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そして魔術は芸術に敗れた  作者: 詠十計
アカデミー入学編
10/12

9.アンリの絵

「アンリさん!だいじょうぶですかっ!?」

「うう、痛たた…フィモネさん、待っていてくれたんですか?」

「はいっ。急げば間に合うと思います」

 絵の飾られていないイーゼルに気が付いて、アンリは驚いたようにまばたきを繰り返した。しかし、すぐに笑ってうなずいた。

「ありがとうございます、フィモネさん!」

 それからは元気を取り戻したように起き上がり、フィモネに駆け寄った。

 そんなアンリを見て、フィモネもなぜか安心した。

「アンリさん…バチック様のご用事はだいじょうぶだったんですか?その、言えたらで構いませんけれど」

「だいじょうぶですよ。やっぱり、魔術科に転学して欲しいっていうお話でした」

 アンリは背負ったカンヴァスをおろしながら、あっさりと答える。

「お姉ちゃんの名前を出されたので、もしかしたら魔術科の校舎で待ち構えているんじゃないか…って心配だったんですけど、いなくて安心しました!」

 アンリは晴れ晴れとした表情で話す。彼女にとっては、バチックよりも姉の方がよっぽど気がかりな存在らしい。

「やっぱり、って…何度もそういうお話があったんですか?」

「ええ。私が芸術科を受験するって事が分かってから、魔術関係の色んな人が尋ねて来ました。まさか魔術院の議長さんまで来られるとは思いませんでしたけど」

「それで、バチック様のお願いを断ったんですか?」

「はい。断りました」

 フィモネは「何で」と思わず口にしそうになったが、布の結び目をほどくアンリの手を見て息をのんだ。布の間から薄い保護紙を透かして、カンヴァスの表面がのぞいている。

 わずかに見えたアンリの絵に、フィモネの目が釘付けになった。

 アンリが布の端に手をかけ、さっと振り上げる。保護紙がはらりと舞って、アンリの絵が姿をあらわした。

 その瞬間、フィモネは思わず目を細めてしまう。窓から光が飛び込んで来た時のような、不思議な感覚だった。

 描かれていたのは、とある街角の風景だ。部屋の中から窓越しに眺めている構図らしく、左と下の端は影に染まった壁で縁取られている。

 石畳の街路や窓辺は萌黄色の若草で彩られ、淡くかすんだ空からは柔らかな色合いの光が降り注いでいる。

 しかし…これが単なる風景画なら、ここまで不思議な感覚に見舞われる事もなかったはずだ。なぜなら、カンヴァスの中の世界は、フィモネが今まで見た事がない方法で表現されていたのだから。

 そこに描かれているのは、小さな点と短い線だけだった。

 どうやら微妙に色が違う点や線を無数に組み合わせると、距離を置いて眺めた時に一つの色のように見えてくるらしい…フィモネは心の中で分析するものの、妙な動揺が収まらない。

 目の前のアンリの絵は、フィモネが今まで見てきたどんな絵ともかけ離れている。

 それは隣のフィモネ自身の絵や、他の同級生が描いた絵と比べても明らかだった。

 画題や構図は違うものの、周りの絵はどれも細部の描写や写実的な表現に力が入れられている。それこそが自分の画力を示す唯一の手段であるかのように。

 そういう視点で見れば、このアンリの絵は構図も描写も粗い。フィモネの中のものさしで測れば、下手だと判断してしまうような出来栄えだ。

 だけど、この部屋にあるどの作品よりも眩しい。それを下手だと決め付けていいのだろうかと、フィモネの中の常識が大きく揺さぶられた。

 アンリは自分の絵をイーゼルに立てかけると、黙り込んでいるフィモネを恐る恐る見た。

「フィモネさん…私の絵、どうですか?」 

 声をかけられて、フィモネははっと現実にかえる。

 その後もしばらく言葉に迷い、ようやく震える声を出した。

「分からない、です…」

「そうですか」

 アンリをがっかりさせてしまっただろうか。そう思いながら、フィモネはそおっと隣を見た。

 しかしアンリはなぜか、自分の絵を眺めて微笑んでいる。それを見たフィモネは、さっきとは違う意味で混乱してしまう。

「アンリさん…どうして嬉しそうなんですか?」

「あれ?私、そんな顔してましたか」

「はい」

 するとアンリは翡翠の瞳を細めて、もっと嬉しそうに笑った。

「フィモネさんに『分からない』って言ってもらえるのは『じょうず』って言ってもらうよりもすごいと思ったからですよ。きっと」

 思いもよらない言葉がかえってきて、フィモネは目をぱちくりさせる。

 だけど、その言葉で思い出した。今までだってたくさんの分からない絵に出会い、その度に描く事に惹かれていったのだと。 

 フィモネもふっと口をほころばせて、アンリに笑いかけた。

 その直後に、鐘の音が鳴った。間隔の短い鐘の音は、これから講義が始まる事を告げるものだ。

 2人の顔から同時に笑みが消えて、いっせいに走り出した。


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