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そして魔術は芸術に敗れた  作者: 詠十計
アカデミー入学編
3/12

2.意外な新入生

 入学の式典が終わると、学科別の説明のために講堂から講義室へと移動する。

 しかし芸術科の新入生達は皆、自分の入る講義室を間違えたのかと不安になった。

 なぜなら「魔術の天才」として注目されていたはずのアンリ・デューディーが、なぜかこの場所にいたからだ。

 フィモネも講義室に入った時はぎょっとした。一番前の席に、少し前まで見惚れていた後ろ姿があったのだから。

 動揺しているのは自分だけではないらしいとすぐに気がついて、ひとまず安心する。しばらくして芸術科の学科長であるトーレスが入ってくると、答え合わせで正解だった時のような気分になった。

 しかし、それは新たな疑問を生じさせた。

 後方に流した灰色の髪、棘のような髭といったトーラスの整った風貌は、宮廷画家として長く王家に仕えていたという経歴がそのまま表れているかのようだった。

 トーレスは芸術科の生徒としての心構え、今後の講義の内容や実習の流れを淡々と説明していく。フィモネは集中して聞こうとするが、意識は彼の手前の席に向いてしまう。たぶん、他の新入生達も同じ気持ちだったはずだ。

 今日の予定は入学の式典とガイダンスだけ。トーレスが出て行くと講義室の空気は少し緩んだものの、違和感は残り続けていた。一番前の席で存在感を放つ、長い銀色の髪。

 トーレスが特に触れなかったという事は、アンリも芸術科の生徒に違いない。

 つまり答えは出ている…いや、だからこそ余計に違和感があるのだろう。

 誰もがアンリの事が気になっているはずなのに、近づいて声をかけようとする人は現れない。

 フィモネもそうだ。無意識にアンリから離れた場所を選んでしまったにも関わらず、トーレスが話している間も彼女の方に目が向いてしまった。

 帰りの支度を終えた同級生が徐々に席をたち、講義室を出て行く。中には早くも仲間を見つけ、連れ立って歩いて行く姿もあった。

 フィモネも帰ろうと思い、準備をはじめる。

 早く家に帰らなければいけなかったし、今日はその前に寄りたい所もある。講義室に長く残っていても良い事はないはずだ。

 それなのに…。

 アンリの方に目を向けたら、なぜか手が止まってしまった。

 この講義室で一人なのはアンリだけじゃない。だけど周りの席が不自然に空いていて、多くの同級生から不思議そうな眼差しを向けられている彼女は、誰よりも一人ぼっちに見えた。

 だからだろうか。準備を終えたフィモネは、自分でも思いがけない行動に出た。

 立ち上がって歩き出すと、近くにいた同級生が驚いたような目をフィモネに向ける。

 それは彼女も同じだったらしい。足音に気がついてふり返ったアンリも、目を丸くした。

 翡翠のような瞳が目の前にあって、しかも自分を見つめている。それだけで緊張したけれど、フィモネは精一杯の笑顔を浮かべて口を開く。

「はじめまして。私…フィモネ・プティっていいます。その、良かったら、途中までいっしょに帰りませんか?」

 ぎこちない笑顔になっていなかっただろうか。それに、声が震えていたかも…言い終わってから不安になってきた。

「…私と?」

 まっすぐな眼差しで聞かれ、胸の鼓動が早くなる。

 それでもフィモネはアンリから目をそらさずに、こくりとうなずいた。

 次の瞬間、アンリがぱっと目を開く。急に光が差し込んだかのように、澄んだ瞳の中で小さな光が散った。

 予想とは正反対の反応に、フィモネの思考が一瞬止まる。その間にアンリが勢い良く立ち上がって、フィモネにぐっと顔を近づけた。

「ありがとうございます!とっても嬉しい…あっ、失礼しました。私はアンリ・デューディーっていいます!」

「…は、はい」

 フィモネはすっかり圧倒されてしまって、「知ってます」とは言い出せなかった。

 二人はあっけに取られている同級生達の視線を浴びながら講義室を出て行った。それでもアンリは注目の新入生ともあって、すれ違う学生は例外なく目を向けてくる。

 フィモネはだんだん冷静になり、初日から大それた事をしてしまったと思う。

 しかし、それも短い間の事だと考えていた。

 街路に沿って連なっていた建物がとぎれ、市街の外へと抜ける道が現れる。

 フィモネはそこでぴたりと立ち止まると、アンリに向かって頭を下げた。

「ごめんなさい。私、寄りたい所があるので…これで…」

「そうなんですか?どちらへ寄るのですか?」

「ええっ、と…」 

 予想できたはずの質問だったのに、聞かれたフィモネは返事をためらってしまう。

「郊外の丘に…絵を描きに…」

 しかも、正直に答えてしまった。

 再びアンリの目に光が灯り、フィモネとの距離を詰めてきた。フィモネは嫌な予感がしたが、もう手遅れだった。

「フィモネさんっ、私も行って良いですか?」

 うっ。口から出そうになった声を、とっさに飲み込む。

「えーと…けっこう遠いし、上り坂も多いですけど?」

「だいじょうぶです!ノザーヌの出身なので、山道には慣れていますから!」

 ノザーヌはリュボン北部の国境に近く、冬には深い雪に包まれる山間の町だ。デューディー家は魔術の名家でありながら代々この町に居を構えていて、アンリが話題になるまでは魔術師達の間で「変わり者の家系」と評されていた。

 山に囲まれた町で育ったのなら、確かに丘の道なんて散歩みたいなものだろう。

「でも私、自分の道具しか持っていないし…」

「構いません!フィモネさんが絵を描く所を見させてもらえるだけでも満足ですから!」

「へ?そんなの見たって面白くないですけれど…」

 困惑気味に返すフィモネだったが、アンリには届いていないようだ。

 結局、アンリのまっすぐな眼差しと圧の強さに負けてうなずいた。

「やったあ!ありがとうございます!」

 アンリは小さな子供のように飛び跳ねて、フィモネにお礼を言う。

 アンリと一緒に帰る事になった時点で、寄り道はあきらめるべきだったのかもしれない。 

 フィモネはひそかに後悔したが、それでもここへ来たいと思う大事な理由があった。

 最初の講義では、自己紹介を兼ねた作品の発表を行うという。入学前にアカデミーから届いた報せを読んでから、そのための絵を描きに行きたいと思っていた。しかし入学の準備が忙しかったのと、家事をするために長く家を空けられなかったのとで、アカデミーの帰りしか時間が無かったのだ。

 発表するのは過去の作品でも構わないらしいが、自分の第一印象につながると思ったら、少しでも納得できるものを見せたかった。

 よほど嬉しかったのか、アンリは山育ちの健脚を発揮してずんずん進んでいく。

「え、アンリさん?道知らないですよね…待ってください!」

 なぜかフィモネは置いていかれそうになり、あわてて走り出す。

 追いかける後ろ姿には、最初に感じた幻想的な雰囲気は残っていなかった。


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