戦場の白き指
2/26日 作品を一部編集しました。
1571年5月某日 伊勢・長嶋
長島の地は水に囲まれ、川と葦原と泥濘が入り組んでいる。松明の火は湿気を含んだ風に揺れ、煙は低くたなびいた。
織田軍は陣を引き払いかけていた。
疲労が重い。兵は三日、まともに眠っていない。
そのときだった。
闇の奥から、乾いた音が弾けた。
――パァン。
火縄銃。
続いて石が雨のように飛ぶ。
投石。
湿地に潜んだ一向一揆勢の伏兵だ。
「伏せよ!」
叫びは遅い。
石が兜に当たり、鈍い音が響く。
肩に、顔に、鎖帷子の隙間に。
そして闇夜より矢羽根が風を切る。
矢が放たれる。
闇の中、白羽が一瞬、火に照らされる。
一人、また一人と足軽が次々に崩れる。
パンッ
パパパンッ
鉄砲の火花がまた閃く。
硝煙の匂いが濃くなる。
湿気を帯びた黒色火薬の臭気が、喉にまとわりつく。
「前へ出よ!」
声を張ったのは、
柴田勝家であった。
大身の槍を構え、崩れかけた隊列を立て直そうとする。
撤退路を守らねば、全滅する。
その瞬間。
パァンッ!
銃声。衝撃は鈍かった。
鎧の脇――胴丸の合わせ目。
鉛弾が食い込み、肉を抉る。
「ぐあっ」
勝家は一歩踏み出したまま、膝を折った。
血は勢いよく噴き出さない。
「おのれ....くっ」
だが、内部で滲む。
周囲の兵はなおも応戦するが、伏兵は湿地を熟知している。
撃っては退き、石を投げ、また撃つ。
混乱は長く続かなかった。
やがて夜は静まり、伏兵は闇に消えた。
残ったのは呻き声だけだった。
夜明け。
泥水に浸かった死体。
顔を潰された者。
石で頭蓋を割られた者。
矢が喉を貫いたまま息絶えた者。
まだ生きている者もいる。
腹を裂かれ、腸が溢れ出ている。
太腿に矢が刺さり、折れた骨が皮膚を押し上げている。
「水を……」
まだ幼い顔をした足軽の声は掠れ、喉は乾いている。
だが水は濁っている。
飲めば腹を下す。戦場ではそれが命取りになる。
足軽の一人が言う。
「動けぬ者は置いていく。連れては退けぬ」
誰も否定しない。
戦とはそういうものだ。
そのとき、白が見えた。
血と泥の間に、ただ一色の白。
法衣。
若い僧が歩いてくる。
いや、僧にしては小柄だ。
足を止めず、倒れた兵の傍らに膝をつく。
脈を測る、瞼を開く。
呼吸を確かめる。
まだ、ある。
兵は怪訝な顔をする。
「何に者だ!一向の僧だな?それ以上近づけば叩き切るぞ!」
白衣の者は答えない。
足元には折れた足の骨が露出し血が滴る。
露出した骨に手を伸ばす。
周囲がざわつく。
「触るな! 」
構わない。
布を裂き、酒で濡らす。
静かに、力強く押し戻す。
「ぎゃああああああああああああ」
血を拭い、圧迫する。
震えてはいない。
そして肉を縫い合わせる。
むき出しの骨は体の中へ還り傷口も縫い合わさり見た目は普通の人の足に戻った。
それでもそのものの手は止まらない。
次へ。
次へ。
近くに落ちている弓の弦を外し汚れを酒で洗い流す。
そして折れた足に這わすように添え、包帯でしっかりと固定する。
「終わりましたよ、よく耐えました。」
その足軽に自らの水を差しだし飲ませる。
白い法衣は朱に染まり風に靡く。
そしてさらに次の男へ。
また治療が終わると水を飲ませ次の元へ。
そして腹に矢が刺さり腸が露出する男の元に寄る。
息が荒いが意識ははっきりしている。
「すまない、助けてくれ、寒くて死にそうだ」
白衣の者は再びその男の頭の脇に座り腰袋から薬を取り出す。
「これをお飲みください、それとこれはお酒にございます」
小さな丸薬に瓢箪の栓を抜き手渡す。
「ありがたい」
男は何の疑いもなく飲み干す。
ゴクッゴクッゴクッ......ぷはぁっ!
