プロローグ
アンリ・デューディーが特別だという事は、リュボンの人々にとっては常識にも等しかった。
それはフィモネ・プティも例外ではない。彼女はこの国の住民にしては魔術に疎い方だったが、街を歩くだけでもその名前は自然と耳に入り、記憶の中で塗り重ねられていった。
同い年で、同じ女の子。だけどそれ以外は何もかも違う魔術師サマ…それがフィモネにとってのアンリの印象だった。
何せ彼女は長い魔術の歴史の中でも異例の才能を持って生まれ、幼い頃から伝説級の逸話を積み上げてきたというのだから。
生まれてすぐに魔術を使い、最初の言葉を口にする前から並の魔術師では適わないほどに使いこなしていた…とか。
親に手を引かれながら魔獣の群に襲われた村の救出作戦に参加し、ほとんど一人で全ての魔獣を撃退した…とか。
有史以前から何人もの高名な魔術師が試みたものの、一度も解読される事がなかった古文書の呪文を何となく読み上げて発動させた…とか…。
中には誇張もあるだろうが、根拠もなく噂が立つ事もないだろう。リュボンでは魔術が使えるだけでも羨望を集めるというのに、彼女の名前と共に語られるエピソードはあまりにも飛び抜けていて、現実味が湧かないほどだった。
かつては絶対的だった魔術の優位は技術の発展によって徐々に埋められ、今や他国では「黄昏の力」とさえ呼ばれる中で、アンリの出現は奇跡とも希望とも呼ばれていた。それもまた自分とは違うなんて思いながら、フィモネは人々が口にする噂を遠い世界の出来事のように聞いていた。
そんなアンリと同じ学校に通うと聞いた時には、さすがに彼女を意識した…とは言うものの、驚きはそれほど大きくはなかった。
なぜなら彼女達が通う王立アカデミーはリュボンの最高学府であると同時に、公立の教育機関で唯一の魔術科を設けているからだ。
世界中から魔術師を志す若者が集まる名門にアンリが入学するのは当然の話。2歳上のアンリの姉が現役の魔術科の生徒である事も、巷では有名な話だった。
一方でフィモネが入学するのは芸術科だ。
「芸術」とはいうものの、創設から10年も経っていないこの学科で扱っているのは絵画や彫刻といった美術分野だけ。同じリュオンの最高学府でも、長い歴史と実績を持つ魔術科の志願倍率とは大きな差がある。
だからフィモネは思っていた。同じ学校に入学はしたけれど、あのアンリ・デューディーと接点を持つ機会なんて一度も訪れない、と。
入学の式典の中で、フィモネははじめてアンリを見た。
遠くからではあったけれど、彼女の姿は百人以上もの新入生の中でひときわ輝いているかのようで、目をこらして探すまでもなかった。
魔術の名家の血筋でも異能の証といわれる白銀の髪は、うっすらと紫色を帯びているようにも見える。それはまるで、夜明けの光を吸い込んだ雪原のようだとフィモネは思った。
同じ色の細い眉の下では、緑色の大きな瞳が輝いている。
本物のアンリは、彼女が何者なのかを知らなくても見惚れてしまうほどの幻想的な気配を漂わせた美少女だった。
式典の礼装である濃紺のローブは魔術の育成から始まったというアカデミーの歴史にならい、魔術に由来する菱形を組んだ十字の文様が縫いこまれている。そんなローブをまとうアンリからはすでに魔術師らしい風格が漂っていて、彼女が別格の存在である事を知らしめるには十分だった。
学園長の話に聞き入るアンリの横顔を眺めながら、フィモネは確信する。
彼女は想像していたよりもずっと特別だ。自分が関わる事なんて、絶対にない。
…そんなフィモネの確信は、入学の式典が終わり、学科に別れた時点で崩壊した。
知らなかった。いや。もしも聞いていたとしても、信じなかったはず。
だって、普通は思わないだろう。魔術の歴史の中でも稀な才能を持って生まれ、「奇跡」や「希望」とまで言われていたアンリが選択したのは、魔術科ではなく芸術科だったなんて。
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