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戦場の白き指

Y歴1571年(玄生2年) 5月某日 伊勢・長嶋


霧が低く這い草花が静かに揺れる野原に、今は無残に(しかばね)とかした雑兵(ぞうひょう)と血だまり、そして泥の香り。

鼻を()くような火薬と人の肉が焦げる匂い。


倒れた兵たちの呻き声が、鎧にまとわりつく水滴に反響して地に沈む。

低く、低く、(うめ)き声は地面に響く。

カラスたちはそんな人間どもを見下し早く死なぬか、早く食らわせろと1羽、また1羽と列を伸ばして鎮座(ちんざ)する。


そんな地獄に響く錫杖(しゃくじょう)の音、シャリン、シャリンと清く心地よい音色は地獄に沈む兵たち全員に等しくその頭上から浴びるように鳴り響いた。

錫杖の音が病み一人の白い袈裟(けさ)(まと)った少女が(ひざ)をつき、荒い息をする一人の(へい)に話しかける。


「まだ助けられる、鉄砲に撃たれたのですね」


倒れた兵の胸には火縄銃の鉛玉(なまりだま)が貫通した跡より出血し、周囲の肉は裂け、黒く焦げ、内部の損傷は深く底が見えない様などす黒い血の沼が開いていた。


少女は静かに息を整え小さな麻袋から竹の容器を取り出し、濃い茶色のドロドロした軟膏を取り出す。


「安心してください.....痛みを和らげます」


落ち着いた少女の優しく()んだ声は苦しむ(へい)の胸に響いた。


傷口をきれいな布で押さえ止血する。


そこにドクダミ・オトギリソウ・ユキノシタ、そして少量のケシの種をすり潰した軟膏(なんこう)を傷口に丁寧に塗り込む。すると兵の呼吸が(ゆる)み、痛みの呻きが(にぶ)り、落ち着きを取り戻した。


指先程しか刃のない小刀で焼けた肉を削ぎ落し、傷の奥に眠る鉛玉を抉り取る。

兵は一瞬大きな呻き声を上げたがすぐに痛みを感じなくなりまた目を閉じゼェゼェと肩で息をする。


酒を染み込ませた布で傷口をふき取る。

すると少女はきれいに伸びた長く美しい髪の毛を数本抜き取り、酒とドクダミ・ユキノシタ・灰を混ぜた薬液へ髪の毛を潜らせる。髪の毛は一層の光沢(こうたく)を放ち、針へ通す。

細い血管を繊細(せんさい)な指先で(ぬい)い合わせ、薬を塗り肉と肉を縫い合わせ傷を縫合(ほうごう)する。


最後に薬を染み込ませた麻布(あさぬの)で傷口を固定し泥や雨から守る。



少女は最後に傷へ向かい(おが)み頭を下げる。

「終わりました、雨の当たらぬ場所へ行きましょう」

そう兵に告げると少女は頭を上げた。


兵士はゆっくりと目を開き先ほどまで感じていた痛みとは決別(けつべつ)し、ヒリヒリとするような和らいだ痛みを感じていた。

少し血を失ったため立ち上がる際、ふらつきはしたものの自力で起き上がれるほどだった。


少女は立ち上がった兵士に(そば)に残っていた槍を(つえ)代わりに手渡しゆっくりと一歩また一歩と大地を踏みしめる(へい)の背中を見送った。


「まだ助けられる者は....」

少女はあたりを見渡し、虫の息の者、助けを()い家族への帰還(きかん)を夢見る足の付け根から滝のように血を流す若者(わかもの)を見捨て、頭が叩き割られ腰がバッタのように跳ねている者を捨て置き、今命が助かる者を探し回った。


霧雨が去り、戦場に日が差し始める頃、少女はようやく見つけた足の骨が折れ動けぬ者の治療をしていた。

骨を元の位置に動かし竹と包帯で固定し、薄荷(はっか)の煮汁を腫れた幹部へ少量塗り治療を終える。


すぐ横に全身を甲冑で着飾(きかざ)銃創(じゅうそう)で倒れている者が助けを求めている

少女はすぐに先ほどのように治療を始める。

薬で痛みをやわらげ、小さな器具(きぐ)で鉛玉を取り出し、血を止め、自らの髪を抜き、縫い合わす糸とし、薬で(きよ)め、空いた傷穴を縫い合わせる。

その動作すべてが洗練(せんれん)され、雲の切れ間から降り注ぐ日光も相まって神秘的な、人知を超えたような美しさすら感じる。

雨粒(あまつぶ)に濡れた黒く輝く髪を振り払い、白い布で結びあげ、脇の髪を耳にかけ患者の治療に戻る。

少女の瞳は常に冷静で命と向き合い、まるで指先で命を紡いでいるかのようだった。






「おい、そこの者、動くな」

突如低く(つや)のある声が響きその場の空気をかえる。

重く威圧的な緊張感がその場を支配する。

そばにある小高い丘の上で騎馬(きば)に乗り偉そうな髭男(ひげおとこ)がこちらを見下してくる。


ガチャガチャと長槍(ながやり)を構えた武者たちが現れ少女の周りを囲む。


女子(おなご)か?このような戦場で何をしておる?」


少女は静かに微笑み返し

「命を繋いでおりました。ここには助かる命がまだあります。」

胸を張り堂々と言い放つ。


「名を何と申す?身に着けているものを見る所、(あま)のようだが、一向宗ではないだろうな?足元に倒れているのは我が兵......いや我が家臣ではないか?死者から追いはぎをしていたのではないか?」



「僧医の桃慧(とうけい)と申します、追いはぎとは失礼な、敵も味方も関係なく私は関係なく治療を(ほどこ)しています。」

少女は高圧的な髭男の物言いにも怖気つかず言い返す。


髭男は騎馬に乗ったまま桃慧(とうけい)の元へ近寄り倒れている者を騎乗(きじょう)から(のぞき)き込んだ。


倒れている男はゆっくりと目を開け、髭男の姿を見るや否や上半身を起こし頭を下げ震えながら話し始める。


親方様(おやかたさま)、申し訳ございませぬ、予期せぬ一向宗の反撃に会い、殿(しんがり)を務めておりましたが力及ばず」

先程までの力ない姿ではなく、そこには誇りある武士としての意地が見えた。


勝家(かついえ)、無事で何より、よく(つと)めくれた」

髭男は勝家という家臣を褒め称え、手を貸しその場に立たせた。


「この者が助けてくれました。撃たれてもう死ぬのかと思って居た所.....このように!」

勝家は銃で撃たれた傷を髭男に見せると髭男が目をかっぴらき、桃慧の顔を化け物を見るような顔で(にら)みつけた。


髭男はしばし沈黙(ちんもく)した。

只の金創医(きんそうい)ではない。死を待つばかりの怪我を治療しただけではなく、治療直後に杖を頼りだが自力で歩けるまで回復させるなど人の力ではない。


「桃慧と申したか?......我に仕えよ」

髭男は力強く言い放った。まるで命を操るような少女の神業を、(おのれ)の配下に置くことに畏怖(いふ)と期待が胸の中に入り混じる。


桃慧はわずかに微笑む

「どこのどちら様かお聞きしても?」


髭男は眉をピクリとさせその艶のある低い声で堂々と言い放つ


平朝臣(たいらのあそん)織田上総介(おだかずさのすけ)三郎信長(ぶろうのぶなが)...........よろしく頼むぞ桃慧」




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