「ありがとう、薬も助かった。」
「いえ、私は感謝されるような人ではございませぬ」
そして白衣の主は漏れた腸に酒をかけ腹の中に戻し、腹を縫う。
「・・・・。」
男は眠るように死んでいた。
「楽に眠れたようで、仏は最後まであなたを見捨てませぬ、今は痛みから解放されお眠りください。」
シャリン、シャリンと錫杖が鳴る
「俺も助けてくれ」
矢じりが肩深く刺さり木に寄りかかっている。
兵が差し出す濁り酒。
それを傷口に注ぐ。
「ぐあああああああああ」
男が絶叫する。
次いで、煮沸した水。
血を洗い流す。
布で圧迫。
出血の位置を指で押さえる。
止まらぬ。
彼女は腰の袋から薬草を取り出す。
すでに刻み混ぜてある。
ヨモギ。
ユキノシタ。
オトギリソウ。
ドクダミ。
それぞれに止血・抗炎症・鎮痛の経験的効能がある。
指で練り、傷口へ塗り込む。
さらに、小さな包みを開く。
白い軟膏。
ケシの種をすり潰し、油と練ったもの。
微量でも、痛みを鈍らせる。
患部へ塗布。
男の呼吸がわずかに落ち着く。
桃慧は針を火で炙る。
自らの黒く長い髪を一本抜く
酒で拭きピンと張り針に通す。
皮膚を縫い合わせる。
一針。
二針。
手は迷わない。
周囲の兵は言葉を失っている。
「……痛くないのか?」
「痛くねぇ...」
男が呟く前に傷は縫い合わされていた。
「終わりましたよ、立てますか?」
「あぁ、すげぇなお前」
「ここは澱んでおります、直ぐにお味方の方へお逃げください。」
そう呟くと次へ移る。
錫杖が鳴る。
また一人。
また一人。
生きあるものがその一人の僧に救われていく。
血に染まった白衣が乾き赤黒く朝日に煌めく。
やがて豪華な鎧を纏う大男のもとへ辿り着く。
脇腹は腫れ、血が鎧の下で溜まっている。
「儂も助けてくれないか」
木の幹のような腕。
低く重厚な声
その声に寄り添うようにひざを折り座り脈をとり、鎧を外す。
「失礼いたします。」
弾は貫通していない。
指を差し入れ、位置を探る。
骨に当たって止まっている。
「焼き鏝を」
短く言う。
誰も動かない。
「焼け」
その声音に、兵は思わず従おうと周囲を見渡す。
白衣の者がそれを制止し大男を黙らせるように力強く説く。
「その必要はございませぬ、少し、ほんの一瞬痛みますよ」
肉を切り開く。
勝家の体が跳ねる。
眼を見開いて歯を食いしばる。
「あった。」
指で傷口を抉り鉛弾を摘出。
血が溢れる。
圧迫。
布を詰める。
痛み止めの茶色の軟膏と白い軟膏を塗り直ぐに傷を縫い合わせる。
呻き声が戻る。
呼吸が乱れ、やがて.....浅く、だが確かに吸った。
周囲が静まり返る。
「感謝する。痛みが止んだようだ」
横になったまま手を上ってきた朝日に透かす。
「生きてるな」
その場に歓声が沸き安堵の声があふれる。
しかし突然背後より
「おい、そこの者、動くな」
突如低く艶つやのある声が響きその場の空気をかえる。
重く威圧的な緊張感がその場を支配する。
そばにある小高い丘の上で騎馬に跨り偉そうな髭男がこちらを見下してくる。
ガチャガチャと長槍を構えた武者たちが現れ少女の周りを囲む。
「女子か?このような戦場で何をしておる?」
少女は静かに微笑み返し
「命を繋いでおりました。ここには助かる命がまだあります。」
胸を張り堂々と言い放つ。
「どこの誰ぞ?身に着けているものを見る所、尼のようだが、一向宗ではないだろうな?足元に倒れているのは我が兵......いや我が家臣ではないか?死者から追いはぎをしていたのではないか?」
「医僧の桃慧と申します、追い剥ぎとは失礼な、敵も味方も関係なく私は関係なく治療を施ほどこしています。」
少女は高圧的な髭男の物言いにも怖気つかず言い返す。
髭男は騎馬に乗ったまま桃慧の元へ近寄り倒れている者を馬上から覗のぞきき込んだ。
倒れている男はゆっくりと目を開け、髭男の姿を見るや否や上半身を起こし頭を下げ震えながら話し始める。
「上様、申し訳ございませぬ、予期せぬ一向宗の反撃に会い、殿を務めておりましたが力及ばず」
先程までの力ない姿ではなく、そこには誇りある武士としての意地が見えた。
「勝家、無事で何より、よく務つとめくれた」
髭男は勝家という家臣を褒め称え、手を貸しその場に立たせた。
「この者が助けてくれました。撃たれてもう死ぬのかと思って居た所.....このように!」
勝家は銃で撃たれた傷を髭男に見せると髭男が目をかっぴらき、桃慧の顔を化け物を見るような顔で睨にらみつけた。
髭男はしばし沈黙した。
只の金創医ではない。死を待つばかりの怪我を治療しただけではなく、治療直後に杖を頼りだが自力で歩けるまで回復させるなど人の力ではない。
「桃慧と申したか?......我に仕えよ」
髭男は力強く言い放った。まるで命を操るような少女の神業を、己おのれの配下に置くことに畏怖と期待が胸の中に入り混じる。
桃慧はわずかに微笑む
「どこのどちら様かお聞きしても?」
髭男は眉をピクリとさせその艶のある低い声で堂々と言い放つ
「平朝臣織田上総介三郎信長...........よろしく頼むぞ桃慧」




