむ姿には確かな威厳があった。
「坂本の皆さま。お久しゅうございます。二月ぶりですね。」
その声はやわらかく、しかし出迎えてきた町人の胸に届くほど澄んでいた。
かつて焼け落ちる家々の中で人々を救ったその声を、町人たちは覚えていたのだ。
「また……助けに来てくださったのですか?」
「疱瘡が広がって、もう終いだと思っておりましたのに……!」
桃慧は微笑んで頷いた。
「皆さまを助けに参りました。どうか、恐れないでください。疱瘡は治せます。なのでまた皆さまのお力をかしてください」
その言葉に、人々が泣いた。
抱き合い、頭を下げ、通りの両側にひれ伏すように道を開けた。
宗次が声を張る。
「医務衆、展開開始!救走1班、2班は周囲の偵察に入れ そのほかの班は指示あるまで待機。三つの診療所を設ける! 搬送経路、南の町側に確保せよ!」
治長が事前に計画しておいた通りに仮設の治療所を設けるべく町民へ交渉する。
「感染者、疑い者、健常者の三区を用意したい。区画の確保と物資の仕分けは予定通りに。詳しい方が居れば教えていただきたいのだが治療に適した建物や広場を教えていただきたい」
場を仕切っていた町人は少し悩みながら答える
「それならば北部に焼かれた廃寺がある、本堂は焼けてるが宿堂が無事だ、そこが重病人を集めるにはいいだろう。あとは町の中心部に米倉庫がある、そこは広く井戸も近い。あとは南側、ここからすぐの所に別の寺がある、そこでみんな寝泊まりしているよ」
桃慧は町人の話を聞き終えるとすぐさま指示を出す。
「治療班5名は私に着いてきて、疱瘡を処置します、あやめと柚も私と共に重病人対応、北の寺が第一陣です」
柚子とあやめは薬箱を担ぎ、町人とともに駆け出す。
「琴は治長の指示のもと町中心の南側の寺に本陣を敷いて、健常なもの達の管理をお願い、体調に変化があればすぐに治長へ報告して、琴と治長に2名を長として第三陣とします。この第三陣が本陣です、いいですね?」
「かしこまりました桃慧様」
琴は避難する子供や母親を誘導し、静かに励ましながら南側に向かう。
治長は荷駄班と共に物資の集積と本陣の設営へ動く。
「一綱、残った治療班を率いて熱病を対応、貴方なら私の指示がなくともできます、分からなければ直ぐに連絡を頂戴、第二陣は一綱に指揮を委ねます」
「かしこまりました!桃慧様!必ずやご期待に応えて見せます!」
一綱は荷駄と町人達と共に米倉庫方面へ動き出す。
「宗次、救走班と伝令の指揮をお願い、重病、重病疑い、健常者の3つに班を分けて専属化して、病を広げないように消毒は念入りに、一綱を支えてあげてください」
「承知した、各班の長は直ちに符号を確認、一綱達の米倉庫を中心に病人の判別搬送を開始せよ」
宗次率いる救走班は一気に駆け出し重病人が集められているという家へ駆けてゆく。
それを遠巻きに見ていた明智の兵たちは、複雑な表情で見守っていた。
ある者は尊敬の眼差しを向け、
ある者は唇を噛み、言葉を失う。
彼らの間を通り抜け、明智隊の副将が低く呟いた。
「……またあの娘か、本当に疱瘡から民たちを救えるのか?」
その声に、若い兵が応えた。
「見てください。誰も命令せずとも、あの小娘の指示に従い町の者達が動いている……。まるで、指揮官が戻った軍みたいだ……。」
白衣の列が、坂本の通りを進む。
凍てついた町に、わずかに人の息と温もりが戻っていく。
その姿を遠くから見つめる明智光秀の眼差しは、何かを押し殺すように硬かった。
その娘の背に、救いと、己の罪が見えたからである。
医務衆各位は晒麻布製の手ぬぐいを口に捲き防疫処置を進めながら拠点を作り、治療を開始した。
宗次の救走班は迅速に見立てを行いそれぞれの陣へ患者たちを搬送し始める。
桃慧率いる重病人治療の第一陣に患者が運ばれてくる。鉄笛、単音3回長音1回、疱瘡患者搬送中の符号である。
運ばれてきたのは10歳ほどの女の子、息も絶え絶えで非常に高温で身体中に赤い粒が火山のように皮膚を焼いている。
「皆さん、疱瘡を恐れてはいけません。我々が疱瘡神を討ち払い民達の命を救うのです!」
「応っ!」
桃慧の鼓舞に医務衆の面々が凛と立ち向かう。
疱瘡神との戦が始まる。




